蜂須賀隆長
日本の江戸時代前期~中期の大名
蜂須賀 隆長(はちすか たかなが)は、阿波国富田藩の第2代藩主。阿波徳島藩2代藩主・蜂須賀忠英の五男・蜂須賀隆喜の長男。母は岡本氏(要受院)。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝2年4月13日(1674年5月18日) |
死没 | 正徳4年9月17日(1714年10月25日) |
改名 | 吉之助(幼名)、隆長 |
別名 | 頼母 |
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 阿波富田藩主 |
氏族 | 蜂須賀氏 |
父母 |
父:蜂須賀隆喜、母:要受院 養父:蜂須賀隆重 |
兄弟 | 隆長、芳、宗英 |
妻 | 正室:慈光寺仲学の娘 |
子 | 清隆、女子、隆寿、正員、春姫 |
正室は慈光寺仲学の娘。子は1男1女。養子に蜂須賀隆寿(蜂須賀綱矩の3男)、蜂須賀正員(蜂須賀綱矩の四男)、養女(蜂須賀隆重の7女、南部利幹正室)がいる。官位は従五位下。飛騨守。通称は吉之助、頼母。
生涯
編集先代藩主・蜂須賀隆重の嫡男・正上が早世していたため、元禄12年(1699年)12月12日に隆重の養嗣子となる。同年12月28日、将軍・徳川綱吉に御目見する。元禄13年(1700年)12月21日、従五位下下総守に叙任する。後に飛騨守に改める。
系譜
編集関連項目
編集参考文献
編集- 『蜂須賀家記』