西川 淳(にしかわ じゅん、1973年3月6日-)は、愛媛県生まれの競技麻雀プロ雀士

西川 淳
基本情報
出身地 愛媛県[1]
生年月日 (1973-03-06) 1973年3月6日(51歳)
プロ入会 2002年 18期
所属団体 日本プロ麻雀連盟
主な実績
第22期チャンピオンズリーグ(2012年)
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日本プロ麻雀連盟所属。団体内の段位は七段[2]

来歴

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大学時代に黎明期にあったインターネット麻雀に接してその面白さに嵌まる[3]。その後会社員となるが、2000年にインターネット麻雀大会を企画して成功したのを機に、会社を辞めて麻雀教室の講師など麻雀で生計を立てることを決意。2002年に日本プロ麻雀連盟のプロテストに合格してプロ雀士となり、2008年には千葉市で健康麻雀をメインとしたカルチャーセンター「カルチャースクエア ワンダフルデイズ千葉」を開設する[4]

2012年の第22期チャンピオンズリーグ(現・JPML WRCリーグ)を制し、初タイトルを獲得[3]

Mリーグの理念には賛同しつつも自身が参加することへの興味はなかったというが、EX風林火山が2021年に実施したドラフト会議指名選手オーディションに「大恩ある方に勧められて」団体推薦選手として参加[5](予選会25位で準決勝進出ならず)。2024年にはMトーナメント2024に団体推薦選手として出場、予選2ndステージH卓第1試合東2局で四暗刻の和了(Mリーグスタジオでは約1年ぶりの役満)を決めた[6]

雀風・人物

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  • 麻雀講師をしていることもあり、「強打などを絶対にしない、お手本となるような所作を含めた麻雀」をモットーとしている[5]七対子対々和に自信があるといい、構想と手組が独特といわれることがあるという[7]
  • 麻雀最強戦2020に出場した際のキャッチフレーズは「インファイト風雅[8]
  • 後にJPML WRCリーグを連覇する石立岳大が2015年頃にプロ雀士を辞めようとしていたのを引き留めたのが西川である。石立とは「えぬかわ」「あいだて」と呼び合う間柄[9]
  • 鳳凰戦で連続和了した時、解説をしていた白鳥翔に「ワンダフルタイム」と命名され、本人も気に入っている。
  • ジェフユナイテッド市原・千葉のサポーターであることを公言している[10]

獲得タイトル

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  • 第22期チャンピオンズリーグ

脚注

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  1. ^ 西川 淳さんのプロフィールページ”. Ameba. 2024年7月13日閲覧。
  2. ^ 連盟員名簿 東京本部”. 日本プロ麻雀連盟. 2024年7月13日閲覧。
  3. ^ a b 桜井紘己 (2012年9月20日). “プロ雀士インタビュー/第86回:西川 淳”. 日本プロ麻雀連盟. 2024年7月13日閲覧。
  4. ^ プロ雀士コラム 第68回:西川 淳(日本プロ麻雀連盟) - ウェイバックマシン(2013年3月18日アーカイブ分)
  5. ^ a b 普段通りの、お手本となる自分の麻雀をしっかりと打ちきる EX風林火山ドラフト会議指名選手オーディション【西川淳インタビュー】”. キンマWeb (2021年6月13日). 2024年7月13日閲覧。
  6. ^ 俺だけ置いてけぼりはないよね!仲林圭が首位通過、優勝チーム全員がベスト16へ「無事に勝てて良かった」2位通過は西川淳/麻雀・Mトーナメント”. ABEMA麻雀TIMES (2024年7月13日). 2024年7月13日閲覧。
  7. ^ Mトーナメント2024出場します。”. 西川淳 note (2024年6月14日). 2024年7月13日閲覧。
  8. ^ これぞオーラスの完成品!矢島、醍醐、むく、西川が創り出した芸術的牌譜 麻雀最強戦2020「プロ雀士ランキングベスト16大会」観戦記【B卓】”. キンマWeb (2020年4月6日). 2024年7月13日閲覧。
  9. ^ 西川淳 (2022年9月30日). “第246回:プロ雀士インタビュー 石立岳大  インタビュアー:西川淳”. 日本プロ麻雀連盟. 2024年7月14日閲覧。
  10. ^ サッカーで麻雀について教えてもらったこと(前編)”. 西川淳 note (2024年6月14日). 2024年7月13日閲覧。

外部リンク

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