西谷村 (福井県)
西谷村(にしたにむら)は、福井県の南東部にあった大野郡の村。1970年7月1日、大野市に編入され、消滅した。
にしたにむら 西谷村 | |
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廃止日 | 1970年6月30日 |
廃止理由 |
編入合併 西谷村 → 大野市 |
現在の自治体 | 大野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 福井県 |
郡 | 大野郡 |
市町村コード | 18341-5 |
面積 | 198 km2 |
総人口 |
1,605人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 |
今立郡池田町・大野市・大野郡和泉村 岐阜県本巣郡根尾村・揖斐郡徳山村 |
西谷村役場 | |
所在地 |
〒912 福井県大野郡西谷村中島 |
座標 | 北緯35度52分20秒 東経136度30分29秒 / 北緯35.87222度 東経136.50797度座標: 北緯35度52分20秒 東経136度30分29秒 / 北緯35.87222度 東経136.50797度 |
特記事項 | 着色部分全体が現在の大野市で、濃い黄緑色の部分が旧西谷村である。 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集面積は198km2。11の集落があり、1960年の国勢調査では人口1,605人だった。現在の大野市の南部一帯に当たる。
1959年の笹生川ダムの建設に伴って3集落が水没することとなり離村、また1963年の三八豪雪の被害により3集落が離村。残った集落も1965年9月15日の「四〇・九風水害」によって壊滅的な被害を受けた。その後一旦は復興へ話が進むも、1966年に九頭竜川支流の真名川に真名川ダムが建設されることになり、非水没集落も含めた全住民の集団離村が決定。村民は大野市を中心に県内外の各地に居を移した。大野市は市内への移住や就業を希望した村民を受け入れるため、1966年に大野市下据(旧大野郡上庄村)に集合住宅「市営西谷団地」(20棟80戸)を建設した。1969年には新しい行政区名を西谷村民から公募し、「西里」と命名。「市営西里団地」となった[1][2]。1969年11月、西里団地近傍の同市篠座に「西谷神社」を創建、村内各地の神社を合祀した[3]。村は1970年6月30日限りで廃村となり、翌日全域が大野市に編入する。西谷神社は氏子減少により2015年、篠座神社に合祀され廃社となった。「市営西里団地」は建設後50年を超えて建物の耐用年数が過ぎたため、入居者を他の市営住宅に転居させ[4]、解体されることになった[5]。
ダムの建設で廃村となった岐阜県の徳山村とは山一つ隔てているのみで、地理的には隣接という位置関係になるが、直接両者を繋ぐ幹線道路はない。
集落
編集交通
編集現況
編集現在は西谷村の中心集落だった中島(現在の大野市中島)に麻那姫湖青少年旅行村が整備され、夏を中心にレジャーやキャンプを目的に観光客が訪れている。また、国道157号の脇には離村集落ごとに「ふるさとの碑」が建立されているほか、石垣や水車など生活の遺構も見ることができる。また、夏にはかつての住民やその子などが農業などをしている。冬は深い雪に閉ざされ道路も通行止めになるため、訪れるものは皆無である。
脚注
編集- ^ 『市政大野』第178号1969年3月1日 大野市役所企画室広報係 (PDF) 当時の団地の写真を掲載している。記事中に「西谷村では204世帯のうち148世帯が市内への移住を希望しています」「西谷村との合併についても、市と西谷村との間で協議が行なわれています」「下据の西谷団地を市の行政区に編入するため、3月末までに新しい行政区名を西谷住民から公募することにしています」とある。その後は一般の市営住宅となり、空室については西谷村からの移住者以外の大野市民にも入居募集が行われた。2011年3月の東日本大震災被災者向け公営住宅としても提供された。2020年現在も市営住宅として存在しており住民がいたが、2021年、老朽化のため解体されることになった。
- ^ 被災者向け公営住宅等の空き家一覧11頁 2011年4月1日提出分 国土交通省
- ^ 西谷神社福井県神社庁
- ^ 基本施策評価シート 18快適な住宅の整備2019年 大野市
- ^ 入札結果一覧表(条件付一般競争入札)工事名等 市営住宅西里団地解体工事 建築工第2号2021年6月14日 大野市交通住宅まちづくり課 2023年現在、解体工事中である。
関連項目
編集- 福井県の廃止市町村一覧
- 西谷村 (曖昧さ回避)
- 笹生川ダム
- 真名川ダム
- 平成16年7月福井豪雨 - 県内に甚大な被害をもたらした豪雨災害
- 国道157号