西遠鉄道
路線総延長4.2 km
軌間762 mm
leer
遠州電気鉄道
BHFq
遠州貴布祢
exKBHFa
0.0 貴布祢
exBHF
0.8 西山
exBHF
1.2 小林
exBHF
1.6 下新原
exBHF
2.4 中新原
exBHF
2.9 上新原
exBHF
3.4 段ノ下
exKBHFe
4.2 宮口

西遠鉄道(せいえんてつどう)は、かつて静岡県遠州地方に存在した軽便鉄道である。ここでは、前身の西遠軌道についても述べる。

路線データ 編集

歴史 編集

西遠鉄道の線路を敷設したのは、前身の西遠軌道である。西遠軌道は、浜名郡北浜村(現:浜松市浜名区貴布祢から引佐郡麁玉村(現:同区)宮口間に延長4.2 km、軌間762 mmの軽便鉄道を敷設した。またの名を宮口線ともいう。当初は遠州電気鉄道線(元:大日本軌道浜松支社線、現:遠州鉄道鉄道線)が改軌した際に不要となった資材を用いたため、蒸気機関車を動力として運営していたが、後にガソリンカーに置き換えられた。沿線の人口は希薄、かつ路線も4.2 kmと短いことから、慢性的な赤字経営であった。末期には遠州電気鉄道(後の遠州鉄道)に経営を委託していたが、宮口の地に国鉄二俣線の駅開設が決まると営業継続は困難が確実視され、全線廃止された。末期は停車場屋舎は荒れ果て、枕木は腐朽し、速度は1時間に6、7Kmも出ないうえ運転は危険な状態であったという[1]

年表 編集

  • 1922年(大正11年)
    • 10月5日 - 西遠軌道に対し軌道特許状下付(浜名郡北浜村-引佐郡玉村間)[2]
    • 12月28日 - 西遠軌道株式会社設立[3][4]。社長は遠州電気鉄道社長の竹内龍雄[5]
  • 1924年大正13年)7月1日 - 西遠軌道が貴布祢-宮口間に軽便鉄道を敷設し営業を始める[6]
  • 1927年昭和2年)10月30日 - 社名を西遠軌道から西遠鉄道に変更[7]
  • 1928年(昭和3年)
    • 1月1日 - 軌間拡幅を見込んで[1]軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更[8]
    • 9月1日 - 遠州電気鉄道へ経営を委託する[3]
    • この頃蒸気機関車のガソリンカーへの置き換えが始まる。
  • 1937年(昭和12年)10月6日 - 全線廃止[9]

駅一覧 編集

駅名 ふりがな 駅間
キロ
累計
キロ
乗車人員 降車人員 所在地
貴布祢 きぶね 0.0 17,021 12,771 浜名郡北浜村沼
西山 にしやま 0.8 0.8 762 205 同郡同村貴布祢
小林 こばやし 0.4 1.2 426 92 同郡同村小林
下新原 しもしんばら 0.4 1.6 727 42 引佐郡麁玉村新原
中新原 なかしんばら 0.8 2.4 110 42 同郡同村同
上新原 かみしんばら 0.5 2.9 64 64 同郡同村同
段ノ下 だんのした 0.5 3.4 251 283 同郡同村宮口
宮口 みやぐち 0.8 4.2 12,287 18,785 同郡同村同

輸送・収支実績 編集

年度 乗客(人) 貨物(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1924 35,281 230 4,184 5,331 ▲ 1,147
1925 59,966 461 4,976 7,395 ▲ 2,419
1926 39,891 1,245 5,504 7,040 ▲ 1,536 3,900
1927 47,982 354 4,638 6,873 ▲ 2,235
1928 45,255 126 4,121 5,151 ▲ 1,030
1929 46,303 3,573 3,572 1
1930 38,159 2,722 2,856 ▲ 134
1931 37,933 2,535 2,604 ▲ 69 雑損1,737 27
1932 34,413 2,088 2,275 ▲ 187
1933 35,371 2,195 2,195 0
1934 40,687 2,609 2,609 0
1935 42,925 2,657 2,680 ▲ 23 雑損13,347
1936 33,752 2,085 2,085 0
1937 18 62 ▲ 44
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

車両 編集

開業年度の在籍車両は、蒸気機関車3両、客車3両、有蓋車2両、無蓋車1両。1928年度にガソリンカー(定員30人)1両が加わり必要な時は浜松電気鉄道から借り入れること[1]として他の車両は処分されたが鉄道統計資料には1935年度まで計上されている。

その他 編集

大株主は麁玉村、北浜実科女学校[10]

浜松バスなゆた浜北駅(貴布祢駅相当) - 宮口駅間において往年の西遠鉄道に近い経路を通るあらたまの湯線というバス路線を運行していたが、2019年9月30日をもって廃止された[11]

脚注 編集

  1. ^ a b c 『内燃動車発達史 上巻』150頁
  2. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年10月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第32回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正13年度(第12版)』。以前は京阪電気鉄道支配人『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『軌道一覧 昭和2年7月1日』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「西遠軌道株式会社変更」『官報』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 1927年10月18日許可「軌道ヲ地方鉄道ニ変更許可」『官報』1927年10月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鉄道営業廃止」『官報』1937年12月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ お知らせ一覧”. 浜北バス (2021年10月1日). 2021年10月26日閲覧。 “路線バス「あらたまの湯線」は2019年9月30日をもって廃止となりました。長い間のご愛顧に心より御礼申し上げます。”

参考文献 編集

  • 角川日本地名大辞典22静岡県
  • 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』(第2刷)電気車研究会、1995年12月20日、113頁。ISBN 4-88548-065-5 
  • 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳』 7巻、新潮社、2008年11月18日、34-35頁。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 岡本憲之『全国軽便鉄道』JTB、1999年4月1日、103頁。ISBN 4-533-03198-6 
  • 湯口徹『内燃動車発達史上巻』ネコパブリッシング、2004年、150頁

関連項目 編集

外部リンク 編集