詐欺団地

組織的なインターネット詐欺の拠点

詐欺団地(さぎだんち、中国語: 诈骗园区)は、組織犯罪的に運営されるインターネット詐欺英語版の拠点である[1][2]カンボジアミャンマーといった、法の支配が不完全な東南アジア地域において顕著に見られ、多くの場合、偽の求人に騙された被害者を労働力として用いている。

シュエコッコ(ミャンマー)の詐欺団地

こうした産業化した詐欺は、全世界的に著しい被害を生み出している。2023年の国連の報告によれば、ミャンマーで12万人、カンボジアで10万人が詐欺に関わる強制労働に従事させられており、拷問人身売買といった人権侵害を受けている。

成立

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賭博産業との関連

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シアヌークビル(カンボジア)は、賭博産業を通して急速な開発が進んだ。

こうした大規模な詐欺は、賭博産業と密接な関わりを有することが知られている[3][4]。中国においては賭博が違法であり(cf. 中国における賭博英語版)、従来よりベトナムラオカイといった、国境に近い東南アジア諸国の都市においてカジノが運営されることはしばしばあった[5][6]

2010年代には、カンボジアフィリピンにおいて中国系資本のオンラインカジノが勃興しはじめる。たとえば、カンボジアのシアヌークビルにおいては、金融政策と賭博産業の合法化を背景として、2013年より、中国系の投資家により、賭博産業が急激に発達しはじめた[7]。2015年にはカンボジア政府がオンラインギャンブル事業者にライセンスを付与しはじめたほか、2016年にはフィリピンにおいても「POGO英語版」(英語: Philippine Offshore Gaming Operator)に対する同様のライセンス発行がはじまった。こうしたカジノ産業は、詐欺産業の隠れ蓑として用いられる[4]。2019年にカンボジアがオンラインカジノの規制を発表すると、多くの事業者が詐欺産業に転換した[8]

詐欺団地の成立

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詐欺団地は、その大半が中国(中華人民共和国中華民国)の犯罪組織によって運営される。組織犯罪的な詐欺に対する取り締まりを受け、2010年代中期以降、こうした詐欺組織は拠点を国外に移すようになった[4]。こうした動きが急速に進むきっかけとなったのは、COVID-19の流行であった[9]。人流が大きく制限されたことを背景として、カジノ産業に従事していた中国系の犯罪組織は拠点に取り残された労働者を用いた新たな産業としての詐欺に目を向けはじめた。さらに、感染症の流行により、多くの人が経済的に困窮していたことを背景に、犯罪組織は架空の仕事を提示して労働者を詐欺労働に従事させはじめるようになった[3]

運営

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ひとつの詐欺団地には、複数の詐欺組織が入居する。こうした組織は、登記の有無にかかわらず、「企業」(companies)と呼ばれることが多い。労働者の移動を制限するために、食堂・売春宿クラブハウス診療所薬局・美容室などといった多くの施設をふくんだ複合施設となっている。小規模な施設の場合、一般にアパートのような外観であることが多いが、有刺鉄線や警備員などにより、著しく厳しいセキュリティが敷かれている。「企業」は大きくわけて詐欺部門と人事部門から構成され、ほかに経理部門・資金洗浄部門・その他サービス業などを備えることも多い[4]

人身売買

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中華民国外交部による注意喚起(2022年)

2023年の国連の報告によれば、ミャンマーで12万人、カンボジアで10万人が詐欺に関わる強制労働に従事させられている[10]。人身売買の撲滅を旨とする非営利組織である Mekong Club の代表である Matt Friedman は、こうした人身売買の被害者を詐欺に従事させるスキームは非常に新しい現象であり、被害者に「二重の苦痛」を与えるものであると論じている[8]

こうした詐欺師の「求人」は、プログラマー・マーケティング担当者・人事担当者といった専門職の募集を装っておこなわれる。こうした求人はソーシャルメディア上の偽広告を用いて紹介されることが多く、しばしばバンコクなどが拠点であると偽られる。この手続きは合法的かつ入念にみえるものであり、詐欺事業者は場合によっては必要な書類の作成を手助けすることもある。こうして集められた求職者は、空港などで人身売買業者に引き渡され、そのまま収容される。多くの被害者はパスポートおよび個人の携帯電話を没収され、外部との連絡はほとんど不可能になる。また、渡航費や生活費などは、被害者本人の「借金」となる[11]

こうした人身売買被害者の出身地域は、ASEAN地域全体(インドネシアラオスマレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポールタイ・ベトナム)、中国(中華人民共和国・香港・中華民国)、南アジア諸国(バングラデシュインドネパールパキスタン)、東アフリカ諸国(エチオピアケニアタンザニア)、さらにはエジプトトルコブラジルなど、多岐にわたる[10]。2024年にはミャンマーおよびラオスに勾留される大韓民国の被害者が増加しているほか[12]、在カンボジア日本大使館は、少数ではあるが日本国民も被害にあっていることを確認しているとして、注意喚起をおこなっている[13]

詐欺の手口

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詐欺部門においては強い階層構造があり、ミャワディの場合、部門長(中国語: 狗庄)、主管(中国語: 主管)、チームリーダー(中国語: 组长)、詐欺師(中国語: 狗推)から成り立っている。狗推は長期間労働を強いられるものの、実績を残した場合は良好な歩合給と昇進が約束される。そうでない場合は、殴る・性器に電流を流す・爪を抜くといった拷問を受けるほか、他組織に売却されることもある[4]。この場合、被害者が返さなければならない「借金」はさらに膨らむ[11]

詐欺団地でおこなわれる詐欺としてよく知られるのは、殺猪盤とよばれる、ロマンス詐欺金融商品詐欺を組み合わせた詐欺である[4][14]。詐欺師はSMSマッチングアプリなどを通じて、偶発を装い被害者に接触し、長期間のコミュニケーションを通じて被害者との信頼関係を深め、被害者を偽の投資に引き込む[15]。「企業」はこうした詐欺に向けてマニュアルを成文化しており、2018年には深圳市警察が「阿络科技有限公司」の作成した「恋愛・交友・賭博のための話術(中国語: 恋愛交友赌博话术)」というマニュアルを押収している。この文書は頻繁に更新されており、深圳市警察が押収したものは「V3.23版」であった。シアヌークビルで詐欺に従事していた者によれば、こうしたマニュアルを暗記しない者は、10回から20回、これを書き写さなければならなかったという[4]

恋愛・交友・賭博のための話術 [V3.23版]
機密厳守 実行厳守 幸福は奮闘によって得るものである!

注意事項

1. チャットは一見簡単そうに見えますが、実際に良い会話をするのは非常に難しいです。さまざまなタイプのお客様に対して柔軟に対応する能力が求められます。論理的思考を向上させ、知識を増やさなければなりません。経験不足によって会話が滞ることもあるかもしれませんが、たくさん努力したり、ほかの同僚にアドバイスを貰ったりしてみましょう。

2. お客様が楽しく、快適に感じるような会話を心がけましょう。お客様が無理な要求をしてきた場合は遠回しに断ることもできますが、1日チャットしなければ心に隙間が生まれてしまう、常にあなたとチャットしたいと思わせなければなりません。

(後略)
恋愛交友赌博话术 [V3.23版]、深圳市警察により押収

詐欺団地では殺猪盤のほかにも多くの手口が用いられている。ペット愛好家を対象として、手数料を払わせる振り込め詐欺などが知られるほか、詐欺団地の存在が著名になり、被害者がチャット相手の不審さに気づくことが多くなったのちには、詐欺師が自らの身元を明かし、自らの解放のために必要な身代金を払わせるといった手口もあらわれた[4]

各地域の概況

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カンボジア

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米国平和研究所 英語版の報告書によれば、2023年の同国においては詐欺によって推計128億ドルの利益が算出されており、これは同国の正式なGDPの半分近くに相当する[16]。賭博産業によって発展したシアヌークビルは、こうした大規模詐欺の拠点として著名であり、『プロパブリカ』の Cezary Podkul と Cindy Liu は、「もしカンボジアに詐欺の首都があるとするならば、それはきっとシアヌークビルのことだろう」と述べている[8]。国連報告書によれば、プノンペンカンダル州ポーサット州ココン州ウドーミアンチェイ州スヴァイリエン州バヴェット英語版を含む)および、ダラサコール経済特区英語版・MDSトムールダ経済特区(MDS Thmor Da SEZ)に、詐欺の拠点が分布している[10][17][18]

詐欺企業は、カンボジア首相であるフン・セン政権の高官と関係を有していることが知られている[19]。カンボジア政府はこうした組織犯罪の取り締まりをおこなっていると主張しているものの、当局による取り締まりは不完全であると指摘されている[13]アメリカ合衆国国務省は2022年および2023年、『人身売買報告書英語版』において、カンボジアを人身売買に関して最低限の対策すら実行されていない国家である Tier 3 に認定している[20]。カンボジア政府はこのことに抗議を示しており[20]国家人身売買対策委員会英語版チョウ・ブン・エン英語版は、国内に10万人の人身売買被害者が存在するという国連報告書についても、事実ではないと退けている[17][18]

ミャンマー

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KK園区

ミャンマーにおいては、カレン州シュエコッコおよびミャワディシャン州コーカン自治区モンラ英語版ワ自治管区が詐欺の拠点として知られている[10]。特に、ミャワディのKK園区は詐欺団地として著名である[21]。同国においては2021年ミャンマークーデターおよび、その後のミャンマー内戦の影響により、国境地域の支配が複雑になり、こうした詐欺に対する取り締まりが十分にできていない[22]

一部の反政府武装勢力およびミャンマー軍下部組織は、詐欺団地の設営から利益を得ている[23]。たとえば、カレン州国境警備隊は支配地域であるシュエコッコなどにおける、オンライン賭博および詐欺産業を資金源のひとつとしてきた[24]。コーカン国境警備隊も同様であったものの、2023年のラウカイの戦い英語版を通じ、反政府武装勢力のミャンマー民族民主同盟軍が同組織を壊滅させたことにより、詐欺拠点としての機能は解消した。この直前にはコーカン国境警備隊が、詐欺団地収容者を救出すべく動いた中国の覆面警察官を殺害した1020事件中国語版が発生しており、中国政府がミャンマーに何らかの圧力をかけた可能性が指摘されている[25]。コーカン国境警備隊の壊滅を背景に、カレン州国境警備隊はカレン民族軍として政府から独立している[24]

その他

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ゴールデン・トライアングル経済特区

ラオスでは、ゴールデン・トライアングル経済特別区が詐欺の拠点となっている[10]。ラオス当局は同経済特区において立ち入る権限を有しておらず、事実上の無法地帯となっていた[26]。とはいえ2023年9月以降、当局は同経済特区に対する取り締まりを強化しており、2024年7月には中国人詐欺師280人が逮捕されている[27]。フィリピンでは、いくつかのPOGOおよび、クラーク経済特別区が詐欺の拠点となっている[10]。2024年2月1日、フィリピン政府は国内に存在する400の詐欺拠点を捜査している旨を発表した[28]

詐欺団地は東南アジアに集中するが、こうした施設は他地域にも進出している[29]。たとえば、アラブ首長国連邦においても大規模な詐欺団地が存在することが報告されており[30]ドバイから東南アジアに詐欺師の「異動」がおこなわれる例もあるという[31]。ほかに、2023年12月の報道によれば、ジョージアバトゥミでは400人の中国人・台湾人が詐欺産業に従事させられていた[32]ナミビアにおいても2023年10月、現地の若年者88人を殺猪盤に従事させたとして、中国人11人を含む20人が逮捕されている[33][34]

出典

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  1. ^ ミャンマーの山岳地帯にある「巨大詐欺団地」に中国人が誘拐され働かされていた…その数なんと12万人!ミャンマー北部で起きている「驚愕の混乱」と「中国の困惑」(ふるまい よしこ) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2023年12月23日). 2024年7月19日閲覧。
  2. ^ 中国公安部がネット詐欺39万件を摘発、「詐欺団地」にもメス”. www.afpbb.com (2024年1月31日). 2024年7月19日閲覧。
  3. ^ a b OHCHR 2023, p. 6.
  4. ^ a b c d e f g h Franceschini, Ivan; Li, Ling; Bo, Mark (2023-10-02). “Compound Capitalism: A Political Economy of Southeast Asia’s Online Scam Operations” (英語). Critical Asian Studies 55 (4): 575–603. doi:10.1080/14672715.2023.2268104. ISSN 1467-2715. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/14672715.2023.2268104. 
  5. ^ Chan Yuk Wah (2007). “Fortune or Misfortune? Border Tourism and Borderland Gambling in Vietnam”. Asian Tourism: Growth and Change. Routledge. https://www.taylorfrancis.com/chapters/edit/10.4324/9780080556208-14/fortune-misfortune-border-tourism-borderland-gambling-vietnam-chan-yuk-wah 
  6. ^ Vietnam casino, Chinese gamblers, Australian investors: one big gamble” (英語). Australian Financial Review (2014年5月16日). 2024年7月19日閲覧。
  7. ^ Lim, Daryl. “The revival of Sihanoukville, Cambodia's 'Gold Rush' city” (英語). ThinkChina - Big reads, Opinion & Columns on China. 2024年7月19日閲覧。
  8. ^ a b c Liu, Cezary Podkul,Cindy (2022年9月13日). “Human Trafficking’s Newest Abuse: Forcing Victims Into Cyberscamming” (英語). ProPublica. 2024年5月2日閲覧。
  9. ^ The involuntary criminals behind pig-butchering scams” (英語). MIT Technology Review. 2024年5月2日閲覧。
  10. ^ a b c d e f OHCHR 2023, p. 7.
  11. ^ a b OHCHR 2023, pp. 13–14.
  12. ^ Recently, the damage from Korean employment fraud has increased rapidly in the so-called "Golden Tri.. - MK” (英語). 매일경제 (2024年2月28日). 2024年7月19日閲覧。
  13. ^ a b 邦人も被害に遭ったカンボジア「未経験・高収入」求人のワナ:泰梨沙子 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト”. 新潮社 Foresight(フォーサイト). 2024年7月19日閲覧。
  14. ^ Why "Pig Butchering" and Other Scams Are on the Rise | Psychology Today” (英語). www.psychologytoday.com. 2024年1月31日閲覧。
  15. ^ Nast, Condé (2023年3月8日). “資産を丸ごと詐取する「豚の屠殺詐欺」。その手口について知っておくべきこと”. WIRED.jp. 2024年5月2日閲覧。
  16. ^ In Cambodia, reporting on illegal scam centers brings threats” (英語). Voice of America (2024年7月6日). 2024年7月19日閲覧。
  17. ^ a b Nimol, Seoung (2023年9月2日). “UN Estimates 100,000 Trafficked Into Cambodian Scam Operations, Officials Ask “Where Are They?” | CamboJA News” (英語). cambojanews.com. 2024年7月19日閲覧。
  18. ^ a b UN Spotlights Scale of Cambodia’s Cyber Trafficking Industry” (英語). Voice of America (2023年10月5日). 2024年7月19日閲覧。
  19. ^ Boyle, Mary Ann Jolley,David. “Meet Cambodia’s cyber slaves” (英語). Al Jazeera. 2024年7月19日閲覧。
  20. ^ a b Brook, Jack (2023年6月16日). “Cambodia Fails to Meet “Minimum Standards” for Combating Human Trafficking, US Gov’t Reports | CamboJA News” (英語). cambojanews.com. 2024年7月19日閲覧。
  21. ^ Thailand, Charlie Campbell / Chiang Mai (2024年3月21日). “Inside Southeast Asia’s Criminal Resurgence” (英語). TIME. 2024年7月19日閲覧。
  22. ^ 「豚の屠殺」に「サイバー奴隷」...中国が方針転換を余儀なくされた、ミャンマー国境地帯での「異変」”. Newsweek日本版 (2024年1月18日). 2024年7月19日閲覧。
  23. ^ How Myanmar Became a Global Center for Cyber Scams | Council on Foreign Relations” (英語). www.cfr.org. 2024年7月19日閲覧。
  24. ^ a b Frontier (2024年4月8日). “‘Business is back’: BGF adapts under pressure” (英語). Frontier Myanmar. 2024年7月19日閲覧。
  25. ^ Zeyu, Xu. “China and the Warring States of Northern Myanmar” (英語). www.sinicalchina.com. 2024年7月19日閲覧。
  26. ^ “Lao officials consider assigning prosecutors in Golden Triangle SEZ”. Radio Free Asia. (2024年1月11日). https://www.rfa.org/english/news/laos/chinese-arrested-alleged-online-scamming-07052024154614.html 2024年7月20日閲覧。 
  27. ^ “280 Chinese arrested in Laos for alleged online scamming”. Radio Free Asia. (2024年7月4日). https://www.rfa.org/english/news/laos/chinese-arrested-alleged-online-scamming-07052024154614.html 2024年7月20日閲覧。 
  28. ^ News, JOAHNA LEI CASILAO, GMA Integrated (2024年2月1日). “Gov’t looking into 400 scam hubs operating in PH” (英語). GMA News Online. 2024年7月19日閲覧。
  29. ^ The Enduring Nightmare of Trafficked Scammers” (英語). TIME (2023年12月14日). 2024年5月2日閲覧。
  30. ^ “Inside a secret scam factory where workers pretend to be glamorous models” (英語). ABC News. (2024年6月10日). https://www.abc.net.au/news/2024-06-11/inside-the-scam-factory-pig-butchering-and-cyberscams/103937064 2024年7月19日閲覧。 
  31. ^ Haffner, Andrew (2023年5月5日). “In Dubai, Chinese Industrial-Scale Scam Mills Are Thriving” (英語). Vice. 2024年7月19日閲覧。
  32. ^ 社會組 (2023年12月7日). “喬治亞豬仔番外篇2/拒台灣護照、沒邦交成詐團天堂 「20美元」打通關 | 社會 | CTWANT” (中国語). www.ctwant.com. 2024年7月19日閲覧。
  33. ^ Sophisticated crypto scam run by Chinese nationals busted in Namibia: Reports” (英語). Mariblock (2023年10月10日). 2024年7月19日閲覧。
  34. ^ Reporter, Staff (2023年10月6日). “High-profile cryptocurrency criminals recruited over 80 Namibian youths” (英語). Informanté. 2024年7月19日閲覧。

参考文献

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関連項目

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