酒井忠義 (出羽国庄内藩主)
江戸時代初期の大名。庄内藩第3代藩主
酒井 忠義(さかい ただよし)は、江戸時代前期の出羽国庄内藩の第3代藩主。酒井佐衛門尉家第9代当主。酒井忠当の長男、母は松平信綱の長女。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永21年7月5日(1644年8月7日) |
死没 | 天和元年11月7日(1681年12月16日) |
墓所 | 山形県鶴岡市 |
官位 | 従四位下、左衛門尉 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 出羽国庄内藩主 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井忠当、母:松平信綱の長女 |
妻 | 正室:松平輝綱の娘 |
子 | 忠真、娘(松平忠之正室のち植村正朝正室)、娘(前田利直正室) |
万治3年(1660年)2月、鶴岡にいる父・忠当が重病となったため、江戸から鶴岡に向かったが、到着前に忠当は死去した。4月5日、忠義が家督を相続する。
若くして当主となったため、母方の祖父である松平信綱の指導により藩政が進められた。天和元年(1681年)に死去、墓所は大督寺。
系譜
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