鈴木 庸之(すずき のぶゆき、1985年11月11日 - )は、新潟県燕市出身の競輪選手日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第92期生。日本競輪選手会新潟支部所属、ホームバンクは弥彦競輪場

鈴木 庸之
個人情報
本名 鈴木 庸之
すずき のぶゆき
生年月日 (1985-11-11) 1985年11月11日(38歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 174cm
体重 80kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会 新潟支部
期別 92期
分野 競輪
役割 選手
特徴 自在
アマ所属チーム
新潟県立燕工業高等学校
プロ所属チーム
2007-
日本競輪選手会 新潟支部
グランツール最高成績
最終更新日
2023年1月14日

来歴 編集

新潟県立燕工業高等学校在学中に自転車競技を始める。2003年に出場した国民体育大会ではスプリント部門で6位に入賞した(優勝は福島県代表の新田祐大[1]。卒業後は競輪選手を志し、地元の実業団クラブ「SOUL BICYCLE 弥彦」所属で全日本実業団自転車競技選手権に出場。スプリント、1kmT.T両部門で2位となる[2]

2006年、競輪学校に第92期生として入学。翌2007年に卒業し、同年7月に青森競輪場でデビューした。2009年にS級へ昇級。2012年に宇都宮競輪場で行われたF1開催でS級初優勝、2015年にはGIII・松阪記念を優勝している。弥彦の専門誌『新潟スポーツ』は「位置取りで脚を使い、最後にまくって仕留められるようになった。ヨコの動きもうまくなり、2018年には自在選手として完成してきた」と評価している[3]

しかし、2019年以降は度重なる腰の不調に苦しめられている。2019年5月に腰椎ヘルニア手術で戦線を離脱し、同年12月まで長期欠場した。術後には一時寝たきりの状態になり、リハビリ後の練習では当時現役のガールズケイリン選手であった田中麻衣美のダッシュにもついていけない状態であったという[4][5]。復帰後の2020年にはナイターGIII・函館ミリオンナイトカップを制覇、競輪祭で特別初優出を記録するなど、キャリアを順調に取り戻していたかのように見えたが、弥彦での地元開催となった2021年の寬仁親王牌で再び腰痛を発症。2022年4月まで再び長期欠場した[6]

参考文献 編集

  1. ^ 第 58 回ニューわかふじ国民体育大会”. 日本自転車競技連盟. 2022年5月10日閲覧。
  2. ^ 第36回全日本実業団自転車競技選手権大会:結果”. 全日本実業団自転車競技連盟. 2022年5月10日閲覧。
  3. ^ 弥彦競輪 寛仁親王牌 世界選手権記念トーナメント 地元選手プラス1 第1話【新潟スポーツ 信氏 忠】”. 弥彦競輪. 2022年5月10日閲覧。
  4. ^ 鈴木庸之が291日ぶりに復帰 ~大宮競輪F1関東カップ~”. 日刊プロスポーツ新聞社 (2019年12月16日). 2022年5月10日閲覧。
  5. ^ 【GI競輪祭】鈴木庸之 地獄の日々を乗り越えた!”. 東スポ レースチャンネル (2020年11月21日). 2022年5月10日閲覧。
  6. ^ 鈴木庸之が188日ぶりに復帰 持病の椎間板ヘルニア克服し「3度目のデビュー戦です」/青森”. 日刊スポーツ (2022年4月27日). 2022年5月10日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集