競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技競輪において賞金を獲得するプロフェッショナルスポーツ選手であり、経済産業省管轄の国家資格所持者である。

選手数の変遷編集

選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模となる2,300人程度にのぼる。かつては4〜5千人もの選手がいたが、相次ぐ競輪場の閉鎖や開催日の減少、団塊世代の選手の大量引退、日本競輪選手養成所の選手募集年一回化などにより、直近10年間でも1,000人ほど減少した。ただ、現在では毎年男女合わせて100名近い新人選手がデビューしていることもあり、選手数の減少はほぼ止まっている。

  • 2008年2月時点 - 3,531人
  • 2009年5月時点 - 3,497人
  • 2010年10月時点 - 3,312人
  • 2011年10月時点 - 3,284人
  • 2012年10月時点 - 2,977人(うち女子33人)
  • 2013年5月時点 - 2,799人(うち女子51人)
  • 2014年5月時点 - 2,629人(うち女子69人)
  • 2015年5月3日時点 - 2,545人(うち女子84人)
  • 2016年12月31日時点 - 2,357人(うち女子98人)
  • 2017年12月31日時点 - 2,339人(うち女子109人)[1]
  • 2018年12月31日時点 - 2,330人(うち女子123人)[2]
  • 2019年12月31日時点 - 2,325人(うち女子135人)[3]

競輪選手になるには編集

男女とも競輪選手になるには、国家試験である競輪選手資格検定(以下、資格検定)に合格する必要がある。資格検定に合格するには、日本競輪選手養成所[注 1](以下、養成所)に入所し、同所で研修・訓練を受けなければならない[注 2]。資格検定は毎年度12月(第1回[5])と翌年3月(第2回)の年2回実施されるが、養成所の選手候補生は原則として毎年3月上旬に実施される第2回試験を受験する[注 3]

資格検定に合格し養成所を卒業したあと、全国いずれかの選手会に所属することで選手登録され、JKAより競輪選手であることを証明する選手登録証を交付される[注 4]ことで、晴れて競輪選手となれる。

現在では、男女ともに、原則として養成所を卒業したあと、5月に萬福寺以下も参照)にて3泊4日の新人宿泊研修を受け、5月から6月にかけて新人選手のみで行われる『競輪ルーキーシリーズ』が実質のデビュー戦となる(2020年より)[7]。そしてその成績を基に競走得点が算出され、それをもって下半期期初となる7月以降に正式デビューすることになっている(101期以降でも期によっては5月に正式デビューしていたこともあった)。

なお、養成所での学業・競走訓練がともに成績優秀である場合は、特例で半年早く1月にデビューすることも可能となっている[8]

養成所の受験方法・在校時の生活などについては、日本競輪選手養成所の項目を参照のこと。

競輪選手の生活編集

まず、競輪を開催する施行者(各競輪場)より委託を受けたJKA(旧・日本自転車振興会)の各地区本部がJKAあっせん[注 5]課に対しあっせん依頼を行い、あっせん課はスケジュールや脚質など公正に勘案した上で選手に対しあっせん通知メールを送信する。それを受信した選手はメールの内容(あっせん先の競輪場・開催期日など)を確認し、参加の旨を意思表示したメールを返信することで、改めて開催施行者から参加通知メールが送信される[9]。これで施行者と選手との間で契約成立となる[注 6]。選手はあっせんされた競輪場へ前検日(開催前日)の指定時間までに赴き、選手登録証と通信機器を窓口に提出したあと、その日のうちに身体・車体など所定の検査を受けて「異常なし」と判断されれば、翌日以降の競走に参加できる。仮に身体や車体に「異常あり」と判断されればその場で契約解除となり競走には参加できず、規定により「前日検査不合格」という扱いとなる。なお、配送を委託した部品や自転車が前検日に競輪場に届かず検査が受けられない場合なども契約解除となるが、選手の責任を問えないと判断された場合は通常の欠場扱いとなる[10]

競走の公正確保(八百長防止)の観点から、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで[注 7]、選手全員が競輪場併設の選手宿舎[注 8] に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり[注 9]携帯電話や通信機器など[注 10] も前検日に競輪場に必ず預けなければならない。参加中に、例え通信機能が無くても通信機器を所持ないし届け忘れが発覚すれば競輪場から即日契約を解除され、かつ一定期間のあっせん停止など厳しい処分が課せられ[11]、更に使用が発覚した場合にはより重い処分となり、過去には手島慶介などがこの処分を受けている[注 11]

選手宿舎は、12畳1室で4人相部屋となっている。選手の宿舎内での生活は、基本的に、食事・風呂・トレーニング・同室の仲間との会話…がほとんどであり、藤本博之によれば、「食事か、仲間との会話ばかり」とのこと[12]。この宿舎内での選手の生活については、競輪業界に題材をとった漫画『ギャンブルレーサー』などに詳しい描写がある。

基本的には開催初日から最終日まで毎日1走[注 12] し、帰宅の際、競輪場から賞金・手当が支給される[6]。ただ、レースで失格と判定されたり違反行為が発覚したときは、開催途中であってもその時点で競輪場からあっせん・参加の契約を解除(“追放”)され即日帰郷となる。また、グレードレースでは、準優勝戦開催日の一般戦で成績の悪い選手については、最終日を待たず帰郷とすることが多い[注 13]。このほか、出走したレースで落車し怪我を負ったり成績が振るわなかった場合、選手が自らの判断で以後の競走は棄権し途中帰郷することもある。

競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2 - 3回ほど繰り返す。ただ、競輪は基本的にほぼ毎日全国どこかの競輪場で開催されているため、次に出場予定の開催まで長く間隔が空いている場合、出場予定の選手が急遽欠場したため数合わせで『追加』として、他にも開催中に出場選手が失格などで途中帰郷し選手数が不足した場合は『補充』として、それぞれイレギュラーであっせんを受けることもある[注 14]ため基本的に休みというものはなく[注 15]、特にお盆正月には多くの開催が集中するため、競輪選手にお盆や正月はあってないようなものである[注 16]

競輪選手の練習編集

殆どの競輪選手には師匠がおり(師匠がいない選手[注 17]もいる)、基本的にはそれら師弟関係や先輩・後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。この辺りはロードレースのチームと似ている。

練習内容は自転車競技選手と大差なく、競輪場自転車競技場において周回走行やダッシュ、追いかけ合って先頭交代したりを繰り返す。このほか、「長距離を乗りこなして持久力をつけるため」や「身近に競輪場など練習できる場がないため」という理由で、公道を練習の場として活用する選手も多いが、ブレーキのないピストは公道では使用できないため、ロードバイクを使用する(ピストにブレーキを装着して使用するケースもある)。

走行練習のほかに、自転車だけでは鍛えられない部分を補うためにウエイトトレーニングなどを行う事も一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。

函館青森富山福井など北日本及び北陸[注 18]の競輪場は、冬季は積雪等の理由で使用不能になるところが多い。このため、当該競輪場をホームバンクとする選手の多くはその間温暖な地域に移動して練習を行う。これを「冬季移動」と呼び、ラインの形成などにも影響する[14]

競輪選手の収入編集

選手の収入は、その殆どが、出走したレースでの着順に応じて支払われる賞金[注 19]と手当である。KEIRIN.JPなどで公表されている獲得賞金額は、本賞金のほか、副賞や手当も含んだ額となっている。

賞金額については、2015年度より全ての競輪場およびグレードにおいて統一されている[16][注 20]。現在の賞金額は、2019年10月より全てのレースで増額され、最高はKEIRINグランプリ1着の9840万円[18](副賞込みでは1億340万円[19])、最低はA級3班チャレンジレース初日予選およびL級1班(ガールズケイリン)予選(初日・二日目とも)の7着33,000円である[20][21][22][23]。なお、同着の場合は、複数合算した上で等分され支給される(2名が1着同着の場合は、1着賞金と2着賞金を合算し、それを等分した金額となる)。ただ、この賞金は途中棄権した場合には9着賞金(棄権が自分1人の場合)から20%がカットされ[24]、失格となった場合にはそのレースの賞金は支払われないことになっている。

約款により、開催が初日に急遽中止となった場合は、その開催で実施予定であったS級戦、A級戦、L級戦(ガールズケイリン)におけるそれぞれの総賞金の30%が、出場各選手に対し均等に支払われる[25][注 21]が、仮に1レースでも実施していれば、同じく約款により、総賞金の75%以上が支払われる[26]。但し、前もって中止が決まった場合は支払われない[25]

賞金とは別に支給される各種手当については様々あるが、レースに出走すれば、レース毎に「日当」と呼ばれる「正選手手当」26000円と「競走参加手当」4000円[27](合計30000円)が(失格や棄権となっても)必ず支給される。これに加えて、レース中に雨や雪が降れば「天候不良による出走手当」3000円[27]モーニング競輪に出走すれば「モーニング競輪手当」1000円[27]ミッドナイト競輪に出走すれば「ミッドナイト競輪手当」11000円[27]正月三が日(実際には年末年始の特定開催となる)に出走すれば「(通称)正月手当」なども、それぞれ支給される。また、自宅から競走に参加した競輪場までの「交通費」も別途支給される[注 22](但し自転車などの配送料は自己負担)。この他、先頭誘導員資格を持つ選手がレースで先頭誘導員を務めれば、その都度誘導員手当[注 23]も支給される。

これらの賞金・手当は、原則として窓口で選手個々に帰宅時に現金で支給される[6]。そのため開催最終日には窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなく、実際に2019年寛仁親王牌で優勝した村上博幸は、窓口で受け取った3000万円ほどの賞金を丸々鞄に詰め込んで帰宅の途についた[29](スーツケース1個あれば1億円が収まる)ほか、かつて吉岡稔真も雑誌の企画で植木通彦と対談した際、自宅近くで行われている競輪祭において「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語った[30]。ただし、高額の現金を持ち帰るのは強盗等の危険も伴うため[注 24]、選手が希望すれば、一部を現金で受け取り残金を銀行振込とすることも可能となっている[31][30]

2014年度までの賞金制度では売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクの競輪場が年ごとに増加していたことから、この影響から選手全体の賞金総額も過去と比べて大きく減少している[32]。特に2017年は2007年以降の過去10年間で最低となる235億1,123万円であった[33]が、2018年は236億2,511万円となり10年以上ぶりで増加となり[32]、さらに2019年は10月以降全てのレースで賞金の増額が行われたこともあり247億1,581万円と、2014年当時の水準にまで回復した[34]

選手個人の年間平均取得額は、2010年までは1,000万円以上あった[32]が、2011年は東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から大幅に減額され[35]888万円となった[36]ほか、同年の年間獲得賞金額1,000万円以上の選手は782人に留まり、過去30年間で最低となった(最多は1998年の3,196人)[36]。ただ、2012年以降は再び上昇基調が続いており、2019年の平均取得額は10,402,280円となり、2010年以来1,000万円の大台に乗せた[34]。男子は、最上位のS級S班9人だけは平均1億462万円である一方、最下位のA級3班では平均642万円(いずれも2019年)[3]であり、上下間の格差は大きい。女子は選手数が総体的に少ないこともあり平均646万円[3][注 25]。また、2019年の1年間では、1億円以上を獲得した者が5人、1,000万円以上を獲得した選手は852人でこれも800人台は2010年以来であった[34]。2018年7月にデビューした113期(男子)・114期(女子)からは別個でデビュー年の下期(7月 - 12月)における賞金取得額上位10人が公表されており、113期が藤根俊貴の646万円[37]、114期が佐藤水菜の562万円[37]、115期は坂井洋の825万円[38]、116期は吉岡詩織の467万円[38]であった。

このほか、オリンピックでは、アトランタ大会から自転車競技にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、当初は大会毎に選手の中から代表を選び、その代表選手はオリンピック開催の数か月前から通常の競走を欠場した上で合宿を行っていた[注 26]。だが、現在では、新田祐大脇本雄太小林優香太田りゆなど日本自転車競技連盟よりエリート強化指定選手として指定された選手[39]はオリンピックでのメダル獲得を目標に競輪よりも自転車競技に重点を置いて世界選手権やワールドカップなど海外のレースに積極的に参戦しており(ほかに海外合宿なども実施)[注 27]、これらの選手に対しては、金額等は不明ながら同様に一定の収入補償を得ているとみられる。また、特に大会でメダルを獲得した場合は補償と共に報奨金も支給され、アトランタ大会で銅メダルを獲得した十文字貴信には5,000万円が、アテネ大会で銀メダルを獲得した長塚智広井上昌己伏見俊昭には各人に4,000万円が、北京大会で銅メダルを獲得した永井清史には4,300万円が、JKAなどからそれぞれ支給された。

なお、選手は獲得賞金の約1割を選手会に支払うことになっており、その中から選手会運営費、全選手の年金や退職金が捻出されている。さらに賞金とは別に、選手は1走ごとに1万500円を選手会に納めることになっており、その内訳は7500円が退職金に、残りが年金などの共済金に充てられている[40]

かつては、20年以上選手を務め上げれば引退する際に約2000万円の退職金が支払われ、またそれとは別に獲得賞金の一部を原資とした年間約120万円の年金が15年間支払われていた[41]が、売上額がピーク時から1/3程度にまで落ち込んだ現状では年金などの積立金は元本割れしているとされ、年金は2010年度から支給停止となり、また退職金も2014年時点で今後約20%カット予定とされた[40]

選手は、個人でスポンサーを募ることも認められている。自転車関連のメーカーから現物支給を受けるケースや、レース時に着用するユニフォームにロゴを掲載する代わりにスポンサー料を受け取るケースなど形態は様々(ユニフォーム広告#その他も参照)。なおスポンサー付きユニフォームを使用する選手は、当該開催で使用する可能性のある色全てのユニフォームを自ら競輪場に持ち込む必要がある[42]

競輪選手のペナルティ編集

競輪選手は競走において短期間に多くの警告を繰り返し受けると、ペナルティとして違反点(正式には『競走違反点』)が課され、それ次第で特に男子は級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ不利になる。

男女ともレース中、競技規則に抵触すると、「走行注意」では2点が、「重大走行注意」では10点が、「失格」では30点が、違反点としてそれぞれ課され、その累積違反点数が直近4か月間(なお、点数は毎月スライドする)で90点以上に達した場合には、関係団体(実際は日本競輪選手会)から訓練への参加通知が届き、「特別指導訓練」に参加しなければならない。実施場所は日本サイクルスポーツセンターで期間は4泊5日、受講費を自腹で支払い当訓練に強制参加させられる[43]。その内容は競走参加中と同様に携帯電話や電子機器の持ち込みが不可(預かり)となり、飲酒も厳禁で、決められた時間や範囲以外の外出も禁止になる。

また、直近4か月間の累積違反点数が120点以上になると、JKAの規程により『あっせんをしない処置』[44](以下「あっせん処置」)という処罰の対象となる場合もあり、適用されると基本的に120点以上が1か月、150点以上が2か月、180点以上が3か月、といった間で出場へのあっせんが行なわれないことになり[43]、これは一定期間実戦から遠ざかることをそのまま意味している。なお競走における失格についても内容によってはこの措置が適用されることもある。

これとは別に、競走における失格の内容やドーピング違反のほか、逮捕されるなど私生活において特に悪質な行為に及んだと判断された選手については『あっせん停止』[45]という厳罰が下される。これは最短1ヶ月からの期間で処分を受けることとなるが、あっせん停止にあたる事象を行なった選手について後日正式な処分が下るまで緊急にあっせんを止めたほうが適切と判断された場合には『あっせん保留』の措置が下される[46][47]。特に現状ではドーピングに対する処分は非常に厳しくなっており、ドーピングが発覚した伊藤成紀(90期)は日本アンチ・ドーピング機構より2018年7月から4年間の資格停止処分を下された[48][注 28]

このほか、あっせん停止期間が過ぎた後もKEIRINグランプリなど特別競輪への参加や、追加あっせんを受ける権利などが一定期間取り消される。さらに、特に違反点数を累積させた選手やあっせん停止に処された選手については「お寺行き」と呼ばれる特別な訓練が課せられる。これは競輪の公式ホームページでは明らかにされていないものの、上述した漫画『ギャンブルレーサー』などで詳しい描写がなされているほか、チャリロト公式ホームページでも語られている[50]などしており、事実上公然のものとなっている。この「お寺行き」が命じられた場合には、京都府宇治市黄檗宗大本山の萬福寺まで赴き、山内の施設において5泊6日の厳しい禅寺の修行を済ませなければならない。交通費も含めて自腹での参加であり、また期間中は座禅を組まされたり周辺の掃除などを課せられるため練習は全く行えないことから、選手からも恐れられている。

特別訓練やあっせん処置およびあっせん停止などの処分対象になると、その間の収入が途絶えてしまう。また、練習不足の他にもレース勘の維持などという面や、体調管理にも悪影響を与えるため、競走への復帰後もしばらくの間は成績下降などの「後遺症」が表れることも少なくない。なお特別指導訓練の対象選手は、その累積違反点数と共に一定期間毎にKEIRIN.JPにて一覧で公表されており、あっせん停止の対象選手についてはJKAが広報などで公示する。

その他にも競走参加中における競輪場からのペナルティもあり、無断欠場による費用請求、レースでの失格で契約解除による強制欠場、中長期のあっせん停止または拒否[注 29]などがある。いずれの場合も内容はJKAに報告され、改めて全体的な処分が検討されることになる。

なお、これらとは別に日本競輪選手会が問題を起こした選手に対し、自粛欠場を要請する形で独自のペナルティを課すこともある(『SS11』、『松本整』の項目も参照)。

選手のクラス分け編集

男子は実力に応じて大きくS級・A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。

  • 養成所卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
  • 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
S級S班…赤のレーサーパンツ、横のラインは黒
S級1班または2班…黒のレーサーパンツ、横のラインは赤
A級…黒のレーサーパンツ、横のラインは緑(以前は星なしの白の3本線)
B級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは青(以前は星なしの白の2本線)
C級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは白の1本線
国際競輪に出走する外国人選手…赤のレーサーパンツ、横のラインは虹色
  • S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1 - 6月、7 - 12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1 - 6月、下半期は前年の7 - 12月)の競走成績を基に決定される。
  • A級3班で一定期間内の成績が連続して相当な下位となった場合には、1回につき30人を上限(2015年後期より[51])に強制的に選手登録消除の対象とされ選手生活を継続する事が出来なくなる[52]。JKAや選手会ではこれを代謝と呼ぶこともあるなど、過酷な競争社会である。過去の名選手でも高原永伍などは、この代謝で引退を余儀なくされるまで現役生活を継続した。

なお、女子には現状は昇降級の制度がないため、全員がL級1班である。但し、男子同様に「代謝」の制度がある[53][54] ため、一定期間内の成績が連続して相当な下位となった場合には、1回につき3人を上限に強制的に選手登録消除の対象とされ選手生活を継続することができなくなる。

S級特別昇級(昇班)制度編集

A級1班および2班の選手が3開催連続して「完全優勝」(予選・準決勝・決勝と全ての出走レースにおいて1着となること。俗称「ピン・ピン・ピン」)を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時(達成日の翌日[55])にS級に昇級となる(通称「特進」または「特昇」)。また、A級3班の選手が同様にチャレンジ戦で3開催連続して完全優勝した場合は、即時(達成日の翌日[55])にA級2班に特別昇班する。このほか、毎年6月と12月にいずれかの開設記念の最終日(4日目)において、A級1・2班の成績上位9名から特別昇級3人、並びにA級3班から特別昇班3名の枠を争う単発レース「レインボーカップ」が行われている。

現行のシステム(平成20年1月チャレンジレースA級3班戦導入)となって以降、デビューから無傷の18連勝(6場所完全優勝)でS級入りを果たしたのは、深谷知広[56][57]寺崎浩平[55]の2名のみである(2020年3月時点)。このほか、高橋晋也はデビュー2場所目(デビュー場所は1・1・3着)から通算7場所・20連勝[注 30]でS級に特昇している。

S級特別昇級の最高齢記録は、3開催連続の完全優勝・レインボーカップ共に、大竹慎吾が保持している(2020年1月時点)。

仕組み(A級1・2班戦、A級3班戦ともに単発レース)編集

  • A級1・2班戦、A級3班戦とも、各期の初めの3ヶ月間(上期は1 - 3月、下期は7 - 9月)の競走成績上位9名ずつが期の終わり(上期は6月、下期は12月)に単発で行われる競走に出走し、1 - 3着までが上位級班に特別昇級(特別昇班)する。
  • 原則として開設記念の最終日に実施する。

特別昇級の特典編集

特別昇級してから2期の間(1年間)は降級および降班しない(昇級は可能)。なお、レインボーカップから昇級した者は、この期間を3期とする(つまり期末に特別昇級してしまうため、その期間を算入している)。

歴史編集

競輪選手のクラス分けは、創成期はA級・B級・C級による3層制であったが、間もなくA級・B級の2層制となり、やがて2層7班制(A級1 - 5班、B級1・2班)に変更され、その体系が長く続いた。だが、A級が5班あったことで弊害が多く出てきたため、後に1983年に行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)により、S級・A級・B級の3層9班制(S級1 - 3班、A級1 - 4班、B級1・2班)に移行した。ただ、この体系の維持も限界に達したことから、2002年4月よりS級・A級の2層5班制(S級1 - 2班、A級1 - 3班)へと改組され、現在に至っている。

過去には、KPK実施から76期(1995年デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果に基づき正式デビュー時にA級1班からB級2班に格付けされていた。だが、「新人リーグ」はファンには好評ではなかったことから、77期以降の新人は全員B級2班(2002年以降はA級3班)格付けで通常のレースにデビューする現在の形態となった(KPK実施以前も最下級からのスタートであった)。なお、117期・118期からは、7月の正式デビュー前の5月から6月にかけて「競輪ルーキーシリーズ」が実施され(実質の「新人リーグ」の復活)、これが実質のデビュー戦となる。

なお、2008年前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、A級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA級3班同士のみとなった(「チャレンジ戦」。そのため、現在のA級3班はKPK実施時のB級と同じような位置づけ)。また、特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への「特進」(特別昇班)となっている。

同じく2008年前期より、S級では1班の中で前年のKEIRINグランプリに出走した9名と、それ以外も含めた前年の獲得賞金額上位18名までが、特別に1班の上位格付けとして『S級S班』と格付けされるようになった。のち2012年前期より前年のKEIRINグランプリ出場者9名のみに限定されたが、S班はいわばトップ中のトップであり、このS班の9名に対しては特別競輪(GI・GII)の出場権利の保証(但しあっせん停止ないしあっせん保留期間中は除く)、レースあっせん希望選択、一定期間における公休などの優遇措置が与えられる[注 31]

S級S班の概要編集

  • 定員 9名(2012年以降)
  • 選出基準(選考基準)[59]
(GI優勝者・世界選手権自転車競技大会個人種目優勝者・オリンピック自転車競技個人種目メダリスト・競輪祭終了時点での年間獲得賞金上位者)
  • 除外規定
    • KEIRINグランプリ選考委員会でGII以上の特別競輪の選抜方法による申し合わせの除外規定で選考除外となったり、審査期間中における「あっせん規制(保留)」など、S班に所属するには不適当とされる選手、また既にS班に所属している選手においても、調整委員会で不適格とみなされた選手も除外対象とし、S班所属選手がそれに抵触した場合及び次年度にS班に残留できなかった選手はS級1班への降格となる。加えて、現在はKEIRINグランプリ選考期間内におけるGI・GIIで失格を3回以上した者や、選考期間内の全レースで11条失格(過度けん制など)・58条失格(誘導員早期追抜)を犯した者(但し内容を精査の上で決定)は当該年のKEIRINグランプリ選考から除外することになっている[60]ため、S班の選出基準としては明文化されていないが、これらの失格を犯した場合も翌年はS班になれないことがある。
  • 適用期間 12月27日から次の年の12月26日までの1年間
  • 優遇処置
    • 日取り調整会議の状況により既に開催が決まっている期間はあっせん計画を提示。それ以外の開催に希望する場合には「希望あっせん届け」の提出が出来るが、本人の希望に必ずしも添えない場合もある。ただし予め出場を希望したレース以外でも状況によって優先あっせんを行うことがある。
    • GP以外の特別競輪に優先的に出走できる権利が与えられる。
    • GIIIについては適正な出場間隔を考慮して、またあっせん計画の提示に基づく本人の希望を考慮して出走できるレースを調整できるようにするが、当該選手の出身地・所属地の都道府県に関しては必ず出走することが義務付けられる。
    • FI(一般普通開催のS級シリーズ)の場合も適正な出場間隔を考慮して、またあっせん計画の提示に基づいた本人の希望に充分配慮して出場レースを決めるように出するが、国際競輪KEIRIN EVOLUTION等の特別企画レースと重複した場合はそれを優先する。また最低年1回は当該選手の出身地・所属地の都道府県で行われる地元開催のレースに出場することを義務付ける。
  • オフ期間 年1回・1ヶ月間まで。
  • 公共交通費用にかかる特別料金支給
  • S級レース(F1以上、GP除く)の開催において特別選抜予選にシード出場が約束される。また、前年のKEIRINグランプリ優勝者は、その翌年のKEIRINグランプリ直前まで、出走するレース全てで1番車(白枠)に固定される。
  • ファンサービスの一環としてPR活動やファンの集いへ出演する他、S班用のユニフォームを用意する。

KEIRINグランプリ07から適用された。当初は「SSカップみのり」・「SSシリーズ風光る」というS班選手を対象としたレースを開催していた関係で定員は18名であり、また「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であった。だが、2009年は同年1月25日にS班であった手島慶介が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「SSシリーズ風光る」において出場人数が揃わなくなったことから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」[61] と規定が改正され、これにより選考時の次点であった岡部芳幸が5月1日付で2009年のS級S班に追加選出された。グランプリ出場の9名を除く9名はグランプリシリーズ初日(12月28日)の第1レース「SSカップみのり」に出走となる[62]。その後、2011年をもって上記のS班選手を対象としたレースを廃止したため、2012年以降はKEIRINグランプリ出場9名がそのままS班とされている。

なお武田豊樹はS級S班だった2013年の後期をあっせん停止によりほとんど出走していなかったが、2014年の後期はS級1班に格付けされたことから、S級S班から降格しても3期(適用期間の関係で実質1年間)はS級1班が保証されることになる。

1000勝以上達成選手編集

1000勝到達順に列挙

競技で活躍した競輪選手編集

競輪選手も自転車選手という側面を持つことから、各種の自転車競技に参加している選手もいる。長い間プロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。

なお、以下全て、名前の後ろに*印の付いた選手は女子選手である。

世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手編集

オリンピック自転車競技に出場経験がある競輪選手編集

以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。

その他のオリンピック競技に出場経験がある競輪選手編集

高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。特に、日本競輪選手養成所入所試験における受験資格の中で年齢制限(上限)が撤廃された93期以降で転向する者が増えている。

パラリンピックで活躍した選手編集

政治家編集

引退後ないし、選手活動を継続しながら政治家となった競輪選手もいる。

選手寿命編集

競輪選手は、数あるプロスポーツの中で、選手寿命が長い部類に入る。

過去には68歳の選手がレースに出走したこともあるなど、60歳を超えても現役を続けた選手は過去に何人も存在している。また、50歳代の選手はそれほど珍しいものではなく、2020年下期(7月 - 12月)では神山雄一郎三宅伸山口富生室井健一の4名が50歳代ながら最上位のS級1班格付けとなっている。過去には、2004年に当時45歳であった松本整がGIレースである高松宮記念杯競輪を優勝し話題となった[注 32]。また、親子(女子選手も含む)ともに現役選手という例が複数あるほか、1955年生まれの竹内久人(2007年7月引退)とその長男である竹内公亮や、1984年ロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉(2011年6月引退)とその長男である坂本貴史は、親子で同時にS級に在籍したことがある(竹内親子は2006年、坂本親子は2010年 - 2011年上半期)。ガールズケイリンでも高松美代子が54歳11か月まで現役を続けたほか、数は少ないが門脇真由美加瀬加奈子など40歳代の現役選手もいる。

このように、競輪選手の寿命が長い要因として、競輪競技の特性が上げられる。競輪競技は自転車というツールを用いて行うため、他の競技と違って骨(つま先・踵)や関節(足首・膝)へ負担がかかりにくい競技と言われる。陸上競技を始め、野球サッカー相撲等の選手は自らの足を使ってハードに動き回るため、長年の酷使によって(また地面・アスファルトからの衝撃によって)筋肉より先に骨や関節を痛めてしまう場合が多く、30歳代半ばで足首や膝、股関節、肩、肘、腰に限界が来てしまいやすい反面、競輪選手の場合、自転車というツールが体への負担をサポートしてくれるため、落車等で怪我をしない限り体への負担は軽いことが挙げられる。

さらに、他のプロスポーツでは致命的なハンデとなる加齢による(個人差もあるが多くは30歳代半ばを境に急激に訪れる)ハイパワーでの持久力の低下についても、競輪選手は追い込み戦法と呼ばれる戦術をとることで致命的なハンデとはならない状況を生み出せる、といった競輪競技ならではの特殊性があり、これも選手寿命を長くしている要因である。これはラインを組んでいる選手を自分の前に走らせ、最後の直線まで先頭選手を自分の風除けとすることで、持久力の消費を極端に少なくする戦法である(スリップストリーム現象により後方選手は風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れることにより、最終局面でハイパワーを維持できる距離が単純計算で2倍以上となる[注 33])。したがって、たいていの選手は加齢による持久力低下とともに、レース戦術を追い込み戦法に変えていくことになる。

そのため、この特殊要因が競輪選手の新陳代謝を阻害しているのではとも指摘されており、実際、近年トップスターの座にいる選手の中に10年以上前からトップスターだった選手が何人もいるといった状況が生じている。例えば、KEIRINグランプリ2017では出場選手9名の平均年齢は34.8歳であり、20歳代の選手は1人しかいない一方、40歳代の選手が3人いるといった状況であった。また、2019年後期では、S級S班・1班に在籍する220名のうち、50歳代が先述した神山・三宅と西川親幸の3名、40歳代が68名おり、おおよそ3分の1が40歳代以上であった。

ただ、競輪選手(に限らず自転車競技選手全般に言える)は自転車に乗る姿勢から腰や内臓(特に腹部)には負担がかかりやすく、慢性的に腰痛やヘルニアに悩まされている選手も多い。アトランタ五輪で銅メダルを獲得した十文字貴信は、晩年は酷い腰痛に悩まされた上に落車して大怪我を負った影響から1年以上にわたる長期欠場を余儀なくされ、最終的にレースに復帰することなく引退した[64]

他にも、一日の間で自転車に乗っている時間が長いため、特に女子選手で「股ズレ」[注 34]に悩まされている選手が多く、沖美穂が大学院在学中に修士論文を纏める際に女子選手100人を対象にアンケートを実施したところ、8割が股ズレの悩みを抱えており、更に全体の半数が再発を重ねるなど深刻な実態が浮かび上がった[65]

2020年1月24日時点における現役選手で、最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は1958年6月4日生まれの佐久間重光(41期・三重)だが、現在は日本競輪選手会理事長として公務に専念しており2009年6月下旬以降は競走実績がない(事実上の引退状態にある)ため、同日時点で競走参加を続けている実質の最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は、1960年5月3日生まれの佐古雅俊(45期・広島)で、60歳を超えた。佐古の前における、最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は、佐古と同期である1955年10月10日生まれの三ツ井勉(神奈川)であり、以下にある通り晩年は最高齢勝利記録を更新する活躍を見せたが、2020年1月23日付で選手登録消除され引退した[注 35]。なお、三ツ井の引退により、選手登録番号が4桁の選手は佐久間重光のみとなっており(佐古は10014番)、競走参加を続けている実働選手に限れば全員が引退した。

主な記録編集

その他の主な記録はこちら(127 - 130頁)を参照のこと(2019年12月31日時点)。

選手会編集

競輪選手の労働組合または職能団体にあたる組織として、日本競輪選手会がある。

昭和期には日本競輪選手会に反発した一部の選手らで結成された『全国競輪選手会』があった(1972年に日本競輪選手会と合併)ほか、平成期にも一部のトップ選手らで設立した『SS11』が2013年12月に日本競輪選手会から脱退し新たな選手会組織として機能させることを表明していたが後に撤回している。

女性の競輪選手編集

昭和の時代には1949年から1964年まで「女子競輪」が開催されており、女性の選手も存在した。

平成に入り、2012年から女子競輪が「ガールズケイリン」として復活したため、女性の選手も48年ぶりに復活した。

その他・特徴編集

  • 過去には競輪選手自身が自転車競技法違反の容疑で検挙された事例もあったが、平成に入ってからは発生していない。
  • 最初期は競輪選手登録に際して審査が無かったため、誰でも競輪選手になる事が出来た。アマチュアでの自転車競技の経験者が多かったが全く未経験の者もおり、玉石混淆の状態であった。従って選手個々の能力差も大きく、適性を欠く者や不正行為を働く者も見られ、それが各地で発生した騒乱事件の原因ともなり、一時は賭式についても6枠制から4枠制への変更を余儀なくされる状況に追い込まれた。また過去には覚醒剤ヒロポン)などの違法薬物に手を出し、薬物中毒死した選手も存在する[74]。この事は社会的な問題ともなり、1950年9月より適性審査や選手資格の検査基準を導入した結果、資質に問題のある選手は淘汰されていった。
  • 昭和30年前後に、進駐軍のアメリカ人伍長が、休暇中に競輪に参加した記録がある。
  • 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生で、社会人であっても多くは20代半ばまでの青年であるが、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者が多い。ただ、全く異分野のアマチュアスポーツ・プロスポーツからの転向を志す者も見られるほか、自転車競技の経験を全く持たずに競輪選手を志す者も少なからずおり、代表的なところではプロ野球選手を経験した後に競輪選手へ転向した者がいる[注 36]。他にも、学生野球陸上競技ラグビー大相撲オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。変わった例としては、一般企業の会社員であった素人時代に参加した競輪場でのイベント「素人脚自慢大会」で優勝を果たしたことを機に競輪選手を志して実際に選手になった阿部康雄[注 37] や、競技スポーツ歴は一切なかったが芸能活動で競輪のイベントに携わるうちに競輪選手を志すようになり実際に選手になった元グラビアアイドル日野未来などがある。
  • 競輪選手は成績不良で強制的に引退させられる以外にも、年1回必ず課される身体検査に合格しなければ、同様に登録を消除され強制的に引退させられる。ただ、疾病や負傷、妊娠など配慮すべき要因があり認められた場合は『あっせん保留』となり、身体検査は最長3年まで延期することができる。だが、それ以上の延長は認められていないため、選手会公務など特別な事情がない限り、3年間一度も出走しなかった場合は競輪選手としての登録を消除され強制的に引退させられる[75]
  • 実績を重ねた選手に対してはJKAからの表彰制度もある。男子では、選手登録日から10年以内に通算300勝[76]を、また通算500勝[77](達成時の年数・級班は問わない[78])をそれぞれ達成した場合、女子では選手登録日から7年以内に通算300勝[79]を達成した場合、後日地元地区の競輪場(原則はホームバンク)にてファンの前で表彰式が執り行われる[80][81]
  • 競輪は開始から70年以上が経過しているため、女子選手も含めて親子二代で競輪選手という例は多数あるほか、『山口啓(7期、引退)、<子>山口幸二(62期、引退)・山口富生(68期)、<孫>山口聖矢(115期)・山口拳矢(117期)』など三代で競輪選手になったという例も幾つか見受けられる。特に、『川口八百一(期前、引退)、<子>川口武雄(8期、引退)、<孫>川口浩貴(48期、引退)・川口秀人(57期)、<曾孫>川口雄太(111期)』は四代で競輪選手になったという唯一の例である[82]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 2019年5月1日付で「日本競輪学校」より改称[4]
  2. ^ 資格検定は養成所に入所しなくても受験が可能だが、養成所に入所せず資格検定だけを受験し合格した者はいない。このように、事実上はまず養成所の入所試験に合格し同所を卒業することが選手となるための大前提となる。
  3. ^ 候補生においては、第1回試験は養成所から特別に認められた場合のみ受験可能となっている。
  4. ^ かつては選手登録証を兼ねた選手手帳と、前検日に受ける身体検査の結果などが記載された選手健康手帳が交付されていたが、2019年12月より選手登録証はICカード化され、その選手登録証1枚に選手健康手帳の内容も含めて全ての情報が記録されている[6]
  5. ^ 競輪では「斡旋」とは書かず「あっせん」と平仮名表記である。それに倣い、以下「あっせん」で統一。
  6. ^ これらはかつては葉書による書面にて行われていた(漫画「ギャンブルレーサー」でもその描写がある)。
  7. ^ 通常は4日間ないし5日間。最長は男子の日本選手権競輪競輪祭開催期間中の7日間。
  8. ^ 岸和田競輪場など、一部の競輪場では競輪場から少し離れた場所に選手宿舎を設けている例もある。岸和田競輪場の場合、選手は専用のバスで競輪場と選手宿舎を移動する。
  9. ^ 近親者の急逝など余程の特別な事情が発生している場合などは例外だが、その場合でも競輪場を通じて呼び出してもらい、施行者側職員が通話に立ち会うこととなっている。
  10. ^ 参考に岸和田競輪場の場合、『携帯電話』、『パソコン』、『トランプ』、『通信機能の付いたゲーム機』(Nintendo Switchなど)、『飲食店からの出前』は宿舎内持込禁止となっている。
  11. ^ 競輪のみならず公営競技全般において、宿舎内への通信機器の持ち込みは厳しく禁じられている(マスコミ関係者など部外者も同様)。オートレースでは、過去に参加中における通信機器の常用が発覚し選手登録消除(一般にいう解雇処分相当)に処せられた選手がいる。
  12. ^ 競艇競馬などとは異なり、1日に2走以上することはない(但し最初期には1日2走することもあった)。また、5日間ないし6日間開催のGIレースでは休み日を挟むこともある。
  13. ^ 特に開設記念(GIII)では最終日に単発の企画レースとしてS級ブロックセブンルーキーチャンピオンレースなどが行われるため、成績下位の9名が原則帰郷となる。なお、一部のGIレースでは帰郷をやめて最終日も敗者戦を実施するケースも出てきている。
  14. ^ この場合、施行者(競輪場)から直接連絡がいく[13]
  15. ^ 勿論、出場する・しないは選手自身の判断であるが、最終的に一定期間内で義務付けられている「最低出走回数」は原則クリアしなければならず、特に男子はクリアできなければ級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ不利になる。ただ、S級S班の9人に対しては、予め届け出ることで年1回・最長1ヶ月間の公休が取得できる優遇措置がある。
  16. ^ 競輪選手のみならず、競輪場・場外車券売場の管理・運営に携わるスタッフや競輪新聞の関係者なども同様にお盆や正月の休みは無いも同然である。
  17. ^ 師匠が引退したり、師匠とは師弟関係を解消したりして師匠がいないというケースのほかに、デビュー当初から師匠がいない選手も稀にいる。
  18. ^ 競輪では、富山は中部地区に、福井は近畿地区に、それぞれ属している。
  19. ^ 現在は全ての着順で賞金が支払われるが、1951年3月に制度が改正されるまでは下位の着順では賞金は支払われなかった。そのため当時の選手らは賞金が貰えなかったレースのことを『無賃乗車』と呼んだ[15]石田雄彦の項目にも同様の記載がある)。
  20. ^ 2014年度までは、事前に決定されるGIなどのグレードレースを除き、各競輪場の賞金は前年度の売り上げ実績により翌年度のレース毎の賞金支給額が変更されていた。そのため同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なっていた(なお、競艇では現在もこの制度が維持されており、同じグレードのレースでも競艇場により賞金額が異なることがある[17])。
  21. ^ L級戦(ガールズケイリン)の場合、3日間の総賞金額が240万3000円(誘導手当は除く)[21][22]であるので、うち30%に当たる72万900円が、出場予定であった14名に対して均等に支払われる(1名あたり51,492円)。
  22. ^ S級S班所属の9人に対しては、通常の交通費に加えてグリーン料金などの特別料金が加算されて支給される。
  23. ^ 手当の額はレースの格による。最低は一般戦の3,000円で、最高はKEIRINグランプリの20万円[28][20][18]
  24. ^ 実際に同対談では、手っ取り早く金を稼ぎたい人間にとって「吉岡に一発食らわせたほうが早いかもしれない(笑)」と語った植木に対し、吉岡自身「そう考える人はいるはずですよ」と答えており[30]、当時から選手間では強盗に襲われる危険性について認識していたようである。
  25. ^ 2018年は638万円[2]、2017年は666万円[1]
  26. ^ そのため欠場中は特別な配慮がなされ、規定が定められて一定の収入補償がなされていた。
  27. ^ 新田祐大や小林優香は、2019年は競輪には年間で僅か13走しか出走しなかった。
  28. ^ のち伊藤には『あっせん保留』の処分が下された[49]が、同年11月より競走に復帰している。
  29. ^ いわゆる『出禁』。武田豊樹高知競輪場でのレースで悪質失格したことにより、高知では一時期『出禁』とされたことがあった。
  30. ^ 18連勝が懸かった2019年10月3日西武園決勝戦は当日朝発生したシステム障害の影響で開催打ち切りとなり、この時点での特昇はなくなった。ただ、その次の別府にて3連勝し通算3開催連続優勝を果たした[58]
  31. ^ S級1班の定員は220名で、その220名のうち最上位の9名がS級S班となっている。
  32. ^ これは、現在も続くGIレース最年長優勝記録。ちなみに、松本は直後の優勝記者会見で現役引退を表明し、別の意味でも話題となった。
  33. ^ 例えばS級の追い込み選手の場合、時速60数キロを維持できる距離が2倍以上になる。バンク半周⇒バンク1周以上など。
  34. ^ 股の内側などに生じる皮膚や粘膜の異常や障害で、レーサーパンツや自転車のサドルとの摩擦などで起きる。腫れて痛みが出たり、ひどい時には陰部がただれたりすることがある。
  35. ^ 45期はほかに長谷井浩二(東京)も長く現役を続けたが、こちらは先に2019年1月15日付で選手登録消除。
  36. ^ 養成所が日本競輪学校であった時代は、第92期生までは受験時点で満18歳以上満24歳未満という年齢制限があり、競輪選手に転向するにはプロ野球球団を早期に退団する必要があったことから、転向例は僅か数名に留まっていた。だが、第93期生以降は年齢制限のうち上限が撤廃されるなど受験資格が大幅に緩和されたことから、実際に競輪選手へ転向する例が増えており、特に松谷秀幸開設記念で優勝するなどトップレーサーに登り詰めている。また、養成所においてもプロ野球球団など他のプロスポーツ(養成所が認めた競技団体に限る)経験者に対しては、退団年とその翌年までの2年間に限り受験科目の一部免除を行っている。2008年11月11日横浜ベイスターズ総合練習場で行われたトライアウトでは日本競輪学校(当時)のブースを設営しており、その知名度も含めて選手として有望な人材の獲得に動いたこともあった。
  37. ^ 新潟商業高校ではリザーブながらも全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場したことがあり、競技スポーツの経験はあった。

出典編集

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  2. ^ a b 2018年級班別賞金総額及び平均取得額 (PDF) - KEIRIN.JP、2019年1月11日
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  13. ^ 大垣へ - 加瀬加奈子ブログ「加瀬加奈子の男道」、2017年6月26日
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関連項目編集

外部リンク編集