座標: 北緯36度1分1.6秒 東経140度20分52.6秒 / 北緯36.017111度 東経140.347944度 / 36.017111; 140.347944

陸平貝塚(おかだいらかいづか)は、茨城県稲敷郡美浦村霞ヶ浦南岸にある貝塚である。1998年平成10年)9月11日に国の史跡に指定された。

陸平貝塚の位置(茨城県内)
陸平貝塚
陸平貝塚
陸平貝塚の位置

概要 編集

貝層は環状に分布しており、縄文時代前期から後期にかけての遺物が多数見つかっている。

東西に約250メートル、南北に約150メートルの範囲の舌状台地で、台地の斜面に大小8つの貝塚群が点在する[1]

遺物は中期から後期を主時期とする土器土偶、土製晶、石器骨角器、貝製品が出土している。動物遺体としては、ハマグリを中心に、シオフキサルボウハイガイマガキアカニシなどの内湾に生息する貝の貝殻のほか、クロダイスズキフグなどの魚骨、シカイノシシウサギなどの獣骨も出土している。

国内でも規模の大きい貝塚群であり、またその変遷過程も明瞭に推察できる貴重な遺跡である。

周辺は陸平貝塚公園として整備されており、公園内には発掘調査をもとに竪穴建物などが復元されている。

かすみがうら市坂地区より望む霞ヶ浦。対岸右側の台地に陸平貝塚がある。
陸平貝塚の貝層剥ぎ取り断面
復元された竪穴建物(陸平貝塚公園)

歴史 編集

 
国指定史跡の石碑

1879年明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。そののち、1970年代に住宅団地開発計画がもちあがり、遺跡は破壊の危機に直面するが、開発計画自体が中止された。また、1980年代にもリゾート開発が計画され、今回は、当初から「開発と遺跡保存は並列」という理念のもとで完全保存が検討された。しかし、この計画もバブル景気の崩壊の影響を受けて頓挫した。1990年代には、住民ボランティア団体を中心に、陸平貝塚を告知する活動を始め、1998年に国の史跡に指定された。現在でも貝塚を含め周辺は、手を加えられておらず、大切に保存されている。

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集