鰻丼(うなどん、うなぎどんぶり)は、丼鉢に盛った白飯の上に蒲焼を乗せた日本丼物江戸東京郷土料理とされる日本料理の一つである。

鰻丼
鰻丼
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概要編集

丼鉢に飯をよそってタレをかけ、鰻の蒲焼を載せる。地域によっては上からさらに飯を盛り、鰻を覆い隠すこともある。薬味には粉山椒箸休めとして奈良漬などの漬物肝吸いなどが添えられる。「丼」という名称であるが、陶磁器ではなく丸型の漆器が使用されることも多い。

丼飯の歴史の中で最も古く、文化年間(1804~1818年)に誕生したとされる。

由来には諸説あり、宮川政運の「俗事百工起源」(1885年)には、堺町(現在の東京人形町)の大久保今助が考案したと書かれている[1]。また、青葱堂冬圃の「真佐真のかつら」(1857年)には、著者の幼少時に葺屋町(堺町の隣町)の裏長屋で鰻丼が売られていたとの記述もある。

タレは醤油砂糖を主として作られ、多くの店では少しづつ継ぎ足しながら大切に使用される。鰻から出る脂や旨味、焦げた皮や炭の香りが加わることでコクや深みが生まれ、老舗ならではの味へと熟成されていくという。

山椒の粉は食べる直前に振りかける。山椒はの多い鰻をさっぱりと食べるための工夫であり、消化を助けたり臭さを消す効果があるとされる。

鰻の焼き方詳細は「蒲焼#鰻屋」を参照。

鰻丼のはじまりの頃は、焼いた鰻が冷めぬよう飯と飯の間に挟み、飯の上にも載せるスタイルが一般的であったが、江戸の鰻は蒸して柔らかく仕上げるため身が崩れやすく、しだいに飯の上に鰻を載せるのみとなっていった。これに対し関西ではあらかじめ鰻を蒸すことがないため身が崩れず、その結果飯のあいだに挟むスタイルが現在に至るまで残った[2]とされる。

まむし編集

近畿地方では鰻丼のことを「まむし」と呼び[3]、「真蒸」などとも書かれる。語源は鰻飯(まんめし)が訛ったとする説や、飯に鰻やタレをまぶした「まぶし」から転じたという説、鰻を飯の間に挟んで蒸らす意の「ままむし(飯蒸し)」もしくは「まむし(間蒸し)」に由来するなどの説がある。マムシ(蝮)とは無関係である。

鰻飯編集

鰻丼は、鰻飯(うなぎめし、まんめし)とも呼ばれる。 江戸時代後期の風俗を記した守貞謾稿には、京都大阪では「まぶし」、江戸では「鰻丼飯」の略として単に「どんぶり」という呼称が一般的であったと記されている[4]

鰻重編集

 
鰻重

食器として重箱を用いる場合は鰻重(うなじゅう)と呼ばれる。鰻丼との違いは器のみであるが、鰻丼と鰻重の両方を置く飲食店においては、一般に鰻丼よりも鰻の量が多く、肝吸いや小鉢などの付く上位メニューとして位置付けされている[5]

鰻丼や鰻重には「上」や「特上」といったランク付けがあるが、これはうなぎの量の違いだけで、質は基本的に変わらない[6]。これは鰻の仕入先が通常は一箇所からのみであるためで、産地の異なる鰻を用いる場合はその旨が特記される。

鰻重とは、御飯と鰻の蒲焼を下から「飯」「鰻」「飯」「鰻」と交互に重ねる「鰻重ね」を意味したという説もある。

駅弁編集

鰻飯は駅弁としても定番であり、特に一大産地である浜名湖に近い浜松駅の名物として知られる。駅弁として売られる際には折箱に入れられるため、鰻丼や鰻重ではなく「うなぎめし」「うなぎ弁当」と表記される例が多い。

逸話編集

脚注編集

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  1. ^ ロム・インターナショナル(編) 『道路地図 びっくり!博学知識』 河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日ISBN 4-309-49566-4
  2. ^ 長崎福三『江戸前の味』179頁 成山堂書店
  3. ^ 札埜和男『大阪弁「ほんまもん」講座』新潮社、2006年、p96
  4. ^ 守貞漫稿』「鰻飯 京坂にてまぶし、江戸にて、どんぶりと云ふ。鰻丼飯の略なり」
  5. ^ うな重とうな丼、違いは名前と器だけ?(エキサイトニュース 2007年7月22日。執筆:田幸和歌子)
  6. ^ 並・上・特上は何が違う? 老舗が教える「うなぎのお値段」最新事情 - FOODIE(三越伊勢丹ホールディングス)(2016年7月16日)

関連項目編集