日本料理(にほんりょうり・にっぽんりょうり)は、日本でなじみの深い食品を用い、その風土の中で発達した伝統的な料理をいう[2]。日本風、和風の食事。日本食、あるいは洋食に対して和食とも呼ぶ[3]。食品そのものの味を利用し、などの季節感を大切にする特徴がある[2]。2013年に「和食」は無形文化遺産に登録された。

和食
Tempura, sashimi, pickles, ris og misosuppe (6289116752).jpg
「和食:日本の伝統的な食文化、特に新年祝賀」魚、野菜、食用野草など地域の食材を使った自然を尊ぶ心との結びつきは、天然資源の持続可能な利用にも通じる。特に新年祝賀では餅をつき、意味のこもった美しい料理を用意し共同体で分けられる。
登録基準 R1, R2, R3, R4, R5 [1]
参照 869
登録史
登録年 2013

広義には日本に由来して日常作り食べている食事を含むが、狭義には精進料理懐石料理などの一定の形式をふまえたものや、御節料理彼岸ぼたもち花見月見における団子冬至カボチャなど伝統的な行事によるものである[4][5]

古くは『日本書紀』に料理の記述がある。米や麦、栗(アワ)など穀物をおこわや飯、粥にして食べ、副食には野菜、海藻、魚介類が用いられ、675年に殺生禁止令が出され19世紀の明治時代に肉食が解禁されるまで、主に肉を含まないそうした組み合わせで発展した。比較的新しい日本の料理などは、洋食のように呼ばれており、伝統的な日本料理や和食とするか曖昧である。

日本政府の外国向け「日本食レストラン推奨制度」では、具体的に懐石寿司天ぷらうなぎ焼き鳥そばうどん、丼物、その他伝統の料理を日本食としている[6]

目次

語源と意味編集

「日本料理」と「和食」と言う言葉は文明開化の時代に日本に入ってきた「西洋料理」や「洋食」に対応する形でできた言葉であり、「日本料理」は石井泰次郎[7] による1898年(明治31年)の『日本料理法大全』により一般化され、「和食」はそれ以降に現れたものであると見られている[8]。日本料理の用例は1881年の『朝野新聞』5月20日にみられる[9]。ある調査では明治、大正時代にかけて日本料理を書名に持つ書籍は4点しかみつからず、1904年の『和洋 家庭料理法』では日本料理は家庭料理を指しており、現在とイメージが異なる[9]。1903年の村井弦斎の『食道楽』には日本料理、西洋料理が対比して解説されており、『食道楽 秋の巻』では米料理百種として、日本料理の部では油揚飯、大根飯、栗飯など50種のご飯を紹介している。

『広辞苑』や[2]、『大辞泉』にて「和食」の項をひくと「日本風の食事。日本料理。」のように端的に書かれており、「日本料理」の項には冒頭の第一段落に説明したようなもう少し長い説明がある。

原田信男によれば、厳密に料理人が考案した伝統的な日本料理とすると、すき焼き、てんぷら、寿司は庶民の間に生まれたため含まれず、カレーやラーメンは日本独特に発展しており広くみると和食である[10]

東京家政学院の江原によれば、和食の基本形は飯・汁・菜・香の物であり、米、大根、ナスの様な伝来した食材が使われ、魚介・海藻の豊富さ、蒸し・茹で・煮るといった調理法、昆布、鰹節、煮干しといったダシの文化、味噌、醤油、酒、味醂、酢といった調味料、平安時代から現在まで継承された七夕の様な節供の年間行事との関りを挙げている[11][12]

京料理の料理人から見れば、和食の要にあるのはダシのうまみであり、魚を焼くという技術を高度化し、食器も日本風に調製し、鎌倉・室町時代には天ぷらような伝来した技術も取り入れ、これらはご飯を中心にして和食として形作られ、取り肴、造り、御椀、焼き物、揚げ物、焚合わせ、香の物といった献立を成立させ、日によってこうした中から組み合わせその日の献立を作る[13]。取り肴ではちょうど口に入る大きさの1寸という型があり、日本料理はその大きさに切られ、二十四節気の季節感を入れ込んでいく[13]。造りとは、生魚を切るという技術によって調理された素材を生かす調理であり、御椀は、日本料理を成立させるために不可欠な献立であり、鰹節と昆布だしを使い、カニや魚のすり身など主となる食材が入っておりその器も口をつけて食べることができるようになっている[13]。日本料理の焼き物は腕を問われるもので、塩、醤油と酒、醤油と味醂、味噌と砂糖といった調味料を使って魚を焼き、火には炭火を使い客席に届くまでに余熱で中まで火が通るように仕上げる[13]。炊き合わせは野菜が中心であり、奈良時代に伝来したナス、カブ、ネギ、室町時代の大根、江戸時代のインゲン豆、レンコン、キャベツ、ゴボウ、サツマイモ、竹の子トマト、明治の玉ねぎ、オクラ、昭和の白菜・ビーマンといったものが使われるようになり、煮物、蒸し物、煎り物など多様に調理される[13]

平安時代にまでさかのぼると、大饗料理では椅子とテーブルにスプーンといった大陸文化の影響があったが、和風化が進み消えていったものであり、宴会ではおもてなし料理としての二汁五菜が定着し、和食の伝統である日本の家庭料理はご飯を中心にした一汁三菜の日常の食にある[14]

「日本料理」には料理屋で提供される高級料理のイメージがある一方、「和食」は家庭食も含む日本食文化全体を表す言葉としてよりふさわしいとする意見もある[8]

特徴編集

 
飯碗汁物に複数の惣菜漬物などを並べた定食

日本料理の特徴として、多様な食品の持ち味を利用し、自然や季節の表現、一汁三菜など栄養に優れる、正月等行事との関わりが挙げられる[2][15][16]

食品の持ち味を生かし、塩で甘みを引き出したり、だしの利用、アク抜きなど、しばしば「引き算の料理」と表現される[17][18]。また、「食品の持ち味以上においしくしない」ことを原則とし「日本人はおいしいものを探しその持ち味を味わうことを第一としており、おいしくないものに手を加えてまで食べたいとは思わなかった」とその調理の「消極性」が表現されることもある[19]

食品と調味料編集

日本の風土は、アジアの東に位置し大部分が温帯で南北に長く海洋に囲まれているため、四季がはっきりして降水量も多い。このため、野菜や果物、魚介類や海藻などの食品が豊富である。[20]

調味はうま味を含んだだし醤油味噌日本酒など。甘みには水飴みりんが使われ、現在は砂糖も使う。菜種油ゴマ油などの植物油も使う。食品を水にさらしたり茹でたり煮たりすることが多いため、水そのものの味も重視される。

食品編集

漬物は日本にざっと6百種はあり、日本の食生活と共にあり天平年間(710年から794年)の木簡にウリの塩漬けの記録があり、『延喜式』には酢漬け、醤漬け、粕漬けなどの記載があり、室町時代から江戸時代にかけて全国に漬物屋ができ、江戸時代には種類を増やし各地方の名物となった[29]納豆は大陸から伝来してから日本人の技術で改良され、古くは納豆菌ではない奈良時代の発酵大豆「くさ」があり、納豆は京都の大徳寺、天竜寺で作られ寺納豆、浜名湖の大福寺の浜納豆とも言われ、糸引き納豆は室町時代中期に生まれている[30]

明治以降に普及した食品編集

調味料薬味編集

ダシは、鰹節昆布椎茸が三大である[31]。煮干しも使われる。日本国外では味は、五味として甘辛酸苦鹹と説明してきたが、日本人は鰹節のうま味を加えて六味としてきた[31]。日本料理以外の鶏ガラなどのように油脂が浮くことがない[31]。こうしたダシは、日本料理の方向を決定する要因となり、粋、優雅、上品さ、質素で格調高い、淡白で奥深い味が精進、懐石、侘び寂び料理を生み出してきた[31]。鰹節の原型は、平安時代『延喜式』に素干しの保存食の堅魚(かたうお)があるが、今のように燻したのは江戸時代の1674年である[31]

次に調味料だが、は、20世紀末に自由化されると非常に多様な種類が流通しており、日本は親潮・黒潮、5つの海域に囲まれている[32]。6世紀ごろになると海藻を焼いてその灰を使った灰塩ではなく、海藻を煮詰める藻塩が生まれ『万葉集』に詠まれているが、奈良時代になると塩田や釜を使うようりになり、揚浜式(8世紀)、入浜式(中世)の塩田を作り、1952年からイオン交換膜式を用いた塩専売法による食塩事業を国がはじめたことで塩田は消滅したが、昔ながらの塩田を求めて1971年からの自然塩運動により、1997年に新たに塩事業法が施行され自由となった[32]。イオン交換式では塩化ナトリウム99%以上となり塩辛さだけが際立つが、それ以外の製法ではマグネシウムの苦味、カリウムの酸味、カルシウムの甘味が複雑な味を醸し出す[32]。料理の基本は、塩梅、ダシ、火加減とされ、多様な調味料がない昔には塩と梅干しのサジ加減が重要であった[32]

は、酸味と共に抗菌作用があり重宝されてきた[33]。古くは『万葉集』に醤酢(ひしおす)の記述がみられ、奈良時代にはナスの酢漬けがあり、中世には酢飯が開発された[33]

醤油は、伝来したものを日本人が独自につくりあげたもので、大豆と小麦と塩を発酵させたもので、中国の醤(じゃん)など大陸のものとは微生物、製法が大きく異なる。アジアが起源と言われるが確認はされておらず、その元となった比之保(ひしお)は弥生時代から大和時代に日本に伝来したとされ、平安時代には広く浸透し魚を使ったものが最も普及し、魚醤のようなものとして伝来したと考えられる[34]味噌は、701年の『大宝令』には未醤(みしょう)が記載され、日本で造られた「噌」の字を後に当てたとされ、生産地の名をつけ各地の気候や風土、農産物、土地の者の嗜好を反映している[34]

は、もち米などのデンプンを糖化したもので『日本書紀』『延喜式』にも記載がある甘味料であり[35]砂糖は奈良時代にも薬として伝来し室町時代には菓子にも使われたが輸入量が大きく増加するのは江戸時代であり[36]、18世紀前後になると輸入された砂糖が菓子に広く使われるようになり[35]、次第に調味料となっていった。砂糖・塩・酢・醤油・味噌で「さしすせそ」とする近代の語呂合わせがある。

薬味には、ワサビ生姜唐辛子山椒ネギシソなどがある。

明治以降に普及した調味料など編集

旬、季節感、自然の表現編集

季節感が重視される。旬の食品は美味しく、また市場に豊富に出回り値段も安く栄養価も高くなるため、味を楽しむ好機と考えられている。七草がゆのように、野草特有の自然なあく強さや苦味も味わう。また初鰹のような季節を先取りする「走り」、落ち鮎のような翌年まで食べられなくなる直前の「名残」など、同じ食品でも走り、旬、名残と三度の季節感が楽しまれる。

季節の表現は切り方や色でも表現される。春は淡いウドなどをサクラの花びらに見立てて切る。夏は青みのシロウリキュウリを雷や蛇腹に切る。秋は鮮やかなニンジンなどをモミジイチョウの葉に切る。冬や新年はユズ松葉に切ったり、ニンジン梅の花に切ったり、ダイコンニンジンで紅白を表現したりする。 [4][5][37][38]

また山水盛りや吹き寄せ盛りのように、自然そのものを表した盛り付けもなされる。[4][5]

割主烹従編集

調理場を「板場」、料理人や料理長を「板前[2]まな板と関連付けて呼び、切ること自体を煮炊きから独立した調理のひとつとしている。「切る」ことを重視する姿勢は「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」と呼ばれ、包丁を使って「割く(切る)」ことが主で、「烹る(火を使った調理。煮る、焼く)」ことが従うとされ[39]、食品そのものの味を重視することにつながる。また「割主烹従」から「割烹」という言葉も生まれ、日本料理そのものやそれを提供する店を表す[2]

椀刺(椀差)編集

日本料理の椀物(吸物)と刺身は、合わせて「椀刺」や「椀差」と呼ばれ、重視される[40][41][42][43][44]。その味によって腕前を確かめられるともされる[39]

献立とメニュー編集

日本料理の献立やメニューは、汁物惣菜からなる、一汁一菜一汁三菜など複数の料理からなることが多い。複数の料理を摂取することなどから、現在の日本では比較的栄養に優れているとされている。飯は主たるものとして扱われることが多い。伝統的に左を上位とする風習があるため、主たる飯を左側に置いたり、魚の頭を左向きに置いたりして配膳することが多い。日常の食事などでは、これらの料理は一度にまとめて配膳されることが多いが、懐石料理などでは、一品(あるいは一膳)ずつ順番に配膳される。

食器編集

食器は、漆器陶器磁器など。家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のもの(属人器)を用いる習慣がある。 暖かい時期には、薄手で浅めの磁器を主に、暑くなるとガラスの器なども使われる。涼しい時期には、厚めで深手の陶器を主に、寒くなると蓋付きの器なども使われる。また漆器では、蒔絵沈金などの絵柄で季節を表現することがある。 [4][5][37][38]

提供場所編集

日本料理は各家庭の他に、蕎麦屋寿司屋などの専門店、居酒屋料亭割烹、また待合お茶屋行楽地宇宙食など、様々な場所で食事ができる。[37]

歴史編集

米を主食とした野菜と魚の副菜を組み合わせた日本食の基本形式は、奈良・平安時代に始まるが、鎌倉時代には中国から精進料理、安土桃山時代には南蛮から南蛮料理が伝来し、そこから日本独自に本膳料理懐石料理が考案され、配膳や食事作法が整えられ、こうして日本料理、和風料理と呼ぶに相応しい独自の料理文化がはじめて完成した[45]

縄文時代編集

日本列島の狩猟採集時代の食事では、約1万年前縄文時代になると人々は採集することが増えた。食事の中心になったのは木の実やイモであり、クリ、クルミ、ドングリ、ヤマイモ、マメといったものである。縄文人のゴミ捨て場は貝塚と呼ばれており、貝や魚介類をふんだんに食べていたことがうかがえる。ハマグリ、アサリ、カキを中心としイワシ、サバ、マグロなどを漁労によって、イノシシ、シカ、クマなどを狩猟によって獲得していた。縄文晩期になると水田で稲作するようになる。縄文クッキーが出土されているが、この時代以降に常食されたものではない。土器は主として魚介類の煮炊き用具に使われ、トチはアク抜きをしてトチ粥が作られた。

稲作の普及編集

弥生時代には稲作が普及した。弥生土器の中には火にかけて米を炊いてにしたとされる痕跡も発見されている。 一方で古墳時代には須恵器によるが多数発見されることから、米を蒸しおこわにしていたと考えられている。[46] また従来のに変わってが住居に設けられる。[47]まだ強飯(こわいい)である[45]。現代のような炊飯に比べて固い。

遺跡からはドングリが最も多く出土するが、農耕が普及し米や粟(あわ)を主食にし、鶏獣肉、魚、海藻、野菜、山菜を副食にするという日本食の基本ができあがってきた[45]。家畜として導入された豚を食べることは忌避され、鶏も時告鳥(ときつげどり)として別格にあり、卵すら食用にしなかった[10]。次第に食事は、神事の御饌(しんせん/みけ)として供えられ、神事の後に直会(なおらい)にて神主や村人が一緒に食べ、神人供食の文化が起こった[10]

飛鳥・奈良時代・平安時代編集

古事記』には豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちあきながいおあきのみずほのくに)、稲穂が実る国と記され、720年の『日本書紀』ではウケモチのお腹から稲が生まれたという神話が書かれている[48]。平安時代末期には強飯に代わり、現代の炊飯されたご飯と同じような姫飯も(ひめいい)も食されるが普及はもっと後である[45]

『日本書紀』に料理の記述がある。主食副食による食事構成が定着しアワなどをおこわにして食べていた。 副食に用いる食品は、野菜海藻魚介類が用いられた。獣肉等は天武天皇の675年に、ウシウマイヌサルニワトリの殺生禁止令が出され、表向きは食用とされなくなった。またイノシシシカは殺生禁止の対象とはならなかった。料理法としては、生物、焼物煮物に加えて、茹物和え物、炒り物などがある。加工法としては干物塩辛漬物寿司などがあった。遣唐使によるの影響から、料理も影響を受ける。大饗(だいきょう/おおあえ)では、飯に干物に加えて、干物揚げ物を含む唐菓子、木菓子と呼ばれる果物などが台盤に並べられた。と共にスプーンも使われた。調味は食べる際に塩や酢、(ひしお)、酒で味を付けた。[47]

鎌倉時代編集

鎌倉時代には、禅宗と共に精進料理が伝わり、煮染や酒煎など調味の技法が発達する。 に加えて、豆腐金山寺味噌など食品加工技術が伝わった。寺院の点心からうどんまんじゅう羊羹などが民間に広まった。[47]

室町時代編集

 
室町時代の「一服一銭」での抹茶

現代の炊飯ご飯と同じような、姫飯(ひめいい)が広く普及する[45]

大饗料理から派生した本膳料理が確立した。後の懐石料理や会席料理にも影響を与えており、出汁と合わせて日本料理の基礎が確立されたと評する論もある[49]醤油が作られ用いられた[47]。鰹や昆布を使い、火を使った焼き物、煮物、汁物がたくさん出されるようになり、武家特有の料理が整い日本料理が誕生する[36]

室町時代に料理書『四条流包丁書』が書かれたとされる。精進料理が発達し、出汁の概念が生まれた。安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』の中で「能」(実践的な教養)として、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げている。

安土桃山時代編集

懐石料理が成立する。茶の湯の発達に伴うものであり千利休の影響が大きい。 南蛮船によりてんぷらがんもどきなどの南蛮料理や、南蛮菓子カステラコンペイトウなど)が伝わった。[47]

江戸時代編集

 
江戸時代の魚売り

関東の料理編集

江戸料理と呼ばれる[50] 地元の材料を使用した料理が発展した[51]

『絵本江戸風俗往来』に「江戸市中町家のある土地にして、冬分に至れば焼芋店のあらぬ所はなし」と焼き芋屋が大人気[52] であった。 初ガツオ・初ナスなど縁起を担ぐ事もあった[50]。 だしは鰹節を使い、醤油は濃口醤油[53] が使われた。 こしょうなど香辛料も利用され[54]芳飯も鶏飯なども取り入れられ[54]、おじや、ねぎぞうすい[55] も食べられるようになった。

外食産業も栄えており、文化8年(1811年)に江戸の町年寄が「食類商売人」の数を奉行所に提出した資料によると、煮売居酒屋(1808軒)、団子汁粉(1680軒)、餅菓子干菓子屋煎餅等(1186軒)、饂飩蕎麦切屋(718軒)、茶漬一膳飯(472軒)、貸座舗料理茶屋(466軒)、煮売肴屋(378軒)、蒲焼屋(237軒)、すしや(217軒)、煮売茶屋(188軒)、漬物屋金山寺(130軒)、蒲鉾屋(59軒)、醴(あまざけ)屋(46軒)、獣肉(9軒)という記録が残っている。煮売り屋は惣菜の持ち帰りすなわちの中食の役割も担っていた。

関西の料理編集

京都、大阪の料理は「上方料理」と呼ばれた。北前船で北海道産の昆布が輸送された。 瀬戸内の魚介類や近郊の野菜に加えて、全国の産物も集められた。そのため「諸国之台所」と評された。

その他編集

それまで公家武家などの階級、もしくは寺が独占してきた料理技法が出版という形で広く庶民に知れ渡った。『料理切形秘伝抄』、『料理物語』などさまざまな料理本が出版された。本格的な外食産業に関しては江戸時代初期には寺院が金銭を受取り料理を提供していたが江戸中期にかけて料理茶屋・料理屋が市中に数多く出現した[56]

江戸後期には会席料理が登場する。本膳料理を簡略化し、酒の席で楽しむ料理として成り立った。

明治時代以降編集

明治には、肉食が解禁され、江戸期には細々と食べられていた牛鍋などが流行した。

柳田國男は『明治大正史 世相篇』の中で「明治以降の日本の食物は、ほぼ三つの著しい傾向を示していることは争えない。その一つは温かいものの多くなったこと、二つは柔らかいものの好まるるようになったこと、その三にはすなわち何人も心付くように、概して食うものの甘くなってきたことである」という[57]

明治には海外と交渉のある階層を中心に西洋料理が食べられるようになった。各地の西洋料理店(洋食店)では、西洋料理の他に、日本人の手で日本風に作り変えた料理が生み出された。家庭では銘々膳の風習にかわり、ちゃぶ台が使われるようになった。

戦後物資不足の中、アメリカからの食糧援助として小麦粉が大量に輸入され、学校給食でもパンが提供された。安価に大量供給された小麦粉により、お好み焼きなど小麦の粉食による鉄板焼き料理も発達した。 また国内外の中国人、朝鮮人との交流でそれらの影響のある料理も登場した。

無形文化遺産への登録編集

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食は、「多様で新鮮な食品とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」である[58]。日本は「和食」を料理や調理法だけでなく「いただきます」や「もったいない」といった食事という空間に付随することがらも含めた「自然の尊重という日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」として提案[59][60][15]年末年始における餅つき御節料理食育教育を中心にプレゼンテーションを行った[61]

分類編集

伝統形式と料理編集

 
百日祝い儀式における日本料理

伝統的な形式が現在に伝わる料理を挙げる。

行事と料理編集

年中行事冠婚葬祭など行事と結びついた日本料理も多い。赤飯団子寿司など、季節や地域によらず広く共通するものもある。また色や姿形からタイエビなどもよく用いられる[5]

日常生活の汁物惣菜においては、豆腐コンニャクワカメなど広く共通して用いられる[37][38]。春のフキ味噌やニシン、夏の麦飯はったい粉、秋の芋茎干柿、冬の煮こごり凍豆腐、新年の鏡餅や初餅花など、料理の季語もある[2][62]

かて飯かてものなどの救荒食物がある[2]

郷土料理編集

郷土料理のうち日本の地方で古くから食べられてきた料理である。 アイヌ料理沖縄料理奄美料理くさや島寿司皿鉢料理などもある。

様々な日本料理編集

近代の日本で食される料理編集

比較的新しいものは日本独伊の料理だと広義にとれば和食であり、料理人が考案した伝統的料理だと狭義にとれば和食ではない[10]

日本の飲物と菓子編集

日本の飲物編集

現在は日本のビール日本のワインジャパニーズ・ウイスキーなども作られ普及している。

日本の菓子編集

日本の菓子は和菓子駄菓子などがある。果物のことを水菓子とも言う。[2]

評価編集

米(穀類)・野菜・魚が多くの場合料理の基本素材とされており、寿司および刺身天ぷら蕎麦などは日本国内外でもよく知られると共に料理店は『ミシュラン』における評価も高い。

2007年に発刊された高級レストランガイド『ミシュラン』の東京版では、150軒の掲載店舗のうち、約6割が日本料理店であり、日本料理店も含めて、掲載された全ての店舗に1つ以上の星がついた(ミシュランの掲載店舗の中には、星が付かない店もあり、全ての店舗に星がついたのは、ミシュランでは初めてのことである)。また、150軒の掲載店舗に合計190以上の星が付き、それ自体も過去最高であった。

テレビなどメディアの影響もあり、国際的に活躍する日本人の有名料理人(スターシェフ)も多数出現している。

食のタブーを持つユダヤ人から「タブーに抵触しないか?」という声が上がったため、ユダヤ教のラビ(祭司)が視察・検査のため、日本にある八丁味噌の製造工場や、日本茶の農園や加工場などを訪れるようになった。ユダヤ教の信仰に合致した食品を指すカシュルートは、製造過程に甲殻類が関わっていないため甲殻類アレルギーの人にもありがたがられている。

日本食レストラン推奨制度編集

2007年に、正統的な日本料理店に認証を与える「日本食レストラン推奨制度」を日本貿易振興機構(JETRO)がフランスで始めた。制度の目的として、道標の提供と日本食文化の認知度向上・普及・浸透、正統的日本料理レストランにチャレンジする機会の提供、日本の食品などジャパン・ブランド輸出促進を挙げている。制度の対象は、日本で一般に「和食」のカテゴリーに入る食事がメニューのほぼ全てを占めるレストランで、その料理は懐石、寿司、天ぷら、うなぎ、焼き鳥、そば、うどん、丼物、その他伝統の日本食(フランスで創作されたそれに準拠するものも含む)としている。[6]

海外において、日本食が広く知れ渡るにつれ、日本食レストランと称していても、食品や調理方法など、本来の正統な日本食とは異なる食事を提供しているレストランが多く見うけられるようになり(海外の日本食レストランはイギリス人経営のチェーン店ヨー!スーシ、フランスのプラネット・スシなど、現地人が経営・調理していることが多い)、調理法から衛生面まで基準を設け、本物の正統日本食を提供するレストランを認定する制度を日本貿易振興機構や農林水産省が設けた。イタリアやタイ等、国が認定するレストラン制度は他国にも存在する。

外国で変化した料理(日本風料理)編集

 
Hibachiでの玉ねぎ火山

日本発祥の料理を各外国風にアレンジしたなどの、現地における日本風料理。

  • 寿司 - カリフォルニアロール、スパイダーロール、スパイシーツナロールなど、果物や日本では使わない食品、調理法で構成された新しい寿司。酢飯が使われない例も多い。
  • 照り焼き-多くの場合、焼き方の一種のことではなく、醤油味を基本とした「テリヤキソースを使った付け焼きグリル料理」のことをテリヤキと称する。
  • 魚肉練り製品 - Surimiの名称で、いわゆるカニカマを中心にして欧米の消費量が急上昇している。
  • 鉄板焼き - 焼きごて捌きや玉ねぎ火山といった調理人の演出要素がふんだんに盛り込まれた鉄板焼き。欧米ではHibachiと言う名称で呼ばれ、典型的な日本風料理である。

その他編集

正食という日本料理編集

食事を通じて健康などに働きかける正食(マクロビオティック)を通じて紹介された日本料理や調味料が多く、ヨーロッパやアメリカの一部で正食が評価された地域では、日本では一般に使われていない特殊な調理法や食品が使われている場合がある(味噌はパンにぬって食べる場合がある)。企業の大量生産品も一般的であるが、醤油、味噌、豆腐などは古来の製法で作られることも多く、日本の一般的なものよりも風味や栄養価で優れている場合もある。アメリカではたまりも一般的である。

トラブル編集

魚肉偽装問題

日本と同様にティラピア(イズミダイ)がとして提供されることも含め[64]、国際的非営利活動組織海洋保護団体Oceanaの調査によって、アメリカ合衆国では74%の寿司屋でメニューとは異なる魚(偽物)を提供していたことが判明している[65]

これに関連して、アメリカ合衆国カリフォルニア州で韓国人が経営する日本食レストラン約50カ所以上へ、弁護士事務室から「メニューに載っている魚「White Tuna=白マグロ(ビンナガが一般的)」が提供された魚「Escolar=アブラソコムツ」と異なる」との手紙が送られ、集団訴訟へ発展する可能性がある[66]。ちなみにアブラソコムツはスズキ目ではあるがサバ科マグロとは異なり、サバ亜目クロタチカマス科の魚である。多量に摂食すると人体へ害があると報告されているため、日本では販売が禁止されている。しかし韓国ではアブラソコムツを白マグロと称し食用されていることから、本問題が発生した。

2015年2月段階では訴訟対象の店舗はカリフォルニア州南部のみだったが、3月にはロサンゼルスの日本料理店(いずれも韓国人が経営)100店舗以上にも訴訟の手紙が届き[67]、4月にはカリフォルニア州北部にも訴訟対象店舗が広がった。またサンフランシスコの店舗にも同様の手紙が届いている[68]

コンテスト編集

  • 日本料理コンペティション[69]
  • 和食ワールドチャレンジ - 日本人以外の調理師による日本料理コンテスト[70]

出典編集

  1. ^ Decision (unesco)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 広辞苑第5版
  3. ^ 和食 コトバンク
  4. ^ a b c d e f g h i 『四季日本の料理 春』講談社 ISBN 4-06-267451-3
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『四季日本の料理 秋』講談社 ISBN 4-06-267453-X
  6. ^ a b 日本食レストラン推奨制度(pdfファイル)”. 日本貿易振興機構. 2013年12月3日閲覧。
  7. ^ 著者は1923年(大正12年)に石井泰次郎日本料理法大成大倉書店1923年OCLC 673989417を著した四条流九代目家元石井泰次郎ではなく、八代目家元石井治兵衛石井治兵衛日本料理法大全博文館1898年OCLC 40587513)とみられる。
  8. ^ a b 熊倉功夫 「1.日本の伝統的食文化としての和食」『和食;日本人の伝統的な食文化』(pdf) 日本食文化テキスト作成共同研究会・熊倉功夫編、農林水産省2012年3月、3-12頁。
  9. ^ a b 余田弘実「書名から見た近世料理書と近代料理書 : 「日本料理」「西洋料理」「支那料理」」、『國文學論叢』第61号、2016年2月1日、 269頁。
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参考文献編集

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関連項目編集

外部リンク編集