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PX-Lは、海上自衛隊P-2Jの後継機として計画されていた対潜哨戒機。米ロッキード社が開発したものをライセンス生産したP-3C オライオンが採用されたが、本項では主に川崎重工業が計画していた国内開発案「GK520」について述べる。

概要編集

P-2Jの量産決定直前の1967年昭和42年)初頭頃から、川崎は独自にP-2Jの後継機を目指し社内名称「GK520」の研究開発を開始していた。1971年(昭和46年)、防衛庁は翌1972年(昭和47年)から開始される第4次防衛力整備計画(4次防)の一環として次期対潜機PX-Lの国内開発を計画し、そのための設計前調査費を川崎に対し交付した。防衛庁は1972年に基礎設計完了、1973年(昭和48年)には実大模型を、1974年(昭和49年)には試作機2機を制作し、1978年(昭和53年)夏に量産に入るという計画を立てていたが、川崎はすでに1970年(昭和45年)には基礎設計をほぼ完了させており、1971年には実大模型の制作を行っていた。このPX-Lの運用期間は1980年代後半から2000年平成12年)にかけてを想定していた。

しかし、第一次オイルショックによって生じた大規模なインフレーションなどの影響や、開発に多額の経費がかかることを危惧した大蔵省の反対を受け、1972年10月9日の国防会議議員懇談会でPX-L国産化の白紙撤回と輸入を含めた再検討が決定され、国産PX-Lの開発は事実上中止となった。その後、防衛庁は1972年12月からP-3Cなどとともに国内開発案の調査検討を行ったが、最終的には1977年(昭和52年)12月にP-3Cを導入することが決定した。

GK520はターボファンエンジンを搭載した低翼配置の4発機で、1972年10月の時点では細部設計と一部構造の強度試験が進行していた。当時の日本ではターボファンエンジンの技術が蓄積されておらず、信頼性を重視してロールス・ロイスゼネラル・エレクトリックのエンジンを搭載する予定とした。この他にも探知機器と情報処理システムの開発が課題と見られていた。

横向きに座席が配置されていたP-3Aの戦術室乗員がになりやすいという話が1965年(昭和40年)に川崎を視察したアメリカ海軍武器研究所英語版の職員から寄せられていたため、GK520の戦術室の座席配置はP-3C同様の前向きとなっている。

展示用の縮尺模型は岐阜県各務原市にある中央プラザホテルのロビーに展示されていたが、改装により撤去されている。

諸元(計画値)編集

  • 全長:35.0 m
  • 全幅:30.0 m
  • 全高:11.0 m
  • 主翼面積:120.0 m2
  • 自重:27,220 kg
  • 総重量:55,000 kg
  • エンジン:以下のどちらか
    ロールス・ロイス RB208-08 ターボファン(推力:4,500 kg) × 4[1]
    ゼネラル・エレクトリック TF34 ターボファン(推力:4,000 kg) × 4[2]
  • 最大速度:880 km/h
  • 巡航速度:741 km/h
  • 実用上昇限度:11,000 m
  • 航続距離:6,482 km
  • 武装:対潜魚雷 × 10
  • 乗員:11名

登場作品編集

征途

 史実と異なり海上自衛隊に正式採用され「P5E対潜哨戒機」として登場。また劇中では派生型として航空自衛隊がAWACS型の「E5B空中早期警戒管制機」を運用している。

脚注編集

  1. ^ 『飛行機設計50年の回想』 309頁。
  2. ^ 『日本の航空宇宙工業戦後史』 254頁。

参考文献編集

  • 土井武夫『飛行機設計50年の回想』酣燈社、1989年、296・299・309 - 312頁。ISBN 978-4-87357-014-3
  • 岡太直ほか編 『日本の航空宇宙工業戦後史』 日本航空宇宙工業会、1987年、61・238・254・273・274頁。全国書誌番号:22801002
  • 未解決事件 File.05 ロッキード事件 - PX-Lの設計図が番組内で放送された。

関連項目編集