Portal:バスク/歴史/バスク・ナショナリズム

バスク・ナショナリズムまたはバスク民族主義は、スペインフランスにまたがるバスク地方の政治的・文化的な独立を求める政治運動の名称。バスク・ナショナリズムが誕生し人気を得た主たる要因には、1876年のバスク地方におけるフエロ(地域特別法)撤廃と、1970年代以降にビスカヤ県で進展した工業化にともなう社会経済の急激な変容が挙げられる。「バスク民族主義の父」と呼ばれるサビノ・アラナバルセロナ大学で学ぶうちにカタルーニャ・ナショナリズムに共感し、1893年に政治活動を開始した。1979年にはスペインでバスク自治州が成立し、スペイン1978年憲法によって大幅な自治権が認められている。……


Portal:バスク/歴史/レイレ修道院

レイレ修道院またはサン・サルバドール修道院は、ナバーラ州にあるロマネスク様式修道院。かつてナバーラ王国サンチョ3世はこの修道院をさして「国の心臓」であると賛辞を述べた。11世紀後半になるとサンチョ5世によりさらに複数の礼拝堂、修道院や町を寄進され繁栄した。21世紀現在でも日々の勤めが行われる修道院であるとともに、観光客の受け入れを行う観光名所としての側面も持ち健在である。後のスペイン域内における修道院建築にも影響を与えたとされている。アラゴン州との境界付近で、レイレ山の中ほどに立地する。……


Portal:バスク/歴史/フエロ

フエロは、中世から19世紀のスペインにおいて、社会的慣行が法的価値を持つようになった規範、または統治者が所与の領域を治めるに際して当該領域やその住民に譲与した特権のこと。ブルボン朝以後のフエロは後者を指した。日本語では地方特権、地域特別法などと訳される。カスティーリャ王国スペイン帝国においてはほとんどの町や共同体がフエロの諸特権を享受し、国王の受け入れがたい行動や命令に抗うための地方の防御策だった。特にバスク地方のフエロが有名であり、中世後期以後に編纂されて15世紀から17世紀にかけて法典化されたが、第一次カルリスタ戦争後の1839年に縮小され、第三次カルリスタ戦争後の1876年に撤廃された。……


Portal:バスク/歴史/ゲルニカの木

ゲルニカの木は、ビスカヤ県ゲルニカにあるオークの木。この木はビスカヤの自治の象徴であり、後にバスク地方全体の自治の象徴となった。かつてビスカヤ領主はこの木の下でフエロ(特権)の尊重を誓い、現代のレンダカリバスク自治州政府首班)は就任後にこの木の下で宣誓を行う。現在見ることができるのは4代目のゲルニカの樹である。1930年代後半のスペイン内戦で、ゲルニカフランコ将軍の援助を受けたドイツ軍によるゲルニカ爆撃を受けたが、この木とバスク議事堂だけは無事だった。オークの木は、ビスカヤ県の紋章をはじめとし、ビスカヤ県内の数多くの自治体の紋章に描かれている。……


Portal:バスク/歴史/ゲルニカ爆撃

ゲルニカ爆撃は、スペイン内戦中の1937年4月26日、ドイツ空軍コンドル軍団ビスカヤ県ゲルニカに対して行った都市無差別爆撃のことである。ゲルニカにはバスク地方の自治の象徴であるバスク議事堂とゲルニカの木があり、歴代のビスカヤ領主がオークの木の前でフエロ(地域特別法)の遵守を誓ったことから、バスクにおける自由と独立の象徴的な町だった。ゲルニカ爆撃は焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、「史上初の都市無差別爆撃」とされることもある。コンドル軍団はこの作戦をオペラシオン・リューゲンという作戦名で呼んだ。……


Portal:バスク/歴史/レイレ修道院

レイレ修道院またはサン・サルバドール修道院は、ナバーラ州にあるロマネスク様式修道院。かつてナバーラ王国サンチョ3世はこの修道院をさして「国の心臓」であると賛辞を述べた。11世紀後半になるとサンチョ5世によりさらに複数の礼拝堂、修道院や町を寄進され繁栄した。21世紀現在でも日々の勤めが行われる修道院であるとともに、観光客の受け入れを行う観光名所としての側面も持ち健在である。後のスペイン域内における修道院建築にも影響を与えたとされている。アラゴン州との境界付近で、レイレ山の中ほどに立地する。……


Portal:バスク/歴史/ナバラ王国

ナバーラ王国(824年 – 1620年)は、中世イベリア半島北東部のパンプローナより興った王国。824年にバスク人の首領イニゴ・アリスタが王として選ばれ、フランク王国に対する反乱を率いたことによる。ナバーラの名は、7世紀にイベリア半島での西ゴート族の時代が終わりを告げた頃から登場している。11世紀初頭、サンチョ3世(大王、在位1000年 - 1035年)の時代に勢力圏が最大に達し、当時のイベリア半島のキリスト教圏の大部分を支配した。サンチョ3世の死後に領土が分割され、独立を維持することが困難になった。……


Portal:バスク/歴史/ビスカヤ橋

ビスカヤ橋は、ビスケー湾に面したネルビオン川ビルバオ河口に架かる世界最古の運搬橋。左岸のポルトゥガレテと右岸のゲチョを結んでいる。ギュスターヴ・エッフェルの弟子のひとりであるアルベルト・パラシオによって設計され、1893年に開通した。ビスカヤ橋のゴンドラは、164mの距離を2分弱かけて渡り、一度に6台の自動車と約300人の人間を運ぶことができる。革新的な技術を用いた鉄製ワイヤーが使用されており、2006年には「ビスカヤ橋」としてUNESCO世界文化遺産に登録された。……


Portal:バスク/歴史/サンティアゴの巡礼路

サンティアゴの巡礼路は、キリスト教聖地であるガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を越え、スペイン北部を通る道を指す。1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからスペインに入る。1993年にはスペイン国内の道がUNESCO世界文化遺産に登録され、世界でも珍しい「道」の世界遺産として知られている。ナバーラ州を通る「フランスの道」がもっとも一般的だが、イルンからビルバオを通ってガリシアに向かう海沿いの「北の道」などもある。……


Portal:バスク/歴史/サンティマミニェ洞窟

サンティマミニェ洞窟は、ビスカヤ県ゲルニカ近郊にある洞窟。バスク自治州でもっとも重要な遺跡のひとつである。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスが居住し、中期旧石器時代から鉄器時代までの遺構が発見されている。特にマドレーヌ文化期の洞窟壁画で知られており、描かれた大型動物の一部は彩色されている。1916年に洞窟壁画が発見されると、1917年に発掘が開始され、1984年には国定文化遺産に、2008年には「アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代の洞窟画」の一部としてUNESCO世界文化遺産に登録された。……


Portal:バスク/歴史/レッド・ベイ国定史跡

レッド・ベイ国定史跡は、カナダニューファンドランド・ラブラドール州にあるカナダ国定史跡である。その陸上および海底の遺跡には、16世紀におけるバスク人捕鯨基地の様子がよく保存されている。2013年に「レッド・ベイのバスク人捕鯨基地」の名称でUNESCO世界文化遺産に登録された。水中文化遺産を対象に含む初の世界遺産である。1550年から1625年にはバスク人の主要な捕鯨基地のひとつであり、絶頂期には2,000人のバスク人漁師がレッド・ベイの捕鯨基地に集まった。捕鯨基地は干物加工施設や鯨油融出用竈などを備えていた。……


Portal:バスク/歴史/バスク人のディアスポラ

バスク人のディアスポラは、バスク地方を離れて故郷の外に移り住んだバスク人ディアスポラ。経済的・政治的な理由で多くのバスク人がバスク地方の外に移り住んでおり、南北アメリカ大陸などに多くのバスク系人が住んでいる。アルゼンチンでは人口の約10%がバスク系、チリでは人口の10%から20%がバスク系と推定され、何人かの大統領を含む多くの人名や地名にバスクの痕跡が見られる。アメリカ合衆国のバスク系人は約57,000人であり、アイダホ州ネバダ州などの西部にバスク系人が多く居住している。フランス海外準県であるサンピエール島・ミクロン島の国旗にはイクリニャ(バスク国旗)が描かれている。


Portal:バスク/歴史/バスク語

バスク語は、バスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。スペインバスク自治州全域とナバーラ州の一部ではスペイン語とともに公用語とされている。2012年時点で720,000人の母語話者がいるとされる。文章は一般的にラテン文字で表記される。音韻論的な特徴としては舌端音舌尖音の区別があり、文法的な特徴としては能格絶対格を使用するの体系であることが挙げられる。語彙にはラテン語・スペイン語起源のものが多く見られる。……


Portal:バスク/歴史/バスク人

バスク人は、歴史的にイベリア半島北部のバスク地方に居住する系統不明の民族である。ピレネー山脈西側のビスケー湾沿岸、スペインの北東部からフランスの南西部にかけて居住する。バスク語ではEuskaldunak、スペイン語ではVasco、フランス語英語ではBasque、ガスコン語ポルトガル語ではBascoと表記される。文脈により、「バスク民族に帰属すると考えている人」または「バスク語を母語とする人」を指す。大航海時代には多数の航海者やコンキスタドールを輩出し、その後は新大陸に多くの移民を送り出した。……


Portal:バスク/歴史/カゴ

カゴは、フランス西部とスペイン北部の被差別民である。彼らの居住地は、ピレネー山麓のナバーラ州バスク州ベアルンアラゴン州ガスコーニュブルターニュに及び、バスクでは「アゴテ」などとも呼ばれる。史料によると、彼らの存在は紀元1000年にまで遡ることができる。カゴは差別を受け、隔離されて生きていた。彼らはカゴテリと呼ばれる辺鄙な一角に住むことを求められ、いかなる政治的・社会的権利も与えられなかった。彼らが教会に入るときは専用の扉を使わねばならず、礼拝のときは他の信者と一緒にならぬよう仕切りで隔離されていた。カゴは民族集団でも宗教集団でもなく、地元民と同じ言語を話し、通常は地元民と同じ宗教を信じていた。彼らの共通点は、カゴとみなされる祖先を持つことだけだった。彼らに対する過酷な迫害は中世からルネサンス時代、産業革命の時代にも続き、19世紀から20世紀に至ってようやく偏見の解消をみた。……