U219ドイツ海軍潜水艦Uボート)。XB型。ドイツの降伏後は日本軍に接収され、伊号第五百五潜水艦(いごうだいごひゃくごせんすいかん)となった。終戦まで戦果を挙げることはなかった[1]

U219
伊号第五百五潜水艦
基本情報
運用者  ナチス・ドイツ海軍
 大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
一等潜水艦
級名 XB型Uボート
艦歴
計画 クルップ社ゲルマニア造船所(キール
発注 1940年8月6日
起工 1941年5月31日
進水 1942年10月6日
竣工 1942年12月12日
除籍 1945年11月30日
その後 1946年2月3日、海没処分
要目
排水量 1,763トン
水中排水量 2,177トン
全長 89.80m
水線長 70.90m
最大幅 9.20m
水線幅 4.75m
高さ 10.20m
吃水 4.71m
機関 ディーゼルエンジンx2基
電動機x2基
推進 2軸
出力 水上:4,800ps
水中:1,100ps
速力 水上:17.0kt
水中:7.0kt
航続距離 水上:10ktで18,450海里
水中:4ktで93海里
潜航深度 220m
乗員 48名または60名
兵装 10.5cm砲x1門
機雷x66個
53cm魚雷発射管x2門(艦尾)/魚雷x15本
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艦歴 編集

U219キールクルップ社ゲルマニア造船所でで1941年5月31日に起工され、1942年10月6日に進水。同年12月12日に就役した。艦長はWalter Burghagenであった[1]

1回目の哨戒 編集

1943年10月22日、機雷敷設のためノルウェーベルゲンを出撃したが、北大西洋で僚艦に燃料を譲渡した後の1944年1月1日フランスボルドーに戻った[2]

2回目の哨戒 編集

同年8月23日、モンスーン戦隊と呼ばれる第33潜水隊群に加わるためボルドーを出発。9月28日にはアヴェンジャー雷撃機を撃墜している[1]。12月28日、ジャカルタに到着[3]

日本による接収 編集

ナチス・ドイツ連合国降伏したため、1945年昭和20年)5月6日に帝国海軍が接収し、7月15日に艦籍に入って伊号第五百五潜水艦となる。

呉鎮守府籍となり、第二南遣艦隊付属となるが、艦長以下日本人乗員は潜水艦要員の不足により配置されず、運用はドイツ海軍兵が当たった。入籍が戦争末期であったために活躍することなくジャカルタで終戦を迎え、11月30日に除籍された。1946年(昭和21年)2月3日、南緯06度31分 東経104度54分 / 南緯6.517度 東経104.900度 / -6.517; 104.900スンダ海峡南方で蘭駆逐艦の砲撃により海没処分された[4]

脚注 編集

  1. ^ a b c Helgason, Guðmundur. “The Type XB boat U-219”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ Blair, Clay Hitler's U-Boat War: The Hunted 1942-1945 (1998) Random House ISBN 0-679-45742-9 p.747
  3. ^ Blair, Clay Hitler's U-Boat War: The Hunted 1942-1945 (1998) Random House ISBN 0-679-45742-9 pp.772-775
  4. ^ 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年、p.366