徳川多恵子
日本の皇族、北白川宮成久王の第三王女。徳川圀禎の妻 (1920-1954)
徳川 多恵子(とくがわ たえこ、1920年〈大正9年〉4月15日 - 1954年〈昭和29年〉11月5日)は、日本の元皇族。北白川宮成久王と同妃房子内親王の第3王女子。徳川圀禎(徳川圀順の次男)の妻。旧名は、多恵子女王(たえこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)と東園佐和子(佐和子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。
徳川 多恵子 (多恵子女王) | |
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徳川家 | |
続柄 | 北白川宮成久王第3王女子 |
全名 | 徳川 多恵子(とくがわ たえこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
お印 | 牡丹[1] |
出生 |
1920年4月15日 日本・東京府東京市芝区高輪南町 (現:東京都港区高輪)北白川宮邸 |
死去 |
1954年11月5日(34歳没) 日本・東京都 |
配偶者 | 徳川圀禎 |
父親 | 北白川宮成久王 |
母親 | 成久王妃房子内親王 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
人物
編集1920年(大正9年)4月15日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第3王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。1941年(昭和16年)4月7日付で勲二等宝冠章を受章[2]。その後、徳川圀禎(徳川圀順の次男)のもとに降嫁した。
栄典
編集血縁
編集脚注
編集- ^ “【ボンボニエールの物語vol.44】悲劇の宮家の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年4月20日). 2022年12月13日閲覧。
- ^ a b 『官報』第4273号、「叙任及辞令」1941年04月08日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。