リヴァーマン (Riverman) は、アメリカ合衆国で生産された競走馬およびゲインズウェイファームで繋養されていた種牡馬

リヴァーマン
欧字表記 Riverman
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1969年
死没 1999年(30歳没)
Never Bend
River Lady
母の父 Prince John
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
馬主 ピエール・ヴェルテメール夫人
調教師 アレック・ヘッド(フランス)
競走成績
生涯成績 8戦5勝(総合)
6戦5勝(フランス)
2戦0勝(イギリス)
獲得賞金 100万2218フラン(フランス)
1万8952ポンド(イギリス)
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経歴

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競走馬時代

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1971年(2歳)

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競走馬デビュー戦で初勝利を挙げ、続く重賞競走初挑戦となったクリテリウムドメゾンラフィット (G2) では2着となったが、その後は休養に入った。

1972年(3歳)

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休養を終えて4月に実戦復帰戦を迎えて復帰戦を制すと、続くG1競走初挑戦となったプール・デッセ・デ・プーランも制してG1競走初勝利を挙げた。さらに次のジャンプラ賞 (G2) を制した後はイスパーン賞も制してG1競走2勝目を挙げた。その後はイギリスに遠征し、遠征初戦のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではブリガディアジェラードに敗れての3着、休養を挟んで秋にはチャンピオンステークスに出走したが、またもブリガディアジェラードに敗れて2着となり、この年限りで競走馬を引退した。

種牡馬時代

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1973年からフランスで種牡馬入りし、1978年にはフランス2歳リーディングサイアーに輝き、1980年からは1800万ドルのシンジケートが組まれゲインズウェイファームで繋養された。自身の輸出後もフランスでは産駒が活躍し、1980年と1981年はフランスリーディングサイアー、1982年には2度目のフランス2歳リーディングサイアーに輝いている。ほかに1991年にイタリアリーディングサイアーとなった[1]

30歳時の1999年に死亡した。

種牡馬としては、同じくネヴァーベンド産駒のミルリーフと共にネヴァーベンド系の主力種牡馬として活躍し、現在はそのサイアーは細分化してリヴァーマン系と呼ばれ、現在も父系は勢力を保っている。また、トリプティクなど牝馬の活躍馬も多い。

日本においては、競走馬としての産駒が数頭輸入されており、中央競馬でも産駒が勝利している。種牡馬としての産駒は、リヴリアなど6頭が輸入されている。母の父としても優秀で日本ではエリモエクセルアロンダイトがGI馬となっている。

年度別競走成績

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  • 1971年(2歳) 4戦1勝
    • 2着 クリテリウムドメゾンラフィット (G2)
  • 1972年(3歳) 3戦3勝
    • 1着 プール・デッセ・デ・プーラン (G1) 、ジャンプラ賞 (G2) 、イスパーン賞 (G1)
    • 2着 チャンピオンステークス (G1)
    • 3着 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス (G1)

主な産駒

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リヴァーマン系も参照。

ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒は以下のとおり。

血統表

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リヴァーマン血統ネヴァーベンド系 / Blue Larkspur 5×5=6.25%、Teddy 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Never Bend
1960 鹿毛
父の父
Nasrullah
1940 鹿毛
Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
父の母
Lalun
1952 鹿毛
Djeddah Djebel
Djezima
Be Faithful Bimelech
Bloodroot

River Lady
1963 鹿毛
Prince John
1953 栗毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
母の母
Nile Lily
1954 黒鹿毛
Roman Sir Gallahad
Buckup
Azalea Sun Teddy
Coquelicot F-No.10-a

出典・脚注

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  1. ^ 『優駿』1993年6月号、日本中央競馬会、135頁

外部リンク

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先代
 ズグ
仏2000ギニー勝ち馬
1972年
次代
 カラムーン
先代
 ミスターシックトップ
イスパーン賞勝ち馬
1972年
次代
 ラトラブリア