伊達 宗職(だて むねもと)は、江戸時代前期の伊予国宇和島藩主一門。

 
伊達宗職
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永19年10月27日1642年12月28日
死没 宝永元年8月24日1704年9月22日
改名 万吉(幼名)、宗清、宗職
別名 刑部
戒名 呈真殿秋山一黄大居士
墓所 愛媛県宇和島市金剛山正眼院
主君 伊達宗利宗贇
伊予宇和島藩
氏族 伊達氏(宇和島伊達家)
父母 伊達秀宗、朝井氏
兄弟 宗実宗時宗利、菊、萬、鶴松、
桑折宗臣宗純、徳松、宗職、竹松、松、岩松、清、宗則
里見氏
村豊京極高金正室
富之助
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略歴

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宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の七男。母は朝井氏、幼名は万吉、のち、宗清、刑部と称す。

万治3年(1660年)、兄・宗利から知行500石を賜り、さらに延宝3年(1675年)500石を加増。

宝永元年(1704年)宇和島にて死去した。享年63。法名呈真殿秋山一黄大居士。墓所は金剛山正眼院

系譜

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脚注

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  1. ^ 寛政重脩諸家譜では「渡邊氏」
  2. ^ 断家譜 3巻 86頁

参考文献

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  • 近代史文庫宇和島研究会 『家中由緒書 上』(近代史文庫宇和島研究会、1976年)