大内 俊司(おおうち しゅんじ、1914年7月20日 - 2001年7月4日)は、日本経営者山陽特殊製鋼社長を務めた[1]岐阜県出身[1]

経歴

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1938年日本大学法文学部を卒業し、同年に富士製鉄に入社[1]1965年に取締役に就任し、1967年に常務、1970年新日本製鐵常務、1973年に専務、1977年に副社長、1979年に常任顧問を経て、1980年山陽特殊製鋼社長に就任し、同社の再建に尽力[1]1986年に会長に就任し、1992年には相談役に就任[1]新日本製鐵室蘭硬式野球部の初代監督も務めた[1]

1975年藍綬褒章を受章し、1984年勲二等旭日重光章を受章[1]

2001年7月4日肺炎のために死去[2]。86歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 「現代物故者事典 2000-2002 p111、p112」
  2. ^ 2001年 7月10日 日本経済新聞 朝刊 p39