白鳥清
日本の歴史学者
白鳥 清(白鳥 淸、しらとり きよし、1893年3月21日 - 1972年8月9日[1])は、日本の歴史学者。学習院教授、立教大学文学部教授、聖心女子大学教授。専門は東洋史学[2]。
人物・経歴
編集1893年(明治26年)、千葉県市原郡戸田村(現・市原市)生まれ[3]。旧姓は鈴木。
1916年(大正5年)、第六高等学校一部英法科卒業[3]。1917年(大正6年)、叔父の八代国治の媒酌により、白鳥庫吉(東洋史学者、邪馬台国北九州説の提唱者)の長女と結婚し、その嗣子となる[2][3]。1920年(大正9年)、東京帝国大学文学部史学科(東洋史専攻)卒業[2]。
1925年(大正14年)4月に、立教大学文学部に史学科が創設され、最初の教授陣の一人として東洋史を講じた。白鳥に加え、同じ東洋史に原田淑人(日本近代東洋考古学の父)、西洋史に小林秀雄、日本史に竹岡勝也、辻善之助(実証的な日本仏教史の確立者)、藤本了泰、中村勝麻呂という陣容で始まり、1年後には西洋史に野々村戒三、東洋史に市村瓚次郎(日本の東洋史学の開拓者)が教授陣に加わった。当初専任教授は小林だけで、その他は兼任教授であったが、いずれも後年、各分野の第一人者となった人物であり、充実した陣容であった[4]。昭和初期にも立教大学文学部教授を務めている[5]。
1928年(昭和3年)より学習院教授を兼ねる[6]。1944年(昭和19年)立教大学文学部閉鎖により退職、1946年(昭和21年)学習院を依願退職。1952年(昭和27年)より聖心女子大学文学部教授を務め、1957年(昭和32年)退職。1960年(昭和35年)立教大学教授、1964年(昭和39年)退職[7]。
主な著書
編集- 『標準中學甲號東洋史』中等教科書出版協会 1934年9月
- 『標準中學乙號東洋史』中等教科書出版協会 1934年10月
- 『女子東洋史教本』中等教科書出版協会 1934年10月
- 『古代支那人の民間信仰』岩波書店 1935年7月
- 『東洋史概説』大観堂書店 1940年
- 『北亜細亜学報 (第一輯) 』南亜細亜文化研究所 1942年12月5日
- 『日本・中国古代法の研究 : 神判・誓盟の研究』白鳥清先生頌寿記念会,柏書房 1972年
脚注
編集- ^ 『新訂増補 人物レファレンス事典 昭和(戦後)・平成編 1 あ~す』(日外アソシエーツ、2003年)p.1284
- ^ a b c 近代文献人名辞典(β) 『白鳥淸』
- ^ a b c d 『日本・中国古代法の研究 : 神判・誓盟の研究』p.255
- ^ 海老沢有道、大久保利謙、森田優三(他)「立教大学史学会小史(I) : 立教史学の創生 : 建学から昭和11年まで (100号記念特集)」『史苑』第28巻第1号、立教大学史学会、1967年7月、1-54頁、ISSN 03869318。
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和14年度』 1939年
- ^ a b 『日本・中国古代法の研究 : 神判・誓盟の研究』p.256
- ^ 『日本・中国古代法の研究 : 神判・誓盟の研究』p.257
参考文献
編集- 白鳥清『日本・中国古代法の研究 : 神判・誓盟の研究』(白鳥清先生頌寿記念会、1972年)