平沼赳夫

日本の旗 日本の政治家
平沼赳夫
ひらぬまたけお
平沼赳夫
生年月日 1939年8月3日(72歳)
出生地 東京都渋谷区
出身校 慶應義塾大学
前職 日東紡績社員
衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
国益と国民の生活を守る会→)
たちあがれ日本
称号 法学士
中華民国大綬景星勲章
衆議院永年在職議員
親族 養父・平沼騏一郎
父・中川恭四郎
公式サイト 平沼赳夫オフィシャルホームページ

日本の旗 初代 たちあがれ日本代表
任期 2010年4月10日 - 現職

日本の旗 初代-第2代 経済産業大臣
内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
任期 2001年1月4日 - 2003年9月22日

内閣 第2次森内閣
第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
任期 2000年7月4日 - 2001年1月4日

日本の旗 第70代 運輸大臣
内閣 村山改造内閣
任期 1995年8月8日 - 1996年1月11日

選挙区 岡山県第1区→)
岡山県第3区
当選回数 10回
任期 1980年6月23日 - 現職

平沼 赳夫(ひらぬま たけお、1939年(昭和14年)8月3日 - )は、日本政治家衆議院議員(10期)。

運輸大臣第70代)、通商産業大臣第66代)、経済産業大臣初代第2代)を歴任。養父第35代内閣総理大臣平沼騏一郎

2010年平成22年)4月与謝野馨らとともに新党たちあがれ日本を結成し、代表に就任した。

座右の銘は、「天命を信じ人事を尽くす」。

経歴

生い立ち

東京市渋谷区代々木大山町にて、中川恭四郎・節子夫妻の長男として生まれる。父・恭四郎は群馬県知事特許庁長官などを歴任した内務官僚中川友次郎の四男で、農林中央金庫に勤めていた。その後、三井生命、学校経営、大協石油と職を変え、大協石油の特約店・朝日商販の社長となった。母・節子は早稲田大学総長を務めた平沼淑郎平沼騏一郎の兄)の孫娘であった[1]

赳夫が2歳のとき、子供のいない騏一郎は、恭四郎・節子夫妻を一家養子として迎えた[2]

学生時代

1946年(昭和21年)4月新宿区立大久保小学校に入学したが、2年生のとき、引っ越すことになり、渋谷区立西原小学校へ転校した[3]

麻布中学校麻布高等学校を経て慶應義塾大学法学部を卒業。

営業マンとして

1962年(昭和37年)4月日東紡績に入社した。配属先は、硝子繊維営業部であった[4]

立候補

佐藤栄作中川一郎の秘書を経て、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙に立候補するが、連続して落選。落選の最大の理由は、当時タブーとされた憲法改正を前面に掲げて戦ったためである。

また、戸別訪問をした際には「騏一郎には実子がなかったはずだが…」といぶかしがられ、関係を問い質される苦労もあったという[5]

自由民主党時代

1980年(昭和55年)の第36回衆議院議員総選挙にて、旧岡山1区で立候補して初当選する。以後10回連続当選。この間、石原慎太郎亀井静香中川昭一といった中川一郎に近い保守派の議員らと行動をともにする。村山改造内閣運輸大臣として初入閣。その後も第2次森内閣通商産業大臣に、第2次森内閣 (中央省庁再編)で初代経済産業大臣に、第1次小泉内閣でも再び経済産業大臣に任命された。派閥は中川一郎率いる自由革新同友会に所属し、中川一郎の死後は石原らとともに清和会へ合流した。清和会を離脱した亀井静香らのグループと中曽根康弘が率いていた政策科学研究所が合流し、志帥会が発足。名称は初代事務総長である平沼の命名による。

清和会の創始者である福田赳夫は、自身と同じ名前を持ち、長男・福田康夫の中学・高校の3年後輩である平沼を公私に渡って可愛がった。

なお、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。

郵政民営化法案に反対

ポスト小泉(小泉退陣後の後継総理)の有力候補として注目されていたが、小泉内閣後期では拉致問題や政治手法の違いから徐々に溝が生じ、2005年平成17年)7月5日郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じた。このため同年9月11日第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で出馬。自民党公認の阿部俊子を破り、9回目の当選を果たした。特別国会の首班指名選挙では、小泉純一郎に投票したが、郵政法案の衆議院再採決では反対票を投じた。解散総選挙で自民党を非公認になり、無所属で当選した13人のうち再び反対票を投じたのは平沼一人であった(野呂田芳成は欠席)。

自民党からの離党勧告

郵政と選挙における行動によって、自民党から平沼に対して離党勧告処分が下った。ただ、法案に再び反対した平沼には除名処分が確実といわれていたが、首班指名選挙では小泉純一郎に投票したため離党勧告処分にとどまった(野呂田は首班指名選挙で国民新党代表の綿貫民輔(当時)に投票したため、除名処分となった)。自民党党紀委員長の森山眞弓(当時)は、平沼が他の造反無所属衆議院議員と同じ離党勧告という処分だったことについて「自民党の行動にすべて反対しているわけではない。『政治的信念を変えられない』ということで、理解できないこともない」と説明した。

無所属

2006年(平成18年)10月以降に注目された郵政造反組復党問題では無所属造反議員の中心となり、自民党執行部との交渉役となっていたが、自民党幹事長中川秀直(当時)から要求された復党条件に反発した。中川と平沼の交渉が注目され、2人がかつて同じ三塚派に所属していた時代の過去の確執も取り上げられた。結局、復党では誓約書にただ一人署名せず、他の11人の復党を先行させる傍ら、自らの復党は見送る判断をした。

脳梗塞のため、12月から入院。このことは2007年(平成19年)1月に明らかにされ、後援会の説明によると症状は軽く意識もはっきりしており、同年2月22日退院した。その後も政界復帰へ向けて身体のリハビリを続け、同年5月10日に衆議院本会議に出席し、政治活動を再開した。その際には、本会議で演説していた同じ岡山県を地盤とする衆議院議員の津村啓介から祝意が示された。

2007年(平成19年)7月の第21回参議院議員通常選挙では岡山県選挙区でかつて所属していた自民党候補である片山虎之助への支持を表明した。選挙では、平沼の選挙区である岡山3区内での投票では片山は民主党候補姫井由美子より約4000票上回ったものの、他の地域では姫井が片山より票で上回る地域が多かったため、片山が落選する結果となった。

同年9月29日読売新聞らマスコミの報道により、政治資金収支報告書の内訳が報じられ、平沼の集金力は亀井静香、中川秀直に次3番手であった。また、平沼が城内実川上義博衛藤晟一など郵政造反組・落選議員(中・後者は政界復帰)の資金援助を行っている事実も報じられた。同年12月14日には郵政落選組の一人、小泉龍司前衆議院議員の後援会に出席、小泉に対する応援演説を行った。

10月8日、城内が地元・浜松市で開いたシンポジウムジャーナリスト櫻井よしこ作家関岡英之とともに出席し、その際に「誇り高き無所属」と挨拶している。

11月には北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・拉致議連メンバーらとアメリカを訪問し、国務省主導の対北朝鮮宥和政策・テロ支援国家指定解除に対する懸念をアメリカの要人に伝えた。対北融和論者で国務次官補のクリストファー・ヒルは玉虫色の反応に終始する一方、国連大使ジョン・ボルトン(当時)や上院議員のサム・ブラウンバック、下院議員のイリアナ・ロス・レイティネンらからは前向きの反応があったと述べている。ブラウンバックは平沼との会談の中で、北のテロ支援国家指定解除を阻止する法案提出に言及している。12月にブラウンバックは、イラク戦争の際にも共闘したジョー・リーバーマンらと共に指定解除に条件を課す決議案を上院に提出した。

12月4日安倍内閣退陣以降停滞していた保守政治再建のための勉強会を立ち上げた。会長には中川昭一が就き、平沼は同会の最高顧問に就任した。また、11月28日に行われた同会の準備会合では東トルキスタンの人権活動家・ラビア・カーディルが招かれ、東トルキスタンにおける中国政府の弾圧・強制移住の実態などが話し合われた。12月17日には中川勉強会の正式名称が真・保守政策研究会に決定。19日の会合には数学者の藤原正彦を講師に招いて意見交換した。

2008年(平成20年)2月18日民主進歩党主席中華民国総統陳水扁(当時)から、日台友好に長年にわたって寄与した功績により「大綬景星勲章」を佐藤信二とともに授与された。同年5月20日には、先の選挙で民進党を破り、新たに同国の総統に就任した中国国民党主席の馬英九の就任式にて、石原慎太郎東京都知事らとともに出席した。

5月、占領下の1949年(昭和24年)にGHQが出した、国公立の小中学生に靖国神社の参拝及び宗教的施設への訪問禁止に対する通達について、質問主意書を送付した。これについて政府側は、「1952年(昭和27年)の主権回復に伴い、同通達は失効しており、小中学生の靖国神社訪問は問題はない」との回答を平沼側に行った。

2009年(平成21年)7月22日、都内のホテルで、保守系無所属の元衆議院議員や地方議員らでつくる「平沼グループ」の結成を発表。平沼は「新しい第三極」を目指しており、衆院選後に新党を結成する方針を明かした。また、総務大臣を辞任した鳩山邦夫や、自民党を離党した渡辺喜美らとの連携にも含みを持たせた[6]

8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙では、前回と同様、無所属で出馬(ただし、今回は、平沼を中心に保守系無所属の議員たちで平沼グループを結成した後に出馬している)。この時も自民党公認の阿部俊子民主党公認新人候補者を破り、10回目の当選を果たした。

9月15日には、平沼グループで当選した城内実・小泉龍司と共に「国益と国民の生活を守る会」を結成[7]、独立の会派で活動することとなった。

12月2日、自民党岡山県連は平沼へ自民党への復党を要請した。県連幹部から復党要請に対し平沼は「同志とよく相談したい。拙速を避けてじっくりと考えたい」と述べ、復党に慎重な考えを示した[8]。平沼は総選挙直後にも安倍や麻生太郎から、自民党への復党と2009年自由民主党総裁選挙への立候補を打診されたが、「自民党に戻れば、推薦人20人は集まるかもしれないが、総裁選に勝つことはできないだろう」としてこれを断った[9]

2010年(平成22年)1月16日、岡山県津山市で開かれた後援会新年会にて、次期参院選に向けた対応について「自民党としっかり連携していくとともに、新しい流れ、新しい政党をつくる」と述べ、参院選前に新党を結成する考えを明言し、自民党との連携も明言した。また、民主党政権について「自民党以上に金権体質を持っている。鳩山由紀夫首相は母親から12億円もらっておきながら知らなかったと平気で嘘をつく。小沢一郎幹事長も秘書が逮捕されても幹事長を続けている」「民主党は衆院で多数を取って、やりたい放題やっている。その上、参院で単独過半数を取ったら日本に全体主義が生まれる恐れがある。そうなったら日本はおしまいだ」と述べた[10]

3月19日自民党幹事長大島理森と会談した。会談で平沼は、次期参院選で地元の岡山県選挙区から出馬する自民党候補への支援を約束したとされる[11]。実際、たちあがれ日本第22回参議院議員通常選挙において岡山県選挙区の自民党新人候補に推薦を出している[12][13]

BNNプラス北海道365が2010年(平成22年)3月22日から3月28日の間に実施した「新党結成を期待する議員は誰ですか?」というアンケートで、全体の6割以上にあたる102票を獲得し、1位となった[14]

たちあがれ日本結成

2010年(平成22年)4月10日、自由民主党を離党した与謝野馨園田博之らとともに新たな保守新党『たちあがれ日本』を結成。平沼が同党の代表を務めることとなり、同時に衆議院会派「国益と国民の生活を守る会」を離脱した。

2010年(平成22年)4月17日、永住外国人への地方選挙権付与(外国人参政権)に反対する集会に参加し、「(法案阻止のために)命を懸けて頑張る」と述べた[15]

2010年(平成22年)8月15日みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会のメンバーらと共に靖国神社参拝した[16]

政治的主張

中川昭一安倍晋三稲田朋美保守派の政治家と同様、外国人地方参政権人権擁護法案人権侵害救済法案)、夫婦別姓に明確に反対している。北朝鮮による日本人拉致問題についても、拉致被害者の早期の救出を目指している。平沼が人権擁護法案(および人権侵害救済法案)に反対するのは、「日本人拉致問題が解決できなくなる」「日本人が日本国内で弾圧される」としているため。真の人権擁護を考える懇談会の会長も務めるなど、保守色を前面に打ち出している政治家の1人である。

また、外国人住民基本法案にも逸早く反対の姿勢を示している[17]

人物

身長175cm、体重75kg、血液型はA型[31]

主な所属議員連盟等

略年譜

家族・親族

系譜

平沼家 

平沼家は江戸時代津山藩士として松平家に仕えた武士家系だった。平沼家について『日本現今人名辞典』(明治三三年)によれば、「…其先詳ならず八代の祖織右衛門延良駿府[40]與力たり弓術に長ず享保[41]津山藩士籍に列す」とある。
平沼騏一郎元首相の父・平沼晋は、藩儒平沼織右衛門保信の子で詩書に堪能であった。廃藩置県までは旧藩主松平慶倫の教育係をしていたという。騏一郎はその二男で、また妹もいた。祖父の織右衛門も非常な能書家で、藩の祐筆であった。祖母の千鶴は子守歌として孫たちに唐詩を唄っていたという。
     飯田信臣……飯田包亮
            ┃
            ┣━━節子
            ┃   ┃
    ┏平沼淑郎━━廣女   ┃
    ┃           ┃
    ┃           ┃   ┏宣子
平沼晋━┫           ┣━━━┫
    ┃           ┃   ┗平沼赳夫
    ┃           ┃     ┃
    ┗平沼騏一郎…┏━平沼恭四郎    ┃ 
           ┃ (中川)     ┃    
           ┃          ┃   ┏男   
           ┃          ┃   ┃
    中川友次郎  ┃          ┣━━━╋男    
      ┣━━━━┛          ┃   ┃ 
     貞以               ┃   ┗女
                      ┃ 
                      ┃
 (将軍)                 ┃
 徳川慶喜━━徳川慶久━┳徳川慶光━━━┳真佐子
            ┃       ┃
            ┗喜久子    ┗徳川慶朝
              ┃
            高松宮宣仁親王

著書

参考文献

関連人物

関連項目

脚注

  1. ^ 大下英治『平沼赳夫の「宣戦布告」』9頁
  2. ^ 大下英治『平沼赳夫の「宣戦布告」』10頁
  3. ^ 大下英治『平沼赳夫の「宣戦布告」』14頁
  4. ^ 大下英治『平沼赳夫の「宣戦布告」』25頁
  5. ^ 大下英治『平沼赳夫の「宣戦布告」』33頁
  6. ^ “「平沼グループ」結成、第3極目指し15人で”. 読売新聞. (2009年7月22日). http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090722-OYT1T00957.htm 2010年1月23日閲覧。 
  7. ^ “平沼氏ら3人が衆院新会派を結成”. 日刊スポーツ共同通信社. (2009年9月15日). http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20090915-544161.html 2010年1月23日閲覧。 
  8. ^ “平沼氏、自民党復党に慎重”. 産経新聞. (2009年12月2日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091202/stt0912021829007-n1.htm 2010年1月23日閲覧。 
  9. ^ 「小沢に保守層取り込みを許した自民党「平沼総裁構想」の蹉跌」、『SAPIO』第21巻第19号、小学館2009年11月11日、 pp.27-28。
  10. ^ “参院選前に新党結成=「民主の過半数阻止」-平沼氏”. 時事通信社. (2010年1月16日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010011600316 2010年1月17日閲覧。 
  11. ^ 木下訓明 (2010年3月21日). “大島・自民幹事長:平沼氏と会談”. 毎日jp(毎日新聞). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100321ddm002010102000c.html 2010年3月30日閲覧。 
  12. ^ “自民6候補を推薦=たちあがれ”. 時事通信社. (2010年6月23日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201006/2010062300988 2010年7月10日閲覧。 
  13. ^ “江田が優位=岡山【参院選情勢】”. 時事通信社. (2010年7月5日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201007/2010070500804 2010年7月10日閲覧。 
  14. ^ “365アンケート「あなたが新党結成を期待する議員は誰ですか?」集計結果”. BNNプラス北海道365. (2010年3月29日). http://www.hokkaido-365.com/news/2010/03/post-914.html 2010年3月30日閲覧。 
  15. ^ a b “外国人参政権「日本滅ぼす」=都内で反対集会-国民新の亀井氏”. 時事通信社. (2010年4月17日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010041700274 2010年4月18日閲覧。 
  16. ^ “菅首相、全閣僚が見送り=超党派議員ら靖国参拝-終戦記念日”. 時事通信社. (2010年8月15日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010081500169 2010年9月1日閲覧。 
  17. ^ 動画メッセージ「外国人住民基本法に警鐘する」(「超人大陸」HPより) 衆議院議員 平沼赳夫
  18. ^ “【単刀直言】平沼赳夫元経産相 「武士道精神」持て”. 産経新聞. (2007年6月6日) 
  19. ^ “「衆院選後に大連立を」 平沼元経産相”. 産経新聞. (2009年2月24日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090224/plc0902241905012-n1.htm 2010年1月23日閲覧。 
  20. ^ 平沼赳夫オフィシャルホームページ” (2009年10月6日). 2010年7月30日閲覧。
  21. ^ “特例会見に党内外から批判 「政治利用」「要請強硬」”. 朝日新聞. (2009年12月15日). http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200912140349.html 2010年1月23日閲覧。 
  22. ^ “天皇会見に批判相次ぐ=自民”. 時事通信社. (2009年12月14日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=200912/2009121400837 2010年1月23日閲覧。 
  23. ^ “政府と民主を糾弾! 特例会見問題で日本会議”. 産経新聞. (2009年12月21日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091221/stt0912211831010-n1.htm 2010年1月23日閲覧。 
  24. ^ “特例会見で政府糾弾決議=保守系議員”. 時事通信社. (2009年12月21日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009122100710 2010年1月23日閲覧。 
  25. ^ a b 石川勝義 (2010年1月17日). “平沼赳夫氏:蓮舫議員の仕分け批判「元々日本人じゃない」”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100118k0000m010058000c.html 2010年1月17日閲覧。 
  26. ^ それ以前は、旧国籍法2条で父親が日本人である場合にのみ日本国籍を認める父系優先血統主義を規定していた為、蓮舫は中華民国籍しか取得できなかったが、問題になったことから国籍法が改正(昭和59年法律45号)された。
  27. ^ 平沼赳夫オフィシャルホームページ” (2010年7月7日). 2010年7月13日閲覧。
  28. ^ “安倍氏や平沼氏ら「断固反対」 首相の韓国併合談話”. asahi.com(朝日新聞). (2010年8月6日). http://www.asahi.com/politics/update/0806/TKY201008060282.html 2010年9月1日閲覧。 
  29. ^ 平沼赳夫オフィシャルホームページ” (2010年8月17日). 2010年9月1日閲覧。
  30. ^ “【首相談話】自民苦しい抗議 過去の談話の呪縛なお (1/2ページ)”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年8月10日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100810/plc1008102319031-n1.htm 2010年9月1日閲覧。 
  31. ^ プロフィール平沼赳夫オフィシャルホームページ
  32. ^ 報道特集(MBS) 2010年4月10日放送
  33. ^ 護国の宗教・生長の家 報道2001 2002年8月25日参照。なお、新教育者連盟も『生命の実相』を聖典としているため、それが愛読書であってもどの団体に所属しているかは不明である。
  34. ^ 山本一太の「気分はいつも直滑降」 2006年9月7日
  35. ^ 週刊朝日』 2006年5月19日号
  36. ^ 10月31日、自民党を離党しました”. 平沼赳夫オフィシャルホームページ (2005年10月31日). 2010年3月20日閲覧。
  37. ^ 設立当初は「真・保守政策研究会」という名称だった。
  38. ^ 『人事興信録』より
  39. ^ 幕府等を関係なく数えると、第47代征夷大将軍である。
  40. ^ 駿府は今の静岡市
  41. ^ 享保江戸時代中御門天皇桜町天皇の時代。西暦1716年から1735年までの期間。
  42. ^ 麻布時代の同級生
  43. ^ 大学生の頃、賀屋の孫の家庭教師をする。平沼家と賀屋家は家族ぐるみのつきあいをしていた(『平沼赳夫の「宣戦布告」』23頁)
  44. ^ 政治家としての実質的なスタートとなる佐藤栄作の秘書になるのも賀屋の口利きだという(平沼赳夫_プロフィール)。
  45. ^ 政治の師匠にあたり、秘書として仕える
  46. ^ 中川一郎の長男。党内保守派として行動をともにする
  47. ^ 中川一郎に共に秘書として仕える
  48. ^ 長男正大は慶應・法学部の後輩で平沼が媒酌人を務めた
  49. ^ 拉致問題靖国神社参拝、人権擁護法案反対で懇意にしており、共著も出している
  50. ^ 平沼の後援企業でもある

外部リンク

官職
先代:
創設
日本の旗 経済産業大臣
初・第2代:2001年 - 2003年
次代:
中川昭一
先代:
深谷隆司
日本の旗 通商産業大臣
第66代:2000年 - 2001年
次代:
経済産業省へ再編
先代:
亀井静香
日本の旗 運輸大臣
第70代:1995年 - 1996年
次代:
亀井善之
議会
先代:
谷垣禎一
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第54代:1996年 - 1997年
次代:
亀井善之
先代:
高村正彦
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1993年
次代:
竹内猛
先代:
衛藤征士郎
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1991年
次代:
太田誠一
党職
先代:
結成
たちあがれ日本代表
初代:2010年 -
次代:
現職
その他の役職
先代:
麻生太郎
日本会議国会議員懇談会会長
第3代:2003年 -
次代:
現職