アサヒエンペラーAsahi Emperor1983年4月3日 - 2018年3月30日[1]は、日本競走馬種牡馬。慢性的な脚部不安に悩まされながら大競走で好走を続け、「未完の大器」と呼ばれた。

アサヒエンペラー
欧字表記 Asahi Emperor[1]
品種 サラブレッド[1]
性別
毛色 黒鹿毛[1]
生誕 1983年4月3日[1]
死没 2018年3月30日(35歳没)[2]
コインドシルバー[1]
アサヒタマナー[1]
母の父 タマナー[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 谷川牧場[1]
馬主 寺内倉蔵[1]
調教師 加藤修甫美浦[1]
厩務員 佐川邦夫
競走成績
生涯成績 11戦2勝[1]
獲得賞金 1億1069万4200円[1]
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経歴 編集

競走馬時代 編集

1985年10月の新馬戦でデビュー。1番人気に支持されたものの最下位に敗退した。同馬は慢性的な脚部不安を抱えており、デビュー戦の後に骨膜炎を発症して2か月の休養を余儀なくされた。その後繋靭帯炎も発症し、疾病と戦いながら同年12月の未勝利戦、翌1986年1月の若竹賞を連勝。さらに弥生賞4着、皐月賞3着、NHK杯3着、東京優駿3着と牡馬クラシック戦線で好走を続けた。

東京優駿出走時には症状がかなり悪化しており、調教の様子を見た松山吉三郎(同レースでアサヒエンペラーと対戦したダイナガリバーを管理していた)が「あの脚でダービーに出られるのか」と疑問に感じ、さらにレース前で騎乗した中舘英二が返し馬(本馬場入場後のウォーミングアップ)の時に慌てふためくほどのハ行(歩様の異常)を呈していた。

東京優駿出走後は温泉で療養し、9月に菊花賞トライアルセントライト記念に出走し2着。しかしレース後に屈腱炎を発症し、菊花賞出走は断念された。温泉治療の結果翌1987年3月に復帰を果たし、翌4月の天皇賞(春)に出走。第4コーナーで2番手につけ直線でも伸びを見せたがゴール前でニシノライデンの斜行によって不利を被り、2着(3位入線だったが2位入線のニシノライデンが失格となったため2着)に敗れた。

天皇賞(春)出走後に脚部を骨折。その後、1年のブランクを経て出走した天皇賞(春)で13着に敗れたのを最後に競走馬を引退した。

引退後 編集

引退後は種牡馬入りしたものの目立つ成績を挙げることができず、1996年5月30日用途変更され[3]、種牡馬を引退した。その後は新ひだか町の功労馬管理施設、ローリング・エッグス・クラブに繋養され、2018年3月30日に死亡した[2]。35歳の大往生であった。

競走成績 編集

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1985 10. 6 東京 3歳新馬 6 1 6着 芝1600m(不) 1:42.5 3.6秒 蛯沢誠治 53 ニッポーテイオー
12. 21 中山 3歳未勝利 19 3 1着 芝2000m(良) 2:04.6 1 1/4身 中舘英二 53 (シンボリレーブ)
1986 1. 6 中山 若竹賞 400万下 14 1 1着 芝2000m(良) 2:03.0 5身 中舘英二 55 (ウメノシーボン)
3. 2 中山 弥生賞 GIII 11 1 4着 芝2000m(良) 2:02.8 0.4秒 中舘英二 55 ダイシンフブキ
4. 13 中山 皐月賞 GI 21 3 3着 芝2000m(良) 2:03.2 1.1秒 中舘英二 57 ダイナコスモス
5. 4 東京 NHK杯 GII 18 1 3着 芝2000m(重) 2:04.0 0.4秒 中舘英二 56 ラグビーボール
5. 25 東京 東京優駿 GI 23 6 3着 芝2400m(良) 2:29.4 0.5秒 中舘英二 57 ダイナガリバー
9. 28 中山 セントライト記念 GIII 9 2 2着 芝2200m(良) 2:14.7 0.2秒 蛯沢誠治 56 レジェンドテイオー
1987 3. 28 中山 爽春賞 1400万下 10 1 2着 芝2000m(良) 2:03.4 0.0秒 中舘英二 56 トウショウバイタル
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 10 4 2着 芝3200m(良) 3:20.6 0.2秒 蛯沢誠治 58 ミホシンザン
1988 4. 29 京都 天皇賞(春) GI 18 5 13着 芝3200m(稍) 3:25.6 3.8秒 蛯沢誠治 58 タマモクロス

血統表 編集

アサヒエンペラー血統エルバジェ系/Nasrullah 4×4=12.50%、 Firdaussi5×5=6.25%(父内)、 Pharos5×5=6.25%(母内)) (血統表の出典)

*コインドシルバー
Coined Silver
1974 黒鹿毛 アメリカ
父の父
Herbager
1956 鹿毛 フランス
Vandale Plassy
Vanille
Flagette Escamillo
Fidgette
父の母
Silver Coin
1965 黒鹿毛 アメリカ
Never Bend Nasrullah
Lalun
Silver Spoon Citation
Silver Fog

アサヒタマナー
1968 栗毛 日本
*タマナー
Tamanar
1955 栗毛 フランス
Sunny Boy Jock
Fille de Soleil
Tresa Bozzetto
Torrigiana
母の母
*ジェッタ
Jetta
1960 鹿毛 アイルランド
Nearula Nasrullah
Respite
Jet Plane Umidwar
Light Velocity F-No.1-p

半兄にアサヒダイオー(カブトヤマ記念優勝)、アサヒテイオー(日経賞優勝)がいるほか、近親にワイルドモア(皐月賞優勝)、アサヒライジングクイーンステークス優勝)がいる。

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n アサヒエンペラー”. JBIS Search. 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ a b 届け!! 春・・・”. REC 厩舎日誌. REC-Staff M. 2018年3月31日閲覧。
  3. ^ アサヒエンペラー(JPN) - 血統書サービス、2022年8月16日閲覧。

参考文献 編集

  • サラブレッド探偵局(編) 編『競馬SLG 種牡馬名鑑3』光栄、1996年。ISBN 4-87719-380-4 

外部リンク 編集