メインメニューを開く
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はリーバス第二姓(母方の)はアブレイユです。

アマウリー・キース・リーバス・アブレイユAmaury Keith Rivas Abreu1985年12月20日 - )は、 ドミニカ共和国ラス・マタス・デ・サンタ・クルス出身のプロ野球選手投手)。右投右打。現在はフリーエージェント

アマウリ・リーバス
Amaury Rivas
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ラス・マタス・デ・サンタ・クルス
生年月日 (1985-12-20) 1985年12月20日(33歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年
初出場 CPBL / 2014年9月4日
最終出場 CPBL / 2014年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

台湾球界での登録名は、李韋斯(リーウェイスー)

MLBシアトル・マリナーズに所属するネルソン・クルーズ従兄に当たる[1]

経歴編集

プロ入りとブルワーズ傘下時代編集

2005年ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。この年は、傘下ルーキーリーグのアリゾナリーグ・ブルワーズで14試合に登板した。[2]

2006年は、傘下ルーキーリーグのアリゾナリーグ・ブルワーズで開幕を迎えた。ここでは、4試合に登板した[2]。その後、傘下アドバンスルーキーリーグのヘレナ・ブルワーズに昇格した。ここでは、10試合に登板した[2]

2007年は、傘下ルーキーリーグのアリゾナリーグ。ブルワーズで6試合に登板した[2]

2008年は、傘下Aのウェストバージニア・パワーで開幕を迎えた。ここでは、19試合に登板した[2]。その後、傘下アドバンスAのブレバード・カウンティ・マナティーズに昇格した。ここでは、7試合に登板した[2]

2009年は、傘下アドバンスAのブレバード・カウンティ・マナティーズで開幕を迎えた。この年は、26試合に登板した[2]

2010年は、傘下AAのハンツビル・スターズで開幕を迎えた。この年は、25試合に登板した[2]

2011年は、傘下AAAのナッシュビル・サウンズで開幕を迎えた。この年は、28試合に登板した[2]

2012年も、傘下AAAのナッシュビル・サウンズで開幕を迎えた。この年は、自己最多の50試合に登板した[2]

台湾球界時代編集

2014年5月24日、台湾の社会人チーム、崇越ファルコンズに入団。8月31日には、CPBL統一セブンイレブン・ライオンズと契約した。オフに、母国のウィンターリーグの「リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ」のアギラス・シバエーニャスに参加した。

中日時代編集

2014年12月15日に、中日ドラゴンズと契約を結んだことを発表した[3]。先発ローテーション枠を担う投手として期待されたが、ナゴヤドームでのオープン戦初戦となった2月28日の対ロッテ戦に先発するも2回途中9失点と大炎上し降板。さらにその後右肩痛を訴えドミニカに一時帰国し[4]、シーズン中に一度は再来日するも程なく治療のため再帰国するなど、一軍はおろか二軍でもほとんど登板がなかった[5]。シーズン終了後に解雇された。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
2014 統一 5 5 0 0 0 1 0 0 0 1.000 120 30.1 19 0 6 0 6 26 0 0 8 7 2.08 0.82
CPBL:1年 5 5 0 0 0 1 0 0 0 1.000 120 30.1 19 0 6 0 6 26 0 0 8 7 2.08 0.82
  • 2014年度シーズン終了時

背番号編集

  • 50 (2014年)
  • 42 (2015年)

脚注編集

  1. ^ 【中日】新外国人・リーバスいとこは昨季米本塁打王クルーズ スポーツ報知 (2015年1月25日) 2015年1月25日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j Baseball Reference (Minor)”. Baseball Reference (Minors) (2005年6月6日). 2014年12月16日閲覧。
  3. ^ 新外国人選手獲得のお知らせ”. 中日ドラゴンズ (2014年12月15日). 2014年12月15日閲覧。
  4. ^ 中日新助っ投リーバス早くも問題児扱い 東スポWeb(2015年3月18日)、2016年3月17日閲覧。
  5. ^ 中日リーバス、右肘治療でドミニカへリバース 日刊スポーツ(2015年6月3日)、2016年3月17日閲覧。

外部リンク編集