アルファロメオ・アルナ

アルファロメオ・アルナイタリア自動車製造会社のアルファロメオ1983年から1987年まで製造・販売した小型大衆車

アルファロメオ・アルナ
5ドア
Alfa Romeo Arna con Graffiti di Roma.jpg
3ドア
Alfa Arna.JPG
販売期間 1983年 - 1987年
乗車定員 5人
ボディタイプ 3/5ドア ハッチバック
エンジン 水平対向4気筒OHV
駆動方式 FF
変速機 5速MT
サスペンション 前:独立 マクファーソンストラット コイル 後:独立 トレーリングアーム コイル
全長 4,095mm
全幅 1,620mm
全高 1,390mm
ホイールベース 2,415mm
車両重量 850kg
先代 アルファロメオ・アルファスッド
-自動車のスペック表-
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概要編集

日産自動車と提携し、合弁会社Alfa Romeo Nissan Autoveicoli社を設立、イタリア半島の先端近くのプラトーラ・セラに新築された工場で生産されたが、合弁事業は短命に終わった。アルナは同社の頭字語から命名された。

1983年のフランクフルト自動車ショーでデビューを飾った。N12系日産・パルサー(欧州名チェリー)の姉妹車であったが、アルファスッド以来の自社製英語版水平対向4気筒エンジントランスミッション、フロントサスペンションを流用していた(後輪サスペンションはパルサーと共通)。ボディパネルは日本の日産でプレス加工され、イタリアで組み立てられた。プラトーラ・セラ工場には日産の最新技術による産業用ロボットも積極的に導入され、日産版の「ニッサン・チェリー・ヨーロッパ」もここで生産された。

アルナは商業上の成功を収めることができず、僅か4年間で生産中止された。アルナは不幸にも両親であるアルファロメオと日産の美点「前者の美しいデザインや俊敏な操縦性と、後者の高い品質や信頼性の結晶」ではなく、アルファロメオに付き物だった電装系のトラブルと、当時の日本車にありがちな無個性スタイルと退屈な操縦性という、両者の欠点を寄せ集めたような自動車であった。そのため、後年ベストカー誌では、「アルファと日産の担当を、逆にすれば良かったのでは?」と皮肉られた。

車種編集

発売当初はアルファスッドの1,166cc63馬力エンジンを持つ3ドア(L)と5ドア(SL)の2車種であった。翌1984年に3ドア1,300ccのTIが追加、1985年には1200の出力が68馬力に向上、1,500ccのTIモデルも登場、この車種は「ニッサン・チェリー・ヨーロッパGTI」としても売られた。日本には輸入されなかったが、当時のパルサーには「ミラノX1」という、アルファロメオを意識したグレード名のスポーティモデルが存在した。

日産との合弁はビジネスとしては失敗であったが、アルファロメオ側が日本の生産技術から学んだ点は少なくなく、フィアット・グループに残されたプラトーラ・セラ工場はヨーロッパでも有数の近代的な自動車工場として、現在でもアルファロメオ及びランチア車の生産を行っている。

評価編集

 
アルナ 1.5Tiのエンジンルーム

多くの自動車評論家及び、エンスージアストはアルナを前述の内容で酷評しており、「最も醜い車」のイタリア車部門ではアルナが上位にランクインする事も少なくない[1]。合弁事業自体も「両社にとって何一つ得るところのない失敗であった」と断じられる事もしばしばである[2]。英国の自動車評論家、クレイグ・チータムはアルナを評して「アルファロメオ最大の汚点」と断言した[3]ジェレミー・クラークソンに至ってはアルナを「アルファロメオで唯一の駄作」と酷評し[4]BBCバーミンガム英語版の自動車番組『クラークソンズ・カー・イヤーズ英語版』において、(当時英国内で341台の現存が確認されていた)アルナを手榴弾で爆破して「現存340台に減らした」程であった[5]

しかし、実際にプロジェクトに携わった関係者や、入念な取材を行ったジャーナリストからは、アルナについてこれらの「過去の俗説」とは異なる見解も示されている。

イタリアの自動車歴史家であるマッテオ・リカタは、『Alfa Romeo Arna:The True Story 1980-1987』の中で、アルナの誕生経緯について、1970年代後半にイタリア産業復興公社からアルファロメオに派遣されたエットーレ・マサテシ率いる新経営陣は、1990年代までに同社が経営を安定軌道に戻すには少なくとも年間31万台以上の販売を必要と算出したが、北部のナポリ工場、南部のポミリアーノ・ダルコ工場をフル稼働させても年間25万台の生産がやっとで、この目標の達成は困難であると認識していた。同社は品質面で問題を抱えていたものの、販売自体は好調であったアルファスッドの後継となるCセグメント車として、完全な自社設計のコードネーム905(アルファロメオ・33)を計画したが、33はルドルフ・フルシュカ英語版がアルファスッドにて体現した「頑丈なボクサーエンジン、鋭いハンドリング」のコンセプトをより正確に受け継ぐ車となった反面、生産コストは増大し価格競争力ではフィアット・リトモフォルクスワーゲン・ゴルフに対抗するには厳しい現実も示されていた。マサテシCEOは33の下位の価格帯且つ、アルファスッドのコンセプトを織り込んだ新たなエントリーモデルを合弁企業により製造して自社工場の生産数不足の穴埋めを行うプランを計画、その結果として産み出されたのがコードネーム920(アルナ)であった。」と記述している。なお、リカタがアルナについて詳細な調査を行い、著書として上梓するにまでに至った要因は、世間一般に広まるアルナに関する俗説が余りにも根拠に欠けたものであった事にうんざりした為だという[6]

日産自動車の技術者であった千野甫によると、日産自身も欧州進出の足掛かりとして合弁元を探していた事実はあったが、アルファロメオが合弁先として最終的に日産を選んだ決め手は、1979年当時開発中であったN12型パルサーの開発スケジュールがアルファロメオ側のコードネーム920の市場投入スケジュールと合致していた事。そして何よりもN12型のトレッド(輪距)がアルファスッドとほぼ同じで、アルファスッドのパワートレインやサスペンション設計を移植するのに適していた事であったという。開発に当たっては、元々横置きエンジンのN12型を縦置きエンジンとする為に相当の設計変更を必要とし、ダッシュボードから前方のセクションはほぼアルファロメオによる新開発に近いものとなった。特にハンドリングと操縦安定性についてはアルファロメオ側が「アルファスッドの持ち味」を引き継がせる為に一切の妥協を許さない姿勢を見せた為、日産側の技術者との意見の摺り合わせには千野自身も相当に苦労したと述懐している[7]。ステアリングホイール、シフトノブ、ペダルなどもアルファロメオ自製のものが使用され、エルゴノミクスの点でもアルファロメオの顧客層に対する相応の配慮が成されていた[8]

こうして市場に送り出されたアルナに対して、英国の自動車ジャーナリストのビル・ボディ英語版「モーター・スポーツ」誌英語版にて、「実用的な5ドアハッチバック車。路面からハンドルに伝わる感覚は若干漠然としており、アルファスッド程しなやかではないが、十分軽快なハンドリング特性を有している。1.3Lエンジンも適度に活発な吹け上がりを見せ、5速マニュアルシフトはややせわしないシフト操作を要求されるものの、最大で約160km/h前後のパフォーマンスを示す。N12パルサーからほぼ流用されているリアセクションは若干サスペンションが堅めという印象を受けるが、アルファロメオの技術陣は細部までうまくまとめ上げる事でこれらを補填している。アルナは既にアルファロメオ車を持つ家庭がセカンドカーとして選択するのに適しているだろう。」と評した [9]

アルナの生産は4年間、欧州市場に出荷されたチェリー・ヨーロッパと併せても総生産台数は53000台余りである[10]。千野自身は日産とアルファロメオの合弁解消の最大要因として「日本車の世界進出を警戒していた欧州の自動車各社から、日産の欧州進出の機会を与えてしまったアルファロメオに対する非難が集中し、経営上無視できないレベルにまで達してしまった」事を挙げており[7]、アルナ自体に対しては「日産・アルファロメオ双方が目標としていた年間生産台数をクリアしており、商業的な失敗作ではなかった。」と総括している[11]

2020年現在、アルナの現存数は極めて僅かなものとなってきており、英国ではアルナ3台、チェリー・ヨーロッパ5台の計8台しか現存が確認されておらず[12]、公道登録されている個体は2005年を最後に皆無となった[5]。2019年にボナムズ英語版・オークションに出品された1984年式チェリー・ヨーロッパ・GTIは非常に保存状態が良好な個体であったが、落札価格は約1900英ポンドに留まっている[13]。日本では、2010年時点でアルナの登録が1台のみ確認されている[7]

2019年、イタリア古典四輪二輪クラブ(Automotoclub Storico Italiano、ASI)」は、アルナを生産から30年以上が経過した「歴史的車両イタリア語版」のひとつとして認定し、イタリア政府も公道走行の一部制限を条件に自動車税の大幅減免の優遇措置対象にアルナを認定した。大矢アキオによると、イタリアではこの優遇措置の対象となった車のオーナーの多くが節税や自動車保険の大幅割引の為にASIに歴史的車両としての登録を申請し、車両の維持保存に務めるようになるという[14]

脚注編集

[脚注の使い方]

参考文献編集

関連項目編集