エスカールなんば(ESCALE NAMBA)は、大阪府大阪市中央区千日前二丁目に立地する専門店ビルである。名称の「エスカール」(Escale)は、フランス語を意味する。

エスカールビル[1][2]
ESCALE BUILDING
情報
用途 複合商業施設
設計者 大建設計[1]
施工 大林組[1]
建築主 日本ドリーム観光[1]
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造[1]
敷地面積 4,155.90 m² [1][2]
建築面積 3,639.07 m² [1][2]
延床面積 37,419.73 m² [1][2]
階数 地上9階・地下3階・塔屋3階[1]
高さ 51.0m[1]
(軒高39.0m)[1]
着工 1981年(昭和56年)5月[1][2]
竣工 1983年(昭和58年)9月[1][2]
開館開所 1984年(昭和59年)1月14日[3]
所在地 542-0074
大阪府大阪市中央区千日前二丁目10番1号[3]
テンプレートを表示
エスカールなんば
ESCALE NAMBA
地図
地図
店舗概要
所在地 542-0074
大阪府大阪市中央区千日前二丁目10番1号[2]
座標 北緯34度40分0.1秒 東経135度30分9.4秒 / 北緯34.666694度 東経135.502611度 / 34.666694; 135.502611座標: 北緯34度40分0.1秒 東経135度30分9.4秒 / 北緯34.666694度 東経135.502611度 / 34.666694; 135.502611
開業日 1984年(昭和59年)1月14日[3]
正式名称 エスカールビル[1][2][4]
施設所有者 日本ドリーム観光[3]

株式会社松原興産[4]
施設管理者 エスカール管理[3]
商業施設面積 20,527(開業時)[3]

19,696 m²
中核店舗 プランタンなんば(売場面積約15,921m2[3]

ビックカメラなんば店
店舗数 92(開業時)[3]
営業時間 10:00 - 20:00(開業時)[3]

9:00 - 0:00(ビックカメラなんば店)[4]
前身 大阪楽天地[5]

大阪歌舞伎座[5]

千日デパート[5]
最寄駅 難波駅(なんば駅)
大阪難波駅
日本橋駅
テンプレートを表示

なんばウォーク(旧・虹の街)とは[6]、地下2階の広場から接続している[2]

歴史・概要 編集

大阪楽天地、大阪歌舞伎座、千日デパート時代 編集

周辺道路の関係で1階に荷捌き口を設置できず、地下2階で地下街と接続しているため、地下3階に荷捌き場と駐車場を配置している[2]。 電気室・機械室は塔屋内に配置されていた[2]

火災に見舞われた千日デパート跡地に建設されており[5][7]、各階にバルコニーを設けて可能な限り分散して配置された野外階段と接続する構造とすることで防災面への配慮が施されている[2]。 外壁は、鏡面仕上げのステンレスの薄板に凹凸を付けたパネルを貼り付け、周辺の建物や空が写り込むに仕上げられた[8]

プランタンなんば、カテプリなんば時代 編集

千日デパートが1972年に火災を起こし、閉店してから9年後の1981年にダイエーオ・プランタン・ジャポンとともに出店を表明した。ダイエーが地下1階と地下2階を、プランタンが残りのフロアを使う計画であった。ところが、小売市場を中心とした地元業者がダイエーの出店を強く反対し、進出に大幅な遅れの恐れもあったことからダイエーが出店を辞退。店舗面積を縮小した上でプランタンが食品売場も兼務する形で承認された[9]

1984年(昭和59年)1月14日に「プランタンなんば」が日本におけるプランタンの3号店として開業した。投資額は約120億円。かつて千日デパートで営業していた専門店を入れることとなり、専門店街は「エスカールなんば」とした[10]

日本ドリーム観光が所有するエスカールビルの核店舗として「プランタンなんば」が出店して開業したが[3]1985年(昭和60年)9月に「プランタンなんば」をダイエーに移管して直営化し[11]1993年(平成5年)3月1日に「日本ドリーム観光」は株式会社ダイエーに吸収合併された[12]

プランタンなんばは、地下1階 - 7階まで。店舗面積16,000で93のテナントが入居した。全フロアとも顧客対象を20代前後に絞り、ハイテク・ハイタッチ感覚を全面に出した異色百貨店で、CATV局タレントショップも入居し開業当初の年間売上目標である160億円を目指した[13]

しかし、プランタンとともに他のテナントも売上が伸びず、1985年3月に当店をダイエー直営店にすることが決まった。独立店であるため[14]、地元との話し合いを重ねた上で了承を貰い大阪商工会議所で開かれた事前商業活動調整協議会でも認可された[15]

ダイエー直営に合わせ、同年9月14日にインショップの導入、衣料品の拡大、主力PBの導入、食料品・楽器売場の縮小などの改装行った上で新装開店した[16]。改装投資額は10億円[16][17]。最盛期となった1990年2月期の売上高は122億円だった。

2000年3月21日に、プランタンの名称の使用許諾契約が満了するのに伴い、プランタンからカテプリに業態転換[18]し営業を継続した。ところが、2000年2月期の売上高は最盛期の半分以下である60億円にまで落ち込んだことや2001年2月期の売上高が営業赤字の見込みが出てしまったため、2000年12月31日に完全閉店した[19]

エスカールなんば(ダイエー所有、松原興産所有)時代 編集

2001年5月1日、ダイエーは自社のテナントをすべて撤退させ、専門店で使用されてきた「エスカールなんば」を名称にし、ビル自体の経営を開始。2001年5月10日には、ビックカメラが関西進出1号店を開業させた。[要出典]

2004年(平成16年)1月29日にダイエーが株式会社松原興産にビルを売却した[20]2001年10月から地下1・2階には同社の運営するパチンコ店「キョーイチ」が入居していたが、2012年2月19日に一旦閉店し、改装工事を経てリニューアルオープンする。[要出典]

年表 編集

フロア構成 編集

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “特集 建築防災と法 建物の防災計画・事例 エスカールビル”. 建築と社会 1986年6月号 (日本建築協会) (1986年6月1日).pp46
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『エスカールビル』 ひろば 通巻241号 (近畿建築士会協議会) (1984年5月15日)。pp26
  3. ^ a b c d e f g h i j k “日本のSC エスカール”. ショッピングセンター 1984年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年4月1日).pp9
  4. ^ a b c “大規模小売店舗立地法による大規模小売店舗の変更の届出の公告”. 大阪市告示 第729号 (大阪市) (2023年6月9日)
  5. ^ a b c d e 『南海本線歴史散歩』 鷹書房、1987年4月15日。ISBN:4-8034-0317-1 pp30-31
  6. ^ “作品作風 なんばウォーク”. 建築と社会 1994年11月号 (日本建築協会) (1994年11月1日).pp9
  7. ^ “日本のSC エスカール”. ショッピングセンター 1984年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年4月1日).pp7
  8. ^ “特集 建物の表情-最近の外壁材料 各論 最近の外壁 そのディテール 建物の主張と外壁材料選択のポイントについての設計者のコメント”. 建築と社会 1985年6月号 (日本建築協会) (1985年6月1日).pp45
  9. ^ 日経流通新聞 1983年2月28日 『オ・プランタン千日前進出 売場35%削減で地元側と妥協図る』より
  10. ^ 日経流通新聞 1984年1月19日 『プランタンなんば開店』より
  11. ^ “流通経済日誌”. 流通情報 1985年12月号 (流通経済研究所) (1985年12月).pp24
  12. ^ a b “いま最も気になるダイエーグループの動き”. 2020 AIM 1993年4月号 (オフィス2020) (1993年4月).pp42
  13. ^ 日経流通新聞 1983年9月29日 『プランタンなんば、ハイテクを全面に CATV局も』より
  14. ^ 日経流通新聞 1985年3月18日 『プランタン対策固まる ダイエーの3店舗直営化問題 地元根回し、合理化急ぐ』より
  15. ^ 日経流通新聞 1985年4月1日 『プランタンなんば、ダイエー直営に 事前商調協で了承』より
  16. ^ a b “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1985年10月号 (総合食品研究所) (1985年10月).pp146
  17. ^ 日経流通新聞 1985年9月9日 『プランタンなんば全面改装 衣料品売り場を強化』より
  18. ^ a b 日経流通新聞 2000年1月11日 『札幌・大阪のプランタン、店名をカテプリに 3月から』より
  19. ^ a b 日経流通新聞 2000年10月17日 『「カテプリなんば」閉鎖 売り上げ回復難航 賃貸ビルとして存続へ』より
  20. ^ a b “「エスカールなんば」、大阪の商業施設、ダイエーが売却”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2004年1月30日)
  21. ^ 『松竹七十年史』 松竹、1964年3月20日。 pp121
  22. ^ 『京阪神ニ於ケル事業ト人物』 東京電報通信社、1919年11月14日。 ppら1
  23. ^ 佐原包吉 “劇場めぐり”. 芸術殿 1935年2月号 (国劇向上会) (1935年2月1日).pp58
  24. ^ 『南海沿線百年誌』 南海電気鉄道、1985年5月10日。 pp535
  25. ^ “千日デパートビル火災犠牲者合同葬儀 5月25日 東本願寺難波別院”. 近代消防 1972年7月号 (近代消防社) (1972年7月).pp178
  26. ^ 田所英幸 金田宏 安立俊夫“技術レポート 大規模地下工事における手法と処理例 新千日デパートビル新築工事の場合”. 施工 1983年6月号 (彰国社) (1983年6月).pp33-44
  27. ^ a b c 寺嶋芳一郎 “大規模ビル火災事故における経営者・防火管理者の過失責任と監督責任”. 法令ニュース 1991年6月号 (官庁法令出版) (1991年6月1日).pp46-54

関連項目 編集

外部リンク 編集