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概要編集

大阪楽天地 → 大阪歌舞伎座 → 千日デパート時代編集

大阪楽天地時代については「楽天地 (大阪)」を参照。 大阪歌舞伎座時代については「大阪歌舞伎座」を参照。 千日デパート時代については「千日デパート火災」を参照。

プランタンなんば → カテプリなんば時代編集

千日デパートが1972年に火災を起こし、閉店してから9年後の1981年にダイエーオ・プランタン・ジャポンとともに出店を表明した。ダイエーが地下1階と地下2階を、プランタンが残りのフロアを使う計画であった。ところが、小売市場を中心とした地元業者がダイエーの出店を強く反対し、進出に大幅な遅れの恐れもあったことからダイエーが出店を辞退。店舗面積を縮小した上でプランタンが食品売場も兼務する形で承認された[1]

1984年1月14日に「プランタンなんば」が日本におけるプランタンの3号店として開業した。投資額は約120億円。かつて千日デパートで営業していた専門店を入れることとなり、専門店街は「エスカールなんば」とした[2]

当初、ダイエーが所有者から賃貸していたが1993年にダイエー所有のビルとなる。

プランタンなんばは、地下1階 - 7階まで。店舗面積16,000で93のテナントが入居した。全フロアとも顧客対象を20代前後に絞り、ハイテク・ハイタッチ感覚を全面に出した異色百貨店で、CATV局も入居し開業当初の年間売上目標である160億円を目指した[3]

しかし、プランタンとともに他のテナントも売上が伸びず、1985年3月に当店をダイエー直営店にすることが決まった。独立店であるため[4]、地元との話し合いを重ねた上で了承を貰い大阪商工会議所で開かれた事前商業活動調整協議会でも認可された[5]

ダイエー直営に合わせ、同年9月9日に顧客層の見直しとインショップの導入、衣料品の拡大、主力PBの導入、食料品・楽器売場の縮小などの改装行った上で開店した。改装投資額は10億円[6]。最盛期となった1990年2月期の売上高は122億円だった。

2000年3月21日に、プランタンの名称の使用許諾契約が満了するのに伴い、プランタンからカテプリに業態転換[7]し営業を継続した。ところが、2000年2月期の売上高は最盛期の半分以下である60億円にまで落ち込んだことや2001年2月期の売上高が営業赤字の見込みが出てしまったため、2000年12月31日に完全閉店した[8]

エスカールなんば(ダイエー所有 → 松原興産所有)時代編集

2001年5月1日、ダイエーは自社のテナントをすべて撤退させ、専門店で使用されてきた「エスカールなんば」を名称にし、ビル自体の経営を開始。2001年5月10日には、ビックカメラが関西進出1号店を開業させた。

2004年1月29日、ダイエーが株式会社松原興産にビルを売却(買収額は不明)したと発表。2001年10月から地下1・2階には同社の運営するパチンコ店「キョーイチ」が入居していたが、2012年2月19日に一旦閉店し、改装工事を経てリニューアルオープンする。

フロア構成編集

フロア概要
RF 閉鎖中
9F 専門店
8F ビックカメラアウトレット、キャンドゥ
7F ビックカメラなんば店
6F
5F
4F
3F
2F
1F ビックカメラなんば店・専門店
B1F キョーイチなんば店 地下1階
B2F キョーイチなんば店 地下2階
B3F 駐車場

沿革編集

脚注編集

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注釈編集

出典編集

  1. ^ 日経流通新聞 1983年2月28日 『オ・プランタン千日前進出 売場35%削減で地元側と妥協図る』より
  2. ^ 日経流通新聞 1984年1月19日 『プランタンなんば開店』より
  3. ^ 日経流通新聞 1983年9月29日 『プランタンなんば、ハイテクを全面に CATV局も』より
  4. ^ 日経流通新聞 1985年3月18日 『プランタン対策固まる ダイエーの3店舗直営化問題 地元根回し、合理化急ぐ』より
  5. ^ 日経流通新聞 1985年4月1日 『プランタンなんば、ダイエー直営に 事前商調協で了承』より
  6. ^ 日経流通新聞 1985年9月9日 『プランタンなんば全面改装 衣料品売り場を強化』より
  7. ^ 日経流通新聞 2000年1月11日 『札幌・大阪のプランタン、店名をカテプリに 3月から』より
  8. ^ 日経流通新聞 2000年10月17日 『「カテプリなんば」閉鎖 売り上げ回復難航 賃貸ビルとして存続へ』より

関連項目編集