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カトヴィツェKatowice [katɔˈvit͡sɛ] ( 音声ファイル))は、ポーランド南部の都市。シロンスク県の県都で、同地方を代表する工業都市。ドイツ語ではカトヴィッツ(Kattowitz)、シレジア語ではカトヴィツィ(Katowicy)。

Katowice
空撮
空撮
Katowiceの旗
Katowiceの紋章
紋章
Katowiceの位置(ポーランド内)
Katowice
Katowice
北緯50度15分 東経19度0分 / 北緯50.250度 東経19.000度 / 50.250; 19.000
ポーランドの旗 ポーランド
POL województwo śląskie flag.svg シロンスク県
県都
創立 16th century - 1598 first official information
City rights 1865
行政
 • 市長 Piotr Uszok
面積
 • 都市 164.67km2
最高標高
352m
最低標高
266m
人口
(2013)
 • 都市 307,233人
 • 密度 1,900/km2
 • 都市部
2,746,000人
 • 都市圏
4,620,624人
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
40-001 to 40-999
市外局番 +48 32
カープレート SK
ウェブサイト http://www.um.katowice.pl

目次

地勢・産業編集

シロンスク県、ラヴァ川沿いに位置する工業都市。炭田を有するほか、亜鉛なども採掘される。第二次世界大戦後、共産主義ポーランド人民共和国が環境への配慮を欠いたまま工業生産の増加を図ったため、カトヴィツェやクラクフなどの環境汚染が深刻なものとなった。現在も水質や大気、土壌などの汚染問題が懸念されている。シロンスク大学(Uniwersytet Śląski w Katowicach)など、多くの教育機関が置かれているため、学生も多く居住している。近隣の都市としては、約70キロメートル東にクラクフがある。また30キロメートル南東に位置するオシフィエンチム(ドイツ語名:アウシュヴィッツ)には、アウシュヴィッツ強制収容所が残されている。

歴史編集

 
シロンスク博物館
 
市街を走るトラム
 
競技場

中世前期スラヴ人集落が街の起源と推測される。ポーランドのピャスト朝によって統治され、断絶後はハプスブルク家の支配下に置かれた。史料上では16世紀末にカトヴィツェの呼称が確認できる。18世紀半ば、オーストリア継承戦争の際にプロイセン王国が獲得した。1865年に都市としての地位を認められ、1873年にはカトヴィッツ郡(当時)の郡庁所在地とされた(この間、1871年にプロイセンの主導でドイツ帝国が成立している)。シロンスク(シレジア)地方の豊富な地下資源にも支えられ、19世紀後半より急速な工業化が進んだ。第一次世界大戦で敗れたドイツは、シロンスク地方東部をポーランドに割譲することになり、カトヴィツェもポーランド領となった。1939年に第二次世界大戦が勃発すると(ナチス・ドイツによるポーランド侵攻)、ユダヤ人地域のシナゴーグが破壊され、シロンスク博物館も破壊された。第二次世界大戦後、ポーランド領へと復帰した。

2006年1月28日、カトヴィツェ近郊の見本市会場の屋根が雪の重みで崩落し、多くの犠牲者を出した。

2018年には、国際連合気候変動枠組条約締約国会議(COP24)の開催都市となった[1]

交通編集

ヨーロッパの中央部に位置する鉄道、道路網の要所であり、ドイツベルリンなど)やチェコプラハなど)へ向かう国際列車も往来する。カトヴィツェ国際空港があり、オーストリアウィーンなど周辺の主要都市と空路でも結ばれている。ローカル線で1時間程度南東に向かうと、オシフィエンチムにも到達する。

教育編集

音楽編集

ポーランド国立放送交響楽団の本拠地である。

スポーツ編集

GKSカトヴィツェ(GKS Katowice)がカトヴィツェを本拠地とするサッカークラブ。カップ戦優勝などを果たす強豪だったが、4部リーグにまで降格した。

2013年からはWTAツアー大会のカトヴィツェ・オープンが開催されている。

姉妹都市編集

主な出身者編集

脚注・出典編集

外部リンク編集