カーンCaen [kɑ̃] ( 音声ファイル))は、フランスの北西部に位置する都市で、カルヴァドス県の県庁所在地である。カンとも表記される。

Caen


聖エチエンヌ修道院
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ノルマンディー地域圏
(département) カルヴァドス県
(県庁所在地)
(arrondissement) カーン郡
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 9小郡庁所在地
INSEEコード 14118
郵便番号 14000, 14300
市長任期 ジョエル・ブリュノ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'Agglomération de Caen la Mer
人口動態
人口 108 365人
2012年
人口密度 4217人/km2
住民の呼称 Caennais
地理
座標 北緯49度10分59秒 西経0度22分10秒 / 北緯49.18305556度 西経0.369444444度 / 49.18305556; -0.369444444座標: 北緯49度10分59秒 西経0度22分10秒 / 北緯49.18305556度 西経0.369444444度 / 49.18305556; -0.369444444
標高 平均:8 m
最低:2 m
最高:73 m
面積 25,70km2 (2 570ha)
Caenの位置(フランス内)
Caen
Caen
公式サイト http://caen.fr/
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概要 編集

フランスを代表する城下町の一つ。1999年現在の人口は約11万4千人、面積は26km2。近隣コミューンと併せた人口は約20万人、カーン都市圏は37万人の人口を有する。

第二次世界大戦の終盤、ノルマンディー上陸作戦の後、ドイツ軍と英連邦軍によりカーン周辺は2カ月近くにわたって激戦地(カーンの戦い英語版)となり、街も連合軍によるドイツ軍を狙った空襲(しかし駐留していた第12SS装甲師団は街を出ており、フランスの民間人だけが多数犠牲となった)により聖堂と病院を残し灰燼に帰した。カナダ軍とイギリス軍がカーンを確保したのは1944年7月9日である。街の再建には14年間(1948年 - 1962年)が費やされた。

歴史的遺産 編集

 
カーン城

カーンはローマ時代には'Catumagos',として知られており、ゴール語でmagosは野原、 catuは戦いを意味する。

ローマ時代を通して小さな入植地のままであったが、10世紀にはノルマンディー公の支援のもとで大きな発展をみた。

カーンは中世からの歴史を持ち、ノルマンディー公イングランドウィリアム1世の建てた城、修道院、教会などの歴史的建造物で知られる。1060年頃に建てられたカーン城は、西ヨーロッパでも最大級の中世城砦である。

またウィリアム1世は王妃マティルダとの結婚を改悛するため、街に2つの修道院を建設させた。1063年に完成された男子修道院は聖エティエンヌ(ステファノ)に、1060年に完成された女子修道院は聖ジルに献堂された。両修道院は後に廃止され、建物は現在はそれぞれ、市庁舎と地域圏議会議事堂として使用されている。

第二次世界大戦の犠牲者への記念として、平和記念碑(Mémorial pour la Paix)が建てられている。

 
旧市街

教育 編集

カーン大学フランス語版1432年、イングランド王兼フランスヘンリー6世の叔父でフランス摂政ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターにより創立された。1438年には既に5つの学部を備えていた大学の設立は、1452年にはフランス王シャルル7世によっても正式に追認された。1944年に空襲により破壊された後、1948年より再建が開始され、1957年に新校舎が落成した。

交通 編集

都市交通はバスとゴムタイヤトラム(2002年に導入、TVR方式)が主力。しかし、同一のシステムを導入したナンシーに於けるシステム上の走行トラブルや事故、法的問題の頻発を鑑み、鉄軌道方式のLRTに転換する方針が定められ、2017年にそれまでのゴムタイヤトラムを廃止し、2019年開業の鉄軌道方式のLRT「トラムウェイ・カーン」に転換した。

関係者 編集

出身者 編集

居住その他ゆかりある人物 編集

姉妹都市 編集

出典 編集

関連事項 編集

  • SMカーン - カーンを本拠地とするサッカークラブ。

外部リンク 編集