クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス

ブラジルのサッカー選手

クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス(Claiton Alberto Fontoura dos Santos, 1978年1月25日 - )は、ブラジルリオグランデ・ド・スル州ポルト・アレグレ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーボランチ)。ドレッドヘアーの風貌がトレードマーク。

クライトン
名前
本名 クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス
Claiton Alberto Fontoura dos Santos
ラテン文字 CLAITON
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1978-01-25) 1978年1月25日(46歳)
出身地 ポルト・アレグレ
身長 179cm
体重 82kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
利き足 右足
ユース
1986-1989 ブラジルの旗 インテルナシオナル
1989 ブラジルの旗 グレミオ
1990-1997 ブラジルの旗 インテルナシオナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997 ブラジルの旗 バイーア 0 (0)
1998-1999 ブラジルの旗 インテルナシオナル 37 (2)
2000 ブラジルの旗 ヴィトーリア 20 (2)
2001 ブラジルの旗 バイーア 0 (0)
2001 スイスの旗 セルヴェット 15 (1)
2002-2003 ブラジルの旗 インテルナシオナル 65 (0)
2004 ブラジルの旗 サントス 9 (1)
2004-2005 日本の旗 名古屋グランパス 44 (7)
2006 ブラジルの旗 ボタフォゴ 31 (3)
2007 ブラジルの旗 フラメンゴ 21 (1)
2007 ブラジルの旗 アトレチコ-PR 22 (0)
2008-2009 日本の旗 コンサドーレ札幌 53 (6)
2009-2011 ブラジルの旗 アトレチコ-PR 6 (0)
2012 ブラジルの旗 ペロタス
2012 ブラジルの旗 ノヴォ・アンブルゴ
2013 ブラジルの旗 パッソ・フンド
2013 ブラジルの旗 アレクリン
監督歴
2016-2017 ブラジルの旗 CEアイモレ
2018 ブラジルの旗 SCサンパウロ
2019 ブラジルの旗 ECクルゼイロ
2020- ブラジルの旗 ポルト・ヴェーリョ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

1998年SCインテルナシオナルでトップチームデビュー。その後、ブラジルの複数クラブを経て、2001年にスイスのセルヴェットFCへ入団。同年にはUEFAカップにも出場した。

セルヴェットFC退団後は母国ブラジルのクラブへ移籍したが、2004年7月にユース時代から面識のあるネルシーニョ監督の誘いを受け、名古屋グランパスに入団。主力としてチームに大きく貢献した。しかし2005年ウェズレイマルケスなどの外国人ストライカーが退団し、その後成績不振によりネルシーニョ監督が解任されると、得点力不足の切り札としてフォワードで起用されるようになり、本来のパフォーマンスを発揮できないまま、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団、ボタフォゴFRへ移籍した。

その後、CRフラメンゴを経て2007年アトレチコ・パラナエンセへ入団。アトレチコ・パラナエンセではキャプテンとしてチームを牽引し、2008年パラナ州選手権における同チームの12連勝に大きく貢献した。同年2月アルセウの退団によりボランチの補強を急務としていたコンサドーレ札幌からのオファーを受け、再びJクラブに移籍した。

札幌加入は開幕直前のことであり、連携面で不安があったことから開幕数試合はFWとしてプレー。その後は主に本職のボランチとしてプレーしたが、チームに負傷者が続出したこともあったため、状況に応じてFWや攻撃的MFとしてもプレーした。またセットプレー時のキッカーも務め、ダヴィとのコンビネーションで不振に陥るチームにありながら多くのアシストを記録した。しかし、札幌は5試合を残してJ2降格が決定。クライトンも父親の重病に伴い公式戦2試合を残してブラジルへ帰国した。 その活躍から複数J1クラブが興味を示し移籍が確実視されていたが、条件面で他クラブと合意に至らず2009年も札幌でプレーすることが決定した。クライトン自身も札幌には愛着があったらしく、交渉の際も札幌残留を希望し「10万ドル(約900万円)高いクラブがあっても札幌を選ぶ」と述べたとされる[1]。年明け後も古巣、アトレチコ・パラナエンセがクライトン獲得の意向を示し、クライトンの家族もブラジルでのプレーを望んだことから再び移籍が持ち上がったが、札幌側は父親の病状が悪化した際、シーズン中でも帰国を認めるなどの条件を提示。これによりクライトンも札幌残留を決意し、2月に入ってからキャンプに合流した[2]

2009年は外国人ボランチとしてダニルソンが加入し、また、監督に就任した石崎信弘の希望もあって攻撃的MFとしてプレー。背番号10を背負い、チームの中心選手として活躍した。しかし、以前から慢性化していた右足のアキレス腱痛に苦しみ、7月に入り症状はさらに悪化。それでもなお炎症を抑える注射を打って試合に臨むなどしたが[3]、チームのメディカル部門から右足アキレス腱の負傷の治療に1~2ヶ月を要すると診断され、またリハビリ期間も含めると今季中の復帰が絶望的となったことで本人とクラブとの間で協議した結果、2009年7月14日、両者の合意のもとで契約解除したことが発表された[4]。なお、その際には他のJクラブへは移籍しないとの覚書を交わしており、怪我の治療後はブラジル国内のクラブを中心に移籍先を探すこととされたが[5]、札幌退団から12日後には古巣であり前年からオファーされていたアトレチコ・パラナエンセへの入団会見が開かれ[6]、この事実を知った札幌の石崎監督は「まぁ、そんなもんじゃろう」と苦笑いしながら語った。

2013年3月4日、アレクリンFCに加入した[7]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 バイーア セリエA 0 0
1998 インテルナシオナル 19 1
1999 18 1
2000 ヴィトーリア 20 2
2001 バイーア 0 0
スイス リーグ戦 スイス杯オープン杯 期間通算
2001-02 セルヴェット ナショナル 15 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2002 インテルナシオナル セリエA 24 0
2003 41 0
2004 サントス 9 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 名古屋 30 J1 13 3 4 0 2 0 19 3
2005 8 31 4 6 0 1 0 38 4
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2006 ボタフォゴ セリエA 31 3
2007 フラメンゴ 5 1
アトレチコ-PR 22 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 札幌 15 J1 30 2 6 0 1 0 37 2
2009 10 J2 23 4 - - 23 4
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2009 アトレチコ-PR セリエA
通算 ブラジル セリエA 189 11
スイス ナショナル 15 1
日本 J1 74 9 16 0 4 0 94 9
日本 J2 23 4 - - 23 4
総通算 256 19

タイトル 編集

選手時代 編集

SCインテルナシオナル
ECヴィトーリア
ECバイーア
サントスFC

ボタフォゴFR

CRフラメンゴ

脚注 編集

  1. ^ 札幌クライトン、移籍一転残留決定! 日刊スポーツ12月19日
  2. ^ クライトンが札幌に残留、2.12合流 日刊スポーツ1月31日
  3. ^ 札幌クライトン、愛媛戦に強行出場 日刊スポーツ7月8日
  4. ^ クライトン選手との契約解除のお知らせ コンサドーレ札幌プレスリリース2009年7月14日
  5. ^ 札幌クライトン退団、日本人MF補強へ 日刊スポーツ2009年7月15日
  6. ^ 治療じゃなかった? クライトン速攻古巣復帰 スポーツニッポン2009年7月29日
  7. ^ Alecrim confirma contratação do veterano Claiton, ex-Inter e Furacão”. globoesporte.com (2013年3月4日). 2015年7月17日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集