北海道コンサドーレ札幌

日本のサッカークラブ

北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、Hokkaido Consadole Sapporo)は、日本札幌市を中心とする北海道ホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

北海道コンサドーレ札幌
原語表記 北海道コンサドーレ札幌
愛称 コンサドーレ、コンサ
クラブカラー     レッド[1]
    ブルーグレイ[1]
    ブラック[1]
    ホワイト[1]
創設年 1935年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 札幌市を中心とする北海道[2]
ホームスタジアム Sapporodome201108171.JPG
札幌ドーム[2]
札幌厚別公園競技場
収容人数 38,794[2]
運営法人 株式会社コンサドーレ[2]
代表者 日本の旗 三上大勝
監督 セルビアの旗
オーストリアの旗 ミハイロ・ペトロヴィッチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社コンサドーレ
Consadole Co., Ltd.
Consadole sapporo club house.JPG
株式会社コンサドーレ 本社社屋
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本国
063-0052
北海道札幌市西区宮の沢2条3丁目4番1号
設立 1996年4月16日[3]
業種 サービス業
法人番号 7430001022464
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 日本の旗 三上大勝
資本金 12億8,700万円 (2021年1月期)[4]
売上高 30億9,600万円(2021年1月期)[4]
営業利益 ▲3億9,100万円(2021年1月期)[4]
経常利益 ▲3億1,400万円(2021年1月期)[4]
純利益 ▲2億7,100万円(2021年1月期)[4]
純資産 2億5,300万円(2021年1月期)[4]
総資産 17億3,200万円(2021年1月期)[4]
従業員数 30名(2014年12月期)[5]
決算期 1月期
主要株主 石屋製菓 42.4%[6]
ダイアモンドヘッド 18.9%[6]
進学会ホールディングス 9.5%[6]
コンサドーレサポーターズ持株会 8.9%[6]
博報堂DYメディアパートナーズ 3.4%
主要子会社 株式会社エゾデン
関係する人物 日本の旗 石水勲(元最高顧問)
日本の旗 野々村芳和第6代Jリーグチェアマン
特記事項:「北海道の関与団体」として指定。
ゴーイングコンサーン付帯[5]
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概要編集

 
宮の沢白い恋人サッカー場

1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身[2]1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した[2]2016年より運営会社を「株式会社コンサドーレ」に変更。ホームタウンは「札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは札幌ドーム(詳細は#ホームスタジアムを参照)[2]

チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので[2]、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名はコンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)で、ホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンエリアも拡大された[7]

エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウがモチーフとなり、1997年にマスコットの「ドーレくん」が誕生した[2]

練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」[2]。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。

コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。

2014年1月19日、漫画「キャプテン翼」の登場人物であり、作中では所属選手である松山光を現実の当クラブにも入団を発表。同時にユース年代の強化を目的とする「松山光プロジェクト」を始動した[8]

フロント編集

代表取締役会長
  • 今井春雄(1996年4月16日 - 1998年1月15日)
  • 坂野上明(1998年2月16日 - 2003年1月15日)
  • 石水勲(2005年3月11日 - 2005年5月12日)
  • 野々村芳和(2022年1月11日 - 2022年3月15日)
代表取締役社長
  • 斉藤達(1996年4月16日 - 1997年2月9日)
  • 金井英明(1997年2月10日 - 1998年2月9日)
  • 田中良明(1998年2月10日 - 2003年1月15日)
  • 佐々木利幸(2003年1月16日 - 2005年3月10日)
  • 児玉芳明(2005年3月11日 - 2008年7月10日)
  • 矢萩竹美(2008年7月11日 - 2013年3月21日)
  • 野々村芳和(2013年3月22日 - 2022年1月10日)
  • 三上大勝(2022年1月11日 - )[9]
ゼネラルマネージャー
  • 村野晋(2008年2月 - 2008年12月)
  • 三上大勝(2013年1月 - )

歴史編集

前身編集

移転経緯[10]
Jリーグブームの高まりを受け1993年10月に札幌青年会議所が中心となりJリーグチーム誘致に向け誘致推進特別委員会を設置し署名活動を開始、1994年1月27日には誘致活動母体となる「札幌SJクラブ」を立ち上げ9月22日までに約31万人の署名を集める。1995年3月25日には官民の代表を集めた「Jリーグ札幌ホームタウンチーム設立推進協議会」を設立、その後プロ化や実業団チームとしての存続に消極的だった東芝サッカー部に札幌への移転を提案し、7月に受け皿として「札幌フットボール設立企画」を発足させる。1996年1月11日に東芝サッカー部の札幌移転を正式発表、2月8日に日本サッカー協会が移転を正式承認し3月2日に新チーム名「コンサドーレ札幌」を発表し4月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立。

1996年 - 1997年(旧JFL)編集

1996年編集

「北海道からJリーグチームを」を合言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のアルシンドペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。

第1節福島FC戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日チェコの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つ吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。

シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。

1997年編集

ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。茶木裕司(仙台へ移籍)、平岡宏章新潟へ移籍)、加藤剛と木島敦と川合孝治と後藤静臣(大分へ移籍)、新明正広渡邉晋笠原恵太甲府へ移籍)、小池大樹と村田信行(熊本へ移籍)、白井淳市原へ移籍)、パベル、オテーロ、金鍾成ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。

新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表バルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるウーゴ・マラドーナ磐田からハーフナー・ディド、大塚FCから古川毅田渕龍二C大阪から渡辺卓山橋貴史コスモ四日市から鳥居塚伸人、市原から新村泰彦ら数名を獲得し、新人では法政大学から赤池保幸、初芝橋本高校の大野貴史亜細亜大学から黄川田賢司ら数名が加入。

『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われたナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、5月25日の第7節川崎F戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。9月4日の第20節に等々力で川崎Fと再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎F戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、10月22日の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。

1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、厚別競技場でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた[11][12]

1998年(Jリーグ)編集

戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦冨樫剛一が引退した。

新戦力としてC大阪から深川友貴梶野智、G大阪から木山隆之から加藤竜二有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正バウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。

1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史に4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強でから棚田伸横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。

1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した[注 1]。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。

1999年 - 2000年(J2)編集

1999年編集

「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(図南SCへ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。

新たに平塚から名塚善寛鹿島から佐藤洋平池内友彦栗田泰次郎から加藤竜二横浜FMから桜井孝司ロナウジーニョの実兄アシスリカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東高校から河村優と北海道札幌市出身の佐賀一平磐田東高校から藤ヶ谷陽介らが入団。

「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにビジュ、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。

しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。

2000年編集

岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。

一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二京都から大森健作FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、福岡から森秀昭、川崎Fから小松崎保伊藤優津樹、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から遠国信也がトップ昇格、北海高校山瀬功治四日市中央工高校から中尾康二筑波大学から井上敦史らが入団した。

少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった[注 2]。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分)[注 3][13] を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。

2001年 - 2002年(J1)編集

2001年編集

創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分ウィルをレンタルで獲得した。

開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。

2002年編集

監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグFCスパルタク・モスクワからブラジル人ロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり[注 4]、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。

後任の監督として リーガ・エスパニョーラレアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人バーヤック、ブラジル人ジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。

2003年 - 2007年(J2)編集

2003年編集

チームスローガン:We Shall Return

1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、ホベルッチベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。

シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後ビタウ、元大分のアンドラジーニャ、元名古屋のウリダを獲得したが、第26節の新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。

2004年編集

チームスローガン:全力蹴球

人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹蛯沢匠吾、高卒で上田常幸上里一将桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FC清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。

開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、前年に特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。

2005年編集

チームスローガン:真っ攻勝負!

柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍野田達郎が入団した。

前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。

シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設[14]

2006年編集

チームスローガン:

創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎Fからフッキ千葉から芳賀博信山形から大塚真司川崎健太郎、水戸から関隆倫アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也西大伍が昇格した。

リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。

2007年編集

チームスローガン:Power to 1

大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロスECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明岩沼俊介を獲得した。

堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。

この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。

2008年(J1)編集

チームスローガン:Progress

三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。

リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎Fから箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。

2009年 - 2011年(J2)編集

2009年編集

チームスローガン:

大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンユールゴーデンIFからFWキリノコロンビアインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。

若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。

2010年編集

チームスローガン:「MOVE」 -より速く、より正確に、よりタフに-

石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁近藤祐介愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。

開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。

2011年編集

チームスローガン:Challenge for Smile

創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表イ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。

シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴレモスが加入した。

J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。

2012年(J1)編集

チームスローガン:「We Go On」 -ただ、ひたすらに-

石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表ジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬小山内貴哉前貴之榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人FC大阪へ移籍した。

なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場函館市千代台公園陸上競技場Jリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した[15]

リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消[16])、ナウチコからハモンフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴が金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である[注 5]。シーズン終了後、石崎は監督を退任した。

2013年 - 2016年(J2)編集

2013年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、髙柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介松本山雅に完全移籍した。

一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾永坂勇人堀米悠斗神田夢実阿波加俊太深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定している阪南大学工藤光輝特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホベトナム代表レ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)。

開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。

2014年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。

一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎Fから薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)オランダ2部アルメレ・シティFCからステファノを完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学上原拓郎が加入、ユースから前寛之内山裕貴がトップへ昇格した。

シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二オーストラリアAリーグウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。

開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入の都倉賢の起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった[注 6]。監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。また、3バックを使用するようになった。監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わり、プレーオフ進出を逃したものの、プレーオフ進出に絶望的な状況であったところを立て直した手腕を高く評価し、バルバリッチの続投が決まった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。

2015年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(インドネシア・スーパーリーグのペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは盛岡)、内山裕貴がシンガポールSリーグホウガン・ユナイテッドFCへレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉が長野、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。

一方、川崎から元日本代表の稲本潤一、岐阜から前年J2得点4位のナザリト、甲府からインドネシア代表イルファン、C大阪から韓国U-21代表のク・ソンユン(具聖潤)を完全移籍で、川崎Fから福森晃斗、ブラジルのアヴァイFCから前年東京Vに所属していたニウドをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから進藤亮佑がトップへ昇格した。

開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の四方田修平が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。

2016年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

創立20周年を迎えた2016年シーズン。チームは今シーズンより運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名はコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更[7]。 また、リージョナルマーケティング及びF-Powerと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。小売電気事業者として電気事業に参入した[17]。また、博報堂DYメディアパートナーズと7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した[18]

四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(鳥取へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。

一方、神戸から増川隆洋、ブラジルのECバイーアからヘイスマセードオペラリオ・フェロヴィアリオECからジュリーニョを完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。またシーズン途中には鳥栖から菊地直哉が期限付き移籍で加入した。

開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った[注 7]。試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、25勝10分7敗の1位(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目[注 8] のJ1昇格が決まった。天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。

2017年 - (J1)編集

2017年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:WE LOVE A CHALLENGE)

四方田体制3年目。11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が山口、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。

一方で、仙台からキム・ミンテ金園英学、鳥栖から早坂良太、神戸から田中雄大、横浜FMから兵藤慎剛を完全移籍で、大宮から横山知伸をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していた菅大輝濱大耀が昇格した。またシーズン中には、2016年12月に仮契約していた[19]タイ代表チャナティップ・ソングラシンタイ・リーグムアントン・ユナイテッドFCからレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となる石川直樹を完全移籍で獲得。また昨年まで磐田でプレーしていたジェイが加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。

開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となるFKでの2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第31節鹿島戦では1対2と敗れたものの残り3試合となった第32節清水戦に勝利し、2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり12勝7分15敗の11位(全18チーム)で終了した。5年ぶりの出場となったルヴァンカップはプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表のいわきFCに敗れ、初戦敗退となった。

2018年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:冒険コンサドーレ)

監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となったミハイロ・ペトロヴィッチが就任[20]。前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルのCAブラガンチーノへ移籍)が契約満了、杉山哲が東京ユナイテッドFC、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。

一方で、愛媛から白井康介、広島から宮吉拓実を完全移籍で、川崎Fから三好康児、浦和から駒井善成、京都から菅野孝憲をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた藤村怜が昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。

シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。[21]

シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。

フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「ミシャ式」と呼ばれる可変システムを採用した。また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。

序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、ロシアワールドカップによるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。中断期間中の9月6日に北海道胆振東部地震が発生して北海道全域がブラックアウトとなるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした[22][23]。再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移し台風の影響で延期していた第18節の振替試合[24] に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。その結果、AFCチャンピオンズリーグ2019の出場権は獲得できなかったが、15勝10分9敗の4位(全18チーム)とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。なお、ルヴァンカップは予選敗退、天皇杯はベスト16だった。

シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップがベストイレブン[25]、ペトロヴィッチが優秀監督賞(J1)に選出された[26]

2019年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:ミシャ、第2章。)

ペトロヴィッチ体制2年目。9年間在籍していた内村圭宏(FC今治へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大(秋田へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に北海道リーグ十勝へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。

一方で、京都から岩崎悠人、長崎から鈴木武蔵、仙台から中野嘉大FCソウルから元広島のアンデルソン・ロペスを完全移籍で、ECヴィトーリアからルーカス・フェルナンデスをレンタルで獲得。U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた中村桐耶が昇格、直前の高校サッカー選手権で優勝した青森山田高校から檀崎竜孔が加入。菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。

シーズン中には2020シーズンの加入が内定している日本大学金子拓郎と札幌ユース出身で筑波大学の高嶺朋樹大阪体育大学田中駿汰を特別指定選手で登録した。小野伸二が琉球に、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶がHonda FCに育成型期限付き移籍した。

シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となるコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木はFIFAワールドカップ・アジア2次予選に定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に13勝7分14敗の10位(全18チーム)で終了した。天皇杯は2回戦敗退となった。

シーズン終了後のEAFF E-1サッカー選手権2019の日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。

初のルヴァンカップ決勝
 
2019年YBCルヴァンカップ決勝戦

ルヴァンカップではグループAを1位で突破。プレーオフの磐田戦はアンデルソン・ロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3(ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。

決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から会場となる埼玉スタジアム2002まで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBの菅がボレーシュートで札幌が先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKから阿部浩之に押し込まれて1-1で前半を終了した。後半も川崎に主導権を握られ、後半43分に小林悠に決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭で得点し同点に追いつき試合は延長戦に突入した。延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎の谷口彰悟が後ろから倒してファールの判定。一度はイエローカードを提示されたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR)が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され退場となった。さらに、このファウルで得たフリーキックを怪我で欠場した宮澤に代わってキャプテンだった福森が直接ゴールし勝ち越しに成功。しかし延長後半4分に再び小林に決められ3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。PK戦では4人全員(ジェイと替わって途中出場のロペス、鈴木、深井、白井と替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4人目の車屋紳太郎が失敗し、5人目で3-2と福森との交代で出場した石川が決めれば初優勝となる状況から川崎のGK新井章太がセーブしサドンデスに突入。川崎は6人目の長谷川竜也が決めた一方、札幌は6人目の進藤のシュートを新井が2者連続でセーブし試合終了。準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで[27] のJリーグカップ準優勝監督となった。

2020年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:乗り越えろ ~ BEYOND THE LIMITS)

ペトロヴィッチ体制3年目。岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。またシーズン途中には鈴木武蔵がベルギーKベールスホトVAに完全移籍、檀崎竜孔がオーストラリアAリーグのブリスベン・ロアーFCにレンタル移籍した。

一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルのルヴェルデンセECからドゥグラス・オリベイラ、ベルギーのOHルーヴェンからタイ代表のカウィン・タンマサッチャーナンをレンタルで獲得した。また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学の中野小次郎明治大学小柏剛国見高校中島大嘉を特別指定選手で登録した。またシーズン途中にはポルトガルジル・ヴィセンテFCを退団したウーゴ・ヴィエイラが加入した。

新型コロナウイルス感染拡大で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。4月6日には大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た[28]。また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンが兵役義務のため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国の大邱FCへの完全移籍が発表された[29]。また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し[30]、8月5日のルヴァンカップ第2節広島戦での試合復帰した。

感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針[31] により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点である高円宮記念JFA夢フィールドを日本サッカー協会の協力で提供され[注 9]、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。

中断明け後の第4節鹿島戦では敵地でリーグ初勝利を飾るなどアウェイ4連戦を2勝2分の負けなしとして、7月下旬にホーム開幕戦を迎えた。同時期に当時チーム得点王の鈴木武蔵が移籍し、アンデルソン・ロペスも帰国後の隔離措置でコンデションが上がら無い中、第7節の横浜FM戦で初めて「ゼロトップ」の役割の荒野を最前線に入れると、豊富な運動量で前線から中盤までの広い範囲で守備に貢献。局面での優位性を保つ事で相手の特徴であるパスワークをうまく封じこみ3-1と勝利した。また「オールコートマンツーマンデイフェンス」で1対1でボールを奪ってショートカウンターから得点する戦術で挑んでいった。しかし、前線から激しいプレスによる体力の消耗の激しさやコロナ禍による試合間隔の短さによるコンディションの調整や戦術の落とし込みが出来ず、第10節川崎戦で6失点を始め、その後の3試合でも4失点を喫すなど守備が崩壊。8-9月の13試合を1勝2分10敗(31失点)と大きく負け越した。10月になると主力選手のコンデションが上がり戦術の理解度も深まっていき、第23節では鹿島相手に初となるシーズンダブルとなる勝利した。第26節では12連勝中で圧倒的な強さで首位に立つ川崎にアウェイで再び荒野を最前線に置く「ゼロトップ」かつ「オールコートマンツーマンデイフェンス」で挑んだ。川崎の得意なパスワークを封じて主導権を握り幾度もチャンスを作り出すと、高い位置でボールを奪ってショートカウンターで2得点。終盤でも菅野が好セーブを連発して終始相手を圧倒する試合で完勝。川崎にリーグ戦で初めての勝ち点3をアウェイの地でつかんだ。その後も第34節浦和戦もシュート20本で2-0で完勝するなど攻守両面において完成度高い試合も出る一方、チャンスは多いけれどもなかなか決め切れない試合も多くあり、最終的に10勝9分15敗の12位(全18チーム)で終了した。天皇杯はコロナの影響でリーグ戦上位2チームのみの参加となったため未出場となった。

2021年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:仕掛けろ ~ NO CHALLENGE, NO CHANGE.)

ペトロヴィッチ体制4年目。石川直樹と早坂良太が引退、ウーゴ・ヴィエイラが契約満了、カウィンが期限付き移籍期間満了に伴い退団、進藤亮佑がC大阪に完全移籍、前年湘南にレンタル移籍していた岩崎悠人が千葉(8月に鳥栖へ移籍)、白井康介が京都、濱大耀が富山、藤村怜が山形、シーズン途中で中野嘉大が鳥栖、7月までAリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔が千葉、キムミンテが名古屋にレンタル移籍した。

一方で、群馬から岡村大八、新潟から大谷幸輝、FC東京から柳貴博、名古屋から青木亮太モロッコウィダード・カサブランカからガブリエル・オケチュク(8月に福島へレンタル移籍)、琉球から1年半ぶりの復帰となる小野伸二を完全移籍で獲得した。また、Honda FCにレンタル移籍していた中村桐耶が復帰、前年特別指定選手の中野小次郎、小柏剛、中島大嘉が加入した。また2022シーズンの加入が内定している立正大学田中宏武を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、ベルギーOHルーヴェンからミラン・トゥチッチが加入、札幌U-18の西野奨太がクラブ史上初となる高校在学中でのトップチーム昇格[32] となった。

開幕前にペトロヴィッチ監督が母国で怪我で手術[33]、杉浦大輔コーチ兼通訳が病気で手術[34]、ジェイが母国で新型コロナウイルス感染症PCR検査を受けて陽性判定[35]、新加入のガブリエルが2020年1月に2度目となる緊急事態宣言による検疫の強化に伴い同宣言が解除されるまでの期間入国制限[36] となり、キャンプの合流に遅れる事となった。

9年ぶりとなる第1節でのホーム開幕戦の横浜FC戦は5-1と勝利するも、第6節神戸戦では3-0から4失点での逆転負けなどシーズン序盤では苦しんだ。その中でゴールを量産していたアンデルソン・ロペスが6月に移籍したが、第18節大分戦で金子が2得点、第23節浦和戦から第25節大分戦で小柏が3試合連続得点するなど若手が躍動し、4チームが降格する厳しいレギュレーションの中で残留争いすること無く残留を決めた。最終的には14勝9分15敗の10位(全20チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。

シーズン終了後には小柏剛が日本代表に選出された。


2022年編集

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:突き進め Our Legacy,Our Future.)

ペトロヴィッチ体制5年目。ジェイと福島にレンタル移籍していたガブリエル・オケチュクが契約満了、白井康介が前年レンタル移籍先の京都、中野嘉大が前年レンタル移籍先の鳥栖、前年名古屋にレンタル移籍していたキムミンテが鹿島に完全移籍した。また、チャナティップが国内移籍における移籍金としては過去最高と思われる金額提示を受けて川崎に完全移籍した。また、ヘッドコーチであり前チーム監督であった四方田修平が横浜FC監督に就任するためチームを離れた。

一方で、浦和から興梠慎三がレンタル移籍、名古屋からガブリエル・シャビエルが完全移籍で獲得した。また、千葉にレンタル移籍していた檀崎竜孔、山形にレンタル移籍していた藤村怜が復帰、前年特別指定選手の田中宏武、札幌ユース出身で筑波大学の井川空が加入した。さらに浦和を契約満了となり沖縄キャンプに練習生として参加していた西大伍が完全移籍で13年ぶりに復帰した。

4月27日鈴井貴之が社外取締役に就任した。天皇杯は3回戦敗退となった。

所属選手編集

  • 現役選手・スタッフ
  • 外国籍選手
  • 背番号の変遷
  • 過去の在職スタッフ・在籍選手
  • アカデミー出身者
  • 特別指定選手

成績編集

  • 年度別成績・歴代監督
  • クラブ別公式戦通算対戦成績

記録編集

Jリーグ記録編集

  • J1最年長出場 など

その他編集

  • クラブ記録
  • クラブ個人記録
  • 最多得点 / 失点試合
  • 年度別チーム得点王
  • ハットトリック
  • リーグ戦通算得点

タイトル編集

  • 国内タイトル
  • その他タイトル
  • 表彰
  • その他表彰

代表選出選手編集

  • A代表
  • U-23代表
  • U-20代表

ホームスタジアム編集

 
札幌厚別公園競技場

ホームスタジアムは札幌ドームである。過去のホームゲーム開催スタジアムは『北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#ホームゲームの入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。

Jリーグ加盟後に開催したのは札幌厚別公園競技場(札幌厚別)、室蘭市入江運動公園陸上競技場および函館市千代台公園陸上競技場であるが、函館では2016年に5年ぶりのホームゲームを開催した一方、室蘭では2012年から開催されていない。

コンサドーレ札幌発足当初よりホームスタジアムとしていた札幌厚別も、のちにJリーグの基準(Jリーグクラブライセンス制度)を満たさないこととなり、2014年からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた[37][38]2015年から登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっており[2]、札幌厚別での開催は北海道日本ハムファイターズが札幌ドームを使用する場合など、限られた試合数のみとなっているが、2023年からファイターズの本拠地が北広島市ES CON FIELD HOKKAIDOに移転する予定であることを受け、コンサドーレの全主管試合(リーグ戦・ルヴァン杯)を開催する意向である[39]

道外での公式戦ホームゲーム

札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトマッチ用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。

2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県でキャンプも実施した。札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した[40]

なお2018年のJ1の終盤、コンサドーレにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場の可能性があった際(最終的には出場権は得られなかった)、2月のホームゲーム[注 10] を札幌ドームであっても開催できず、北海道外でのホームゲーム開催となる可能性が示されていた[41]

会場 試合日 対戦チーム 勝敗 入場者数
1996 町田 5月5日 JFL 第3節 コスモ四日市 1-2 ● 966
平塚 5月16日 JFL 第5節 甲府 2-1 ○ 615
1997 長崎県立 3月15日 ナビスコ杯予選 V川崎 2-2 △ 4,823
長良川 3月26日 横浜M 1-2 ● 2,913
水前寺 3月29日 G大阪 1-0 ○ 2,881
1998 仙台ス 3月25日 J 1st 第2節 鹿島 1-3 ● 14,682
4月15日 J 1st 第6節 浦和 2-0 ○ 12,171
2001 高知陸 3月17日 J1 1st 第2節 2-1 ○ 6,276
2002 3月2日 J1 1st 第2節 仙台 0-1 ● 7,236
2007 西が丘 4月11日 J2 第8節 福岡 0-0 △ 2,161
スタジアム観戦マナーについて

ホームゲーム入場者数・主催試合数など編集

  • リーグ戦
    • 入場者数(年度別・最多/最少入場者数)
    • 開幕戦・最終戦
    • 入場者数・主催試合数(年度別・会場別)
  • Jリーグカップ戦
    • 入場者数・試合会場

スタジアムDJ編集

入場曲編集

  • Moon Over The Castle - ホームゲーム入場曲(演奏者:ANDY'S、1997年)TVゲーム『グランツーリスモ』と同じ曲としても知られるが曲調が多少異なる。

配布物編集

  • マッチデープログラム ホーム全試合会場入り口にて無料配布。2021シーズンは配布はせず、クラブのホームページ上にてデジタル版を配信。
    • 2003年 - 2005年 : MATCH DAY PROGRAM
    • 2006年 - 2008年 : kattare-カッターレ-
    • 2009年 :       -アカクロ-
    • 2010年 - 2015年 : VOCS-ヴォックス-
    • 2016年 - 現在 : Matchday PROGRAM

ユニフォーム編集

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×黒
FP(2nd)
FP(3rd)
GK(1st) 黒×グレー グレー
GK(2nd)
GK(3rd)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 3rd
 
 
 
 
GK 1st
 
 
 
 
GK 2nd
 
 
 
 
GK 3rd

ホームのユニフォームは前身の東芝時代に採用されていた「赤と黒の縦縞」を引き継いでいる。この赤と黒の縦縞を発案したのは、当時東芝サッカー部に選手として在籍していた石崎信弘である。

  • 1996年:東芝時代と同じ赤黒の縦縞を使用。
  • 1997年 - 1998年:赤黒の縦縞を基調に白とブルーグレーを追加。
  • 1999年 - 2000年:色が赤黒のみになる。
  • 2001年 - 2002年:赤黒の間に白のラインを入る。
  • 2003年 - 2004年:中央を黒、サイドを赤になる。
  • 2005年:正面を赤一色、背面を赤ベースに黒の三本線へ変更。
  • 2006年:サプライヤーをadidasからKappaに変更したことに伴い、赤黒の縦縞が復活。
  • 2010年:1stユニフォームのソックスを黒へ変更。2ndユニフォームの前面に赤黒の帯が付いた。
  • 2011年:15周年メモリアルとしてゴールドステッチを使用[42]
  • 2013年:赤黒の縦縞線が従来よりも細くなる[43]
  • 2014年:袖とサイドに「アイヌ文様」の柄を採用[44]
  • 2015年:2ndユニフォームのパンツが赤へ変更。
  • 2016年:1stユニフォームのソックスを黒から赤へ変更。クラブ創設20周年記念と北海道新幹線開業に伴い、FPは1stユニフォームを白とグリーンの縦縞でパンツが紫、GKは1stユニフォームを赤と黒の縦縞を函館開催のみ着用[45]。ユニフォーム右袖に北海道旗が入る。
  • 2018年:ユニフォーム右袖の北海道旗に代えて、「北海道150年事業[46]」シンボルロゴマークが入る。また北海道150年を記念して、8・9月、および最終節の計6試合で北海道命名150年 記念ユニフォームを着用。デザインはFPが赤と黒の縦縞だが、黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。パンツは黒。GKはグリーンと黒の縦縞でFP同様黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。パンツはグリーン。
  • 2019年:ユニフォーム右袖に、ホームタウンマークとして「HOKKAIDO」の文字が入る[47]
  • 2020年:チームとして初めてFPの3rdユニフォームを採用。これまで2ndとして使用していた白を3rdとして、今までGKの3rdとして使用されていた紺をFPの2ndとしても採用した。
    前年まで腹部(胸部下)に入っていた背番号表示が無くなった。
  • 2021年:サプライヤーがKappaからミズノに変更、ユニフォームデザインをクリエイティブディレクターの相澤陽介が担当した[48]

クラブカラー編集

  •     コンサドーレレッド(暖かい炎=ファイティングスピリットの象徴[1]
  •     コンサドーレブルーグレイ針葉樹林の茂る深い森=冷静な判断力の象徴)[1]
  •     コンサドーレブラック(北海道の大地=無限大のパワーを象徴)[1]
  •     コンサドーレホワイト(雪、シマフクロウ=フェアプレー精神の象徴)[1]

ユニフォームスポンサー編集

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
石屋製菓 ISHIYA 1998年
2002年 - 2007年
2010年 -
1998年 - 2018年は「白い恋人
2019年 - 2020年、2022年 - は「ISHIYA」表記
2021年は1st・2nd(ISHIYA)と3rd(白い恋人)で表記を分けた
1997年は袖
1999年 - 2001年、2008年 - 2009年は背中上部
鎖骨 なし - -
背中上部 あいプラングループ あいプラン(1st・3rd)
AIPLAN(2nd)
2018年 - 2016年7月 - 2017年は背中下部
(1stは「あいプラン」、2ndは「あいプラングループ 日本互助会」表記)
1st・3rd、2ndで分けるのは2021年 -
背中下部 ダイアモンドヘッド Diamond head 2018年 -
サッポロビール CLASSIC サッポロクラシック(1st)
☆SAPPORO(2nd・3rd)
2008年 - 2009年
2017年 -
1999年 - 2001年は胸
1997年 - 1998年、2002年 - 2007年、2010年 - 2016年は背中上部
1996年 - 2004年は「サッポロビール」表記
1st、2ndで分割表記は2014年 -
パンツ前面 なし - -
パンツ背面 なし - -

ユニフォームサプライヤーの遍歴編集

歴代ユニフォーム編集

FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1997 - 1998
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001 - 2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003 - 2004
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2007 - 2008
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2009
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 -
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1997 - 1998
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2002 - 2003
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004 - 2005
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2009
 
 
 
 
 
 
 
2010 - 2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 -
FP Other
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
20周年
函館開催記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
北海道命名
150年記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 3rd -

歴代ユニフォームスポンサー表記編集

年度 箇所 サプライヤー
鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ前面 パンツ背面
1996 HUDSON 解禁前 TOSHIBA 解禁前 サッポロビール - 解禁前 PUMA
1997 サッポロビール 白い恋人
1998 白い恋人 JALグループ
1999 サッポロビール 白い恋人 adidas
2000 JAL
2001
2002 白い恋人 サッポロビール JR北海道
2003
2004
2005 ☆SAPPORO
2006 Kappa
2007
2008 ニトリ 白い恋人 ☆SAPPORO JAL
2009
2010 白い恋人 ☆SAPPORO ニトリ
2011 -
2012 JA北海道
2013
2014 CLASSIC サッポロクラシック
(1st)
☆SAPPORO
(2nd)
2015
2016 - /
あいプラン
(1st)
あいプラングループ
日本互助会
(2nd)
[注 11]
2017 F-Power あいプラン
(1st)
あいプラングループ
日本互助会
(2nd)
CLASSIC サッポロクラシック
(1st)
☆SAPPORO
(2nd)
2018 F-Power トーホウリゾート あいプラン Diamond head
2019 ISHIYA - -
2020 TOHO
RESORT
CLASSIC サッポロクラシック
(1st)
☆SAPPORO
(2nd・3rd)
-
2021 ISHIYA
(1st・2nd)
白い恋人
(3rd)
- あいプラン
(1st・3rd)
AIPLAN
(2nd)
札幌ドーム
(1st)
札幌ドーム
(2nd・3rd)
Mizuno
2022 ISHIYA - -

スポンサー編集

オフィシャルトップパートナー編集

2021年3月6日現在

アカデミー編集

 
 
札幌U-18
U-15/U-12
 
旭川U-15
 
東川U-12
 
釧路U-15/U-12
 
室蘭U-15/U-12
アカデミー本拠地(2018年)

アカデミー(育成組織)として、以下のチームを保有している[51]

カテゴリー クラブ名
高校生年代 札幌U-18
1997年4月)
中学生年代 札幌U-15
(1997年4月)
旭川U-15
(2004年4月)
釧路U-15
(2016年4月)
室蘭U-15
(2019年4月)
小学生年代 札幌U-12
(2002年4月)
東川U-12
(2017年4月[52]
釧路U-12
(2016年4月)
室蘭U-12
(2019年4月)
  • クラブ名は北海道コンサドーレを省略。
  • () は設立年月。

歴史編集

クラブ創設の翌年1997年4月にトップチームが当時の練習場として使用されていた栗山町の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市東区東雁来に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、上川郡東川町に練習場「コンサフィールド東川」を開設した[53]。2016年に釧路で活動していたR・シュペルブ釧路を母体として釧路U-15、釧路U-12を開設し合同でアカデミー活動を開始[54]。2017年4月に東川U-12を発足し[52]、札幌U-12は昨年の活動拠点を更に増やして2カ所で活動[55]。2019年4月に室蘭U-15、室蘭U-12が発足し、現在活動しているジェネラーレ室蘭と合同で活動する[56]

全カテゴリースタッフ
役職 コーチ 前職 在職年 備考
アカデミーダイレクター   北原次郎 旭川U-15監督 2016年 - 北海道リラ・コンサドーレダイレクター兼任
アカデミーヘッドオブコーチ   財前恵一 ロアッソ熊本ヘッドコーチ 2017年 -
アカデミーコーディネーター   小山哲司 城西国際大学サッカー部監督 2016年[57] -
アカデミーサブダイレクター   青山剛 札幌U-18コーチ 2020年 - 札幌U-13担当兼任
アカデミースカウト   堀井健仁 札幌U-12コーチ 2020年 - 札幌U-8担当兼任
アカデミーフィジカルコーチ兼トレーナー   栗山渉 アカデミートレーナー 2017年 -
アカデミーフィジカルコーチ   横山知伸 FC岐阜 2017年 - 2017-18はトップチーム選手

札幌U-18編集

2012年12月24日 第20回Jリーグユース選手権大会 vsG大阪ユース戦(長居スタジアム)の決勝スターティングメンバー。数字は背番号、(C)はキャプテン。

高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ奈良竜樹榊翔太らを擁して[58] 優勝し初代王者となった。これにより出場したチャンピオンシップは準優勝。2012年のJリーグユース選手権大会で北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した[59]

  • 創設年:1997年
  • 本拠地:札幌市東区東雁来
  • 練習場:東雁来グラウンド、札幌サッカーアミューズメントパーク
所属選手
スタッフ
役職 コーチ 前職 在職年 備考
U-18,17担当(監督)   森下仁之 バレイン下関FC監督 2020年 -
U-18,17担当(コーチ)   森川拓巳 U-16担当 2020年 -
U-16担当   柴田慎吾 札幌U-15担当 2020年 -
アカデミーグループGKコーチ(U-18,17,16担当)   高木貴弘 北海道コンサドーレ旭川U-15 コーチ兼GKコーチ 2017年 -
過去のスタッフ
監督
コーチ
  •   及川真行 (1997年 - 1998年、2001年 - 2002年)
  •   財前恵一 (1999年 - 2000年、2007年 - 2009年)
  •   赤池保幸 (1999年 - 2001年、2003年 - 2006年)
  •   四方田修平 (2002年)
  •   深川友貴 (2003年 - 2010年)
  •   佐賀一平 (2005年)
  •   賀谷英司 (2006年)
  •   阿部勝弘 (2007年 - 2015年)
  •   蛯沢匠吾 (2009年 - 2012年)
  •   川口卓哉 (2011年 - 2014年)
  •   相川雄介 (2014年 - 2017年)
  •   関浩二 (2015年) [60]
  •   鈴木健士 (2016年)
  •   青山剛 (2017年)
  •   砂川誠 (2018年)
  •   大野貴史 (2019年)


成績編集

年度 リーグ戦 旧高円宮杯 クラブユース
選手権
Jユースカップ U-18監督
所属 試合 勝点 順位
1997 - - - - - - - - GL敗退 GL敗退   保坂不二夫
1998 - - - - - - - - GL敗退 GL敗退
1999 - - - - - - - - GL敗退 GL敗退
2000 - - - - - - - - GL敗退 ベスト16
2001 - - - - - - - ベスト16 準優勝 GL敗退   財前恵一
2002 - - - - - - - ベスト8 ベスト4 ベスト16
2003 プリンスリーグ
北海道
7 19 6 1 0 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退
2004 7 19 6 1 0 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退   四方田修平
2005 9 19 6 1 2 優勝 準優勝 GL敗退 GL敗退
2006 9 15 4 3 2 5位 - GL敗退 GL敗退
2007 9 25 8 1 0 優勝 ベスト16 GL敗退 GL敗退
2008 9 27 9 0 0 優勝 ベスト16 GL敗退 GL敗退
2009 9 23 7 2 0 優勝 GL敗退 ベスト8 GL敗退
2010 7 19 6 1 0 優勝 ベスト8 GL敗退 ベスト16
年度 リーグ戦 クラブユース
選手権
Jユースカップ U-18監督
所属 試合 勝点 順位
2011 プレミアリーグ
イースト
18 35 10 5 3 優勝[注 12] ベスト8 ベスト8   四方田修平
2012 18 30 9 3 6 2位 GL敗退 優勝
2013 18 29 9 2 7 5位 ベスト8 ベスト4
2014 18 20 5 5 8 8位 ベスト4 GL敗退
2015 18 13 3 4 11 9位 ベスト8 ベスト16
  川口卓哉
2016 プリンスリーグ
北海道
14 34 11 1 2 優勝 ベスト16 ベスト32
2017 14 36 12 0 2 優勝 ベスト16 ベスト32
2018 14 30 9 3 2 2位 GL敗退 ベスト8
2019 14 34 11 1 2 優勝 ベスト16 ベスト32   財前恵一
2020 6 15 5 0 1 2位 ベスト16 開催中止   森下仁之
2021 - - -
主な全国大会結果

ベスト4以上を記載

主な北海道大会結果

ベスト4以上を記載

2013年よりプレミアリーグとの日程調整がつかず不参加。2015年より第2種(U-18)チームは出場不可。

国際大会編集

大会名 試合日 対戦相手 会場 結果 備考
2006 ダラスカップ2006 GL第1戦(4月9日)   サントス・ラグナ ピザハット・パーク・フィールド 7 1-5 ●
GL第2戦(4月10日)   アイントラハト・フランクフルト リッチランド・カレッジ・フィールド 10 0-4 ●
GL第3戦(4月12日)   ブラックバーン・ローヴァーズFC ピザハット・パーク・フィールド 7 2-1 ○
2013 ゴシアカップ2013
U-16部
GL第1戦(7月15日)   IFKエステルスンドスウェーデン語版 ヘーデン 4 5-0 ○
GL第2戦(7月16日)   ロバトス・フット ゴシア・アリーナ 0-0 △
GL第3戦(7月17日)   FKフィヤールハンメルノルウェー語版 4-0 ○
決勝T 1回戦(7月18日)   FKリレハンメルノルウェー語版 ヘーデン 4 7-0 ○
決勝T 2回戦(7月18日)   キネティック・アカデミー ゴシア・アリーナ 5-0 ○
決勝T 3回戦(7月19日)   MTVトリュブント・リューネブルクドイツ語版 Harlanda 1 5-0 ○
決勝T 準々決勝(7月19日)   グンニルセISスウェーデン語版 ヘーデン 4 3-0 ○
決勝T 準決勝(7月19日)   IFエルフスボリ Slottskogsvallen 2-2 (5PK4) ○
決勝T 決勝(7月19日)   カンパラ・ジュニア ゴシア・アリーナ 2-3 ●
2016 第6回国際スポーツ競技大会
「アジアの子供たち」
第1戦(7月7日)   極東選抜 ユノスト競技場 7-1 ○ [61]
第2戦(7月9日)   キルギス代表 2-1 ○
第3戦(7月12日)   シベリア選抜 3-1 ○
第4戦(7月16日)   サハ選抜 7-0 ○
ゴシアカップ・チャイナ2016
U-18部
GL第1戦(8月14日)   沈朝一中 哥德足球公园A6 10-0 ○ [65]
GL第2戦(8月14日)   沈阳17中 23-0 ○ [66]
GL第3戦(8月15日)   无锡1中 12-0 ○ [67]
GL第4戦(8月16日)   Team Manarat 哥德足球公园A5 3-0 ○ 不戦勝[68]
決勝T 準々決勝(8月17日)   CF Football Academy 哥德足球公园A4 17-0 ○ [69]
決勝T 準決勝(8月18日)   沈阳市回民中学 4-0 ○ [70]
決勝T 決勝(8月19日)   CSKH 哥德足球公园A3 1-1 (10PK11) ● [71]
U-19ミャンマー国際招待ユース2016
(KBZ Bank U19 Cup 2016)
GL第1戦(8月22日)   U-19ミャンマー代表 マンダラーティエリースタジアム 4-1 ○ [72]
GL第2戦(8月24日)   U-19タイ代表 1-3 ● [73]
GL第3戦(8月26日)   U-19ベトナム代表 1-1 △ [74]
決勝(8月28日)   U-19ベトナム代表 0-0 (4PK5) ● [62][75]
2019 U16 TOYO TIRES CUP 2019 GL第1戦(6月9日)   ボルシアMG デュッセルドルフ市内 4-1 ○ [63]
GL第2戦(6月9日)   オリンピック・マルセイユ 0-0 △
GL第3戦(6月9日)   SGベンラート・ハッセルス 7-2 ○
決勝T 準々決勝(6月10日)   FCスロヴァン・リベレツ 2-0 ○
決勝T 準決勝(6月10日)   ハンブルガーSV 3-0 ○
決勝T 決勝(6月10日)   ヘルタ・ベルリン 0-1 ●

海外遠征編集

遠征名 試合日 対戦相手 結果 備考
2015 シュトゥットガルト遠征 第1戦(12月8日)   VfBシュトゥットガルトU-19 4-5 ● [76]
第2戦(12月9日)   シュトゥットガルト・キッカーズ 1-3 ● [77]
第3戦(12月10日)   SGゾネンホフ・グロースアスパッハ 10-0 ○ [78][79]
2016 昌寧遠征 第1戦(12月27日)   釜山アイパークU-18 5-5 △ [80]
第2戦(12月28日)   FCソウルU-18 0-3 ● [81]
第3戦(12月29日)   光州FC U-18 0-2 ● [81]
2017 リオデジャネイロ遠征 第1戦(3月26日)   フルミネンセU-18 1-5 ● [82]
第2戦(3月27日)   ボタフォゴU-18 3-6 ●
第3戦(3月28日)   フラメンゴU-17 3-1 ○
第4戦(3月30日)   ヴァスコ・ダ・ガマU-18 1-4 ●
第5戦(3月31日)   フルミネンセU-20 3-2 ○
2018 バルセロナ遠征 第1戦(3月28日)   BR10 SPORTS BRASIL 4-0 ○ [83]
第2戦(3月29日)   CF LLORET 6-1 ○
第3戦(3月29日)   KS ACADEMY 6-0 ○
第4戦(3月30日)   OPPSAL IF FOTBALL 3-1 ○
第5戦(3月30日)   ジローナU-18 0-0(PK4-5) ●

札幌U-15編集

  • 創設年:1997年
  • 本拠地:札幌市東区東雁来
  • 練習場:東雁来グラウンド
所属選手
スタッフ
役職 コーチ 前職 在職年 備考
U-15担当   砂川誠 札幌U-14担当 2020年 -
U-14担当   大野貴史 U-18,17担当(コーチ) 2020年 -
U-13担当   青山剛 U-18担当(コーチ) 2018年 - アカデミーサブダイレクター兼任
アカデミーグループGKコーチ(U-15,14,13担当)   阿部勝弘 屯田北中学校サッカー部コーチ 2007年 -
過去のスタッフ
監督
  •   三浦雅之 (1997年 - 2002年)
  •   森下仁之 (2003年 - 2006年)
  •   名塚善寛 (2007年 - 2012年)
  •   関浩二 (2013年 - 2014年)
  •   佐藤尽 (2015年)
  •   森川拓巳 (2016年 - 2017年)
  •   柴田慎吾 (2018年 - 2019年)
コーチ
  •   財前恵一 (1997年 - 1998年)
  •   及川真行 (1999年 - 2000年, 2003年)
  •   赤池保幸 (1999年 - 2002年)
  •   浅沼達也 (2000年 - 2001年)
  •   森下仁之 (2001年 - 2002年)
  •   冨樫剛一 (2002年9月 - 2002年)
  •   賀谷英司 (2003年 - 2005年, 2016年 - 2017年)
  •   松山大地 (2003年 - 2011年)
  •   関浩二 (2006年 - 2012年, 2015年)
  •   池内友彦 (2012年 - 2014年)
  •   蛯沢匠吾 (2013年)
  •   村田達哉 (2013年)
  •   中村拓朗 (2014年 - 2017年)
  •   村井一俊 (2018年)


成績編集

年度 所属 リーグ戦 高円宮杯
U-15
クラブユース
U-15
JFA
プレミアカップ
U-15監督
試合 勝点 順位
1997 - - - - - - - - 北海道大会敗退 北海道大会敗退   三浦雅之
1998 - - - - - - - - 北海道大会敗退 北海道大会敗退
1999 - - - - - - - 北海道大会敗退 北海道大会敗退 GL敗退
2000 - - - - - - - ベスト16 北海道大会敗退 GL敗退
2001 - - - - - - - ベスト8 GL敗退 GL敗退
2002 - - - - - - - 準優勝 北海道大会敗退 北海道大会敗退
2003 - - - - - - - 準優勝 北海道大会敗退 北海道大会敗退   森下仁之
2004 - - - - - - - ベスト16 ベスト8 北海道大会敗退
2005 - - - - - - - 北海道大会敗退 ベスト16 北海道大会敗退
2006 - - - - - - - 北海道大会敗退 GL敗退 北海道大会敗退
2007 北海道
カブスリーグ
1部 7 21 7 0 0 優勝 北海道大会敗退 北海道大会敗退 北海道大会敗退   名塚善寛
2008 9 27 9 0 0 優勝 ベスト4 ベスト16 北海道大会敗退
2009 10 28 9 1 0 優勝 準優勝 ベスト8 北海道大会敗退
2010 10 27 9 0 1 優勝 ベスト16 ベスト8 北海道大会敗退
2011 15 39 13 0 2 優勝 ベスト32 ベスト8 北海道大会敗退
2012 14 27 8 3 3 3位 北海道大会敗退 ベスト16 GL敗退
2013 14 42 14 0 0 優勝 ベスト32 ベスト32 GL敗退   関浩二
2014 14 35 11 2 1 優勝 ベスト16 ベスト8 GL敗退
2015 14 38 12 2 0 優勝 ベスト32 ベスト16 準優勝   佐藤尽
2016 14 38 12 2 0 優勝 準優勝 ベスト4 ベスト4   森川拓巳
2017 14 31 10 1 3 2位 ベスト32 北海道大会敗退 GL敗退
2018 14 40 13 1 0 優勝 ベスト32 ベスト4 GL敗退   柴田慎吾
2019 14 36 11 3 0 優勝 ベスト8 ベスト16 -
2020 9 22 7 1 1 優勝 ベスト32 開催中止   砂川誠
2021
主な全国大会結果

ベスト4以上を記載

国際大会編集

  • 中国足協青少年足球U15冠軍杯賽
    • 準優勝:2016年[84]
  • BOAL国際U-14大会
大会名 試合日 対戦相手 会場 結果 備考
2016 中国足協青少年足球U15冠軍杯賽 第1戦(11月18日)   新疆宋慶齡足校 武漢塔子湖体育中心体育場 9-1 ○ [87][88][89][90][91][92]
第2戦(11月19日)   成都棠中外校 1-0 ○ [93][94]
第3戦(11月21日)   山東魯能U15 2-1 ○ [95]
第4戦(11月23日)   水原三星U15 1-3 ● [96]
第5戦(11月25日)   湖北足球協会U15 3-1 ○ [84][97]
2017 BOAL国際U-14大会 GL第1戦(8月18日)   AZアルクマール ユリアナ・スポルトパルク 1-3 ● [98]
GL第2戦(8月18日)   クラブ・ブリュージュ 0-0 △
GL第3戦(8月19日)   スウィンドン・タウンFC 1-2 ● [99]
GL第4戦(8月19日)   PSVアイントホーフェン 0-2 ●
GL第5戦(8月19日)   ボルシア・ドルトムント 0-2 ●
GL第6戦(8月19日)   チェルシーFC 1-0 ○ [100]
GL第7戦(8月19日)   ADOデン・ハーグ 0-1 ●
順位決定戦(8月20日)   フェイエノールト 1-1 (2PK4) ● [101]
順位決定戦(8月20日)   VfLヴォルフスブルク 0-0 (3PK4) ●
順位決定戦(8月20日)   スウィンドン・タウンFC 4-0 ○ [102]
2019 BOAL国際U-14大会 GL第1戦(8月23日)   ブダペスト・ホンヴェードFC ユリアナ・スポルトパルク 1-3 ● [103]
GL第2戦(8月23日)   サウサンプトンFC 0-1 ●
GL第3戦(8月24日)   クラブ・ブリュージュ 0-1 ● [104]
GL第4戦(8月24日)   グラーヴェンザンデ 2-0 ○
GL第5戦(8月24日)   スタッド・ブレスト29 0-0 △
GL第6戦(8月24日)   アヤックス 0-4 ●
GL第7戦(8月25日)   ブレンビーIF 0-2 ●
GL第8戦(8月25日)   スパルタ・ロッテルダム 1-1 △
順位決定戦(8月25日)