ジェフリー・カッツェンバーグ

ジェフリー・カッツェンバーグ(Jeffrey Katzenberg、1950年12月21日 - )は、アメリカ合衆国映画プロデューサードリームワークス・アニメーションSKG最高経営責任者。倒産寸前のディズニー社を救った「救世主4人」のうちの1人でもある。

2022年  

来歴

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ニューヨーク州ニューヨーク生まれで、東欧ユダヤ系の血を引く。

ニューヨーク大学中退後、1975年に当時のパラマウント映画会長、バリー・ディラーのアシスタントとしてパラマウント映画へ入社。営業部を経てテレビ部門に移り、1979年に『スタートレック』をヒットさせる。当時の最高執行責任者マイケル・アイズナーとともにパラマウント映画の立て直しに貢献。

1984年にアイズナーはウォルト・ディズニー・カンパニーの最高経営責任者に就任する。アイズナーにディズニー入りを薦めたフランク・ウェルズが社長の二頭体制下でカッツェンバーグは低迷していたアニメ部門を含むディズニーの映画部門の責任者に就任した。彼は『ロジャー・ラビット』(1988年)、『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ライオン・キング』(1994年)など数々のヒット作を生み出す。ピクサーとの提携や、ミラマックスの買収も実現させ、ディズニーの第二次黄金時代を築いていった。

しかし1994年にアイズナーと対立しディズニーを辞職。同年に旧友のスティーヴン・スピルバーグデヴィッド・ゲフィンと共にドリームワークスSKGを設立する。この内幕についてアイズナーの側は4月に事故死したウェルズの後任にカッツェンバーグが自薦してきたがクリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシーマイケル・オーヴィッツを社長として迎えたのが原因と自伝で伝えている。実写部門をスピルバーグに、音楽部門をゲフィンに任せ、カッツェンバーグはアニメ部門を担当。『プリンス・オブ・エジプト』(1998年)、『ヨセフ物語 〜夢の力〜』(2000年)の製作総指揮を務め、2001年の『シュレック』は新たに設けられたアカデミー長編アニメ映画賞を初めて受賞した。

2004年にはアニメ部門をドリームワークス・アニメーションSKGとして分社化し、ニューヨーク証券取引所に株式公開した。2005年12月にドリームワークスSKGは古巣パラマウント映画を傘下に持つバイアコムに買収された。

2009年度の第37回アニー賞において、生涯功労賞にあたるウィンザー・マッケイ賞を受賞した[1]

2012年開催の第4回ガバナーズ賞(第85回アカデミー賞)において、ジーン・ハーショルト友愛賞が贈られた[2][1]

2017年の第70回カンヌ国際映画祭で、名誉パルム・ドールが授与された[1]

脚注

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  1. ^ a b c Jeffrey Katzenberg - Awards”. IMDb. 2022年6月24日閲覧。
  2. ^ 2012 GOVERNORS AWARDS”. oscars.org. AMPAS (2012年). 2022年6月24日閲覧。

外部リンク

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