ソフィスト: Sophist, 古希: Σοφιστής, Sophistēs, ソピステース)は、紀元前5世紀ごろ、すなわちペルシア戦争後からペロポネソス戦争ごろにかけて、主にギリシアアテナイを中心に活動した、金銭を受け取ってを教えるとされた弁論家教育家の総称。

ギリシア語に忠実な読みはソピステースである。語源としては「賢くする」を意味する動詞「ソピゾー」(σοφίζω)から作られた名詞であり、「賢くする人」「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」といった意味がある。代表的なソフィストに、プロタゴラスヒッピアスゴルギアスプロディコスがいる。彼らの同時代人にソクラテスがいる。

時代背景編集

ソロンの立法(紀元前594年)、クレイステネスの改革(紀元前507年)を経てアテナイには民主制が形成される。この世界史に初めて登場する民主制は、従来の有力・富裕氏族による独裁を防ぎ、選挙抽選によって国民(女性・未成年・奴隷を除く)のほとんど全てが政治に関わることを可能とした。

しかし、ペロポネソス戦争の頃から、冷静に政治的判断を行うべき評議会(政務審査会)はその機能を失う。評議会には説得力のある雄弁を用いて言論を支配するデマゴーグ(煽動的民衆指導者)が現れるようになり、戦争期の興奮の中、デマゴーグの誘導によって国策が決められるようになってしまった。

そのような社会状況の中で、政治的成功を望む人間は大衆に自己の主張を信じさせる能力を必要とした。そのためには、自信たっぷりに物事を語ることで人々を納得させ、支持を取り付けるものとしての話術の習得が必須であった。ここに、大金を出して雄弁の技術を身につけようとする者と、それを教えるとするソフィストの関係が成り立つこととなった。

悪名としてのソフィスト編集

ソフィストという名は当時からすでに悪い意味で通用することが多かった。彼らが金銭と引き換えに徳を教えるとしていたことから、家柄に見合う立派な人柄に子供を育てたいと考える富裕な人びとが主にその商売相手になっていたことや、目に見えない論理の力で無理やりに相手を打ち負かす詭弁の方法を教えているという噂が、大衆の反発を買ったことは当然であるといえる。

しかしながら重要なのは、ソフィストはその思想内容によって区別されるものではないということである。彼らが相対主義者、もしくは危険思想の持ち主であるという偏見は、プラトンの対話篇『ゴルギアス』『国家』の登場人物であるカリクレスやトラシュマコスなどの「ソフィスト」のイメージに由来するものだと考えられる。しかし、現実に彼ら(カリクレス、トラシュマコス)がソフィストであったという確証はなく、知られている断片の内容も相対主義を積極的に唱えたというよりは、世間の常識を彼らの流儀で強弁したものに過ぎない。

彼らが相対主義者として際立つのは、ソフィストをただ相手を説得する手管に秀でたものとして定義し、哲学者との区別を強調したソクラテスが存在するためである(実際のソクラテスの言動がいかなるものであったかは、本人は著作を一切しなかったため資料として存在しない。あくまでも、片鱗として、プラトンの対話編やクセノポンの「ソクラテスの思い出」などからうかがい知ることができるものとしてのソクラテス像である)。言論を用いた問答競技の方法に過ぎなかった弁証法(dialektikē)を「無知の知」の自覚のために用い、真理プラトンではイデア)の探求に向かわせるというソクラテスとの対比によってソフィストは批判対象となった。つまり、ソフィストが「を教える」といいながら「徳」がいったい何であるかを問題にすることがなかったこと、すなわち、徳とは何かがわからないのに、それを教えることができると称してお金を取り、「徳のようなもの」として、ソフィスト自身の思想等を教えていたことが、初めて批判されることになったのである。

また、ソフィストを危険思想の持ち主であるとする偏見と対応するようにソクラテスを既存の道徳の擁護者であるとする見方(ニーチェの影響か)も存在するが、これも極端な図式化[独自研究?]である。

しかし、socialist→socialismなどに対応する語sophismには「詭弁」の意味しかない。sophist=「詭弁屋」というシンプルな理解も十分合理的だろう。[独自研究?]

評価編集

波多野精一は社会生活から乖離する傾向を有していた古代ギリシアの学問を社会生活へと結びつけ、その知識を普及させたことが「ソフィストの上げた学術文化史上の不朽の大業績」であると述べている[1]。従来、古代ギリシアの学問は形而上学と自然学に集中していたが、弁舌で他者の心を動かす必要に迫られたソフィストは人間の心理の考察を自力で行わざるを得なかった。その考察の中で、ソフィストは諸説を検討することになったが、相互に相容れないこともある諸説の統合は容易ではなかった。また、実際の政治生活では、正反対の主張が同時に唱えられ、そのそれぞれにもっともな理屈の裏付けがあるという事態に遭遇することもあった。そうした経験もあって、ソフィストは認識論において懐疑論を主張するに至った。それこそがソフィストの学問的功績である。しかし、プロタゴラスにおいては真剣な学問だった懐疑論も、現実の生活に応用された途端に悪しき懐疑論に転落し、「どんな説でも人を説得すればそれでよい」という考えを導くに至った。その結果、古代ギリシアの社会秩序が大きく揺らいだというのが波多野のソフィスト評価である[2]

ローマ帝国期のソフィスト編集

以上のような前5世紀のソフィストから派生して、ローマ帝国期の弁論家の一部も「ソフィスト」と呼ばれることがある。明確な範囲は決まっていないが、主にピロストラトスの『ソフィスト列伝』[3]に挙げられるところの、由緒正しいアッティカ方言のギリシア語を駆使する、1世紀から3世紀の弁論家たちをさす[4]。現代の西洋古典学においては、「第二次ソフィスト思潮」「第二次ソフィスト運動」(英語: Second Sophistic)と呼ばれ、1970年代頃から研究対象とみなされ始め、2000年代頃から積極的に研究されるようになった[4]

主な人物に、アプレイウス[5][6]ルキアノス[4]クリュソストモス英語版[4]アリステイデス英語版[4]ポリュデウケスがいる。

参考文献編集

  • 田中美知太郎『ソフィスト』 講談社学術文庫 1976(初刊版: 弘文堂 1941)
  • 納富信留『ソフィストとは誰か?』ちくま学芸文庫 2015(人文書院 2006)、ISBN 9784480096593
  • 波多野精一 著 / 牧野紀之 編『西洋哲学史要』未知谷 2007(初刊版: 大日本図書 1901)、ISBN 489642185X
  • ピロストラトス、エウナピオス 著 / 戸塚七郎、金子佳司 訳 『哲学者・ソフィスト列伝』 京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2001年。ISBN 978-4876981311 (戸塚七郎 解説 / 納富信留 月報「ソフィストをめぐる哲学史の屈折」)

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 波多野(2007:48-49)
  2. ^ 波多野(2007:50-52)
  3. ^ ピロストラトス、エウナピオス 著 / 戸塚七郎、金子佳司 訳 2001.
  4. ^ a b c d e 勝又泰洋 (2017年). “研究ノート 「第二次ソフィスト運動」の知識人たちとの対話”. 日本西洋古典学会. 2020年8月26日閲覧。
  5. ^ 本間俊行 (2015年). “研究ブログ 哲学者とソフィストのステレオタイプ”. researchmap. 2020年8月30日閲覧。
  6. ^ 小島和男アプレイウスにとっての哲学とは何か?」『学習院大学文学部研究年報』第64巻、2017年。

関連項目編集

外部リンク編集