ダンテイ・ジョーンズ

アメリカのバスケットボール選手 (1980 - )

ダンテイ・ラヴァル・ジョーンズDahntay Lavall Jones 1980年12月27日 - )は、アメリカ合衆国 ニュージャージー州トレントン出身の元バスケットボール選手。現在はNBAロサンゼルス・クリッパーズの選手育成部門担当コーチを務めている。

ダンテイ・ジョーンズ
Dahntay Jones
ロサンゼルス・クリッパーズ AC
ポジション SG/SF
役職 アシスタントコーチ
基本情報
愛称 Tay
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1980-12-27) 1980年12月27日(43歳)
出身地 ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州トレントン
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 102kg (225 lb)
ウィングスパン(現役時) 212cm  (6 ft 12 in)
キャリア情報
出身 デューク大学
ドラフト 2003年 20位
選手経歴
2003-2007
2007-2008
2008
2008-2009
2009-2012
2012-2013
2013
2014-2015
2015
2015-2016
2016, 2017
メンフィス・グリズリーズ
サクラメント・キングス
フォートウェイン・マッドアンツ (Dリーグ)
デンバー・ナゲッツ
インディアナ・ペイサーズ
ダラス・マーベリックス
アトランタ・ホークス
フォートウェイン・マッドアンツ
ロサンゼルス・クリッパーズ
グランドラピッズ・ドライブ (Dリーグ)
クリーブランド・キャバリアーズ
指導者経歴
2020- ロサンゼルス・クリッパーズ (選手育成)
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

来歴

編集

デューク大学で4年間プレーした後、2003年のNBAドラフトで20位でボストン・セルティックスから指名され、ドラフト当日にメンフィス・グリズリーズから27位で指名されたケンドリック・パーキンスとのトレードでグリズリーズ入り[1]。グリズリーズでは4年間プレーしたものの、平均4.4得点に終わり、2007年夏にはクオリファイング・オファーの提示もなく、完全FAとなった。

2007年9月25日、ボストン・セルティックスと契約するも、開幕前に解雇[2]。12月10日にサクラメント・キングスと契約するも、翌年2月16日に解雇。3月21日にフォートウェイン・マッドアンツと契約し、残りシーズンを過ごした。

2008-09シーズンはデンバー・ナゲッツでプレーし、2009年7月14日にインディアナ・ペイサーズと4年契約を結んだ。

2012年7月12日、イアン・マヒンミサイン・アンド・トレードの一環として、ダレン・コリソンと共にダラス・マーベリックスに移籍[3]。しかし、平均3.5得点に終わり、2013年2月21日にアトランタ・ホークスに放出[4]。2013年9月にシカゴ・ブルズと契約するも、翌月8日に解雇され、2013-14シーズンはプレーすることが出来なかった[5]

2014-15シーズンはユタ・ジャズのトレーニングキャンプに参加するも、開幕前に解雇され、11月26日にDリーグフォートウェイン・マッドアンツと契約。翌年1月にロサンゼルス・クリッパーズ10日間契約を結び、2月3日にシーズン終了までの契約を結んだ[6]。3月9日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦の試合後には、ドレイモンド・グリーンのTVインタビューを邪魔したという理由で、リーグから1万ドルの罰金を課せられた[7]

2015-16シーズン開幕前は、ブルックリン・ネッツのトレーニングキャンプに参加するも、開幕前に解雇[8]。12月4日にグランドラピッズ・ドライブと契約。そしてシーズン終盤となった2016年4月13日にクリーブランド・キャバリアーズと契約[9]。シーズン最終戦のデトロイト・ピストンズ戦で先発出場した[10]。5月21日のNBAプレーオフイースタンカンファレンスファイナル第3戦のトロント・ラプターズ戦では、試合終盤にビスマック・ビヨンボローブローを放ったとして、1試合の出場停止処分を課せられた[11]。チームは2年連続でNBAファイナルに進出。ジョーンズ自身の出場機会は少なかったものの、自身初のチャンピオンを経験した。7月30日に解雇されたものの、9月22日にシーズンキャンプ契約で復帰。開幕ロースター入りを目指すことになった[12]が、開幕前に解雇された。その後は無所属となっていたが、2016-17シーズン閉幕直前に再びキャバリアーズに招集された[13]

2020年11月、ロサンゼルス・クリッパーズ選手育成兼ビデオ部門担当コーチに就任したことが発表された[14]

その他

編集

脚注

編集

外部リンク

編集