トニー・アレン (ミュージシャン)

トニー・アレン(Tony Oladipo Allen、1940年8月12日 - 2020年4月30日)は、ナイジェリア出身のドラマー、作曲家。

Tony Allen (Oslo Jazzfestival 2015)
トニー・アレン(2007年)

アフロビートの創始者、フェラ・クティの右腕として活動し、彼の元を離れてからも精力的に活動していた。

来歴編集

1940年にナイジェリアラゴスで、ナイジェリア人とガーナ人の元に生まれる。

アート・ブレイキーマックス・ローチ等のジャズ・ドラマーに影響され、ドラムを演奏するようになる。1964年にフェラ・クティのバンドのオーディションに受かり、彼とともに活動するようになる。1965年にはクーラ・ロビトスを結成し、ハイライフジャズが混ざり合った音楽を演奏していた。当初は複雑な音楽をやっていたが、聴衆には理解されず、アメリカのツアーを通じ、アメリカのファンクの影響を受けた、踊りやすいシンプルなものに変わっていった。

アメリカに滞在中、ブラック・パンサー[要曖昧さ回避]のメンバーである、黒人女性のサンドラ・イジドールから政治活動の影響を受け、これが音楽に結びつくようになる。

ラゴスに戻るとクティはアフリカ70を結成する。このバンドのアルバムにアレンは全て参加。在籍中、クティのプロデュースでJealousy(1975), Progress(1976), No Accommodition for Lagos(1978)を制作した。1980年代になるとクティの元を離れ、『トニー・アレン・アンド・アフロ・メッセンジャーズ』を結成し、No Discriminationを制作。1984年にイギリスに1年半滞在し、その後はフランスパリに移り住む。

1990年代は主にセッション・ミュージシャンとして活動。アルバムもコンスタントに発表し続けている。2007年にはブラーデーモン・アルバーンザ・クラッシュポール・シムノンらと共に『ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』(The Good, the Bad and the Queen)を結成してアルバムをリリースした。2012年にはデーモン・アルバーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズフリーとRocketjuice and The Moon (ロケットジュース・アンド・ザ・ムーン) 結成してアルバムをリリース。

2020年4月30日、パリのポンピドゥー病院で死去[1]。79歳没。

ディスコグラフィー編集

脚注編集

外部リンク編集