ノート:房総半島
房総半島の範囲
編集半島の定義、あるいは個々の半島の範囲は自然地理学などでも明確には規定されていないと理解していますが、現時点の記事「半島」では「3方位が水に接している陸地」「陸地の一部が水域に突き出た形になった部分」としており、この点で意見が大きく分かれることはないと思います(「3方位」は不明確ですが、「180°を超える範囲を水域に囲まれている陸地」という意味でしょうか)。
「房総半島の範囲」についても明確な規定は存在しないものと理解しています。地理関係の文献や千葉県関係の文献は確認していませんが、手許で確認できた『大辞林』第三版、『デジタル大辞泉』、(以下は旧版ですが)『広辞苑』第五版、『ブリタニカ』(日本語版)2004年版はいずれも範囲を明示していません。『大辞泉』・『ブリタニカ』は「おもに房総丘陵を中心とする部分」といった記述ですが、これも曖昧で、たとえば君津・勝浦付近から南側の丘陵がはっきりした地域を指すとも、記事「房総丘陵」で「房総台地」としている地域(定着した用語ではなく、「上総台地」と呼んだり、「両総台地」と呼んだり、この地域を含めて「下総台地」と呼んだりすることもあるようですが)を含むとも理解できます。
『広辞苑』第五版では房総半島を「安房・上総」としています。房総半島の場合は「くびれ」が存在するので、「くびれのできるだけ根元」(外房線の蘇我駅 - 大網駅間を延長した線)を境界とすると旧山武郡域を除く上総国、および安房国全域が房総半島の範囲ということになります。これに基づき、房総半島を基本的には東京湾と太平洋に挟まれた陸域とし、広義ではより広い範囲を含む場合もある、とするのが多義性に配慮した、妥当な記述だと思います。
半島の範囲はときに人文地理的(あるいは恣意的)に規定され、かならずしも海岸線の形状を反映しているわけではありません。たとえば、朝鮮半島は南北朝鮮の全域を指すことが多く、地勢的には明らかに大陸側の咸鏡北道なども一般に含みます。また、紀伊半島は「くびれ」を基準とすれば津 - 大阪以南になるはずですが、一般的には三重県南部と和歌山県全域、あるいは奈良県南部、三重県全域、奈良県全域などを含む地域を指すことが多く、大阪府南部を含むことは少ないようです。ただ、「房総半島」の場合、広義でも千葉県中部・南部(あるいはもう少し広い地域)を指すことが多いと理解しています。用例としては千葉県全域を指す場合もあると思いますが、それほど一般的ではないはずです(単に「千葉県」「千葉」などと呼ぶのが一般的でしょう)。
「#交通」は千葉県#交通とほぼ重複しており、千葉県全域の交通を挙げるだけで、東葛地域なども含んでいるので、除去します。ここまで述べたとおり、一般的に半島の範囲は明確には規定されないので、基部を含む事項を列挙しようとするのはあまり意味がないと思います。
ファイル:Location BosoPeninsulaJp.jpg で示されているのは東京湾と鹿島灘に挟まれた陸域です。この範囲を半島と定義することも可能ですが、これだと茨城県の一部も房総半島に含むことになり、一般的な定義とは異なります。除去しようかとも思いましたが、日本列島要部における房総半島の位置を示す地図として残しておきます。 --KAWASAKI Hiroyuki(会話) 2016年7月1日 (金) 09:16 (UTC)
- 長々とご高説を述べておられるようですが、何か考え違いをしてはいないでしょうか ?
- IP User の分際で僭越だとは思うのですが、ウィキペディアでは、記事には出典が不可欠であり信頼できる二次資料を出典とすべきはずです。三次資料も排除されるわけではありませんが、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源によれば『ブリタニカ百科事典』のようなものでも、手放しで許されるというものではなく、まして『広辞苑』が出典として適切とは到底思えないのです。なお、房総半島の範囲については、千葉県の大部分とする、地理的、地形的な見方と、旅行雑誌などのように、観光地である南半分とする考えがあることは確かです。そして一般の人は、学術的なことには興味ないわけですから、観光地である南半分とする考えの方が多数説かも知れません。そのため『広辞苑』は多数説を採用しているとも考えられます。しかし、実際に何かに書かれたものは、内房、外房の出典としてお示しいただいた、編:松村明. “ぼうそうはんとう[房総半島]”. 大辞林 第三版. エキサイト. 2016年7月1日閲覧。や『ブリタニカ国際大百科事典』などにもあるように、「千葉県の大部分、或いは全域」とするのがほとんどで、「千葉県の過半を占める」というような表現にはお目にかかったことはございません。
- 仰られていることがよくわかりませんので図書館に行ってあたってみたのですが、要は『大辞林』や『ブリタニカ国際大百科事典』などは、みんな「千葉県の大部分を占める」とするなかで(『大辞泉』は若干違った表現をしているようですが)、『広辞苑』だけは「千葉県の南半分」としている、ということのようです。だったら、何故唯一の例外の『広辞苑』に拠るのでしょうか、それにもましてわからないのは、「地理関係の文献や千葉県関係の文献は確認していません」といいながら、編集を強行するというのは、どういうことでしょうか?--58.93.68.169 2016年10月24日 (月) 00:05 (UTC)
- 返信 ご指摘どうもありがとうございます。
- 「編集を強行」とおっしゃられると心苦しいのですが、説明に「古鬼怒湾」を持ち出すのは無理があると思い、多少なりとも「マシ」にしたつもりでした。「地理関係の文献や千葉県関係の文献は確認していません」とわざわざ断っているのは、私自身の編集の信頼性の低さを明示し、もっときちんとした執筆を期待しているつもりです。
- ただ、各資料で「千葉県の大部分」としているのを『広辞苑』の記述と同じ範囲を指すと理解し、範囲を具体的に解釈できる『広辞苑』を出典としたのですが、(不十分だとは思いますが)とりあえず『コトバンク』に掲載されている各記事を今さらながら確認したところでは、『広辞苑』の記述はかならずしも一般的ではないようです。「千葉県の大部分」を『広辞苑』の記述と同じと解釈したのは私の勘違いだったようです。
- 『ブリタニカ国際大百科事典』では面積を5119km2としており、千葉県の面積、ないし後述するように旧関宿町を除く部分の面積とほぼ一致する(埋立地等による増減は未確認)。
- 『百科事典マイペディア』は上総・安房の2か国とする。
- 『世界大百科事典』によれば浦安と銚子以南とする。
- 『日本の地名がわかる事典』では私が書いた「くびれ」以南と一致する明治時代の『大日本地名辞書』(『広辞苑』や『マイペディア』は元をたどるとこれに依っているのではないかとも思われる)、旧安房国域とする『角川日本地名大辞典』を紹介しつつ、野田市北端(旧関宿町?)を除く千葉県全域とする見解が現在では主流だとする。
- 『日本大百科全書』では千葉県全域とする。記事の典拠として菊地利夫『房総半島』(ISBN 4-470-49010-5) を示す。
- 千葉県のウェブサイトの「千葉県のすがた」では千葉県の同義語として扱っているように読めます。一方、『地質ニュース』605号(2005年1月)の記事「海から生まれた千葉の大地—その歴史をひも解く」では千葉県北部の「銚子地域」を房総半島と区別していますが、「銚子地域」の具体的な範囲はこの記事だけでは分からないようです。
- 同様の指摘をいただいた房総丘陵の場合とは異なり、「房総半島」の具体的な範囲は恣意的にしか定められないと思いますので、(著者はアカデミックな専門家ではないようですが)諸説を紹介している『日本の地名がわかる事典』に基づく記述とし、もし菊地利夫『房総半島』で言及されていればその記述を加える、といったところでしょうか。
- なお、「半島」の定義を考えれば、範囲をくびれ以南とするのは自然な解釈であって、「観光地である」からではないと思われます。『日本の地名がわかる事典』が古地形を根拠としているのは牽強付会にも感じますが、千葉県北部を「房総半島」に含めるのは半島の定義からは無理があって、ほかに合理的な説明のしようがないからだと思います。 --KAWASAKI Hiroyuki(会話) 2016年10月24日 (月) 11:06 (UTC)、一部加筆:2016年10月24日 (月) 11:24 (UTC)、2016年10月24日 (月) 17:07 (UTC)
- 私は「千葉県の過半を占める」という表現を奇異に感じたので、貴方の仰る資料をあたってみただけです。房総半島の具体的な範囲は決められない、ということであれば、それに異論はありません。しかし多くの資料にある「千葉県の大部分を占める」は具体的な範囲を示していないのに対し、『広辞苑』の「千葉県の南半分」が具体的な範囲を示しており、だから「大部分」ではなく「過半」だというのであれは、それには納得できないということです。具体的な範囲は決められないにしろ、多くの資料が、「千葉県の大部分を占める」としており、この記事にも元々そう書いてあったのを、「千葉県の過半を占める」に書き換えたのは貴方です。
- 貴方がそう仰るのであれば、言わしてもらいたいことはいくらでもあります。説明に「古鬼怒湾」を持ち出すのは無理がある、とのことですが、『角川日本地名大辞典』も『千葉県の歴史』も「島の状態であった」としています。千葉県北部を「房総半島」に含めるのは半島の定義からは無理、とも仰るのですが、貴方の上げた例によれば、ごく一部を除き千葉県北部を「房総半島」に含めています。「専門的な知識がない」のなら「半島の定義を考えれば、範囲をくびれ以南とするのは自然な解釈」などというべきではありません。
- 平凡社の「日本歴史地名大系」『千葉県の地名』に至っては、その冒頭の「総論・自然と歴史的背景」の書き出しに(1000頁以上ある、その一番最初に)、「千葉県域は房総半島であり、その自然条件が房総の歴史的景観を用意した。」と高らかに宣言しており、「千葉県の南半分」としている『広辞苑』の説が取るに足らないものであることは明らかです。その取るに足らない説を唯一の拠りどころとし、編集を強行するということは、真面目な説に対する侮辱であり、到底許されるものではない、ということも付け加えさせてもらいます。専門的な知識がないとか、地理関係の文献や千葉県関係の文献は確認していません、というのは免罪符にはなりません。有り体に言えば、わからないのなら書くなということです。それどころか、実際には良くわかっているように思えてなりません。--58.93.68.169 2016年10月24日 (月) 23:27 (UTC)
房総半島の地球科学的な位置づけ
編集異議を申します。 歴史の項に「房総半島や三浦半島は、元々は太平洋プレート上にあった堆積物であり、それがフィリピン海プレートの北上の影響で本州にぶつかり一体化したものである。これらの半島には地層中に火山噴出物が大量に含まれている。」とありますが、これはあり得ないのではないかと思います。陸側プレートの浅い海の領域が隆起したものと思えます。グリーンタフの問題には立ち入りません。 この記述には落胆しました。現在議論されている議論の土台にもならない妄説であると思います。
妄説と酷評した根拠ですが、有体に言えば房総半島に高さ300m程度の山しかないということです。つまり浸食に弱い堆積岩で構成されています。
厳密に申せば、もし太平洋プレート上の堆積物が付加したとしても、それは分析や調査がなされていない難問であると思います。過去には太平洋プレートが陸側プレートを削っているという真逆な主張もありました。 そうではなく、それが付加し、隆起したと考えることについては、その岩石は太平洋プレートの沈み込みの角度から考えても、フィリピン海プレートの付加体である紀伊半島や四国の付加体とは異なり、さらに高圧で変成していると考えるのが妥当であり、房総半島に変成岩を見出さなければなりませんが、それは希少で安房と上総の境界断層、つまり衝突でめくれ上がったような地層に多少みられる程度なのです。
ウイキペディアのような信憑性に欠けるサイトには関わりたくないのですが、思わず書きこんでしまいました。--以上の署名のないコメントは、240d:0:6a1b:e000:28fe:7cdc:a01b:7b8f(会話/Whois)さんが 2017年11月15日 (水) 11:18 (UTC) に投稿したものです(Estranged999(会話)による付記)。
- 「房総半島や三浦半島は、元々は太平洋プレート上にあった堆積物であり、云々」の記述ですが、調べた限り、資料には見当たらず、出典も示されていないことから削除しました。--2400:4051:820:9E00:25A6:84CA:B1C2:6D6A 2021年4月27日 (火) 10:30 (UTC)
誤りを広めない
編集長くなってしまうのですがご勘弁ください。現在のこの記事の内容には疑問を抱かざるを得ないので、千葉県関係の資料を調べてみたのですが、『千葉県の歴史』は4頁に「千葉県の大部分は東と南を外洋、西は内湾と三方を海に囲まれた房総半島に属している」とし、6頁には「少なくとも古代中世において房総半島は半島というよりもむしろ四方を海や大河で囲まれた「島」であった」としています。『図説 千葉県の歴史』32頁には「房総半島の東端の犬吠崎は北海道の宗谷岬、九州の南端佐多岬からともに約1100キロメートルの等距離にあり、縄文時代になると、海進が始まり、東京湾は内陸まで入り込み、日本列島のまさに中心部にある」となっていて、『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典〈12〉千葉県』25頁の「千葉県のすがた」には、「日本列島の中央部南東端に位置する房総半島全体を占め、北は利根川を隔てて茨城県、西の北半分は江戸川を隔てて埼玉県・東京都に接する」とあります。また『角川日本地名大辞典(千葉県)』の19頁には「日本列島の中央部、列島が東北から西南に太平洋に押出すように弓なりに曲がるところに大きな半島がある。この半島が房総半島であり、その全域が千葉県域にあたる。その面積は約5,145km,南北約134km、東西約100km、東と南を太平洋、西を東京湾に囲まれ、半島の付け根には利根川・江戸川の流れがあり、半島といいながら水域に囲まれた島のような環境にある」と書かれております。百科事典ですと、『日本大百科全書』は「関東地方南東部に大きく突き出た半島……千葉県の全域である」としているのですが、平凡社の『世界大百科事典』は「関東地方の南東に突出する半島、千葉県域の大部分を占め、半島名は旧国名(安房、上総、下総)にちなむ。半島基部は東京湾奥の浦安と銚子を結ぶ下総台地の地域にあたるが、狭義には南部の房総丘陵とその海岸線を指す」と狭義の解釈が載っており、『ブリタニカ国際大百科事典』も同様で、説明(現在の版には、この説明と良く似た記述がありますので、敢えて全文を記載します)に「地形的には南から北へ3段階に低くなり、低山性の丘陵、台地、平野部に区分される。南部は標高300m前後の房総丘陵で、半島の中央部には上総、下総の両台地が広がり、平野部は利根川の沖積平野、九十九里平野、東京湾岸の三角州平野などである。南部の海岸には海岸段丘、隆起海喰台地、海喰崖が発達し、出入りに富んだ海岸線が多い。太平洋岸の太東崎から東京湾岸の富津岬にいたる約190kmの海岸地帯は、1958年南房総国定公園に指定された。半島南部は全般に温暖多雨な気候、特に海岸沿いの平地は無霜地帯で草花の露地栽培が盛ん。房総丘陵以北は首都圏の一部に属し、そのなかに点在する近郊農業地域は九十九里平野にまで及んでいる。東京湾岸には工業地域の造成が進み、急速に都市化・工業化が進行している。」とあり、例外なしに千葉県の全域あるいは大部分としています。「紀伊半島などと同様、範囲に明確な境界線は存在しない」とのことですが、紀伊半島は四方を海や大河で囲まれた房総半島の参考にはなりません。明確な境界線が存在する、しないではなく、(資料等の)千葉県の全域あるいは大部分とする見方と、(旅行雑誌等の)南半分とする見方があるということで、房総や房州アルプスの記事によれば、後者はいわば俗説であり誤用だということだと思います。たしかに、言葉というものは変わるものであり、誤用が一般化するのは世の常なのでしょうが、だからといってテレビの旅行番組や旅行雑誌に加担し、誤りを広めるということは、厳に慎むべきです。
参考資料
- 『千葉県の歴史』 山川出版社、2012年、ISBN 978-4-634-32121-2
- 『図説 千葉県の歴史』河出書房新社、1989年、ISBN 4-309-61113-3
- 『角川日本地名大辞典(千葉県)』 角川書店、1984年、ISBN 4-04-001120-1
- 『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典〈12〉千葉県』 ゼンリン、1997年、ISBN 978-4-795-91112-3
- 『日本大百科全書〈21〉』 小学館、1988年、ISBN 4-09-526021-1
- 『世界大百科事典〈26〉』 平凡社、2007年
- 『ブリタニカ国際大百科事典〈5〉』(小項目事典) TBSブリタニカ、1974年
履歴を調べてみますと、2019年2月13日 (水) 04:36時点における版までは、冒頭部が「房総半島(ぼうそうはんとう)は、関東地方の南東部、太平洋に面した半島。千葉県の大部分を占める。 」となっておりますので、冒頭部と「地理 」、「自然条件と開発 」については、一旦この版に戻し、資料などをもとに整理する、という処置を採らしていただきます。--2400:4051:820:9E00:25A6:84CA:B1C2:6D6A 2021年4月27日 (火) 06:57 (UTC)
- 念のため申し上げておきますが、私がしたのは冒頭部の前半を『世界大百科事典』の記述に沿って書きなおしたことと、『ブリタニカ国際大百科事典』の説明のうち抜け落ちていた部分を補ったことで、あとは元々あった記述を整理しただけです。なお、「明確な境界線は存在しない」というのは、船橋市や千葉市が房総半島の範囲内であることには異論は無いないものの、野田市や松戸市などを含むかどうかについては議論の一致をみていない、ということだと思います(千葉県の全域か、大部分か)。--2400:4051:820:9E00:25A6:84CA:B1C2:6D6A 2021年4月27日 (火) 07:11 (UTC)