ハイソサエティー (バンド)

日本のバンド

ハイソサエティーは、過去に芸能事務所の「ジャニーズ事務所」に所属していたバンドグループである。 ジャニーズフォーリーブスのバックバンドとして活動した。 このグループ名は、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川の夫であり作家の、藤島泰輔1965年発表の小説『日本の上流社会―高貴なる秘境を探検する』に由来する。 愛称は「ハイソ」。 後に「スーパーエイジス」と「アニメーション」の2つのバンドに枝分かれしていった。

ハイソサエティー
High Society
別名 ハイソ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル アイドル歌謡
活動期間 1966年 - 1973年
レーベル CBS・ソニーレコード
(CBS・ソニーレーベル(1970年 - 1971年)→EPICレーベル1971年 - 1973年))
事務所 ジャニーズ事務所
共同作業者 ジャニー喜多川
メリー喜多川
ジャニーズ
フォーリーブス
旧メンバー メンバー脱退メンバー参照

メンバー 編集

解散後リューベン&カンパニーを経て来生たかお、アンルイス、桑名正博、ジョー山中等のコンサート、レコーディング セッション。 再結成後のフォーリーブスのツアーにも。The Lowgunsを結成、とセッション活動中。三軒茶屋で音楽食堂 夢弦を経営。

  • 元持勲(サイドギター)
    もともち いさお。グループ加入以前は、音楽家兼ピアニストの栗原茂に師事して音楽を学んだ。伯母が清川虹子
    現在ハワイ在住。地元日本語ラジオKZOO放送、毎週現地時間16時30分から2時間、

『Isaoと京子の弾丸炸裂トーク』に出演中。 また、 ツアー会社を経営、自ら運転しガイドもする。 ジャニーズに所属していたことから芸能界の裏話、 日・米のプロ野球の話題など豊富な話題で、 リスナー、ツアー客の人気を集める。 週に数回レストランでの弾き語りも好評。

  • 横内健亨(ギター)
    よこうち たけひろ。 後に「ウォッカ・コリンズ」→「オレンジ」→「TENSAW」といったバンドへ次々に参加したり、ムッシュかまやつのバックを担当した。 現在は「横内タケ」に改名。
  • この他にもまだ数名が参加。メンバー構成は実に流動的で入れ替わりが激しく、最終的には延べ15名以上の人間が参加した。

脱退メンバー 編集

  • 粟野敏和(あわの としかず。粟野トムの兄)
  • 粟野トム(あわの とむ。粟野敏和の弟)
  • 佐山たけし(ドラム)
    途中から「佐山タケシ」に改名。喜劇俳優・佐山俊二の長男。後にマジシャンに転向。
  • 新庄一(ベース)
    しんじょう はじめ。脱退後は「新庄ハジメ」に改名して、1970年10月に「寺内タケシとブルージーンズ」に加入。バンド「ザ・スピリッツ」の新城みのる(本名:新城一)は別人。
  • 山岡国士(途中から「山丘邦夫」に改名。本名は山岡國士。)(エレクトーン
  • 永田英二(愛称・英坊、英ちゃん)
    一時期、「永田英二とハイソサエティー」として、ボーカルで参加していた。当時中学1年生。
  • 柳瀬薫(ドラム)
    すぐに脱退して半年ほど事務所を離れた後、「やなせかおる」の名で「ジューク・ボックス」のメンバーとして復帰した。

概要 編集

  • 1966年結成。 同年8月から日本劇場の「ウエスタン・カーニバル」に出演し始め、ジャニーズのバックバンドとして活動。1968年8月からはフォーリーブスのバックバンドとなり、1972年まで延べ18回連続での出演を果たした。
  • 1968年9月、永田英二をボーカリストに迎え、一時期だけ「永田英二とハイソサエティー」の名で活動。
  • 1970年11月、CBSソニーから、いきなりLPレコードでデビュー。
  • 1971年10月、CBSソニーの新レーベル「EPIC」の第1号タレントとしてシングルレコード発売。 1971年度のレコード会社内での新人賞を受賞。
  • 1973年、永田英二を正式にボーカリストに迎え入れた新たなバンド「スーパーエイジス」を発足するため、高橋と村田が脱退。 しばらく残りのメンバーだけで「ハイソサエティー」として活動していたが、同年にバンド名を新たに「アニメーション」に改名した。

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

  • 不思議な恋の物語 c/w 君を奪いたい(高橋洋一ソロ)(1971年10月、EPIC)

アルバム 編集

主な出演作品 編集

ミュージカル 編集

  • フォーリーブス・ライブ・ミュージカル―少年たちシリーズ―『生きていくのは僕たちだ!』
    1972年1月、帝国劇場芸術祭参加作品)
  • ミュージカル『僕がうたうとき!』(1972年8月)

日本劇場でのステージ 編集

  • 第30回ウエスタン・カーニバル(1966年8月27日 - 9月2日)
  • 第31回新春日劇ウエスタン・カーニバル(1967年1月15日 - 21日)
  • 第33回ウエスタン・カーニバル(1967年8月26日 - 9月1日)
  • 第34回ウエスタン・カーニバル(1968年1月15日- 22日)
  • 第35回ウエスタン・カーニバル(1968年5月4日- 10日)
  • 第36回ウエスタン・カーニバル(1968年8月26日- 9月2日)
  • 第37回ウエスタン・カーニバル(1969年1月14日- 21日)
  • 第38回ウエスタン・カーニバル(1969年5月5日- 12日)
  • 第39回ウエスタン・カーニバル(1969年8月25日- 9月1日)
  • 第40回ウエスタン・カーニバル(1970年1月15日 - 22日)
  • 第41回ウエスタン・カーニバル(1970年5月2日 - 8日)
  • 第42回ウエスタン・カーニバル(1970年8月25日 - 9月1日)
  • 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル(1971年1月15日 - 22日)
  • 第44回日劇ウエスタン・カーニバル~みんなで踊ろう!(1971年4月23日 - 29日)
  • 第45回ウエスタン・カーニバル(1971年8月27日 - 9月2日)
  • 第46回ウエスタン・カーニバル(1972年1月15日 - 22日)
  • 第49回ウエスタン・カーニバル(1973年5月4日)

脚注 編集

  1. ^ 略歴 - 高橋洋一 公式サイト

関連項目 編集

外部リンク 編集