パンタレオ・コルヴィーノ

パンタレオ・コルヴィーノPantaleo Corvino1950年1月1日 - )は、イタリアヴェルノレ出身の、元フィオレンティーナのスポーツディレクター(SD)及び同クラブ下部組織の統括総責任者である。

2008年9月のコルヴィーノ

人物編集

2005年にフィオレンティーナのスポーツディレクターに就任後、数々の無名選手の発掘や、有望若手選手の獲得に尽力し、セリエA復帰後のフィオレンティーナの躍進を支えた中心人物である。

来歴編集

軍人からカルチョ界へ編集

 
後にビッグクラブに移籍するミルコ・ヴチニッチ

イタリア空軍の下士官を退役後、当時セリエC1に所属するカザラーノにてスポーツマネージャとしてカルチョ界でのキャリアをスタートしている。当時から有望な無名選手を発掘するスカウト能力が高く、1996年には後にイタリア代表にも選出される、当時17歳のファブリッツィオ・ミッコリの発掘を始め、インテルの下部組織出身のパオロ・オルランドーニを獲得するなど、高い先見性を示していた。

レッチェでの躍進編集

1998年には、その能力を買われUSレッチェのスポーツディレクターとして迎え入れられる。レッチェに置いても無名選手の発掘に力を入れ、スカウトマンが「面白い選手がいる」と言えば、たとえそれがイタリア国外の無名の大会や、果ては草サッカーのような物であっても、直々に足を運び必ず自身の目でプレーを確認したと言われている。後に15歳11ヶ月でセリエAデビューを果たし、セリエA外国人選手の最年少出場記録を更新するヴァレリ・ボジノフを12歳の頃にスカウトし、2000年初期のズデネク・ゼーマンの超攻撃サッカーやレッチェの躍進を支えたエルネスト・ハビエル・チェバントンミルコ・ヴチニッチクリスティアン・レデスマなどの発掘、獲得は全てコルヴィーノの功績である。

フィオレンティーナ時代編集

 
ティフォジの声援に応えるパンタレオ・コルヴィーノ氏
 
フィオレンティーナの躍進を共に演出するプランデッリ監督

2005年に、セリエA復帰後のクラブ建て直しを計るフィオレンティーナはフロントの大刷新を行い、そのスポーツディレクター(SD)として白羽の矢が立ったのが、当時レッチェで頭角を現していたコルヴィーノであった。フィオレンティーナ会長のディエゴ・デッラ・ヴァッレは、ボジノフをレッチェから獲得する際[1]の交渉相手であったコルヴィーノの交渉手腕や有望選手を獲得する先見性に惚れ込んでおり、このことをきっかけにフィオレンティーナ招聘に到った。

フィオレンティーナのSDに就任するとさっそくその手腕をいかんなく発揮する。前年度に20得点をするものの、遅咲きの選手であったためにビッグクラブが獲得をためらったルカ・トーニを始め、後にフィレンツェの至宝と呼ばれたジャンカルロ・アントニョーニにじきじきに後継者と認められるとまでに成長を果たすリッカルド・モントリーヴォを頭角を現す前に格安でアタランタBCから買取り、数年前まではアマチュアリーグでプレーしていた無名のマヌエル・パスクアルアレッツォから獲得した。若手選手を育成することを得意とするチェーザレ・プランデッリと共にこのシーズンのフィオレンティーナの躍進を影から支えた。

2006年冬にはズドラヴコ・クズマノヴィッチを獲得がほぼ決まっていたパレルモから強奪するなど、時にその手口は強引とも呼べるが、後にパレルモのSDリーノ・フォスキは「それがカルチョメルカートの交渉術であり、コルヴィーノが1枚上手だっただけだ」と逆に評価している[2]。しかし一方で、この年にレッチェ時代の若手選手獲得に対して、イタリアサッカー連盟が定める規定に違反したとして6ヶ月の活動停止処分が下されている。2006年の夏の移籍市場では主軸となるアドリアン・ムトゥファビオ・リヴェラーニを獲得し、若手とベテランを融合させたチーム作りを画策する。

2007年アルトゥーロ・ルポリアントニー・ヴァンデン・ボーレマヌエル・ダ・コスタなど既に頭角を現し始めている若手選手の獲得にも力を入れていたが、一方でパブロ・ダニエル・オスヴァルドオンドジェイ・マズフヤン・ハブレといった無名選手の発掘にも余念がなかった。2008年には後にブラジル代表に招集されるフェリペ・メロや、マンチェスター・ユナイテッドFCレアル・マドリードとの争奪戦を制して当時欧州最高の才能と言われたステヴァン・ヨヴェティッチを獲得している。

2009年には、前年度に900万ユーロで獲得したフェリペ・メロを2500万ユーロでユヴェントスに売却し、評価額が上がる前の選手を獲得していたことを証明する。しかし、サポーターレベルでは犬猿の仲である宿敵ユヴェントスに売却したことにより、激しい非難を浴びることになる。また、代わりに獲得したマルコ・マルキオンニクリスティアーノ・ザネッティなどの選手が、サポーターの満足の行く面子ではなかったことも批判の助長となる。しかし、シーズンが始まってみると新たに獲得した選手達がチームに新たなクオリティを与え、前年度に1勝することしかできなかったUEFAチャンピオンズリーグにおいて好成績でスタートすることができた。それを目の当たりにしたサポーターは一転して、コルヴィーノに賞賛を与えることになる。

2012年3月18日、フィオレンティーナはコルヴィーノとの契約を延長しないと発表。同年6月を以てクラブ各職を退任し、7年間のフィオレンティーナでのキャリアに幕を下ろした。

エピソード編集

 
強いキャラクターのコルヴィーノ
  • 非常に温和な性格だと言われているが、ことカルチョメルカートに関しては例外であると言えよう。2005年にフィオレンティーナに就任後すぐに、自らが発掘したミッコリやボジノフをクラブの方針と合わないを見ると簡単に手放した。しかし、これはスポーツディレクターとしての有能さを物語るものであって、決して彼自身に感情的な面がないわけではない。
  • 2007年の3月、ルカ・トーニがイタリア代表対スコットランド代表戦でドッピエッタ(2得点)をあげた翌日、ルカ・トーニ、クリスティアーノ・ルカレッリセバスティアン・フレイリヴォルノにあるスーゲレ刑務所を訪れた。スーゲレ刑務所に収監されているのは、殺人や麻薬売買を犯した人々である。その収監者の1人、フルヴィオ・リッツォが書いた芝居を囚人たちが演じ、それを観劇しに来たのである。リッツォは39歳で、この刑務所で15年を過ごしてきた。トーニ達を観劇に連れて来たのはコルヴィーノであった。実は彼がレッチェにいたとき、まだ少年だったフルヴィオ・リッツォを指導していたのだ。コルヴィーノは数ヶ月前にリッツォとした約束を、この日果たしたのだ。
  • フィオレンティーナのファンからは非常に人気があり、イタリアの現地ではコルヴィーノのチャント(応援歌)が存在する。

コルヴィーノが獲得後、評価を上げた選手一覧編集

2009年、ガゼッタ・デロ・スポルト紙はフィオレンティーナ所属選手の総価値は1億8500万ユーロになると発表した[3]。この数字は当時所属していた選手の獲得時の合計移籍金額を大きく上回っており、コルヴィーノが将来性のある選手や適正な評価を得ていない選手を見抜く才があることを証明している。以下に該当する主な選手を上げる。

獲得後評価を上げた選手一覧
獲得選手名 獲得年 獲得時の移籍金額 獲得後の評価額 その他獲得後の特筆すべき評価
ルカ・トーニ 2005年 1000万ユーロ 1100万ユーロ[4] 2006年セリエA得点王、FIFAワールドカップ優勝。
リッカルド・モントリーヴォ 2005年 550万ユーロ[5] ※2000万ユーロ[6] イタリア代表招集。2007年オスカルデル・カルチョ獲得。
アレッサンドロ・ガンベリーニ 2005年 300万ユーロ[7] ※1300万ユーロ[3] イタリア代表招集。2006年セリエA最小失点。
マヌエル・パスクアル 2005年 550万ユーロ[8] ※700万ユーロ[3] イタリア代表招集。2006年セリエA最小失点。
セバスティアン・フレイ 2005年 850万ユーロ[9] [10] ※2000万ユーロ[11] 2006年セリエA最小失点。
アドリアン・ムトゥ 2006年 800万ユーロ[12] 2000万ユーロ[13]
フェリペ・メロ 2008年 900万ユーロ[14] 2500万ユーロ[15] ブラジル代表招集。
ステヴァン・ヨヴェティッチ 2008年 800万ユーロ[16] ※3000万ユーロ[17]
フアン・マヌエル・バルガス 2008年 1200万ユーロ[18] ※2500万ユーロ[19]

※獲得後の評価額は最高時点のものであり、一部の選手を除いて確定したものではない。

コルヴィーノのスカウトにより有名になった主な発掘選手編集

所属クラブ編集


関連項目編集

脚注編集

  1. ^ フィオレンティーナは2004年の冬の移籍市場において、当時レッチェに所属していたボジノフを移籍期限ギリギリの1月31日に1300万ユーロで購入
  2. ^ コルヴィーノとリーノ・フォスキはお互いが「セリエB時代の盟友」と認め合っている。
  3. ^ a b c フィオレンティーナ所属選手の総価値は1億8500万ユーロgoal.com(2009-7-1)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  4. ^ トーニを1100万ユーロで獲得バイエルン・ミュンヘン公式(2007-5-30)(ドイツ語),2010-1-8閲覧
  5. ^ フィオレンティーナ、550万ユーロでモントリーヴォを獲得gazzetta.it(2006-11-11)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  6. ^ ミランがモントリーヴォ獲得のために総額2000万ユーロを準備か(2008-11-11)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  7. ^ ガンベリーニを300万ユーロで獲得fiorentina.it(2005-7-4)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  8. ^ パスクアルを総額550万ユーロで完全保有(2006-6-17)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  9. ^ フィオレンティーナ:フレイの保有権の一部を350万ユーロで買取fiorentina.it(2005-6-24)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  10. ^ フィオレンティーナ:フレイの残りの保有権を500万ユーロで買取fiorentina.it(2006-5-15)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  11. ^ フレイ獲得のためミランが2000万ユーロを準備goal.com(2009-6-10)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  12. ^ 800万ユーロでムトゥを売却ユヴェントス公式(2006-7-10)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  13. ^ ローマが2000万ユーロでムトゥを獲得かgazzetta.it(2008-7-22)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  14. ^ フィオレンティーナ900万ユーロでフェリペ・メロを買取udalmeriasad.com(2008-5-21)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  15. ^ フェリペ・メロを2500万ユーロで買取ユヴェントス公式(2009-7-15)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  16. ^ フィオレンティーナ800万ユーロでヨヴェティッチ獲得goal.com(2008-5-10)(英語),2010-1-8閲覧
  17. ^ マンチェスター・ユナイテッドがヨヴェティッチ獲得のために3000万ユーロを準備golmania.it(2009-10-21)(イタリア語),2010-1-8閲覧
  18. ^ バルガスがフィオレンティーナと契約goal.com(2008-6-26)(英語),2010-1-8閲覧
  19. ^ レアル・マドリードがバルガスに興味firenzeviola.it(2009-11-3)(イタリア語),2010-1-8閲覧