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サッカーブラジル代表

サッカーブラジル代表: Seleção Brasileira de Futebol[† 1])は、ブラジルサッカー連盟によって編成されるブラジルの男子サッカーのナショナルチーム。

サッカーブラジル代表
国または地域 ブラジルの旗 ブラジル
協会 ブラジルサッカー連盟
愛称 Canarinho
Verde-Amarela
Amarelinha
監督 チッチ
最多出場選手 カフー(142試合)
最多得点選手 ペレ(77得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1914年9月20日アルゼンチン
0-3
最大差勝利試合 1949年4月10日ボリビア
10-1
1957年3月24日コロンビア
9-0
最大差敗戦試合 1920年9月18日ウルグアイ
0-6
2014年7月8日ドイツ
1-7
FIFAワールドカップ
出場回数 20回(初出場は1930
最高成績 優勝 (1958, 1962, 1970, 1994, 2002)
サッカー南米選手権
出場回数 32回
最高成績 優勝8回(1919, 1922, 1949, 1989, 1997, 1999, 2004, 2007)
ブラジルサポーター
南アフリカW杯北朝鮮戦)

目次

概要編集

FIFAワールドカップにおいて唯一、2018年大会までの21大会全てにおいて本大会出場を果たしており、単独最多となる5度の優勝経験を有する世界を代表するサッカー大国でもある。

ワールドカップ優勝国の中では、スペインと同様に地元開催での優勝経験が無い。コパ・アメリカでは8回優勝している。これは、15回のウルグアイ、14回のアルゼンチンに続いて3番目に多い回数である。FIFAランキングで1位になった経験を持つ8チームのうちの1つでもある。

チームカラーはカナリア色(黄色)、青、緑、白で、これはブラジルの国旗から取られている。愛称はチームカラーよりカナリア(Os Canarinhos)。また、ブラジルの公用語であるブラジルポルトガル語でナショナルチームのことを seleção[† 2][ˌseleˈsɐ̃w̃] セレサォン)というが、ヨーロッパポルトガル語では seleção[sɨlɛˈsɐ̃w̃] スレソン)と言い、綴りは同じながら発音が異なるため、日本語では「セレソン」だけでブラジル代表を想起させることが多い。

最多試合出場はカフーの142試合、最多得点はペレの77得点。

ブラジル国内での試合開催はワールドカップ地区予選、アルゼンチンとの国際親善試合「スーペルクラシコ」以外では年1回の国際親善試合に限られている。それ以外はヨーロッパを中心にアウェイ、中立国で親善試合を開催する。

歴史編集

 
サッカーブラジル代表のエンブレムの基になっている騎士修道会の十字。これは旧宗主国のサッカーポルトガル代表と共通である。

1914年リオデジャネイロ州サンパウロ州の合同選抜チームがイングランドエクセター・シティFCと対戦したのがブラジル代表の最初の対外試合であると言われている。試合結果については2-0でブラジルの勝利であったとするものと、3-3の引き分けであったとするものとがいずれも複数存在しており、正確な情報は不明である。

初期のブラジル代表は常に世界トップレベルにある現状とは程遠く、ブラジルサッカー連盟内部でのプロ化に関する意見の不一致による内部紛争などの影響で、代表チームの編成も不安定な状況にあった。南米選手権(現在のコパ・アメリカ)では1919年1922年に優勝したものの、1920年チリビニャ・デル・マールで開かれた南米選手権ではウルグアイに、2014年現在も最多得失点差での敗戦記録[† 3]として残る0-6の大敗を喫している。

また、第一次世界大戦の影響もあるが先述のエクセター・シティFCとの対戦以降、欧州チームとの対戦は1928年スコットランドマザーウェルFCとの試合までなかった。

ウルグアイで開催された第1回FIFAワールドカップに出場し、グループ2初戦のユーゴスラビア戦に1-2で敗れ、続くボリビア戦には4-0で勝利したもののグループリーグ敗退となった[† 4]

1934年にはイタリア王国で開催された1934 FIFAワールドカップ初戦のスペイン戦に1-3で敗れ、早々に敗退[† 5]、その足で向かったアウェーの親善試合、ユーゴスラビア戦で2014年現在もブラジル代表の公式試合最多失点記録として残る4-8の大敗を喫している[1][2]

1938 FIFAワールドカップでは初めて準決勝まで進出するも、優勝したイタリアに1-2敗れ3位決定戦でスウェーデンに勝利し3位となっている。

ブラジルにとって、ワールドカップ優勝を狙える最初の機会は南米選手権で27年ぶりに優勝した1949年の翌年、自国で開催された1950年大会であった。1次リーグを2勝1分で突破すると、2次リーグでもスウェーデンに7-1、スペインに6-1と大勝し、この大会の事実上の決勝となったリオデジャネイロマラカナン・スタジアムでのウルグアイとの2次ラウンド最終戦に臨んだ。しかし引き分けでも優勝だったにもかかわらず逆転負けを喫し、初優勝を逃した。これは「マラカナンの悲劇」とよばれている。

初優勝は1958年スウェーデン大会で、決勝で地元のスウェーデンを5-2で破った。これは南アメリカのチームがヨーロッパで開催されたワールドカップで優勝したただひとつの例である。1970年メキシコ大会では、ペレ率いるブラジルは3度目の優勝を果たし、ジュール・リメ杯を永久保持することとなった。

1982年スペイン大会ジーコソクラテスファルカントニーニョ・セレーゾの4選手が形成した中盤は黄金のカルテットと呼ばれ、「ブラジルサッカー史上最もファンを魅了したチーム」と称されたが結果的には2次リーグ敗退している。ブラジルでは、この2次リーグのイタリア戦を「サリアの悲劇」とよんでいる。

1994 FIFAワールドカップでは決勝でも決着がつかず、PK戦の末にロベルト・バッジョらを擁するイタリアに3-2で勝利し4度目の優勝を飾った。

1998 FIFAワールドカップでも2大会連続で決勝に進出したが、ジネディーヌ・ジダンらを擁する開催国のフランスの前に0-3で敗れ、連覇はならなかった。

2002年日韓大会では南米予選で苦戦し、本大会出場すら危ないほどだった。それを引きづるかのように本大会初戦のトルコ戦でも先制点を許してしまうが、なんとか2-1で逆転した。しかしその後はロナウドリバウドロナウジーニョら攻撃陣が機能し、全勝で決勝まで勝ち上がった。決勝の相手はそれまでワールドカップで対戦したことのなかったもうひとつのサッカー大国、オリバー・カーンらを擁するドイツだった。これをロナウドの2ゴールにより2-0で制し、ワールドカップ最多優勝記録を5に伸ばした。

2006年ドイツ大会では、前回大会とは対照的に南米予選を1位で通過した。黄金のカルテットになぞらえて「カルテット・マジコ」(魔法の4人組)と呼ばれたロナウド、ロナウジーニョ、カカアドリアーノの4人による前線を擁し、優勝候補の大本命とみなされていた。特にロナウジーニョへの期待が高く、「この大会はロナウジーニョの大会になるだろう」との声もあった。しかし、準々決勝で8年前のフランス大会の決勝で敗れたフランスと当たり1-0で落とし、連覇及び当時史上初となった4大会連続ベスト4を逃した。

2010年南アフリカ大会南米予選では、開始早々から好調を維持していた。2009年9月5日、敵地での対アルゼンチン戦を3-1で勝利し、3試合を残しながら南米勢のトップを切って本大会出場が決定した。これで第1回(1930年ウルグアイ大会)からの連続本大会出場記録が「19」に伸びた[3]。本大会では順当に勝ち上がるが、準々決勝でオランダと対戦し1-2で逆転負けを喫した。翌年のコパ・アメリカ2011では3連覇を狙ったものの、準々決勝でパラグアイと対戦して押し込みながらもゴールを奪えず、PK戦の末に敗れた。

2014年大会は開催国として予選免除での本大会出場、丁度20度目の出場となった。エースのネイマールを中心にチームは勝ち進んだものの、ベスト4を争った準々決勝のコロンビア戦では勝利を収めながらチームの核であるネイマールがコロンビアのフアン・スニガと衝突した際に腰椎を負傷し、それ以後の試合は絶望となった。また、キャプテンでセンターバックのチアゴ・シウバもイエローカードを貰い、次戦累積により出場停止となった。決勝進出を賭けた準決勝のドイツ戦では、前半に5失点を喫するなど1-7と大敗を喫した。これは3大会ぶりの決勝進出を逃しただけでなく、ワールドカップの決勝トーナメント史上初の7失点という記録も残した。この敗戦は「マラカナンの悲劇」にちなんで「ミネイロンの惨劇[4]ベロオリゾンテの惨劇など)」(Mineiraço)と呼ばれている。前回大会の準々決勝で敗れたオランダとの3位決定戦でも0-3と敗れ、10大会ぶり2度目の4位に終わった。南米大陸開催のFIFAワールドカップで、開催国が3位以内に進出できなかった初の例となった。また、11得点に対し14失点(出場した大会中、ワースト記録)と1966年イングランド大会以来11大会ぶりに失点数が得点数を上回った。

2018年ロシア大会南米予選ではネイマールの不在により序盤6試合は2勝しかできず、予選敗退ゾーンの6位まで転落したがその後は2016年リオデジャネイロオリンピックで優勝するなどムードを良くすると同時に一気に8連勝し、ワールドカップ地区予選通過第1号で本大会出場を決めると同時に連続本大会出場記録が「21」にも伸びた。本大会ではグループEに入り、初戦のスイス戦では1-1のドローとなったが、2戦目のコスタリカ戦では後半のアディショナルタイムにコウチーニョ、ネイマールがゴールを決め2-0で勝利を収めた。3戦目のセルビア戦でも2-0、迎えた決勝トーナメント1回戦のメキシコ戦でも2-0で勝利した。準決勝をかけて戦った準々決勝の対ベルギー戦では前半の13分にフェルナンジーニョがオウンゴールを許すと、31分にケヴィン・デ・ブライネにゴールを決められた。後半の76分にレナト・アウグストのゴールで1点を返したが反撃もここまでで、ベスト8で敗退となった。

なお、1970年大会2002年大会では全試合90分以内での全勝優勝という快挙も達成している(他は1930年大会の全4試合だったウルグアイのみ)。中でも、1970年大会は南米予選でも6試合で全勝している。予選・本大会を通じての全勝優勝はそれが大会史上唯一である。

サッカー大国のプライド編集

サッカーブラジル代表はFIFAワールドカップでは最多の優勝回数を誇り、優勝候補の常連国となっている。UEFAチャンピオンズリーグ常連の欧州各国の強豪クラブチームにも多くのブラジル代表選手が所属するなど、選手層の厚さも世界トップクラスである。また、サッカー大国を自負するブラジル国民の代表チームに対する思いも強い物があり、サポーターやマスコミの目線も「人口の数だけ監督がいる」と表現されるほど厳しい(「人口の数だけ監督がいる」という表現自体は多くの国で使われている)。代表チームには常に勝利を求めるのはもちろん、ただ勝つのではなく、観衆を魅了する攻撃的な試合運びをし、対戦相手を圧倒するのを求める傾向が強く、このあたりにもサッカー大国としてのプライドが見える[要出典]

それをよく表しているのが1982年大会1994年大会でのサポーターやマスコミの反応である。1982年大会は上記のように2次リーグ敗退となったが、黄金のカルテットを中心にその攻撃的なサッカーを存分に発揮したということで、代表チームの帰国の際には賞賛の声が数多く上がった[要出典]

一方、1994年大会は決勝でイタリアとの炎天下での死闘の末、PK戦で6大会ぶりの優勝を勝ち取ったが、24年ぶりの優勝を賞賛する声がある一方で、ダブルボランチを起用するなど守備重視の戦術、決勝はスコアレス・準決勝も1点に止まった攻撃陣に対する批判も強く、それは今日でも続いている[要出典]

地元開催で優勝を期待されていた2014年大会では準決勝でドイツに1-7と惨敗したことで、代表メンバーやルイス・フェリペ・スコラーリ監督への非難の声が相次ぎ[5]、怒った一部のファンが暴徒化してバスが燃やされたり、商品が略奪されるなど[6]の事態となった(詳細はミネイロンの惨劇を参照)。

ワールドカップの成績編集

開催国 / 年 成績
  1930 グループリーグ敗退 2 1 0 1 5 2
  1934 1回戦敗退 1 0 0 1 1 3
  1938 3位 5 3 1 1 14 11
  1950 準優勝 6 4 1 1 22 6
  1954 ベスト8 3 1 1 1 8 5
  1958 優勝 6 5 1 0 16 4
  1962 優勝 6 5 1 0 14 5
  1966 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 6
  1970 優勝 6 6 0 0 19 7
  1974 4位 7 3 2 2 6 4
  1978 3位 7 4 3 0 10 3
  1982 2次リーグ敗退 5 4 0 1 15 6
  1986 ベスト8 5 4 1 0 10 1
  1990 ベスト16 4 3 0 1 4 2
  1994 優勝 7 5 2 0 11 3
  1998 準優勝 7 4 1 2 14 10
   2002 優勝 7 7 0 0 18 4
  2006 ベスト8 5 4 0 1 10 2
  2010 ベスト8 5 3 1 1 9 4
  2014 4位 7 3 2 2 11 14
  2018 ベスト8 5 3 1 1 8 3
合計 出場21回/優勝5回 109 73 18 18 229 105

コパ・アメリカの成績編集

  • 2011 - ベスト8
  • 2015 - ベスト8
  • 2016 - グループリーグ敗退

コンフェデレーションズカップの成績編集

開催国 / 年 成績 備考
  1992 不参加 コパ・アメリカ1991は準優勝
  1995 不参加 コパ・アメリカ1993はベスト8
  1997 優勝 5 4 1 0 14 2 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
  1999 準優勝 5 4 0 1 18 6 コパ・アメリカ1997優勝
   2001 4位 5 1 2 2 3 3 コパ・アメリカ1999優勝
  2003 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
  2005 優勝 5 3 1 1 12 6 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
コパ・アメリカ2004も優勝)
  2009 優勝 5 5 0 0 14 5 コパ・アメリカ2007優勝
  2013 優勝 5 5 0 0 14 3 翌年のワールドカップ開催国
  2017 不参加
合計 出場7回/優勝4回 33 23 5 5 78 28

オリンピックの成績編集

1992年大会以降の成績はU-23サッカーブラジル代表#オリンピックの成績を参照。

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1900 不参加
  1904
  1908
  1912
  1920
  1924 予選敗退
  1928 不参加
  1936
  1948
  1952 ベスト8 3 2 0 1 9 6
  1956 予選敗退
  1960 グループリーグ敗退 3 2 0 1 10 6
  1964 グループリーグ敗退 3 1 1 1 5 2
  1968 グループリーグ敗退 3 0 2 1 4 5
  1972 グループリーグ敗退 3 0 1 2 4 6
  1976 4位 5 2 1 2 6 6
  1980 予選敗退
  1984 準優勝 6 4 1 1 9 5
  1988 準優勝 6 4 1 1 12 4
合計 8/20 31 15 7 10 59 40

ユース代表の成績編集

FIFA U-20ワールドカップの成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1977 3位 5 3 2 0 13 3
  1979 予選敗退
  1981 ベスト8 4 2 1 1 7 4
  1983 優勝 6 5 1 0 13 4
  1985 優勝 6 6 0 0 14 1
  1987 ベスト8 4 2 0 2 6 3
  1989 3位 6 5 0 1 13 2
  1991 準優勝 6 4 2 0 14 4
  1993 優勝 6 5 1 0 11 2
  1995 準優勝 6 4 1 1 11 3
  1997 ベスト8 5 4 0 1 25 5
  1999 ベスト8 5 3 0 2 13 5
  2001 ベスト8 5 4 0 1 15 2
  2003 優勝 7 5 1 1 14 6
  2005 3位 7 5 1 1 9 3
  2007 ベスト16 4 1 0 3 6 9
  2009 準優勝 7 5 2 0 14 3
  2011 優勝 7 5 2 0 18 5
  2013 予選敗退
  2015 準優勝 7 4 2 1 15 5
合計 18/20 103 72 18 16 231 69

南米ユース選手権の成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1954 準優勝 6 3 3 0 14 5
  1958 3位 5 2 2 1 10 6
  1964 不参加
  1967 ベスト4 5 3 0 2 7 5
  1971 グループリーグ敗退 4 2 0 2 7 3
  1974 優勝 6 5 1 0 18 3
  1975 グループリーグ敗退 5 1 0 4 6 7
  1977 準優勝 6 5 1 0 13 2
  1979 4位 7 2 1 4 5 7
  1981 準優勝 6 3 2 1 13 5
  1983 優勝 7 6 1 0 16 3
  1985 優勝 7 6 1 0 11 3
  1987 準優勝 6 3 2 1 11 4
  1988 優勝 7 5 1 1 14 2
  1991 優勝 7 4 3 0 15 5
  1992 優勝 6 5 1 0 7 0
  1995 優勝 6 5 0 1 17 4
  1997 準優勝 9 6 2 1 26 10
  1999 3位 9 4 3 2 22 10
  2001 優勝 9 6 2 1 21 6
  2003 準優勝 9 7 1 1 23 5
  2005 準優勝 9 5 2 2 18 9
  2007 優勝 9 6 3 0 20 9
  2009 優勝 9 6 1 2 17 9
  2011 優勝 9 7 1 1 24 7
  2013 グループリーグ敗退 4 1 1 2 4 6
  2015 4位 9 5 1 3 13 9
合計 26/27 172 107 33 32 338 135

FIFA U-17ワールドカップの成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 3位 6 4 0 2 13 8
  1987 グループリーグ敗退 3 0 2 1 0 1
  1989 ベスト8 4 2 1 1 5 3
  1991 ベスト8 4 3 0 1 8 2
  1993 予選敗退
  1995 準優勝 6 4 0 2 6 3
  1997 優勝 6 6 0 0 21 2
  1999 優勝 6 2 4 0 8 4
  2001 ベスト8 4 3 0 1 11 4
  2003 優勝 6 5 1 0 15 1
  2005 準優勝 6 4 0 2 16 11
  2007 ベスト16 4 1 1 2 14 4
  2009 グループリーグ敗退 3 1 0 2 3 4
  2011 4位 7 4 1 2 15 12
  2013 ベスト8 5 4 1 0 19 4
  2015 ベスト8 5 3 0 2 5 5
合計 15/16 75 46 11 18 159 68

南米U-17選手権の成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 準優勝 8 7 0 1 32 4
  1986 準優勝 7 1 6 0 6 5
  1988 優勝 7 6 1 0 14 1
  1991 優勝 7 5 0 2 18 6
  1993 4位 7 4 2 1 13 9
  1995 優勝 7 6 0 1 19 4
  1997 優勝 7 5 2 0 20 7
  1999 優勝 6 5 1 0 17 6
  2001 優勝 7 4 3 0 18 5
  2003 準優勝 7 5 1 1 15 4
  2005 優勝 7 5 1 1 27 11
  2007 優勝 9 6 1 2 29 11
  2009 優勝 5 3 1 1 12 4
  2011 優勝 9 7 1 1 22 11
  2013 3位 9 5 4 0 14 6
  2015 優勝 9 5 1 3 18 14
合計 16/16 118 79 25 14 294 108

選手編集

試合数編集

  • 記録は2018年3月27日現在
  • 太字は現役選手
順位 名前 試合数 ポジション 期間
1 カフー 142 DF 1990-2006
2 ロベルト・カルロス 125 DF 1992-2006
3 ダニエウ・アウヴェス 107 DF 2006-
4 ルシオ 105 DF 2000-2011
5 クラウディオ・タファレル 101 GK 1987-1998
6 ロビーニョ 100 FW 2003-2017
7 ロナウド 98 FW 1994-2011
ジャウマ・サントス 98 DF 1952-1968
9 ロナウジーニョ 97 FW 1999-2013
10 ジウマール 94 GK 1953-1969
11 ジウベルト・シウバ 93 MF 2001-2010
12 ペレ 92 FW 1957-1971
カカ 92 MF 2002-2016
ロベルト・リベリーノ 92 FW 1965-1978
15 ジーダ 91 GK 1995-2006
ドゥンガ 91 MF 1987-1998
17 ジュリオ・セザル 87 GK 2004-2014
18 ゼ・ロベルト 84 MF 1995-2006
19 ネイマール 83 FW 2010-
20 アウダイール 81 DF 1989-2000
ジャイルジーニョ 81 MF 1964-1982

得点数編集

  • 記録は2017年11月14日現在
  • 太字は現役選手
順位 名前 得点数 試合数 ポジション 期間
1 ペレ 77 92 FW 1957-1971
2 ロナウド 62 98 FW 1994-2011
3 ネイマール 60 96 FW 2010-
4 ロマーリオ 55 70 FW 1987-2005
5 ジーコ 48 71 MF 1976-1986
6 ベベット 39 75 FW 1985-1998
7 リヴァウド 34 74 MF 1993-2003
8 ロナウジーニョ 33 97 FW 1999-2013
ジャイルジーニョ 33 81 FW 1964-1982
10 アデミール 32 39 FW 1945-1953
トスタン 32 54 FW 1966-1972
12 カレカ 29 60 FW 1982-1993
ジジーニョ 30 53 MF 1942-1957
14 カカ 29 89 MF 2002-2016
15 ロビーニョ 28 100 FW 2003-2017
ルイス・ファビアーノ 28 45 FW 2003-2013
17 アドリアーノ 27 48 FW 2000-2010
18 リヴェリーノ 26 92 MF 1965-1978
19 ソクラテス 22 60 MF 1979-1986
ペペ 22 41 FW 1955-1965

監督編集

  • 太字はFIFAワールドカップ優勝監督
名前 期間 備考
アデマール・ピメンタ 1936年 - 1938年 1期目
アデマール・ピメンタ 1942年 2期目
フラビオ・コスタ 1944年 - 1950年 1期目
ゼゼ・モレイラ 1952年 1期目
アイモレ・モレイラ 1953年 1期目
ゼゼ・モレイラ 1954年 - 1955年 2期目
フラビオ・コスタ 1955年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1955年 1期目
オスワルド・ブランダン 1955年 - 1956年 1期目
フラビオ・コスタ 1956年 3期目
テテ 1956年
シルビオ・ピリロ 1957年
ペドリーニョ 1957年
オスワルド・ブランダン 1957年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1958年 - 1960年 1期目
アイモレ・モレイラ 1961年 - 1963年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1964年 - 1966年 2期目
ドリバル・ユストリッチ 1968年
ジョアン・サルダーニャ 1969年 - 1970年
マリオ・ザガロ 1970年 - 1974年 1期目
オスワルド・ブランダン 1975年 - 1977年 3期目
クラウディオ・コウティーニョ 1977年 - 1980年
テレ・サンターナ 1980年 - 1982年 1期目
カルロス・アルベルト・パレイラ 1983年 1期目
エドゥ・アントゥネス・コインブラ 1983年 - 1984年
エバリスト・デ・マセド 1984年 - 1985年
テレ・サンターナ 1985年 - 1986年 2期目
カルロス・アルベルト・シルバ 1987年 - 1988年
セバスティアン・ラザローニ 1989年 - 1990年
パウロ・ロベルト・ファルカン 1991年
カルロス・アルベルト・パレイラ 1991年 - 1994年 2期目
マリオ・ザガロ 1995年 - 1998年 2期目
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ 1998年 - 2000年
エメルソン・レオン 2000年 - 2001年
ルイス・フェリペ・スコラーリ 2001年 - 2002年 1期目
マリオ・ザガロ 2002年 3期目(一時的な復帰)
カルロス・アルベルト・パレイラ 2003年 - 2006年 3期目
ドゥンガ 2006年 - 2010年
マノ・メネーゼス 2010年 - 2012年
ルイス・フェリペ・スコラーリ 2012年 - 2014年 2期目
ドゥンガ 2014年-2016 2期目
チッチ 2016年-

エピソード編集

SENNA ACELERAMOS JUNTOS.=セナと一緒に加速した。(F1ドライバーになぞらえて大会を走破した事を加速と表現)
TETRA E NOSSO!=(優勝)4度目は我々のもの!

と書かれた横断幕を選手たちの手で掲げ、4度目の優勝を捧げた。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ブラジルポルトガル語発音:[ˌseleˈsɐ̃w̃ bɾɐziˈlejɾɐ d͡ʒɪ fuʧiˈbɔw] セレン・ブラズィイラ・ジ・フチ
  2. ^ 英語で「選抜」(: selection セレクション) にあたる。
  3. ^ 2014年7月8日以降はタイ記録。
  4. ^ 欧州各国の辞退が相次ぎ、総参加国数が13にとどまったため、グループ1以外は各3カ国2試合ずつであった。なおこの時のユーゴスラビア戦が欧州のナショナルチームとの公式戦初対戦である。
  5. ^ 16か国参加のトーナメント式だったため1試合で終了となった。

出典編集

  1. ^ “ブラジル紙、歴史的な敗戦と報じる”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2014年7月9日). http://www.nikkansports.com/brazil2014/news/f-sc-tp0-20140709-1331136.html 2014年7月9日閲覧。 
  2. ^ Yugoslavia 8-4 Brazil”. footballzz.com. 2014年7月9日閲覧。
  3. ^ 予選による本大会出場決定前は既に次回のブラジルワールドカップに出場決定しているため、実質的に「20」となる
  4. ^ ブラジル人はこの屈辱を忘れない W杯準決勝でドイツに叩きのめされたサッカー王国の絶望ニューズウィーク 2014年7月10日)
  5. ^ ブラジルW杯:「恥・屈辱・侮辱」地元惨敗に衝撃毎日新聞 2014年7月9日 2014年7月16日閲覧)
  6. ^ 略奪や放火で10人を拘束 W杯、ブラジル惨敗」朝日新聞 2014年7月9日 2014年7月16日閲覧)

関連項目編集

外部リンク編集