マンチェスター・ユナイテッドFC

イングランドのサッカークラブ

マンチェスター・ユナイテッドFC英語: Manchester United Football Clubイギリス英語発音: [ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランドマンチェスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。メインのクラブカラーは[1]

マンチェスター・ユナイテッドFC
原語表記 Manchester United Football Club
呼称 Man United / Utd
United
Man U
愛称 The Red Devils(赤い悪魔)
クラブカラー    
   
   
創設年 1878年
所属リーグ プレミアリーグ
所属ディビジョン 1部(2023-24
ホームタウン マンチェスター
ホームスタジアム
オールド・トラッフォード
収容人数 75,653
代表者

アメリカ合衆国の旗 ジョエル・グレーザー英語版

アメリカ合衆国の旗 アヴラム・グレーザー英語版
監督 オランダの旗 エリック・テン・ハフ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要 編集

1974-75シーズンを例外として、1938年から現在まで一貫してイングランドのトップリーグに属しているクラブである。1967-68シーズン、サー・マット・バスビー監督の指揮の下で、イングランドのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のトロフィーを獲得したクラブで、その後、1998-99シーズン、2007-08シーズンと通算3回の優勝を経験した。

1985-86シーズンから2012-13シーズンまでクラブを率いたアレックス・ファーガソン監督の下では、13回のプレミアリーグ優勝と2回のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む20以上の主要なタイトルを獲得し、長きにわたって世界を代表する強豪クラブである。現在、イングランドのトップリーグで歴代最多となる20回の優勝を経験している。2位はリヴァプールFCの19回である。

世界有数の経済規模を有するクラブであり、2022年にアメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、同クラブの資産価値は46億ドルと算定され、世界のサッカークラブの中で3位になった[2]。また、デロイト・フットボール・マネー・リーグにおける最新シーズン(2018-19)の収入規模は、世界第3位である[3]

クラブの一般的な略称は複数存在するが、「ユナイテッド(United)」の他、英語圏ではニューカッスル・ユナイテッドなどチーム名に「ユナイテッド」が含まれる他のクラブと区別するため、マンチェスターをマンと略し「マン・ユナイテッド(Man United, Man Utd)」などと呼称・表記される。また、新聞・雑誌のスポーツ報道やニューヨーク証券取引所ティッカーシンボルなどでは「マンユー(マンU[4][5][6],Man U[7][8][9][10][11][12][13][14][15][16],ManU[17][18][19],MANU[20])」と呼称される場合もある。なお、日本のネットでは長らく定説とされていたManU=蔑称説は、現在はデマという見解が一般的である。理由としてはManU=蔑称説を述べているソースが、ある日本人ファンが運営しているブログしか存在しないからである。また、先に記載したようにイギリスの主要メディアであるBBCやタイムズが「Man U」と略称表記している記事がいくつも見つかっている。ライター兼解説者の内藤秀明氏は「『マンU』呼びの最大の問題は、正しいかどうか怪しい情報が、さも真実かのように伝わり、広まり過ぎたがゆえに事実であると変わらない対応が迫られるというSNS特有の闇の部分だなと思う。」と述べている[21]

伝統的に背番号7は特別な番号として扱われており、「栄光の7番」と言われている。ジョージ・ベストスティーヴ・コッペルブライアン・ロブソンエリック・カントナデビッド・ベッカムクリスティアーノ・ロナウドなど、人気や実力においてその時代のチームを代表する選手がこの番号を付けてプレーしてきた。

経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカ・NFLタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることを懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。

同じ市内にあるマンチェスター・シティとのマンチェスター・ダービーは、マージーサイド・ダービーノース・ロンドン・ダービーと並ぶリーグの三大ダービーの一つで、世界でも有名なダービーマッチである。また伝統的にライバル関係にあるとされるリヴァプールとの試合は、ノースウェスト・ダービー(あるいはイングランド・ダービー、イングリッシュ・ダービー)と呼ばれ、世界中に数多く存在する伝統の一戦の一つに数えられる。

歴史 編集

創立 編集

 
1892-93シーズンのニュートン・ヒース(Newton Heath FC)

1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC(Newton Heath LYR FC)として創立。初め数年はほとんど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専ら他の鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の親善試合をした記録が残っている。1884年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに2-7で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒース(Newton Heath FC)と名称を変更し運営を行った。当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に一旦破産している。地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなったが、名称変更前の2日間だけはマンチェスター・セルティック (Manchester Celtic)という名称であった。

2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがローマ・カトリック系であると思われることが多いが、ローマ・カトリック教会とは全くの無縁である。

創生期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを拝借せざるをえなかった。

マット・バスビー時代の二度の栄光 編集

 
マット・バスビーの銅像

1945年、マット・バスビーが監督に就任すると、クラブ最初の黄金期が訪れる。バスビーは、チーム選考や移籍市場、トレーニングセッション等を全て自身の管理下に置くというイングランドサッカーのマネージャー像の先駆けとなり、1946–47シーズンから3シーズン連続でリーグ2位と躍進し、1947–48のFAカップでは優勝を果たし、チームに36年ぶりのトロフィーをもたらした。そして、1951–52シーズンに41年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を果たした。

バスビーは、その後のクラブの重要なアイデンティティとなる、下部組織の整備にも取り掛かった。バスビーの就任は、終戦直後の財政難の時期であたっため、彼は下部組織選手の育成に重きを置くことにより、長期的視野での戦力強化を行ったのである。バスビーが下部組織から見出したダンカン・エドワーズボビー・チャールトンといった選手たちは「バスビー・ベイブス」(Busby Babes, バスビーの子どもたち)と呼ばれ、1956年からは国内リーグ2連覇を達成する快進撃を繰り広げた。

クラブが見事に復活を遂げたように見えた矢先の1958年2月6日ミュンヘンの悲劇で主将のダンカン・エドワーズを含む選手8名とスタッフ3名が死亡。バスビーも重傷を負った。これによりイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパ大陸選手権大会での栄光は、スコットランドセルティックに譲ることとなった。一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱に据え、クラブの建て直しに着手した。

1960年代に入ると、2度めの黄金期が訪れる。デニス・ロージョージ・ベストといった才能が次々に頭角を現し、1963年にFAカップ優勝、1965年と1967年には国内リーグも制した。そして1968年、チャンピオンズカップ決勝SLベンフィカをチャールトンの2ゴールに、ベスト、キッドのゴールで4-1と破って優勝を果たし、ミュンヘンの悲劇で志半ばに潰えた悲願を達成した。同年、チャンピオンズカップ優勝の功績を称えられ、バスビーにナイトの称号が与えられた。

しかし、1970年代に入ると世代交代に失敗。1974年には2部落ち(翌年1部に復帰)の憂き目にも遭い、再び低迷期が始まった。1980年、前年にブラヴォー賞を受賞したギャリー・バートルズを大金で獲得したが、失敗に終わった[22]

アレックス・ファーガソン時代の栄光 編集

 
アレックス・ファーガソン

低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功し、常勝軍団の系譜をスタートさせた。

プレミアリーグの優勝回数は13回で最多で、旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝20回は歴代1位である。FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち獲っている。1990-91シーズン、UEFAカップウィナーズカップ決勝では、マーク・ヒューズの2得点でFCバルセロナを破り、1967-68シーズン以来の欧州カップ戦優勝を果たした。

1992-93シーズンの途中にエリック・カントナリーズ・ユナイテッドFCから獲得した。このシーズンは1974-75シーズン以来となるリーグ優勝を果たした。翌シーズンはリーグを連覇しただけでなく、FAカップも獲得した。 1998-99シーズンは、クラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカムガリー・ネヴィルポール・スコールズ及びライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下し、ヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。このシーズンは、リーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(3冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。

ヨーロッパのフットボール史において、UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンと2014-15シーズンのバルセロナ、2009-10シーズンのインテル、2012-13シーズンと2019-20シーズンのバイエルン・ミュンヘンのみである。

1995年にイプスウィッチ・タウン戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。1999-20シーズン、2000-01シーズンとリーグ優勝し、クラブ史上初のリーグ3連覇を達成した。

ユナイテッドはファーガソン監督の下、高い実力と人気を兼ね備え、1990年代はアーセナルとともに2強と呼ばれた。2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンに無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンに2連覇)からの王座奪還を目標とした。2005年10月29日、ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドが決めたゴールが、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目(リーグ最速)となった。

2006-07シーズンにこれまでリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来となるリーグ優勝を達成。2007-08シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーと対戦し、延長戦の末PK戦を制し、9年ぶり3回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。2007-08シーズン、2008-09シーズン共にリーグ優勝し、2度目となるリーグ3連覇を達成した。

コンスタントにタイトルを獲得し続けたファーガソンは、再びUEFAチャンピオンズリーグ制覇することを目標に、自ら獲得してきた香川真司ロビン・ファン・ペルシを巧みに用いたが、最後の指揮となってしまった2012-13シーズン、クラブ20回目となるリーグ優勝を置き土産に、27年間務めた監督職を勇退した[23]

プレミアリーグ優勝時、ファーガソンの引退年2012-13シーズンの基本フォーメーション(スタメン出場数準拠)。

ファーガソン退任による迷走期への突入 編集

2013年5月、ユナイテッドはファーガソンの後任に、エヴァートンを11年にわたり率いたファーガソンの同胞、デイヴィッド・モイーズが6年契約で就任すると発表した[24]。夏の移籍市場でモイーズはエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーからフアン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫し、またプレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイドの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って連敗するなど成績が低迷し、1994-95シーズン以来となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。結果として、モイーズは監督就任から1年持たず、2014年4月22日に解任が発表され[25]、同シーズンの残り試合については、当シーズンからコーチ兼任だったライアン・ギグスが暫定監督に就任すると発表された[26]。リーグ戦は7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。

2014年5月18日、当時オランダ代表を率いていたルイ・ファン・ハールが、ワールドカップ後に3年契約で新監督に就任することが決定した[27]。暫定監督を務めたギグスは選手を引退し、アシスタントコーチへの就任が決定。クラブは夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円もの大金を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表のマルコス・ロホアンヘル・ディ・マリア、ファン・ハールのオランダ代表監督時代の教え子であるデイリー・ブリントのほか、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラサウサンプトンからルーク・ショー、移籍期限ギリギリにASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニーやデ・ヘア、マタといった既存の戦力が機能し、リーグ戦は4位で終え、無冠ながら来季のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフの出場権を獲得した。

2015-16シーズンはPSVから2014 FIFAワールドカップオランダ代表の3位入りに貢献したファン・ハールの教え子でもあるメンフィス・デパイを始めとし、モナコからアントニー・マルシャルバイエルン・ミュンヘンからバスティアン・シュヴァインシュタイガーサウサンプトンからモルガン・シュネデルランサンプドリアからセルヒオ・ロメロトリノからマッテオ・ダルミアンを獲得するなど、前年に続いての大型補強を行った。しかしチャンピオンズリーグにおいては、ヴォルフスブルクPSVCSKAモスクワとのグループリーグで3位に終わり、グループステージ敗退となったほか、その後進んだヨーロッパリーグでもプレミアリーグの長年のライバルであるリヴァプールに2戦合計1-3で敗れ、ベスト16で姿を消した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破って12大会ぶり12度目のFAカップ優勝を飾ったものの、リーグ戦は5位に終わり、来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃したことから、ファン・ハールは契約を1年残しての解任となった。

2016-17シーズンよりジョゼ・モウリーニョが新監督に就任。これまで2度チェルシーの監督を務め、3度のプレミアリーグ制覇を成し遂げた名将に名門マンチェスター・ユナイテッドの復活が期待された。夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチヘンリク・ムヒタリアンエリック・バイリーや下部組織出身のポール・ポグバを獲得するなどの相変わらずの大型補強を実施し、リーグカップの決勝でサウサンプトンを下してモウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。リーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードとなるリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、最終的にヨーロッパのカップ戦出場圏外の6位に終わった。しかしUEFAヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝をあげ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。UEFAヨーロッパリーグの優勝によって、ユナイテッドはユヴェントスアヤックスバイエルンチェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった[28]

モウリーニョ体制2年目の2017-18シーズンは、センターフォワードにエヴァートンからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーからネマニャ・マティッチ、センターバックにSLベンフィカからビクトル・リンデロフと、昨シーズン問題のあったポジションに即戦力を獲得する補強を展開。これが功を奏し、前半戦終了時点で14勝3分2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績を叩き出すが、それを上回るペースで勝ち点を積んだ宿敵マンチェスター・シティの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日のマンチェスター・ダービーに3-2で逆転勝利して目の前での優勝決定を阻止するのが精一杯で、例年なら優勝もあり得た勝ち点81[注釈 1](25勝6分7敗)で、シティに歴代最多勝ち点差での優勝を許す2位に終わった。UEFAチャンピオンズリーグもベスト16でセビージャ相手に2戦合計1-2で不覚を取り、満足のいかないシーズンとなった。当シーズンをもって、13シーズンに渡ってユナイテッドで活躍したマイケル・キャリックが引退し、翌シーズンからコーチに就任した[29]

モウリーニョ体制3年目の2018-19シーズンは、アカデミー出身のGKサム・ジョンストンやブリントらを放出した一方で、サイドバックにポルトからディオゴ・ダロト、ミッドフィールダーにシャフタール・ドネツクからフレッジ、控えGKにリー・グラントを獲得。ところが、リーグ開始17試合の時点で昨季の28失点を上回り、特にリヴァプール、マンチェスター・シティ、トッテナム、チェルシー、アーセナルといった欧州カップ圏を争うBIG6間では3敗2分6得点13失点と後塵を拝することとなり、1-3で敗北した12月16日のリヴァプール戦をもってモウリーニョは解任となった[30]

ファーガソンの教え子の帰還 編集

2018年12月19日、モウリーニョ解任後の暫定監督にOBのオーレ・グンナー・スールシャールが就任した[31]。スールシャールは、就任後のサポーターからの好感や、6連勝スタートを含め就任から12試合連続リーグ戦無敗などの好成績もあって、2019年3月28日に3年契約で正式に監督就任を果たした[32]。ところが、奇跡と言われたUEFAチャンピオンズリーグPSG[33]後の公式戦でわずか2勝しかできず、最終節を待たずして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すことになった。この結果に全世界のファンが黙っているはずもなく、twitter上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した[34]。オーナーであるグレイザー一族やCEOであるエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、Twitter公式アカウントのフォロワーが減るのと比例してニューヨーク証券取引所においても株価が一時下落した。

スールシャールにとって初めてのフルシーズンとなる2019-20シーズン、夏の移籍市場では、クリスタル・パレスから昨季ブレークしたアーロン・ワン=ビサカレスター・シティからDF史上最高額となる移籍金でハリー・マグワイアを獲得し、長年懸案だった守備陣の強化に成功したものの、MFは退団したアンデル・エレーラ、FWはインテルに移籍したロメル・ルカクの後釜の獲得に失敗し、費やした移籍金の高さも相まってウッドワードCEOは再び非難を浴びることになった[35]。開幕戦こそチェルシーに4-0で圧勝したものの、そこからクリスタル・パレス、サウサンプトン、ウェストハムといった格下から勝ち点をとりこぼし続け、前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場でスポルティングCPからMFブルーノ・フェルナンデスを獲得すると、彼を起用した第25節から13戦負けなしと猛烈な追い上げを見せ、第37節にレスター・シティとチェルシーを捉えてCL出場圏内の3位に浮上した。最終節は5位レスターとの直接対決となり、負ければ5位転落の可能性もあったこの試合を2-0で制し、2年ぶりにCL出場権を獲得した。

2020-21シーズン、スールシャール体制も3シーズン目に突入。夏の移籍市場は、終盤まで新戦力がドニー・ファン・デ・ベークのみと補強が進まずファンも苛立ちを募らせたものの、最終日にエディンソン・カバーニアレックス・テレスの獲得が決まって補強を終えた。年が明けて2021年1月12日にはファーガソン最終年以来となる、8年ぶりの年明け首位に立った[36]。ところが首位陥落後、欧州スーパーリーグ騒動において40億ユーロの資金支援を表明したJPモルガン・チェースにウッドワードCEOが勤務していた過去が関係していた為か、カントナらを筆頭にOBの批判を浴びた結果[37]4月21日をもってウッドワードCEOの2021年限りでの退任[38]、さらにファンと政府関係者からも批判を浴びたとしてスーパーリーグ撤退が発表された[39]。CLではパリ・サンジェルマンライプツィヒと同組となり、3位でEL決勝トーナメントに回ることになった。ELでは順調に勝ち進んだが、決勝でビジャレアルに敗れ16-17シーズン以来の優勝はならなかった。

2021-22シーズンはジェイドン・サンチョラファエル・ヴァランなどを獲得し、更に8月27日にはクリスティアーノ・ロナウドを再獲得するなど、積極的な動きを見せた。しかし第9節と第11節で宿敵のリヴァプールとマンチェスター・シティに5-0、2-0で完敗し、第12節の格下ワトフォード戦も1-4で敗れたことで11月21日、スールシャール監督は解任され、マイケル・キャリックがシーズン終了までの暫定的な監督を務めることが公式発表された[40]。 11月29日、シーズン終了までの暫定的な監督としてラルフ・ラングニックの就任を発表した。また、2022-23シーズンから2シーズンの間、同氏はチームのコンサルタントとして就任することも発表された[41]。12月3日、選手時代から含めて15年クラブに在籍したキャリックが暫定監督を退任しクラブを退団することを発表した[42]。しかし、その後もリヴァプールに0-4、マンチェスターシティに1-4などの敗北を喫するなどして低迷し、36節のブライトン戦を0-4で落とすと、2節を残してCL出場権圏外の順位でシーズンを終える事が確定し、クラブの勝ち点、失点共にプレミアリーグ創設以来の最低記録を更新した。また、アレックス・ファーガソンが勇退して以来、2022年8月現在で、10億ポンド(日本円で1624億)を費やしている[43]

2022-23シーズンよりエリック・テン・ハフが監督に就任した[44]。また、ラングニックとのコンサルタント契約は白紙となった。契約満了により、フアン・マタ、エディンソン・カバーニ、ネマニャ・マティッチ、ジェシー・リンガード、ポール・ポグバが退団。夏の移籍市場でタイレル・マラシアクリスティアン・エリクセンリサンドロ・マルティネスカゼミーロアントニーを獲得した。リーグ戦は開幕2連敗を喫するが第3節で宿敵リヴァプールに勝利し、第6節で開幕5連勝中のアーセナルに今シーズン初黒星を与えた。11月にロナウドが退団。冬の移籍市場ではボウト・ベグホルストマルセル・ザビッツァージャック・バトランドを獲得。EFLカップの決勝でニューカッスル・ユナイテッドを2-0で破り、6シーズン振りのタイトルを獲得した[45]。ELではグループリーグでレアル・ソシエダと同ポイントながら得失点差により2位でプレーオフに回ることになった。プレーオフでバルセロナ、ベスト16でレアル・ベティスに勝利したが、ベスト8でEL最多優勝を誇るセビージャに敗れた。リーグは3位でフィニッシュし、2シーズンぶりにCL権を獲得した。FAカップは決勝まで駒を進めマンチェスター・シティと相まみえた(決勝では初のマンチェスター・ダービー)が、マンチェスター・シティのイルカイ・ギュンドアンに2ゴールを喫し、1-2で敗れた。

2023-24シーズン、ジョーンズとデ・ヘアが契約満了で退団しこれでファーガソンの教え子全員がクラブから去ったと思われたがジョニー・エヴァンスが復帰した。

サポーター 編集

世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社により、ファンの数が世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人と発表された。これはサッカーに限らず、世界中のすべてのスポーツチームの中で最も多い[46]

著名人のファンとして挙げられるのは、地元出身のロックバンドストーン・ローゼズのメンバーで、熱狂的なファンで知られる彼らの楽曲「This Is The One」は入場曲として長らく使用されている。また、ギャリー・ネヴィルの引退試合では、ボーカルのイアン・ブラウンが同曲をアカペラで合唱した。他にも、自身がチェアマンを務めるバンド “シンプリー・レッド” の名前の由来に「地毛が赤」と「マンチェスター・ユナイテッドが好きだから」を掲げるミック・ハックネルや、父親が元在籍選手だったイアン・マクシェーン、2012年と2014年のPGAツアー賞金王であるローリー・マキロイクリケット選手のマヘンドラ・シン・ドーニ、世界最高峰のプロレス団体WWEにて史上初のクルーザー級かつ覆面スーパースターとして当時の番組最高王座を獲得したレイ・ミステリオ、2009年に練習場を訪れたこともある100m走200m走の世界記録保持者ウサイン・ボルト、元選手のガリー・ネヴィルに「モウリーニョはまるで彼のようだ」と例えられたフロイド・メイウェザー[47]、そのメイウェザーと偉大なる戦いで対峙したマニー・パッキャオらである。北朝鮮の最高指導者である金正恩もファンである[48]

ユニフォーム 編集

創立時は白いシャツに青いパンツであり、その後は創立時のニュートン・ヒースLYRのチームカラーである緑色と黄色を基調としたものであった。1902年に名称が変更されてから赤が基調となった。

発足当初のユニフォームに付けられたエンブレムはマンチェスター市に由来する紋章で、帆船が中心に描かれている。帆船は現在まで描かれているが、愛称の「赤い悪魔」に由来する悪魔が描かれるのは1970年代に入ってからである。

2001-02シーズンは「マンチェスター・ユナイテッド」という名称になってから100周年ということで、アウェイでは白色と金色で構成されたユニフォームを着用した[49]

2018-19シーズンのサードユニフォームは、アディダスとコラボレーションした、海洋プラスチックでできたユニフォームを発表した[50]

歴代ユニフォーム 編集

 
 
 
 
1879–1880, 1896–1902
 
 
 
 
 
1880–1887
 
 
 
 
 
1887–1893
 
 
 
 
 
 
 
1893–1894
 
 
 
 
 
 
 
1894–1896
 
 
 
 
1902–1920, 1921–1922, 1927–1934, 1934–1960, 1971–現在
 
 
 
 
1920–1921, 1963–1971
 
 
 
 
 
1922–1927
 
 
 
 
 
 
 
1934
 
 
 
 
1960–1963

タイトル 編集

国内タイトル 編集

1992-93, 1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13
1907-08, 1910-11, 1951-52, 1955-56, 1956-57, 1964-65, 1966-67,
1908-09, 1947-48, 1962-63, 1976-77, 1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2015-16
1991-92, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2016-17, 2022-23
1908, 1911, 1952, 1956, 1957, 1965*, 1967*, 1977*, 1983, 1990*, 1993, 1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010, 2011, 2013, 2016 (*印はタイトル共有)

国際タイトル 編集

1967-68, 1998-99, 2007-08
1990-91
2016-17
1991
2008
1999

過去の成績 編集

優勝 準優勝 昇格 降格
1946年以降の成績
シーズン 国内リーグ FA EFL CS UEFA FIFA
Div 順位 CL CWC EL ECL USC CWC IC
1946-47 EFL 42 22 12 8 95 54 56 2位 4回戦 大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
大会
創設前
1947-48 EFL 42 19 14 9 81 48 52 2位 優勝
1948-49 EFL 42 21 11 10 77 44 53 2位 ベスト4 準優勝
1949-50 EFL 42 18 14 10 69 44 50 4位 6回戦
1950-51 EFL 42 24 8 10 74 40 56 2位 6回戦
1951-52 EFL 42 23 11 8 95 52 57 1位 3回戦
1952-53 EFL 42 18 10 14 69 72 46 8位 5回戦 優勝
1953-54 EFL 42 18 12 12 73 58 48 4位 3回戦
1954-55 EFL 42 20 7 15 84 74 47 5位 4回戦
1955-56 EFL 42 25 10 7 83 51 60 1位 3回戦 UIC
として
開催
1956-57 EFL 42 28 8 6 103 54 64 1位 準優勝 優勝 ベスト4
1957-58 EFL 42 16 11 15 85 75 43 9位 準優勝 優勝 ベスト4
1958-59 EFL 42 24 7 11 103 66 55 2位 3回戦
1959-60 EFL 42 19 7 16 102 80 45 7位 5回戦
1960-61 EFL 42 18 9 15 88 76 45 7位 4回戦 2回戦
1961-62 EFL 42 15 9 18 72 75 39 15位 ベスト4 不参加
1962-63 EFL 42 12 10 20 67 81 34 19位 優勝 不参加
1963-64 EFL 42 23 7 12 90 62 53 2位 ベスト4 不参加 準優勝 ベスト8
1964-65 EFL 42 26 9 7 89 39 61 1位 ベスト4 不参加
1965-66 EFL 42 18 15 9 84 59 51 4位 ベスト4 不参加 引分 ベスト4
1966-67 EFL 42 24 12 6 84 45 60 1位 4回戦 2回戦
1967-68 EFL 42 24 8 10 89 55 56 2位 3回戦 引分 優勝
1968-69 EFL 42 15 12 15 57 53 42 11位 6回戦 ベスト4 ベスト4
1969-70 EFL 42 14 17 11 66 61 45 8位 3回戦 ベスト4
1970-71 EFL 42 16 11 15 65 66 43 8位 3回戦 ベスト4
1971-72 EFL 42 19 10 13 69 61 48 8位 6回戦 4回戦
1972-73 EFL 42 12 13 17 44 60 37 18位 3回戦 3回戦
1973-74 EFL 42 10 12 20 38 48 32 21位 4回戦 2回戦
1974-75 EFL2 42 26 9 7 66 30 61 1位 3回戦 ベスト4
1975-76 EFL 42 23 10 9 68 42 56 3位 準優勝 4回戦
1976-77 EFL 42 18 11 13 71 62 47 6位 優勝 5回戦 2回戦
1977-78 EFL 42 16 10 16 67 63 42 10位 4回戦 2回戦 引分 2回戦
1978-79 EFL 42 15 15 12 60 63 45 9位 準優勝 3回戦
1979-80 EFL 42 24 10 8 65 35 58 2位 3回戦 3回戦
1980-81 EFL 42 15 18 9 51 36 48 8位 4回戦 2回戦 1回戦
1981-82 EFL 42 22 12 8 59 29 78 3位 3回戦 2回戦
1982-83 EFL 42 19 13 10 56 38 70 3位 優勝 準優勝 1回戦
1983-84 EFL 42 20 14 8 71 41 74 4位 3回戦 4回戦 優勝 ベスト4
1984-85 EFL 42 22 10 10 77 47 76 4位 優勝 3回戦 ベスト8
1985-86 EFL 42 22 10 10 70 36 76 4位 5回戦 4回戦 準優勝
1986-87 EFL 42 14 14 14 52 45 56 11位 4回戦 3回戦
1987-88 EFL 40 23 12 5 71 38 81 2位 5回戦 5回戦
1988-89 EFL 38 13 12 13 45 35 51 11位 6回戦 3回戦
1989-90 EFL 38 13 9 16 46 47 48 13位 優勝 3回戦
1990-91 EFL 38 16 12 10 58 45 59 6位 5回戦 準優勝 引分 優勝
1991-92 EFL 42 21 15 6 63 33 78 2位 4回戦 優勝 2回戦 優勝
1992-93 EPL 42 24 12 6 67 31 84 1位 5回戦 3回戦 1回戦
1993-94 EPL 42 27 11 4 80 38 92 1位 優勝 準優勝 優勝 2回戦
1994-95 EPL 42 26 10 6 77 28 88 2位 準優勝 3回戦 優勝 GL敗退
1995-96 EPL 38 25 7 6 73 35 82 1位 優勝 2回戦 1回戦
1996-97 EPL 38 21 12 5 76 44 75 1位 4回戦 4回戦 優勝 ベスト4
1997-98 EPL 38 23 8 7 73 26 77 2位 5回戦 3回戦 優勝 ベスト8
1998-99 EPL 38 22 13 3 80 37 79 1位 優勝 5回戦 準優勝 優勝
1999-00 EPL 38 28 7 3 97 45 91 1位 不参加 3回戦 準優勝 ベスト8 大会
廃止
準優勝 GL敗退 優勝
2000-01 EPL 38 24 8 6 79 31 80 1位 4回戦 4回戦 準優勝 ベスト8 開催
されず
2001-02 EPL 38 24 5 9 87 45 77 3位 4回戦 3回戦 準優勝 ベスト4
2002-03 EPL 38 25 8 5 74 34 83 1位 5回戦 準優勝 ベスト8
2003-04 EPL 38 23 6 9 64 35 75 3位 優勝 4回戦 優勝 ベスト8
2004-05 EPL 38 22 11 5 58 26 77 3位 準優勝 ベスト4 準優勝 ベスト8
2005-06 EPL 38 25 8 5 72 34 83 2位 5回戦 優勝 GL敗退 CWCへ
移行
2006-07 EPL 38 28 5 5 83 27 89 1位 準優勝 4回戦 ベスト4
2007-08 EPL 38 27 6 5 80 22 87 1位 6回戦 3回戦 優勝 優勝
2008-09 EPL 38 28 6 4 68 24 90 1位 ベスト4 優勝 優勝 準優勝 準優勝 優勝
2009-10 EPL 38 27 4 7 86 28 85 2位 3回戦 優勝 準優勝 ベスト8
2010-11 EPL 38 23 11 4 78 37 80 1位 ベスト4 5回戦 優勝 準優勝
2011-12 EPL 38 28 5 5 89 33 89 2位 4回戦 5回戦 優勝 GL敗退 ベスト8
2012-13 EPL 38 28 5 5 86 43 89 1位 6回戦 4回戦 ベスト16
2013-14 EPL 38 19 7 12 64 43 64 7位 3回戦 ベスト4 優勝 ベスト8
2014-15 EPL 38 20 10 8 62 37 70 4位 6回戦 2回戦
2015-16 EPL 38 19 9 10 49 35 66 5位 優勝 4回戦 GL敗退 ベスト8
2016-17 EPL 38 18 15 5 54 29 69 6位 ベスト8 優勝 優勝 優勝
2017-18 EPL 38 25 6 7 68 28 81 2位 準優勝 5回戦 ベスト16 準優勝
2018-19 EPL 38 19 9 10 65 54 66 6位 ベスト8 3回戦 ベスト8
2019-20 EPL 38 18 12 8 66 36 66 3位 ベスト4 ベスト4 ベスト4
2020-21 EPL 38 21 11 6 73 44 74 2位 ベスト8 ベスト4 GL敗退 準優勝
2021-22 EPL 38 16 10 12 57 57 58 6位 4回戦 3回戦 ベスト16
2022-23 EPL 38 23 6 9 58 43 75 3位 準優勝 優勝 ベスト8

現所属メンバー 編集

プレミアリーグ2023-2024シーズン 開幕フォーメーション (4-1-4-1)
2023年9月5日現在[51](背番号は最新のもの)

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   アルタイ・バユンドゥル
2 DF   ヴィクトル・リンデロフ
4 MF   ソフィアン・アムラバト ( )
5 DF   ハリー・マグワイア
6 DF   リサンドロ・マルティネス
7 MF   メイソン・マウント
8 MF   ブルーノ・フェルナンデス( )
9 FW   アントニー・マルシャル( )
10 FW   マーカス・ラッシュフォード( )
11 FW   ラスムス・ホイルンド
12 DF   タイレル・マラシア( )
14 MF   クリスティアン・エリクセン
16 FW   アマド・ディアロ
17 FW   アレハンドロ・ガルナチョ( ) ☆
No. Pos. 選手名
18 MF   カゼミーロ( )
19 DF   ラファエル・ヴァラン( )
20 DF   ディオゴ・ダロト
21 FW   アントニー
22 GK   トム・ヒートン
23 DF   ルーク・ショー
24 GK   アンドレ・オナナ
28 MF   ファクンド・ペリストリ( )☆
29 DF   アーロン・ワン=ビサカ( )
34 MF   ドニー・ファン・デ・ベーク
35 DF   ジョニー・エヴァンズ
37 MF   コビー・メイヌー
39 MF   スコット・マクトミネイ( )★
46 MF   ハンニバル・メイブリ
47 FW   ショラ・ショレティレ ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆はU-21登録選手を示す。

監督

ローン移籍 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
4 MF   ソフィアン・アムラバト (ACFフィオレンティーナ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ブランドン・ウィリアムズ (イプスウィッチ・タウンFC)
-- FW   メイソン・グリーンウッド (ヘタフェCF)
No. Pos. 選手名
-- MF   ドニー・ファン・デ・ベーク (アイントラハト・フランクフルト)
-- FW   ジェイドン・サンチョ (ボルシア・ドルトムント)
-- MF   ハンニバル・メイブリ (セビージャFC)

リザーブ・アカデミー 編集

歴代監督 編集

氏名 国籍 就任 退任 勝率
[注釈 2]
タイトル
アルフレッド・ハロルド・カサヤ   1892年 1900年 - - - - - - -
ジェームス・ウエスト   1900年 1903年9月 113 46 20 47 159 147 040.71
ジェームス・アーネスト・マングノール   1903年10月10日 1912年9月9日 373 202 76 95 700 476 054.16 99972 First Division
1 FAカップ
2 チャリティ・シールド
T. J.・ウォールワース   1912年9月9日 1912年10月20日 6 3 2 1 11 7 050.00
ジョン・ベントレー   1912年10月28日 1914年12月28日 82 36 16 30 127 110 043.90
ジャック・ロブソン   1914年12月28日 1921年10月31日 139 41 42 56 183 207 029.50
ジョン・チャップマン   1921年10月31日 1926年10月8日 221 86 58 77 287 274 038.91
ラル・ヒルディッチp   1926年10月8日 1927年4月13日 33 10 10 13 38 47 030.30
ハーバート・バムレット   1927年4月13日 1931年11月9日 183 57 42 84 280 374 031.15
ウォルター・クリックマー   1931年11月9日 1932年7月13日 43 17 8 18 72 76 039.53
スコット・ダンカン   1932年7月13日 1937年11月7日 235 92 53 90 371 362 039.15 99951 Second Division
ウォルター・クリックマー   1937年11月9日 1945年2月15日 76 30 24 22 131 112 039.47
マット・バスビー   1945年10月1日 1969年6月4日 1,120 565 263 292 2,286 1,536 050.45 99985 First Division
2 FAカップ
5 チャリティ・シールド (2 引分)
1 ヨーロピアンカップ
ジミー・マーフィー (暫定)   1958年2月 1958年6月 22 5 7 10 27 42 022.73
ウィルフ・マクギネス   1969年6月4日 1970年12月29日 87 32 32 23 127 111 036.78
マット・バスビー   1970年12月29日 1971年6月8日 21 11 3 7 38 30 052.38
フランク・オファレル   1971年6月8日 1972年12月19日 81 30 24 27 115 111 037.04
トミー・ドハーティー   1972年12月22日 1977年7月4日 228 107 56 65 333 252 046.93 99951 FAカップ
1 Second Division
デイブ・セクストン   1977年7月14日 1981年4月30日 201 81 64 56 290 240 040.30 99941 チャリティ・シールド (引分)
ロン・アトキンソン   1981年6月9日 1986年11月6日 292 146 79 67 461 266 050.00 99962 FAカップ
1 チャリティ・シールド
アレックス・ファーガソン   1986年11月6日 2013年5月19日 1,500 895 338 267 2,769 1,365 059.67 999913 プレミアリーグ
5 FAカップ
4 リーグカップ
10 コミュニティシールド (1 引分)
2 UEFAチャンピオンズリーグ
1 ヨーロピアンカップ
1 スーパーカップ
1 インターコンチネンタルカップ
1 クラブワールドカップ
デイヴィッド・モイーズ   2013年7月1日 2014年4月22日 51 27 9 15 86 54 052.94 1 コミュニティシールド
ライアン・ギグスp (暫定)   2014年4月22日 2014年5月11日 4 2 1 1 8 3 050.00
ルイ・ファン・ハール   2014年7月16日 2016年5月23日 103 54 25 24 158 98 052.43 1 FAカップ
ジョゼ・モウリーニョ   2016年5月27日 2018年12月18日 144 84 32 28 244 121 058.33 1 ヨーロッパリーグ
1 リーグカップ
1 コミュニティシールド
オーレ・グンナー・スールシャール   2018年12月19日 2021年11月21日 148 83 32 33 276 148 056.08
マイケル・キャリック(暫定)

 

2021年11月21日 2021年12月3日 3 2 1 0 6 3 066.67
ラルフ・ラングニック(暫定)

 

2021年11月29日 2022年5月22日 29 11 9 9 37 36 037.93
エリック・テン・ハフ

 

2022年5月23日 現在 - - - - - - - 1 リーグカップ
  • p = 選手兼任

歴代在籍選手 編集

出場試合数記録 編集

順位 選手名 所属期間 試合数
1   ライアン・ギグス 1991-2014 963
2   ボビー・チャールトン 1956-1973 758
3   ポール・スコールズ 1994-2011, 2012-2013 718
4   ビル・フォルケス 1952-1970 688
5   ガリー・ネヴィル 1992-2011 602
6   ウェイン・ルーニー 2004-2017 559
7   アレックス・ステップニー 1966-1978 539
8   トニー・ダン 1960-1973 535
9   デニス・アーウィン 1990–2002 529
10   ジョー・スペンス英語版 1919–1933 510

総得点数記録 編集

順位 選手名 所属期間 得点数
1   ウェイン・ルーニー 2004-2017 253
2   ボビー・チャールトン 1956-1973 249
3   デニス・ロー 1962-1973 237
4   ジャック・ローリー 1937–1955 211
5   デニス・ヴァイオレット 1952–1962 179
  ジョージ・ベスト 1963–1974
7   ジョー・スペンス英語版 1919–1933 168
  ライアン・ギグス 1991-2014
9   マーク・ヒューズ 1983–1986, 1988–1995 163
10   ポール・スコールズ 1994-2011, 2012-2013 155

1960年代以降の歴代キャプテン 編集

年代 キャプテン
1962–1967   ノエル・キャントウェル英語版
1967–1968   デニス・ロー
1968–1973   ボビー・チャールトン
1973–1974   ジョージ・グラハム
1974–1975   ウィリー・モーガン英語版
1975–1982   マーティン・バカン
1982–1994   ブライアン・ロブソン
1994–1996   スティーヴ・ブルース
1996–1997   エリック・カントナ
1997–2005   ロイ・キーン
2005–2010   ガリー・ネヴィル
2010–2014   ネマニャ・ヴィディッチ
2014–2017   ウェイン・ルーニー
2017–2018   マイケル・キャリック
2018–2019   アントニオ・バレンシア
2019–2020   アシュリー・ヤング
2020–2023   ハリー・マグワイア
2023-   ブルーノ・フェルナンデス

練習場 編集

トラッフォード・トレーニング・センター英語版。2000年にザ・クリフ英語版から当地に移転。現在は、スポンサー名を冠しAon Training Complexが正式名称。また、単に施設所在地の地名からキャリントンとも呼ばれている。

スポンサー 編集

年度 メーカー 胸 スポンサー 袖 スポンサー
1945–1975 Umbro
1975–1980 Admiral
1980–1982 Adidas
1982–1992 SHARP
1992–2000 Umbro
2000–2002 Vodafone
2002–2006 Nike
2006–2010 AIG
2010–2014 Aon
2014–2015 Chevrolet
2015-2018 Adidas
2018-2021 Kohler
2021-2022 TeamViewer
2022- DXC

マンチェスター・ユナイテッドWFC 編集

1970年代後半、マンチェスター・ユナイテッド・サポーターズ・クラブ・レディースというチームが設立され、クラブのシニア女子チームとして非公式に認められた。そして、1989年に創設されたイングランド第5・6部相当の地域リーグ、ノースウエスト・ウィメンズ・リージョナル・フットボール・リーグの創設クラブとなった[52]。 2001年にはマンチェスター・ユナイテッドと協定を結んだことでクラブ公式の女子チームとなったが、2005年にマルコム・グレイザーによる株式買収が完了したことに伴い、採算性の観点からユースチームを残して解散された[53]。しかしその後、サポーターやクラブOBのイングランド女子代表監督フィリップ・ネヴィルといった外部からの働きかけを経て[54][55]、2018年にマンチェスター・ユナイテッドは再び女子サッカーチームを設立し、女子2部リーグのFA女子選手権に2018–19シーズンから参入した[56][57]。参入初年度に優勝と昇格を果たし[58]、2019-2020シーズンからは女子1部リーグのウィメンズ・スーパーリーグに所属している。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ユナイテッドは、2000-01シーズン2010-11シーズンに勝ち点80で優勝した。
  2. ^ 小数点第3位四捨五入

出典 編集

  1. ^ Manchester United Players”. Football Arroyo. 2022年6月13日閲覧。
  2. ^ The World’s 50 Most Valuable Sports Teams 2022 Forbes.com 2022年9月19日閲覧。
  3. ^ Deloitte Football Money League | Deloitte UK” (英語). Deloitte United Kingdom. 2020年10月3日閲覧。
  4. ^ “マンU香川、3戦連続で先発”. 朝日新聞デジタル. (2012年9月3日). http://www.asahi.com/sports/update2/0903/TKY201209020409.html 2017年8月5日閲覧。 
  5. ^ “マンU香川「この1年が勝負」 プレミア2季目に向け渡英”. 日本経済新聞. (2013年8月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKF0273_S3A800C1000000/ 2017年8月5日閲覧。 
  6. ^ 山中忍 (2016年6月4日). “マンUとモウリーニョの復活が始まる。240億円の予算で「背骨」は出来るか。”. Number Web. 文藝春秋. 2017年8月27日閲覧。
  7. ^ Tony Barrett (2011年10月31日). “Everton 0 Man U 1: United fans delight in riding their luck” (英語). The Times. https://www.thetimes.co.uk/article/everton-0-man-u-1-united-fans-delight-in-riding-their-luck-qlr3tnjc8kj 2017年8月24日閲覧。 
  8. ^ 1989: Man U sold in record takeover deal” (英語). 18 August, BBC On This Day. BBC. 2017年8月5日閲覧。
  9. ^ Rob Hughes (2012年10月28日). “Man U Finally Finds a Way to Win at Chelsea” (英語). The New York Times. http://www.nytimes.com/2012/10/29/sports/soccer/29iht-chelsea29.html 2017年8月24日閲覧。 
  10. ^ “Man U rediscovers aura, winning mentality under Mourinho” (英語). USA Today. (2017年5月25日). https://www.usatoday.com/story/sports/soccer/2017/05/25/man-u-rediscovers-aura-winning-mentality-under-mourinho/102138040/ 2017年8月27日閲覧。 
  11. ^ “Man U wins World Club Cup thriller” (英語). ESPN.com. (1999年12月5日). オリジナルの2023年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230409223038/http://www.espn.com/soccer/news/1999/1130/203784.html 2022年5月29日閲覧。 
  12. ^ Rob Harris (2017年2月26日). “Man U rebounds to capture League Cup, Tottenham grabs second in Premier League” (英語). The Globe and Mail. https://beta.theglobeandmail.com/sports/soccer/manchester-united-rebounds-to-capture-league-cup/article34142538 2017年8月27日閲覧。 
  13. ^ Marc Roche (2010年3月4日). “Golden boys et Diables rouges” (フランス語). Le Monde. http://www.lemonde.fr/sport/article/2010/03/04/golden-boys-et-diables-rouges_1314340_3242.html 2017年8月24日閲覧。 
  14. ^ Xavier Condamine (2017年7月6日). “PSG, Monaco, Man U: Une offre improbable de 180 M€ pour Ronaldo?” (フランス語). Le Figaro. http://sport24.lefigaro.fr/football/transferts/actualites/psg-monaco-man-u-une-offre-improbable-de-180-m-pour-ronaldo-862970 2017年8月24日閲覧。 
  15. ^ Vincente Verdú (2002年6月30日). “Debate: Fútbol y Poder - La clave está en el corazón” (スペイン語). El País. https://elpais.com/diario/2002/06/30/opinion/1025388013_850215.html 2017年8月24日閲覧。 
  16. ^ “Ronaldo e Nani marcam na vitória do Man U” (ポルトガル語). Record. (2009年2月15日). http://www.record.pt/internacional/detalhe/ronaldo-e-nani-marcam-na-vitoria-do-man-u.html 2017年8月27日閲覧。 
  17. ^ “Fußball: ManU holt Ole Gunnar Solskjaer als Interimstrainer” (ドイツ語). Zeit Online. (2018年12月19日). オリジナルの2019年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190113020559/https://www.zeit.de/news/2018-12/19/manu-holt-ole-gunnar-solskjaer-als-interimstrainer-181219-99-284439 2019年1月13日閲覧。 
  18. ^ Marcel Reich (2017年7月27日). “Ibrahimovic macht in Falschgeld – und ManU die Tür auf” (ドイツ語). Die Welt. https://www.welt.de/sport/article167092897/Ibrahimovic-macht-in-Falschgeld-und-ManU-die-Tuer-auf.html 2017年8月24日閲覧。 
  19. ^ “Rooney e ManU insieme fino al 2019” (イタリア語). La Gazzetta dello Sport. (2014年2月21日). オリジナルの2017年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170824174610/http://www.gazzetta.it/notizie-ultima-ora/Calcio/Rooney-ManU-insieme-2019/21-02-2014/2-A_011019614.shtml 2020年8月16日閲覧。 
  20. ^ "NYSEMANU"、ニューヨーク証券取引所、2017年8月5日閲覧。
  21. ^ https://twitter.com/nikutohide/status/1270222011915100160”. X (formerly Twitter). 2023年11月12日閲覧。
  22. ^ The 10 biggest wastes of money in football history” (英語). ザ・ガーディアン. 2022年3月30日閲覧。
  23. ^ ファーガソン、今季限りで監督を引退
  24. ^ マンチェスター・ユナイテッド、モイーズ新監督就任を発表
  25. ^ ユナイテッド、モイーズ解任を正式に発表
  26. ^ ユナイテッドのモイーズ監督が退団(uefa.com日本語版)
  27. ^ Van Gaal named United manager
  28. ^ Manchester United achieve European clean sweep uefa.com
  29. ^ マイケル・ キャリック”. www.manutd.com. 2020年7月28日閲覧。
  30. ^ モウリーニョが辞任”. www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
  31. ^ 暫定監督はスールシャール”. www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
  32. ^ オーレがフルタイムの監督に就任”. www.manutd.com. 2019年3月28日閲覧。
  33. ^ [4-4-2]、一撃の殺気、ラスト5分の奇跡…PSG戦、あのユナイテッドが帰って来た | footballista.jp”. footballista. 2019年5月8日閲覧。
  34. ^ #UnfollowManUnited: Fans' social media protest” (英語). ESPN.com (2019年5月7日). 2019年5月8日閲覧。
  35. ^ 「その仕事が自分にはできないと認めるべき」補強失敗で批判を浴びるマンUのCEO、クラブOBをディレクターに招聘か | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2019年8月11日閲覧。
  36. ^ マンU、リバプールかわして首位浮上!! ポグバ弾でバーンリー下して3連勝”. ゲキサカ. 2021年9月2日閲覧。
  37. ^ 「恥知らずだ」 マンU伝説の英雄、欧州スーパーリーグ創設メンバーの古巣を批判”. www.football-zone.net. 2021年9月2日閲覧。
  38. ^ エド・ウッドワードが2021年末をもって退任”. www.manutd.com. 2024年2月5日閲覧。
  39. ^ ヨーロッパ・スーパーリーグから脱退”. www.manutd.com. 2024年2月5日閲覧。
  40. ^ オーレ・グンナー・スールシャールに関しクラブが声明発表”. マンチェスター・ユナイテッド (2021年11月21日). 2021年11月21日閲覧。
  41. ^ ラングニックが暫定監督に就任”. ManchesterUnited (2021年11月29日). 2022年1月10日閲覧。
  42. ^ キャリックがファーストチームコーチを退任”. ManchesterUnited (2021年12月3日). 2022年1月10日閲覧。
  43. ^ ファーガソン退任後のマンチェスター・Uはいかにして1600億円もの移籍金を無駄にしたのか? | Goal.com”. www.goal.com. 2023年2月7日閲覧。
  44. ^ エリック・テン・ハフが新監督に就任”. マンチェスター・ユナイテッド (2022年4月21日). 2023年4月2日閲覧。
  45. ^ マンUが6年ぶりにタイトルを獲得! 堅守ニューカッスルをカゼミロ&ラッシュフォードで崩し、カラバオ杯制覇”. ザワールド (2023年2月27日). 2023年4月2日閲覧。
  46. ^ マンチェスター・ユナイテッド、世界で最も人気のあるクラブに”. 共同通信PRワイヤー. 2020年3月1日閲覧。
  47. ^ “Mou uses defence like Mayweather - Neville” (英語). ESPN.com. http://global.espn.com/football/manchester-united/story/3251887/man-united-boss-jose-mourinho-is-like-floyd-mayweather-gary-neville 2018年12月2日閲覧。 
  48. ^ “北朝鮮の金正恩氏、マンチェスター・ユナイテッドのファンだった”. https://qoly.jp/2017/09/12/kim-jong-un-and-manchester-united-iks-1 2022年4月8日閲覧。 
  49. ^ Manchester United Kit”. Football Arroyo. 2022年6月13日閲覧。
  50. ^ マンチェスターU、海洋プラスチックでできた新ユニフォームを発表 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン”. IDEAS FOR GOOD (2018年5月28日). 2020年1月10日閲覧。
  51. ^ Man Utd First Team Squad”. マンチェスター・ユナイテッドFC. 2022年11月23日閲覧。
  52. ^ Wigmore, Tim. “マンチェスター・ユナイテッドがなぜまだ女子チームを持っていないのか?”. Bleacher Report. 2020年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月20日閲覧。
  53. ^ Leighton, Tony (2005年2月21日). “ユース育成に重点を置くためマンチェスター・ユナイテッドが女子サッカーを中止”. The Guardian. オリジナルの2021年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210309024718/https://www.theguardian.com/football/2005/feb/21/newsstory.sport2 2019年8月21日閲覧。 
  54. ^ New England boss Phil Neville will encourage former club Manchester United to launch a women's teamDaily Mail(2018.1.29付)、2018年8月24日閲覧。
  55. ^ England women's coach Phil Neville reveals he spoke to Manchester United chief Ed Woodward about club's attempt to set up their own women's teamDaily Mail(2018.4.5付)、2018年8月24日閲覧。
  56. ^ “マンチェスター・ユナイテッドがFA女子チャンピオンシップへの参加権を与えられる”. The Independent. (2018年5月28日). オリジナルの2019年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190609025305/https://www.independent.co.uk/sport/football/womens_football/manchester-united-women-championship-football-association-fa-a8372731.html 2018年5月28日閲覧。 
  57. ^ “マンチェスター・ユナイテッドがウエストハムとともにスーパーリーグでFA女子チャンピオンシップの参加権を得る”. Sky Sports. (2018年5月28日). オリジナルの2019年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190609080117/https://www.skysports.com/football/news/28508/11388053/manchester-united-granted-fa-womens-championship-place-with-west-ham-in-super-league 2018年5月28日閲覧。 
  58. ^ ユナイテッド女子が優勝”. www.manutd.com. 2021年8月11日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

公式