アタランタBC

イタリアのサッカークラブ

アタランタ・ベルガマスカ・カルチョAtalanta Bergamasca Calcio)は、イタリアロンバルディア州ベルガモを本拠地とするサッカークラブである。チーム名のアタランタとはギリシア神話アタランテーのこと。

アタランタBC
原語表記 Atalanta Bergamasca Calcio S.p.A.
愛称 Nerazzurri (黒と青)
La Dea (女神様)
クラブカラー    
   
創設年 1907年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2023-24
昨季リーグ順位 5位(2022-23
ホームタウン ベルガモ
ホームスタジアム
ゲヴィス・スタジアム
収容人数 24,950
代表者 イタリアの旗 アントニオ・ペルカッシ
監督 イタリアの旗 ジャン・ピエロ・ガスペリーニ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
アタランタの選手たち(1913-14シーズン)

歴史 編集

レストランでの会合がきっかけとなって、1907年10月17日、ジノとフェルッチョのアマティ兄弟、エウジェニオ・エリオ、ジョバンニ・ロベルティ、アレッサンドロ・フォルリニの5人の男達によって創設された。この頃のユニフォームの配色は白と黒。戦争などの中断期間を経た後、1920年の全国選手権はベルガモから出場できるのは1チームだけという規定があったので同じ市内のライバルチームであるベルガマスカとブレシアで試合をおこない2-0と破った後、4月4日にベルガマスカと合併。この時にユニフォームの配色がアタランタの黒とベルガマスカの青を組み合わせて青黒になった。[1]

定評ある選手育成においては、ロベルト・ドナドーニドメニコ・モルフェオら、数々の優秀な選手を輩出している。ビッグクラブで出場機会の少ない有望な若手などの有力な(レンタル)移籍先ともなっている。フィリッポ・インザーギが得点王を獲得し、スターダムへ駆け昇るきっかけとなったクラブでもある。またマルチェロ・リッピチェーザレ・プランデッリフランチェスコ・グイドリンなど優れた指導者を輩出するクラブでもある。1999年から2003年まで、下部組織からチーム作りに携わってきたジョヴァンニ・ヴァヴァッソーリが監督を務めた。2004-05シーズンにアンドレア・マンドルリーニの下でセリエAに昇格したが、同シーズン終了時に降格となった。

2006-07シーズンはセリエA昇格1年目ながら8位に食い込んだ。2007年夏には昇格と残留の立役者であるステファノ・コラントゥオーノ監督がUSチッタ・ディ・パレルモに引き抜かれ、ルイジ・デルネーリ監督を招聘した。財政難からDFシモーネ・ロリア、MFジュリオ・ミリアッチョ、FWニコラ・ヴェントラなどの主力選手を手放すこととなったが、司令塔のクリスティアーノ・ドニの引き留めに成功した。最終ラインを高く保ち、ボールを素早くつなぐカウンターで9位に入り、難なく残留を決めた。

2008年夏にはDFモリス・カロッツィエーリやFWアントニオ・ランジェッラなどの主力を売却し、その穴埋めとしてMFハイメ・バルデスやFWクリスティアン・ビエリを移籍金なしで獲得した。さらにMFルカ・チガリーニ、MFアレッシオ・チェルチなど期待の若手も加え、フロントの優秀さを際立たせることとなった。

2008-09シーズンはFWセルジオ・フロッカリがキャリア初の二桁得点を記録し、36歳になったクリスティアーノ・ドニが9得点5アシストの活躍を見せ、11位でシーズンを終えた。

2009年夏にはエースのセルジオ・フロッカリとプレーメーカーのルカ・チガリーニを合わせて約32億円で売却したが、その1/4程度の値段でFWロベルト・アクアフレスカ、MFエドガル・バレットを獲得して穴を埋めた。サンプドリア監督に転身したルイジ・デルネーリ監督に代わってアンジェロ・グレグッチ監督が就任したが、前回のセリエA挑戦(2005年、USレッチェ)の際は5試合で解任されているため、手腕を疑問視する声もあった。開幕から不振が続いたため、9月21日にグレグッチ監督を解任し、アントニオ・コンテ監督を招聘した。しかしコンテはチームを立て直すことが出来ず、2010年1月7日に辞任。1月11日、ボルトロ・ムッティが新監督に任命されたものの、18位でセリエB降格となった。

コラントゥオーノ監督が復帰した2010-11シーズンは、セリエBで優勝し1年でセリエA復帰を決めた。2011-12シーズンは2011年8月9日、下部リーグの八百長に関与したとして、勝ち点が6減点され、キャプテンのクリスティアーノ・ドニに3年半の出場停止処分が下された[2]。しかし最初の3試合で勝ち点7を獲得し、ペナルティを早々に帳消しにした。最終的には12位に入り、難なく残留を決めた。八百長スキャンダルの影響でやはり勝ち点減点2からのスタートとなった翌2012-13シーズンも、代表に初招集されたジャコモ・ボナヴェントゥーラの活躍もあり、序盤戦でACミランインテルを撃破。15位で2年連続のセリエA残留を果たした。

以降はセリエA定着と中位を目指すシーズンが続いていたが、2016年に就任したジャン・ピエロ・ガスペリーニ3バックを軸に対戦相手によって中盤と攻撃陣を柔軟に変化させるシステムを採用し[3]、快進撃を披露。さらにロベルト・ガリアルディーニマッティア・カルダーラレオナルド・スピナッツォーラアンドレア・コンティなど下部組織出身を含む多くの若手選手が台頭した。2018-19シーズンはサパタが23ゴール、イリチッチが13ゴールとツートップが好調を維持し、冬の移籍市場で選手の引き抜きにあいながらもナポリインテルASローマなどの上位陣を撃破。クラブ史上最高となる3位でシーズンを終え、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

2019-20シーズン、UEFAチャンピオンズリーグでは3連敗でスタートしたが、その後は勝ち点を重ね大逆転で決勝トーナメントに進出、決勝トーナメント1回戦のバレンシアCF戦ではファーストレグを4-1、セカンドレグではイリチッチが4ゴールを挙げ4-3とそれぞれ勝利、2戦合計8-4としクラブ史上初の準々決勝に進出した[4]。一発勝負となった準々決勝では、パリSGを相手に90分までリードするも、その後2得点を許しベスト8で敗退した[5]

2020-21シーズン、12月頃にキャプテンのアレハンドロ・ゴメスとガスペリーニ監督との不仲が表面化。ゴメスは冬の移籍市場でセビージャFCに放出された。

2021-22シーズン、主力選手のGKピエルルイジ・ゴッリーニとDFクリスティアン・ロメロの両名がトッテナム・ホットスパーFCに移籍。ウディネーゼからGKフアン・ムッソユヴェントスからDFメリフ・デミラルの両名を獲得してその穴を埋めた。しかし、パプ・ゴメスという大黒柱を失ったアタランタは当時パフォーマンスが低調気味だったイリチッチに復調を期待したが全盛期のようなプレーはできずチームは8位でそのシーズンを終えた。

22−23シーズン、ホイルンドやルックマン、エデルソンなど積極的補強でチーム全体の復調を図ったガスペリーニ。

タイトル 編集

国内タイトル 編集

  • セリエB:5回
    • 1939-40, 1958-59, 1983-84, 2005-06, 2010-11

国際タイトル 編集

  • なし

過去の成績 編集

シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア
ディビジョン 順位
1945-46 セリエA 26 7 7 12 21 28 21 9位
1946-47 38 11 15 12 40 52 37 8位
1947-48 40 16 12 12 48 41 44 5位
1948-49 38 11 9 18 40 58 31 15位
1949-50 38 17 6 15 66 60 40 8位
1950-51 38 10 12 16 48 69 32 14位
1951-52 38 13 8 17 54 61 34 12位
1952-53 34 10 12 12 52 53 32 8位
1953-54 34 10 11 13 54 53 31 10位
1954-55 34 8 12 14 35 38 28 15位
1955-56 34 11 9 14 50 55 31 15位
1956-57 34 9 13 12 36 44 31 14位
1957-58 34 6 16 12 29 49 28 17位
1958-59 セリエB 38 18 15 5 62 30 51 1位 ベスト16
1959-60 セリエA 34 9 13 12 31 39 31 11位 準々決勝敗退
1960-61 34 9 13 12 35 41 31 9位 2回戦敗退
1961-62 34 13 12 9 39 38 38 6位 2回戦敗退
1962-63 34 12 10 12 43 44 34 8位 優勝
1963-64 34 7 16 11 26 43 30 8位 準々決勝敗退
1964-65 34 7 16 11 19 28 30 11位 3回戦敗退
1965-66 34 9 11 14 24 37 29 12位 3回戦敗退
1966-67 34 9 13 12 28 43 31 11位 1回戦敗退
1967-68 30 10 5 15 26 42 25 12位 2回戦敗退
1968-69 30 4 11 15 25 45 19 16位 GS敗退
1969-70 セリエB 38 8 17 13 30 29 33 15位 GS敗退
1970-71 38 15 17 6 41 25 47 2位 GS敗退
1971-72 セリエA 30 9 8 13 21 26 26 10位 GS敗退
1972-73 30 5 14 11 16 33 24 14位 2GS敗退
1973-74 セリエB 38 11 14 13 24 24 36 11位 2GS敗退
1974-75 38 14 11 13 37 36 39 6位 GS敗退
1975-76 38 13 12 13 26 24 38 9位 GS敗退
1976-77 38 19 11 8 44 26 49 2位 GS敗退
1977-78 セリエA 30 6 15 9 28 32 27 9位 GS敗退
1978-79 30 6 12 12 20 33 24 15位 GS敗退
1979-80 セリエB 38 11 16 11 29 24 38 9位 GS敗退
1980-81 38 9 12 17 28 40 30 18位 GS敗退
1981-82 セリエC1・ジローネA 34 17 15 2 42 15 49 1位
1982-83 セリエB 38 10 17 11 30 27 37 8位 GS敗退
1983-84 38 16 17 5 49 28 49 1位 GS敗退
1984-85 セリエA 30 5 18 7 20 32 28 10位 GS敗退
1985-86 30 7 15 8 27 26 29 8位 ベスト16
1986-87 30 7 7 16 16 22 21 15位 準優勝
1987-88 セリエB 38 14 19 5 50 34 47 4位 GS敗退
1988-89 セリエA 34 11 14 9 37 32 36 6位 準決勝敗退
1989-90 34 12 11 11 36 43 35 7位 GS敗退
1990-91 34 11 13 10 38 37 35 10位 ベスト16
1991-92 34 10 14 10 31 33 34 11位 ベスト16
1992-93 34 14 8 12 42 44 36 8位 2回戦敗退
1993-94 34 5 11 18 35 65 21 17位 ベスト16
1994-95 セリエB 38 17 15 6 49 36 66 4位 2回戦敗退
1995-96 セリエA 34 11 6 17 38 50 39 13位 準優勝
1996-97 34 11 11 12 44 46 44 10位 1回戦敗退
1997-98 34 7 11 16 25 48 32 16位 ベスト16
1998-99 セリエB 38 14 19 5 44 27 32 6位 準々決勝敗退
1999-00 38 17 12 9 51 34 63 2位 ベスト16
2000-01 セリエA 34 10 14 10 38 34 44 7位 準々決勝敗退
2001-02 34 12 9 13 41 50 45 9位 準々決勝敗退
2002-03 34 8 14 12 35 47 38 15位 ベスト32
2003-04 セリエB 46 19 20 7 59 36 77 5位 GS敗退
2004-05 セリエA 38 8 11 19 34 45 35 20位 準々決勝敗退
2005-06 セリエB 42 24 9 9 61 39 81 1位 ベスト16
2006-07 セリエA 38 12 14 12 56 54 50 8位 3回戦敗退
2007-08 38 12 12 14 52 56 48 9位 3回戦敗退
2008-09 38 13 8 17 45 48 47 11位 4回戦敗退
2009-10 38 9 8 21 37 53 35 18位 4回戦敗退
2010-11 セリエB 42 22 13 7 61 35 79 1位 3回戦敗退
2011-12 セリエA 38 13 13 12 41 43 46 12位 3回戦敗退
2012-13 38 11 9 18 39 56 40 15位 ベスト16
2013-14 38 15 5 18 43 51 50 11位 ベスト16
2014-15 38 7 16 15 38 57 37 17位 ベスト16
2015-16 38 11 12 15 41 47 45 13位 4回戦敗退
2016-17 38 21 9 8 62 41 72 4位 ベスト16
2017-18 38 16 12 10 57 39 60 7位 準決勝敗退
2018-19 38 20 9 9 77 46 69 3位 準優勝
2019-20 38 23 9 6 98 48 78 3位 ベスト16
2020-21 38 23 9 6 90 47 78 3位 準優勝
2021-22 38 16 11 11 65 48 59 8位 準々決勝敗退
2022-23 38 19 7 12 66 48 64 5位 準々決勝敗退
2023-24 38

記録 編集

欧州の成績 編集

1963-2000 編集

2000- 編集

欧州での記録 編集

2022年4月14日現在
大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 23 8 6 9 40 43 −3 034.78
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 30 14 12 4 51 24 +27 046.67
UEFAカップウィナーズカップ 11 4 1 6 14 14 +0 036.36
総通算 64 26 19 19 105 81 +24 040.63

現所属メンバー 編集

2023-24シーズン 基本フォーメーション(3-4-1-2
2024年2月15日現在[6]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   フアン・ムッソ ( )
2 DF   ラファエウ・トロイ ( )( )
3 MF   エミル・ホルム
4 DF   イサク・ヒエン ( )
6 DF   ホセ・ルイス・パロミノ ( )
7 MF   トゥーン・コープマイネルス
8 MF   マリオ・パシャリッチ
10 FW   エル・ビラル・トゥーレ ( )★
11 FW   アデモラ・ルックマン ( ) ★
13 MF   エデルソン
15 MF   マルテン・デ・ローン (副主将)
17 FW   シャルル・デ・ケテラーレ
No. Pos. 選手名
19 DF   ベラト・ジムシティ ( )★
20 MF   ミッチェル・バッケル
22 MF   マッテオ・ルッジェーリ
23 DF   セアド・コラシナツ ( )
25 MF   ミシェル・アドポ ( )
29 GK   マルコ・カルネセッキ
31 GK   フランチェスコ・ロッシ
33 MF   ハンス・ハテブール
42 DF   ジョルジョ・スカルヴィーニ
59 FW   アレクセイ・ミランチュク
77 MF   ダヴィデ・ザッパコスタ
90 FW   ジャンルカ・スカマッカ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

レンタル移籍 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 MF   エミル・ホルム (スペツィア)
No. Pos. 選手名
17 FW   シャルル・デ・ケテラーレ (ミラン)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK   ルドヴィコ・ジェルミ (モノーポリ)
-- GK   ピエルルイジ・ゴッリーニ (ナポリ)
-- GK   ジャコポ・サッシ (プロ・ヴェルチェッリ)
-- DF   フェデリコ・ベルゴンツィ (フェラルピサロ)
-- DF   ジョルジョ・ブローニ (フィオレンツォーラ)
-- DF   ウーゴ・ブイラ (サンプドリア)
-- DF   ジョルジョ・チッタディーニ (ジェノア)
-- DF   クリスティアン・モラ (レナーテ)
-- DF   カレブ・オコリ (フロジノーネ)
-- MF   ブランドン・ソッピ (シャルケ04)
-- MF   ナディル・ゾルテア (フロジノーネ)
-- MF   サムエル・ジョーヴァネ (アスコリ)
-- MF   ヴィクトル・コヴァレンコ (エンポリ)
-- MF   エルディス・クラヤ (アスコリ)
No. Pos. 選手名
-- MF   アレッサンドロ・マッラモ (ズュートティロール)
-- MF   アンドレア・オリヴェリ (カタンザーロ)
-- MF   ロレンツォ・ペーリ (ポンテデーラ)
-- MF   ギヨーム・ルノー (プロ・パトリア)
-- MF   アラサン・シディベ (アルカ・グディニャ)
-- MF   フェデリコ・ズッコン (コゼンツァ)
-- FW   ニコロ・カンビアーギ (レッチェ)
-- FW   エブリマ・コリー (ヤングボーイズ)
-- FW   ジュゼッペ・ディ・セリオ (スペツィア)
-- FW   ジョナタン・イタレング (トレント)
-- FW   シモーネ・マッツォッキ (コゼンツァ)
-- FW   ロベルト・ピッコリ (レッチェ)
-- FW   ダヴィデ・ピオ・スタビーレ (ヴィス・ペーザロ)
-- FW   ドゥバン・サパタ (トリノ)

スタッフ 編集

役職 氏名
監督   ジャン・ピエロ・ガスペリーニ
アシスタントコーチ   トゥリオ・グリッティ
GKコーチ   マッシモ・ビッフィ

歴代監督 編集

歴代所属選手 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集

サポーター 編集

オーストリア・ブンデスリーガFCヴァッカー・インスブルックのサポーターズクラブと友好関係を結んでおり、定期的に交流が行われている。

脚注 編集

  1. ^ STORIA SOCIETÀ”. 2020年3月13日閲覧。
  2. ^ アタランタ勝ち点減点6 八百長問題で処分”. スポーツニッポン (2011年8月10日). 2018年3月18日閲覧。
  3. ^ なぜアタランタは躍進したのか?特異な3バックを徹底分析 - footballista 2017年7月12日
  4. ^ メッシ&C・ロナウドに続き…アタランタFWが史上3人目の“合計5得点達成者”に”. フットボール チャンネル (2020年3月11日). 2020年3月11日閲覧。
  5. ^ [CL準々決勝 アタランタvsパリSG LIVEスコア]”. 2021年10月28日閲覧。
  6. ^ Rosa-Atalanta” (イタリア語). Atalanta BC. 2023年11月14日閲覧。

外部リンク 編集