ユヴェントスFC

イタリアのサッカークラブ
ユヴェントスから転送)
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  • ユヴェントスFC
  • ユベントスFC

ユヴェントスFC(Juventus Football Club, イタリア語発音: [juˈvɛntus])は、イタリアトリノをホームタウンとする、レガ・カルチョに加盟するプロサッカークラブ。

ユヴェントスFC
Juventus FC 2017 icon (black).svg
原語表記 Juventus Football Club S.p.A.
愛称 La Vecchia Signora (おばあさん)
La Fidanzata d'Italia (イタリアの彼女)
La Madama (ピエモンテ語で、「奥さん」)
I Bianconeri (白と黒)
Le Zebre (シマウマ)
La Signora Omicidi (キラー・レディー)
La Goeba (ピエモンテ語で、「せむし」)
クラブカラー     白・   
創設年 1897年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2020-21
ホームタウン トリノ
ホームスタジアム Juventus v Real Madrid, Champions League, Stadium, Turin, 2013.jpgアリアンツ・スタジアム
収容人数 41,507
代表者 イタリアの旗 アンドレア・アニェッリ
監督 イタリアの旗 マッシミリアーノ・アッレグリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

1923年以来、多数の実業家を輩出するイタリアの名門一族アニェッリ家がオーナーとなっており、2018年8月現在アニェッリ家の投資会社「エクソール」がクラブの株式の63.77パーセントを所有している。

概要編集

ユヴェントスはラテン語で「若者」や「青春」を意味するユウェントゥス (juventus/iuventus) に由来し、略称でユーヴェ (Juve, IPA: [ˈjuːve])とも呼ばれる。愛称は、エンブレムやユニフォームの配色からビアンコネーロイタリア語で白と黒)、ビアンコネーリ(複数形)や、ラ・ヴェッキア・シニョーラ(老貴婦人)などがある。サポーターは、ユヴェンティーノ(単数形)や、ユヴェンティーニ(複数形)と呼ばれている。

いくつかのデザインの変化を経ながら100年以上使われていたエンブレムには、真ん中に牡牛が描かれており、トリノの語源がタウリーニ(牛の人々)であることが由来である[1]。2017年に一新された現在のロゴは、ユヴェントスのイニシャルの「J」をモチーフにしたシンプルなものになっており、グッズやアパレル商品に馴染む大胆な変更となった[1]

セリエAにおいて最も成功したクラブの一つである。セリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、「ユヴェントス」、「ACミラン」、「インテル」のビッグ3の一角を占め、スクデット獲得回数はセリエA最多の36回で、ACミラン、インテル(どちらもスクデット獲得19回)と共にイタリアのみならず世界でも指折りのビッグクラブの一つである。1996年から1998年には3年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出、過去9度決勝に進み、そのうち2度優勝している。

2005-06シーズン時点までは、1929年のセリエA開幕以来一度もセリエBイタリア2部リーグ)に降格したことがない2チームのうちの1つであったが、「カルチョ・スキャンダル」によるペナルティを受け、2006年にクラブ史上初めてセリエBへ降格した。2021年現在も降格経験がないインテルとの対戦は、イタリアダービーと呼ばれ国内外の注目を集め、ミラノダービーローマダービーと並び、イタリアを代表するビッグマッチの一つである。トリノFCとの対戦はトリノ・ダービーと呼ばれる。

ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億7240万ユーロであり、世界9位、イタリアでは1位である[2]

2011-12シーズンには9季ぶり28度目のスクデットを獲得し、2019-20シーズンまでセリエA前人未到の9連覇を達成している。

ユニフォーム編集

クラブカラーは白と黒の縦縞。クラブ創設当初はピンクのユニフォームに黒いパンツであったが、色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在の白と黒(ビアンコネッロ)に代わった。この配色は、当時クラブに所属したイングランド人選手ジョン・サヴェージから代替ユニフォームを頼まれた母国の友人がノッツ・カウンティのファンであったことに由来する[3]。2011-12シーズンや2015-16シーズンには、アウェイユニフォームの配色にピンクが使われた[4]

Period Kit manufacturer Shirt sponsor
1979–1989 Kappa Ariston
1989–1992 UPIM
1992–1995 Danone
1995–1998 Sony
1998–1999 D+Libertà digitale/Tele+
1999–2000 CanalSatellite/D+Libertà digitale/Sony
2000–2001 Lotto Sportal.com/Tele+
2001–2002 Fastweb/Tu Mobile
2002–2003 Fastweb/Tamoil
2003–2004 Nike
2004–2005 Sky Sport/Tamoil
2005–2007 Tamoil
2007–2010 FIAT (New Holland)
2010–2012 BetClic/Balocco
2012–2015 FIAT/ FCA Italy (Jeep)
2015– Adidas

2017-18シーズンから背中側のスポンサーを採用し、日本企業であるCygamesと契約を締結した[5]。Cygamesがオフィシャルスポンサーをしていたサガン鳥栖とは、名前の語呂が近いということから交流があり、2015年にはOBによる親善試合が開催されていた[6]。また、Cygamesのコーポレートカラーがユヴェントスと同じ白と黒だったこともあり、縁のあるスポンサードとなった[7]

歴史編集

創設期 - セリエA以前編集

 
1898年の選手
 
1905年の選手

クラブは1897年11月1日にマッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによってスポルト・クラブ・ユヴェントス (Sport Club Juventus) として創設された[3]。1900年よりイタリア選手権(後のセリエAに相当する全国大会)に参加。

1905年にイタリア選手権で初優勝した。1906年にはクラブの紛争によってスイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、FBCトリノ(現トリノFC)を創設した[8]

1923年、地元の自動車会社フィアット社オーナーのエドアルド・アニェッリがクラブを買い取り、会長に就任。これが現在まで続くアニェッリ家とフィアットによるユヴェントスへの関与の端緒となる。1925–26シーズンには21年ぶりに、3度目のイタリア選手権優勝を果たした[8]

セリエA発足 - 欧州制覇編集

1929年にセリエAが発足。間もない1930年代前半には5シーズン連続の優勝を飾り、クラブの歴史上最初の黄金時代を築いた。1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会に優勝したイタリア代表には、アルゼンチン出身のFWライムンド・オルシやMFルイス・モンティ、代表主将を務めたGKジャンピエロ・コンビら、実に9人ものユヴェントス選手を含んだ[9]

1947年にジャンニ・アニェッリが会長に就任、クラブは株式会社化された。1940年代はライバルであるACトリノ(現トリノFC)の好調の影に隠れる格好になった。

1957-58シーズン、初めてのダブルを達成したのみならず、通算10回目のリーグ優勝によってステッラ(星)を胸に付けることを認められる最初のクラブになった。このシーズンから1960-61シーズンまでの4シーズンの間にスクデット3回、カップ2回を獲得。長らくクラブの最多得点記録者だったジャンピエロ・ボニペルティジョン・チャールズオマール・シヴォリのFW三人組は「魔法のトリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。

1960年代以降、欧州のカップ戦でたびたび上位に入ったが、優勝にまでは至らなかった。

 
ジョヴァンニ・トラパットーニ
UEFAチャンピオンズカップ 1982-83決勝、ハンブルガーSV戦のスターティングメンバー。

1976年に監督に就任したジョバンニ・トラパットーニは、1986年まで続く長期政権下に多くの栄誉をもたらした。まず、初年度の1976-77シーズンにクラブ初の欧州タイトルとなるUEFAカップで優勝。セリエAでもコンスタントに優勝し、1981-82シーズンに通算20回目のリーグ優勝を達成。1983-84シーズンにUEFAカップウィナーズカップで初優勝。

1984-85シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)において、3度目の決勝進出で初勝利し、念願の欧州チャンピオンに輝いた。試合前にはイングランドのフーリガンの蛮行に端を発する惨劇で多くの死傷者が出た(詳細はヘイゼルの悲劇を参照)。同年末にはトヨタカップでアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズをPK戦で破り、世界一のタイトルも手に入れた。

 
ミシェル・プラティニ

この時代には、セリエAで3シーズン連続得点王となったミシェル・プラティニを始め、後にユヴェントスの最多試合出場記録を作るガエターノ・シレアFIFAワールドカップ・スペイン大会得点王のFWパオロ・ロッシらがいた。

1980年代後半から1990年代前半にかけて、セリエAではしばらく優勝から遠ざかったが、その間にもロベルト・バッジョ等の活躍もあり、欧州では2度のUEFAカップ優勝を果たした。

2度目の欧州制覇編集

1994年にマルチェロ・リッピが監督に就任すると、初年度の1994-95シーズンに9年ぶりにスクデットを獲得。1995-96シーズンには、後に絶対的なバンディエラとなるアレッサンドロ・デル・ピエロがエースとして活躍、ヴィアリラバネッリ等と3トップを形成しUEFAチャンピオンズリーグで2度目の欧州チャンピオンに輝き、同年末のトヨタカップにも勝利した。特にUEFAチャンピオンズリーグでは、その後ジネディーヌ・ジダンフィリッポ・インザーギディディエ・デシャン等の活躍により1995-96シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するという離れ業を成し遂げている。

低迷期編集

1998-99シーズンはセリエA3連覇は堅いと予想されていた。しかし、蓋を開けてみると、予想に反して期待を裏切ったシーズンだった。開幕戦こそペルージャに勝利したものの、デル・ピエロがシーズンを棒に振るほどの大怪我を負って以降は、無得点試合が何試合も続くほどの慢性的な得点欠乏症に苦しみ、中位に低迷した。マルチェロ・リッピが監督を退任した後、カルロ・アンチェロッティが監督に就任したが、セリエA優勝には届かなかった。

不正による2つのスクデット剥奪と史上初の降格編集

 
ジャンルイジ・ブッフォン

約3年間のブランクを経て、再びマルチェロ・リッピが監督に就任すると、てこ入れとしてジネディーヌ・ジダンフィリッポ・インザーギというこれまでの主力を放出する一方で、ダヴィド・トレゼゲパベル・ネドベドジャンルイジ・ブッフォンリリアン・テュラムらを獲得した。その結果、2001-02及び2002-03シーズンのセリエA連覇を果たす。また、2002-03シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝に駒を進めたが、PK戦の末ACミランに敗れる。2003-04シーズンは68ゴールのローマに続く67ゴールであったにも関わらず、パオロ・モンテーロの衰えやニコラ・レグロッターリエら最終ラインのミスに加え、ダービッツが契約延長を拒否したことで事実上の懲罰的な処置として出場機会の減少に繋がり最終的にはFCバルセロナへ放出。その関係で素早い潰しで炎上を防ぐ中盤のフィルター役がいなくなり最終ラインが早い段階で相手の攻撃に晒される悪循環に陥った為[10]、連覇を果たした前シーズンより引き分けが3つ少ないだけ(前シーズンの21勝9分け4敗から21勝6分け7敗)でありながらセリエAで優勝したミランに13ポイント差の3位に終わった事の責任を取り、マルチェロ・リッピ監督が辞任。フロントは新監督にファビオ・カペッロを指名した。

エメルソンファビオ・カンナヴァーロズラタン・イブラヒモビッチといった新戦力を補強し、カペッロ監督の下、ユヴェントスは2004-05及び2005-06シーズンを連覇する。しかし、2006年夏にルチアーノ・モッジGMらによる審判への買収・脅迫行為が発覚(カルチョ・スキャンダルも参照)クラブは2004-05及び2005-06シーズンのスクデット剥奪に加え、史上初のセリエB降格処分を受けた。

セリエA昇格から低迷期編集

 
アレッサンドロ・デル・ピエロ

カルチョ・スキャンダルでの厳しい処分による影響や相次ぐ主力放出により、苦戦が予想された2006-07シーズンは、アレッサンドロ・デル・ピエロダヴィド・トレゼゲジャンルイジ・ブッフォンパベル・ネドベドなどが残留し、ディディエ・デシャン監督の下、セリエB優勝を決めて1年でのセリエA復帰を果たした。

下馬評ではUEFAチャンピオンズリーグへの復帰は難しいだろうと考えられていた2007-08シーズンは予想を覆す勢いで勝利を挙げ3位でシーズンを終え、2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予備戦3回戦からの復帰が確定。デル・ピエロとトレゼゲの2トップはリーグ戦合計で41ゴールを挙げ、デル・ピエロは21ゴールで得点王のタイトルを獲得した。

しかし、2008-09シーズンは無冠が決定し、シーズン途中でクラウディオ・ラニエリは解任され、かつてユヴェントスのDFとして活躍したチロ・フェラーラがシーズン終了まで指揮を執ることとなった。

2008-09シーズンが無冠で終わったことから、2009年夏の移籍市場では活発に動き、市場開幕前にレアル・マドリードよりフリートランスファーで、かつて所属したファビオ・カンナヴァーロを、また、ヴェルダー・ブレーメンより2450万ユーロでジエゴを、更に移籍金2050万ユーロに加え、イタリア代表経験のあるMFマルコ・マルキオンニと引き換えにフィオレンティーナからブラジル代表のフェリペ・メロを獲得した。

2009-10シーズンは昨季途中から引き続きフェラーラの指揮の下、開幕当初は勝ち星を重ねることができたものの、徐々に成績を落としていき、チャンピオンズリーグはグループリーグで敗退、21節を終えた時点で首位と勝ち点16差を付けられるなどチームは低迷する。コッパ・イタリアも敗退が決まるとクラブはフェラーラを解任。後任としてアルベルト・ザッケローニの監督就任が発表された。36節カターニア戦で引き分け、来季のチャンピオンズリーグ出場権が消滅してしまった。このシーズン結局7位に終わる。

アンドレア・アニエッリ就任と盟主復活へ - 現在編集

アレッシオ・セッコSD(スポーツディレクター)らフロント陣の改造が行われ、会長にアンドレア・アニェッリが就任し、GD(ゼネラルディレクター)にジュゼッペ・マロッタを招聘。監督にはルイジ・デルネーリが就任。

2011年、セリエAのチームとしては珍しいチアリーディングチームが結成され、フロムワンの雑誌「CALCIO2002」(2011年3月号)に紹介された。チアリーダーの面々はホームスタジアムでの入場セレモニーやスタンドの応援だけにとどまらず、トリノの街角で選手と同じユニフォームとチームカラーの黒と白の大きいポンポンを振りかざしてのゲリラ的パフォーマンスを繰り広げるなどしている。セリエAのクラブではチアリーダーはこれまで登場したことがないことから、注目された。

2010-11シーズン中盤以降の失速により、最終的に前年度と同じ7位となった。また、ヨーロッパリーグではグループリーグ敗退。デルネーリを解任し、クラブOBでACシエーナをセリエA昇格へ導いたアントニオ・コンテを監督に招聘。

2011-12シーズンに向けてユヴェントスのオーナー陣は増資を決定し、1億2000万ユーロの補強資金が用意された。このうち3700万ユーロは昨季レンタルで獲得したファビオ・クアリャレッラSSCナポリ)を3年契約、アレッサンドロ・マトリカリアリ)を4年契約、シモーネ・ペペマルコ・モッタ(ともにウディネーゼ)を4年契約で、完全移籍で獲得するのに使われた。スイス代表のレト・ツィークラー、ACミランでの契約延長に合意しなかったイタリア代表MFアンドレア・ピルロをフリーで獲得した。フェリペ・メロモハメド・シソッコを売却する一方で、ステファン・リヒトシュタイナーアルトゥーロ・ビダルミルコ・ヴチニッチを獲得した。

2011年9月、イタリアでは初めてのクラブ占有のスタジアム、ユヴェントス・スタジアムが完成した。スタジアム完成後初のシーズンを23勝15分の無敗で優勝し、セリエA復帰後初優勝を達成した。なお、今回で公式には28回目の優勝であるが、カルチョ・スキャンダルで剥奪された分も含めて30回目の優勝だと主張しており、「30 Sul Campo」(フィールド上では30回)の文字をユニフォームに入れている。このシーズン限りでバンディエラでもあるキャプテンのアレッサンドロ・デル・ピエロがユヴェントスのユニフォームを脱ぐことが決定した。その後、デル・ピエロはシドニーFCに移籍が決定。

2012-13シーズンは、クワドォー・アサモアマウリシオ・イスラのウディネーゼからのコンビやポール・ポグバらを獲得したが監督のコンテがシエナ時代の八百長の報告義務違反で処分され、10ヶ月出場停止となったが(4ヶ月に軽減)、2013年5月5日に連覇を果たした。また、3シーズンぶりのチャンピオンズリーグでは、グループリーグを突破するも準々決勝でバイエルン・ミュンヘンにホーム・アウェーとも2-0で敗れた。

2013-14シーズンは、2013年1月に獲得が内定していたフェルナンド・ジョレンテや、デル・ピエロが着用していた「10番」を継ぐカルロス・テベス、同じ街のトリノFC生え抜きのアンジェロ・オグボンナを獲得。3節にインテルとのイタリアダービーに引き分け、8節のフィオレンティーナ戦でも2-0から逆転負けし、当時首位で開幕10連勝のセリエA新記録を更新したローマとの勝ち点差が4となる。しかしローマがその後の4戦を続け様にドローで終えると間隙を縫って勝ちを積み重ね13節から再び首位に浮上。まだシーズンの3分の1しか消化していない時点でローマこそ勝ち点差が1だったが、ナポリに6、インテルに8、フィオレンティーナに10の勝ち点差をつけ、敗れたフィオレンティーナ戦以降12連勝。その中には2014年1月5日に行われた新年最初のセリエAにあたるローマとの頂上決戦も含まれ(3-0で快勝)、ホーム戦全勝でリーグ3連覇を達成し、公式に30回目の優勝を果たした。また、このシーズンにチームが積み上げた勝ち点「102」は、欧州主要リーグの最多勝ち点記録を更新した。その一方でチャンピオンズリーグは、勝ちを計算出来た筈のFCコペンハーゲンガラタサライに引き分け、アンチェロッティが就任したレアル・マドリードの敵地で敗れ3連敗とヨーロッパ戦線では躓き、FCコペンハーゲンのホームでやっと初勝利を挙げ、最終戦にあたる敵地のガラタサライホームでの悪天候による再試合といったハプニングもあり、翌日に再開された試合では引き分けてもベスト16に入れた状況だった為当時勝ち点4でグループ3位、このままではグループリーグ3位となってヨーロッパリーグに回る為、勝たなければならない状況で諦めない姿勢を見せたトルコのガラタサライの抵抗に遭い、勝利への執念を見せなかったツケがヴェスレイ・スナイデルの一発で1-0と沈む形で回り、グループリーグ3位で敗退。引き分け狙いの油断が招いた悲劇がイタリアでは記録的な強さを見せたシーズンの汚点を残す羽目になった。3位で敗退した事で回ってきたヨーロッパリーグは、ベスト32からのスタート。トラブゾンスポルには2戦合計4-0と快勝し、ベスト16では同じイタリアのフィオレンティーナから失点が目立つようになり、フィオレンティーナ戦は2戦合計2-1、かつてリーグ7連覇を果たしたオリンピック・リヨンとの準々決勝でも3-1で勝ち上がり、決勝がホームグラウンドのユヴェントス・スタジアムであった為、地元開催の決勝進出が後半戦の目標だったが準決勝で国内3冠を果たしポルトガルを牛耳ったベンフィカと対戦し初戦の2-1で敗れた試合を取り戻せず、ホームでスコアレスドローを演じてしまいベスト4で敗退となった。

2014-15シーズンの夏の移籍市場においては、アルバロ・モラタパトリス・エブラロベルト・ペレイラらを獲得。しかし開幕前のプレシーズンキャンプ中、7月15日に監督のコンテが突然辞任。翌日、元ミラン監督であるマッシミリアーノ・アッレグリの監督就任が決定した。このシーズンは4試合を残してリーグ戦4連覇を達成、コッパ・イタリアではラツィオを延長戦の末2-1で下し、20年ぶりの10回目となるコッパ・イタリア制覇を果たした。チャンピオンズリーグでは、準決勝で前回チャンピオンのレアル・マドリードを2戦合計3-2で下し12年ぶりの決勝進出を果たした。決勝では同じく2冠を達成したバルサとお互いに3冠を賭けて対戦したが、試合開始早々に失点し、追いつくも再び勝ち越され、結果的に3-1で敗れた。これにより歴代最多となる6度目の準優勝に終わった。

2015-16シーズン前にはテベス、ピルロ、ビダルといった主力に加え、ジョレンテやオグボンナを放出する一方、パウロ・ディバラマリオ・マンジュキッチサミ・ケディラアレックス・サンドロフアン・クアドラードシモーネ・ザザダニエレ・ルガーニエルナネスといった新戦力を獲得した。SSラツィオとのスーペルコッパ・イタリアーナは制覇したものの、クラブ史上初の開幕からの2連敗や開幕からの10試合で3勝3分4敗という不振ぶりであった、2015年10月31日のトリノFCとのトリノダービーからのクラブ新記録の15連勝で首位に浮上。その後1度の引き分けを挟むと9連勝。3試合を残して4月25日に優勝を決め、セリエA史上4チーム目となる5連覇を達成した。コッパ・イタリアでは決勝に勝ち進み、5月21日のACミランとの決勝では0-0で延長戦に入るも延長戦後半に途中出場のモラタがゴールを挙げ、1-0で勝利し連覇を達成した。これで2年連続の国内二冠を達成。またスーペルコッパ・イタリアーナを含めて史上初のイタリア国内三冠を達成した。また、キャプテン・ブッフォンが2016年3月20日のトリノとのトリノダービーで1993-94シーズンに元イタリア代表GKセバスティアーノ・ロッシが記録した929分のセリエAにおける無失点記録を更新する「974分」の無失点記録を達成した。UEFAチャンピオンズリーグでは、ベスト16でバイエルンと対戦。ホームアウェー共に2-2、180分で合計4-4のスコアとなり延長戦にもつれこんだ。しかし、延長戦で2点を決められ敗退した。

2016-17シーズン前にはポグバを当時サッカー界史上最高額の移籍金である1億500万ユーロでマンチェスター・ユナイテッドに売却し、モラタを古巣であるレアル・マドリードに買戻しされた一方、ダニエウ・アウヴェスをフリー、メディ・ベナティアをレンタルで獲得し、移籍市場閉鎖直前にクアドラードをレンタルの形で再獲得。さらにナポリから昨シーズンの得点王であるゴンサロ・イグアインをセリエA史上最高額の9000万ユーロで、ASローマからミラレム・ピャニッチを3200万ユーロで獲得。また夏にはマルコ・ピアツァを、冬にはリカルド・オルソリーニマッティア・カルダーラを獲得した。2017年5月21日、セリエA史上初となるリーグ6連覇を達成。コッパ・イタリアでは準決勝でナポリとの第2戦を落としただけで決勝に勝ち進み、2017年5月17日のラツィオ戦で2-0の勝利。史上初となるコッパ・イタリア3連覇と3年連続の国内2冠を達成した。しかし最重要課題だったUEFAチャンピオンズリーグ 2016-17 決勝ではスペイン王者でもあるレアル・マドリードとの対戦になった。1-4で大敗しCL決勝では5連敗、通算7度目の準優勝となった。

2017-18シーズンは4-1で下した昨シーズン2月のパレルモ戦でアッレグリと激しく口論し、アッレグリ監督との対立していたボヌッチをACミランへ、ダニエウ・アウベスを契約解除でのフリー移籍でパリ・サンジェルマンへと放出した。一方、バイエルン・ミュンヘンからドウグラス・コスタを、シャルケ04からベネディクト・ヘーヴェデスを買取OP付きのレンタルで獲得し、ボヌッチとの紳士協定でマッティア・デ・シリオをミランから[11]ヴォイチェフ・シュチェスニーアーセナルFCから、さらにパリ・サンジェルマンからブレーズ・マテュイディを完全移籍で獲得。さらにロベルト・バッジョの再来と言われているフェデリコ・ベルナルデスキACFフィオレンティーナから獲得した[12]。コッパ・イタリア4連覇、4年連続国内二冠を達成した。チャンピオンズリーグではグループリーグでFCバルセロナの後塵を拝してグループ2位通過となる。ラウンド16ではトッテナム・ホットスパーFCと対戦。1stレグを2-2の同点で終え、ウェンブリー・スタジアムに乗り込んでの2ndレグで先制を許し、勝ち抜けには後半だけで最低2得点必要な状況まで追い込まれたが、イグアインとディバラの連続得点により2-1で逆転勝利した。準々決勝では前回決勝で敗れ、目の前で連覇を許したレアル・マドリードとの対戦になった。2戦合計3-4で敗退となった。2017-18シーズン閉幕前の2018年5月17日、キャプテンのジャンルイジ・ブッフォンが退団を発表[13]。後継キャプテンはジョルジョ・キエッリーニになった。

2018-19シーズン開幕前に、ジャンルイジ・ブッフォンをはじめ、ステファン・リヒトシュタイナークワドォー・アサモア、さらにクラウディオ・マルキジオゴンサロ・イグアインといったユヴェントスのセリエA7連覇に貢献してきた選手が退団。一方、補強では7月11日に1億ユーロで2017年のバロンドーラーであるクリスティアーノ・ロナウドレアル・マドリードから獲得し、世界を驚かせた。さらに、マッティア・カルダーラとの実質トレードの形でACミランからレオナルド・ボヌッチを出戻りの形で獲得。その他にジョアン・カンセロマッティア・ペリンエムレ・ジャンを獲得。リーグ戦では、開幕8連勝を記録し、第28節のジェノア戦で敗れるまで無敗を維持した。第33節のフィオレンティーナ戦に勝利し、セリエA優勝を決め、8連覇を達成した。チャンピオンズリーグでは、マンチェスター・ユナイテッド、バレンシア、ヤング・ボーイズと同組となったグループリーグを首位で突破した。決勝トーナメント・ラウンド16のアトレティコ・マドリード戦では、アウェーでの1stレグを0-2で落としたが、ホームでの2ndレグでロナウドがハットトリックを達成し3-0で勝利し、逆転で突破を果たした。しかし、アヤックスとの準々決勝は2戦合計2-3で敗退した。コッパ・イタリアは準々決勝でアタランタに敗れて5連覇を逃した。シーズン終了後、アッレグリ監督が退任した。

2019-20シーズン開幕前に、前チェルシー監督のマウリツィオ・サッリが監督に就任した。夏の移籍市場では、クラブのレジェンドとも言えるブッフォンがパリ・サンジェルマンFCから電撃復帰した他、アーロン・ラムジーアドリアン・ラビオをいずれもフリーで獲得。また昨シーズンCLベスト4進出と大躍進したアヤックスからマタイス・デ・リフトを、サッスオーロからもメリフ・デミラルを獲得してDF陣の若返りに成功。さらにジョアン・カンセロとのトレードでマンチェスター・シティからダニーロを獲得した他、買取オプションが行使されなかったゴンザロ・イグアインも復帰した。ところが、イタリアで猛威を振るうCOVID-19の世界的大流行はセリエAでも直撃し、ダニエレ・ルガーニが感染したことを発表。活動中止を余儀なくされた。セリエAでは優勝を果たし、9連覇を達成したものの、コッパ・イタリアでは、決勝でナポリに敗れて準優勝となり、UEFAチャンピオンズリーグでも決勝トーナメントには進出したが、ラウンド16でオリンピック・リヨンに敗れて敗退した[14]。シーズン終了後、サッリ監督を解任した[15]

2020-21シーズンではU-23の監督に就任することになっていたアンドレア・ピルロが監督に就任。ACFフィオレンティーナからフェデリコ・キエーザシャルケ04からウェストン・マッケニーらがレンタル移籍、FCバルセロナにミラレム・ピャニッチが移籍し、トレードの形でアルトゥールを獲得。アトレティコ・マドリードからアルバロ・モラタが復帰した。ピルロ監督は3バックと4バックを使い分ける可変式サッカーを演出、若手選手も活かした采配をした。しかし、COVID-19の影響による選手の離脱やピルロ新監督が監督経験のなかった影響もあり苦しいシーズンとなり、勝ちきれない試合を増やした結果、最終節までチャンピオンズリーグの出場権を争うことになった。UEFAチャンピオンズリーグではグループステージでFCバルセロナなどと戦いグループ首位で突破し、ラウンド16ではポルトと対戦した。アウェーの1stレグを2-1で落とし、逆転を狙ったホームの2ndレグで延長戦の末に3-2で勝利するもアウェーゴール差により敗退した。シーズンをインテルナツィオナーレ・ミラノにスクデットを譲り、4位で終えた。しかし、スーペルコッパ・イタリアーナSSCナポリを2-0で破り2季ぶり9度目のタイトル、コッパ・イタリアでアタランタに2-1で勝利し3季ぶり14度目のタイトルでシーズン2冠を達成した。シーズン終了後、ピルロ監督の解任が決定した。またSDのファビオ・パラティチが契約満了に伴い退団した。

2021-22シーズン、フロント陣の一新が行われパラティチの後任の座にフェデリコ・ケルビーニが収まり2012年よりユヴェントスの役員を務めていたF1フェラーリの元代表であるマウリツィオ・アリバベーネ氏が新CEOに就任した。マッシミリアーノ・アッレグリを監督に再招聘し、サッスオーロからマヌエル・ロカテッリ、サントスからカイオ・ジョルジを獲得した。開幕節ウディネーゼ戦は移籍が噂されるクリスティアーノ・ロナウドが勝ち越し弾を決めるがVARに取り消されたことで引き分けとなった。ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドに電撃移籍し、その穴をプリマヴェーラ出身のモイーズ・キーンを帰還させ迎えた第2節は昇格組のエンポリに敗北を喫し、初勝利は第5節の格下スペツィア戦であった。勝利はしたものの試合内容は後半での逆転勝利であり、低調なシーズンスタートとなった。冬の移籍市場では積極的に動きフィオレンティーナから本シーズン暫定得点王のセルビア代表FWドゥシャン・ヴラホヴィッチを、ボルシアMGから毎移籍市場で動向を注視されるスイス代表MFデニス・ザカリアを獲得した。CLではチェルシーゼニトマルメとのグループを1位で通過すると、ラウンド16でビジャレアルと対戦。アウェーでの1st legはヴラホヴィッチのCL初ゴールで先制するも追いつかれて1-1のドローに終わり、ホームの2nd legでは2つのPK献上が響いて0-3、2試合合計4-1で敗退し、3シーズン連続のラウンド16敗退となった。国内でも勝ちきれない試合が続き、リーグ戦は4位で終了し、コッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナでは共にインテルに敗れ、11年ぶりに無冠でシーズンを終えることになった。

タイトル編集

 
トロフィールーム

国内タイトル編集

国際タイトル編集

過去の成績編集

シーズン カテゴリ 順位 コッパ・イタリア UEFA CL UEFA EL 監督
1976-77 セリエA 30 23 5 2 50 20 51 1位 2回戦敗退 優勝 ジョバンニ・トラパットーニ
1977-78 セリエA 30 15 14 1 46 17 44 1位 2回戦敗退 ベスト4
1978-79 セリエA 30 12 13 5 40 23 37 3位 優勝 2回戦敗退
1979-80 セリエA 30 16 6 8 42 25 38 2位 準決勝敗退
1980-81 セリエA 30 17 10 3 46 15 44 1位 準決勝敗退 2回戦敗退
1981-82 セリエA 30 19 8 3 48 14 46 1位 1回戦敗退 ベスト16
1982-83 セリエA 30 15 9 6 49 26 39 2位 優勝 準優勝
1983-84 セリエA 30 17 9 4 57 29 43 1位 ベスト16
1984-85 セリエA 30 11 14 5 48 33 36 5位 準々決勝敗退 優勝
1985-86 セリエA 30 18 9 3 43 17 45 1位 ベスト16 ベスト8
1986-87 セリエA 30 14 11 5 42 27 39 2位 準々決勝敗退 ベスト16 リノ・マルケージ
1987-88 セリエA 30 11 9 10 35 30 31 6位 準決勝敗退 ベスト32
1988-89 セリエA 34 15 13 6 51 36 43 4位 2回戦敗退 ベスト8 ディノ・ゾフ
1989-90 セリエA 34 15 14 5 56 36 44 4位 優勝 優勝
1990-91 セリエA 34 13 11 10 45 32 37 7位 準々決勝敗退 ルイジ・マイフレディ
1991-92 セリエA 34 18 12 4 45 22 48 2位 準優勝 ジョバンニ・トラパットーニ
1992-93 セリエA 34 15 9 10 59 47 39 4位 準決勝敗退 優勝
1993-94 セリエA 34 17 13 4 58 25 47 2位 2回戦敗退 ベスト8
1994-95 セリエA 34 23 4 7 59 32 73 1位 優勝 準優勝 マルチェロ・リッピ
1995-96 セリエA 34 19 8 7 58 35 65 2位 ベスト16 優勝
1996-97 セリエA 34 17 14 3 51 24 65 1位 準々決勝敗退 準優勝
1997-98 セリエA 34 21 11 2 67 28 74 1位 準決勝敗退 準優勝
1998-99 セリエA 34 15 9 10 42 36 54 6位 準々決勝敗退 ベスト4 カルロ・アンチェロッティ
1999-00 セリエA 34 21 8 5 46 20 71 2位 準々決勝敗退 ベスト16
2000-01 セリエA 34 21 11 3 61 27 73 2位 ベスト16 1次リーグ敗退
2001-02 セリエA 34 20 11 3 64 23 71 1位 準優勝 2次リーグ敗退 マルチェロ・リッピ
2002-03 セリエA 34 21 9 4 64 29 72 1位 準々決勝敗退 準優勝
2003-04 セリエA 34 21 6 7 67 42 69 3位 準優勝 ベスト16
2004-05 セリエA 38 26 8 4 67 27 86 1位[16] ベスト16 ベスト8 ファビオ・カペッロ
2005-06 セリエA 38 27 10 1 71 24 0 1位→20位[17] 準々決勝敗退 ベスト8
2006-07 セリエB 42 28 10 4 83 30 85 1位 3回戦敗退 ディディエ・デシャン
2007-08 セリエA 38 20 12 6 72 37 72 3位 準々決勝敗退 クラウディオ・ラニエリ
2008-09 セリエA 38 21 11 6 69 37 74 2位 準決勝敗退 ベスト16
チロ・フェラーラ
2009-10 セリエA 38 16 7 15 55 56 55 7位 準々決勝敗退 グループリーグ敗退 ベスト16
アルベルト・ザッケローニ
2010-11 セリエA 38 15 13 10 57 47 58 7位 準々決勝敗退 グループリーグ敗退 ルイジ・デルネーリ
2011-12 セリエA 38 23 15 0 68 20 84 1位 準優勝 アントニオ・コンテ
2012-13 セリエA 38 27 6 5 71 24 87 1位 準決勝敗退 ベスト8
2013-14 セリエA 38 33 3 2 80 23 102 1位 準々決勝敗退 グループリーグ敗退 ベスト4
2014-15 セリエA 38 26 9 3 72 24 87 1位 優勝 準優勝 マッシミリアーノ・アッレグリ
2015-16 セリエA 38 29 4 5 75 20 91 1位 優勝 ベスト16
2016-17 セリエA 38 29 4 5 77 27 91 1位 優勝 準優勝
2017-18 セリエA 38 30 5 3 86 24 95 1位 優勝 ベスト8
2018-19 セリエA 38 28 6 4 70 30 90 1位 準々決勝敗退 ベスト8
2019-20 セリエA 38 26 5 7 76 43 83 1位 準優勝 ベスト16 マウリツィオ・サッリ
2020-21 セリエA 38 23 9 6 77 38 78 4位 優勝 ベスト16 アンドレア・ピルロ
2021-22 セリエA 38 20 10 8 57 37 70 4位 準優勝 ベスト16 マッシミリアーノ・アッレグリ
2022-23 セリエA 38

現所属メンバー編集

2022-23シーズン 開幕戦フォーメーション
2022年9月1日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ヴォイチェフ・シュチェスニー
2 DF   マッティア・デ・シリオ
3 DF   ブレーメル
5 MF   マヌエル・ロカテッリ
6 DF   ダニーロ
7 FW   フェデリコ・キエーザ
8 MF   ウェストン・マッケニー
9 FW   ドゥシャン・ヴラホヴィッチ
10 MF   ポール・ポグバ ( )
11 MF   フアン・クアドラード
12 DF   アレックス・サンドロ
14 FW   アルカディウシュ・ミリク
No. Pos. 選手名
15 DF   フェデリコ・ガッティ
17 MF   フィリップ・コスティッチ
18 FW   モイーズ・キーン ( )
19 DF   レオナルド・ボヌッチ ( )
20 MF   ファビオ・ミレッティ
21 FW   カイオ・ジョルジ
22 FW   アンヘル・ディ・マリア ( )
23 GK   カルロ・ピンソーリョ
24 DF   ダニエレ・ルガーニ
25 MF   アドリアン・ラビオ
32 MF   レアンドロ・パレデス
36 GK   マッティア・ペリン
監督

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

Bチーム編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
30 FW   マティアス・スーレ
33 FW   マルレー・アケ ( )
No. Pos. 選手名
44 MF   ニコロ・ファジョーリ

ローン移籍編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 MF   マヌエル・ロカテッリ (サッスオーロ)
14 FW   アルカディウシュ・ミリク (マルセイユ)
No. Pos. 選手名
18 FW   モイーズ・キーン (エヴァートン)
32 MF   レアンドロ・パレデス (パリ・サンジェルマン)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ジャンルカ・フラボッタ (レッチェ)
-- DF   ラドゥ・ドラグシン (ジェノア)
-- DF   アンドレア・カンビアーゾ (ボローニャ)
-- DF   ルカ・ペッレグリーニ (フランクフルト)
-- MF   アルトゥール (リヴァプール)
No. Pos. 選手名
-- MF   ニコロ・ロヴェッラ (モンツァ)
-- MF   デニス・ザカリア (チェルシー)
-- MF   モハメド・イハッターレン (アヤックス)
-- MF   デヤン・クルゼフスキ (トッテナム)
-- FW   マルコ・ピアツァ (エンポリ)

プリマヴェーラ編集

歴代記録編集

出場試合数編集

名前 試合数 期間
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ 705 1993-2012
2 ジャンルイジ・ブッフォン (#) 685 2001-2018, 2019-2021
3 ジョルジョ・キエッリーニ (#) 561 2005-2022
4 ガエターノ・シレア 552 1974-1988
5 ジュゼッペ・フリーノ 528 1965-1966, 1969-1984
6 ロベルト・ベッテガ 482 1966-1969, 1970-1983
7 ディノ・ゾフ 476 1972-1983
7 レオナルド・ボヌッチ (#) 476 2010-2017, 2018-
9 ジャンピエロ・ボニペルティ 459 1946-1961
10 サンドロ・サルヴァドーレ 450 1962-1974
名前 試合数 期間
11 フランコ・カウジオ 447 1970-1981
12 アントニオ・カブリーニ 440 1976-1989
13 アントネッロ・クックレドゥ 434 1969-1981
14 アントニオ・コンテ 419 1991-2004
15 クラウディオ・ジェンティーレ 415 1973-1984
16 ジョバンニ・ヴァーリエン 411 1929-1947
17 アレッシオ・タッキナルディ 404 1994-2007
18 マリオ・ヴァーリエン 402 1927-1942
19 クラウディオ・マルキジオ 389 2005-2018
20 テオバルド・デペトリーニ 388 1933-1949

得点編集

名前 期間 合計 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ その他
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ 1993-2012 290 208 25 50 7
2 ジャンピエロ・ボニペルティ 1946-1961 179 178 1 0 0
3 ロベルト・ベッテガ 1966-1969, 1970-1983 178 129 22 27 0
4 ダヴィド・トレゼゲ 2000-2009 171 138 2 30 1
5 オマール・シヴォリ 1957-1965 167 135 24 8 0
6 フェリス・ボレル 1932-1941, 1942-1946 158 138 9 0 11
7 ピエトロ・アナスタージ 1968-1976 130 78 30 22 0
8 ヨン・ハンセン 1948-1954 124 124 0 0 0
9 ロベルト・バッジョ 1990-1995 115 78 14 22 1
9 パウロ・ディバラ (#) 2015-2022 115 82 11 18 4
11 フェデリコ・ムネラーティ 1922-1933 113 110 0 1 2
12 ジョン・チャールズ 1957-1962 105 93 12 0 0
13 ミシェル・プラティニ 1982-1987 104 68 16 19 1
14 グリエルモ・ガベット 1934-1941 102 85 12 0 5
15 クリスティアーノ・ロナウド (#) 2018-2021 101 81 4 14 2
16 フィリッポ・インザーギ 1997-2001 89 57 2 20 10

(#) は現役選手であることを示す。

歴代監督編集

氏名 国籍 期間
エリベルト・エレーラ   パラグアイ 1964-1969
ルイス・カルニグリア   アルゼンチン 1969-1970
エルコーレ・ラビッティ   イタリア 1970
アルマンド・ピッキ 1970-1971
チェストミール・ヴィツパーレク   チェコ 1971-1974
カルロ・パローラ   イタリア 1974-1976
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1976-1986
リノ・マルケージ 1986-1988
ディノ・ゾフ 1988-1990
ルイジ・マイフレディ 1990-1991
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1991-1994
マルチェロ・リッピ 1994-1999
カルロ・アンチェロッティ 1999-2001
マルチェロ・リッピ 2001-2004
ファビオ・カペッロ 2004-2006
ディディエ・デシャン   フランス 2006-2007
ジャンカルロ・コッラディーニ   イタリア 2007
クラウディオ・ラニエリ 2007-2009
チロ・フェラーラ 2009-2010
アルベルト・ザッケローニ 2010
ルイジ・デルネーリ 2010-2011
アントニオ・コンテ 2011-2014
マッシミリアーノ・アッレグリ 2014-2019
マウリツィオ・サッリ 2019-2020
アンドレア・ピルロ 2020-2021
マッシミリアーノ・アッレグリ 2021-

歴代所属選手編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b ユベントスの新ブランドロゴは、サッカークラブの常識を覆す”. Number (2017年6月14日). 2022年5月29日閲覧。
  2. ^ Deloitte Football Money League 2014 Archived 2014年9月7日, at the Wayback Machine.(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  3. ^ a b ユニフォームの歴史〜ユベントス編(2)〜”. 超worldサッカー. 2022年5月29日閲覧。
  4. ^ ユヴェントス、adidasによる2015-16新ユニフォームを発表!”. qoly (2015年7月1日). 2022年6月7日閲覧。
  5. ^ ユーヴェ、日本企業と歴史的契約!今季から初めて「背中スポンサー」が付くぞ”. qoly (2017年7月20日). 2022年6月7日閲覧。
  6. ^ ユヴェントスOB、鳥栖でのレジェンドマッチで先発したのはこの3トップ!”. qoly (2015年5月5日). 2022年6月7日閲覧。
  7. ^ Cygamesは、なぜユベントスとサガン鳥栖に投資をしたのか?”. AZrena (2017年11月5日). 2022年6月7日閲覧。
  8. ^ a b レジェンド物語”. juventus.com. 2022年5月29日閲覧。
  9. ^ リッピは暴君か、賢帝か? アズーリをめぐるイタリア大論争。”. Number (2009年11月14日). 2022年5月29日閲覧。
  10. ^ 日本スポーツ企画出版社 2003-2004 EUROPE SOCCER TODAY 完結編10、11頁
  11. ^ ボヌッチがミラン移籍間近! なぜ王者ユーベからあえて「格下」へ?”. www.soccerdigestweb.com. 2019年7月18日閲覧。
  12. ^ バッジョの再来!? 英雄の軌跡をたどるベルナルデスキ、約52億円でユーヴェ移籍合意 the WORLD (2017年7月22日)
  13. ^ http://www.skysports.com/football/news/11095/11375820/gianluigi-buffon-to-leave-juventus-after-17-years-at-the-club
  14. ^ ユヴェントス、サッリ監督の解任を発表…セリエA制覇もCL16強で敗退”. サッカーキング. 2020年8月8日閲覧。
  15. ^ Juventus.com. “マウリツィオ・サッリ監督解任のお知らせ”. Juventus.com. 2020年8月8日閲覧。
  16. ^ カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪された。
  17. ^ カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪され、セリエB降格処分となった。

外部リンク編集

公式