フアン・ホセ・ロホ・マルティン
パチェタ(Pacheta)ことフアン・ホセ・ロホ・マルティン(Juan José Rojo Martín、1968年3月23日 - )は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州サラス・デ・ロス・インファンテス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダーだった。
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2022年のパチェタ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
フアン・ホセ・ロホ・マルティン Juan José Rojo Martín | |||||
ラテン文字 | Pacheta | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1968年3月23日(56歳) | |||||
出身地 | サラス・デ・ロス・インファンテス | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
ラシン・レルメーニョ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1989 | ラシン・レルメーニョ | |||||
1989-1990 | ヌマンシア | 15 | (1) | |||
1990-1991 | レアル・ブルゴス | 0 | (0) | |||
1991-1993 | マルベジャ | 67 | (9) | |||
1993-1994 | メリダ | 24 | (5) | |||
1994-1999 | エスパニョール | 118 | (5) | |||
1999-2004 | ヌマンシア | 121 | (18) | |||
通算 | 345 | (38) | ||||
監督歴 | ||||||
2009 | ヌマンシア | |||||
2011-2012 | オビエド | |||||
2012-2013 | カルタヘナ | |||||
2013-2014 | コロナ・キェルツェ | |||||
2014-2015 | エルクレス | |||||
2016-2017 | ラーチャブリー・ミトポン | |||||
2018-2020 | エルチェ | |||||
2021 | ウエスカ | |||||
2021-2023 | バリャドリード | |||||
2023 | ビジャレアル | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラ・リーガ通算183試合15ゴールを挙げ、レアル・ブルゴスCFやRCDエスパニョール、CDヌマンシアでプレーした。セグンダ・ディビシオンにも通算112試合に出場している。
2009年より指導者として活動している。
選手経歴
編集カスティーリャ・イ・レオン州のサラス・デ・ロス・インファンテスに生まれ、1987年にラシン・レルメーニョでサッカー選手デビューを飾った。2年後、当時セグンダ・ディビシオンBにいたCDヌマンシアへと移籍した。
1990-91シーズン、レアル・ブルゴスCFでリーグ戦に全く出場できなかったので、セグンダBのCAマルベジャに移籍した。1年目にしてセグンダB優勝を決め、セグンダ昇格を果たした。1992年9月6日、CDカステリョン戦でプロデビュー。
1994年6月、CPメリダに短期間在籍した後、プリメーラ・ディビシオンのRCDエスパニョールに移籍した。同年9月17日のFCバルセロナ戦にて後半からの途中出場で移籍後初出場を記録した。翌年4月16日、アスレティック・ビルバオとのリーグ戦で初ゴール。
1999年、エスパニョールで充実したキャリアを送ると、2部の古巣ヌマンシアへ復帰した。2004年、36歳で現役を引退すると、すぐにヌマンシアのスタッフとして働き始めた。
指導者経歴
編集2007年6月、CDヌマンシアのディレクターに就任したが、2009年2月17日、解雇されたセルギイェ・クレシッチ監督の後任としてヌマンシアの監督となった。リーグ戦残り15試合を指揮することになったパチェタだったが、成績は安定せず、セグンダB降格が決まった。。
2011年2月15日、セグンダBのレアル・オビエドの監督に招聘された。オビエドをリーグ戦8位に導き、契約を1年延長。
2012年5月24日にオビエドの監督を辞任し、12月10日にFCカルタヘナへ移った。
カルタヘナではクラブをリーグ準優勝へと押し上げ、セグンダ昇格に貢献した。2013年8月、ポーランドのコロナ・キェルツェの監督の座に就いた。
2014年6月、ポーランドを離れ、母国エルクレスCFの監督に就任した。しかし、指揮後12試合で3勝しか挙げられず、解任された。
2018年2月27日、タイのラーチャブリー・ミトポンFCで指揮を執った後、エルチェCFの監督になった。ここではエルチェを2部に昇格させ、1年契約を延長。
2020年8月25日、エルチェを1部昇格に導いた翌日、クラブから解任された。
2021年1月11日、解任されたミチェルの後任としてSDウエスカの監督に就任[1]。しかし最終節で18位に転落してセグンダ降格が決まり、5月25日にクラブから退任が発表された[2]。
2021年6月16日、セグンダに降格するレアル・バリャドリード監督に就任[3]。就任後1シーズンでクラブをプリメーラへ復帰させると、昇格後も継続して指揮を執ったが、2023年4月3日、リーグ戦のレアル・マドリード戦にて0-6と大敗し、16位と降格圏一歩手前だったこともあり解任された[4]。
2023年9月9日、ビジャレアルCFの監督に就任することが発表された[5]。就任後は守備の立て直しを図るも失敗に終わり、就任から2ヶ月経たずに解任された[6]。
脚注
編集- ^ "PACHETA, NUEVO ENTRENADOR DE LA SD HUESCA" (Press release) (スペイン語). SDウエスカ. 11 January 2021. 2021年8月20日閲覧。
- ^ "PACHETA NO CONTINUARÁ COMO ENTRENADOR DE LA SD HUESCA" (Press release) (スペイン語). SDウエスカ. 25 May 2021. 2021年8月20日閲覧。
- ^ "COMUNICADO OFICIAL: PACHETA" (Press release) (スペイン語). レアル・バリャドリード. 16 June 2021. 2021年8月20日閲覧。
- ^ “Pacheta no continuará en el Real Valladolid CF” (スペイン語). Real Valladolid CF (2023年4月3日). 2023年4月4日閲覧。
- ^ “¡Oficial! Pacheta, nuevo entrenador del Villarreal〔ママ〕” (スペイン語). Sport. (2023年9月9日) 2023年9月9日閲覧。
- ^ “El Villarreal destituye a Pacheta y abre la puerta al regreso de Marcelino” (スペイン語). Marca (2023年11月10日). 2023年11月10日閲覧。