RCDエスパニョール

レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona カタルーニャ語発音: [rəˈjaɫ ˈkɫub dəpurˈtiw əspəˈɲɔɫ də βərsəˈɫonə] ライアル クルブ ダプルティウ アスパニョール ダ バルサローナ) は、スペインカタルーニャ州バルセロナ県バルセロナに本拠を置くサッカークラブ。2019-20シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属する。

RCDエスパニョール
原語表記 Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona
愛称 Periquitos
クラブカラー 青と白
創設年 1900年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン バルセロナ
ホームスタジアム RCDEスタジアム
収容人数 40,000人[1]
代表者 中華人民共和国の旗 チェン・ヤンシェン
監督 スペインの旗 フランシスコ・ルフェテ (暫定監督)
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史編集

 
エスパニョールの選手達(1980年)

1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立[2]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。

1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。

同じくバルセロナ県を本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーと呼ばれる。

2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を果たしている。下部組織からはダニエル・ハルケマルク・トレホンなどを輩出している。

2006年夏、ビルバオUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。

2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではASリヴォルノ・カルチョマッカビ・ハイファベンフィカヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。

2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。

2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホンヌマンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。

2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャ、FCバルセロナレアル・マドリードビジャレアルとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。この10試合中に21得点しているが、これはシーズン105得点を挙げたFCバルセロナの同期間中の得点数と同じである。モンジュイックのラストゲームとなった最終節でエースのラウール・タムードがハットトリックを達成したが、シーズン6得点に終わり、連続二桁得点記録は9シーズンで途切れた。

移籍が噂されたラウール・タムードに代わり、新キャプテンに生え抜きのDFダニエル・ハルケが就任した。司令塔ジョアン・ベルドゥ中村俊輔らが加入したものの、開幕直前の8月上旬にダニエル・ハルケが心臓発作で死去する不幸が起こるなど不測の事態が起こり、2009-10シーズンを迎えることとなった。第2節のレアル・マドリード戦は新スタジアムエスタディ・コルネリャ=エル・プラットでのリーグ初戦となったが、0-3で敗北した。序盤から苦戦が続き、下位に低迷し降格圏にも位置することもあったが、後半戦は新戦力のハビ・マルケスなどの活躍により順位が上がり、最終順位は11位で終わった。

2010-11シーズンは開幕戦のヘタフェ戦に勝利し、シーズン初勝利を挙げると、第16節のFCバルセロナに敗れるまでホームで無傷の7連勝を記録。序盤から安定した成績で勝ち点を積み重ね、前半戦をヨーロッパリーグ出場圏内となる5位で終えた。

2015-16シーズンは、夏にキャプテンのFWセルヒオ・ガルシアやFWストゥアニ、MFルーカス・バスケス、DFエクトル・モレノ、GKキコ・カシージャという主力選手の大量放出によって、開幕前は降格候補として挙げられていたが、中位をキープしていた。しかし、それに満足しなかったフロントは12月にセルヒオ・ゴンサレス監督を解任し、ガルカ監督を迎え入れた。

スタジアム編集

1923年からは長らくエスタディ・デ・サリアをホームスタジアムとしており、1982年にはスペインで開催された1982 FIFAワールドカップの会場にも使用された。しかし、RCDエスパニョールは負債の返済のためにこの敷地を売却せざるを得なくなり[2]、1996年には4年前のバルセロナオリンピックのメイン会場となったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転した。RCDエスパニョールはこのスタジアムをバルセロナ市から賃借していたが、このスタジアムはトラックを有する陸上競技場であるためピッチと観客席に距離があり、サポーターの評判は良いものではなかった[1]

2009年、バルセロナ都市圏クルナリャー・ダ・リュブラガートアル・プラ・ダ・リュブラガートにまたがる場所に、4万人収容のサッカー専用スタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットが完成した。同年8月2日にはこけら落しとしてリヴァプールFCとの親善試合が行われた。

サポーター・マスコット編集

 
2008年2月対セビージャFC

かつてホームスタジアムだったエスタディ・デ・サリア前の公園にインコが多く住んでいたため、もしくは"Gato Perico"という漫画のキャラクターから、クラブのサポーターはスペイン語でインコを意味する「ペリコ」と呼ばれる[2]。クラブのマスコットも着ぐるみのインコであり、その奇妙なデザインから人気が高い。

ユニフォームの変遷編集

 
 
 
 
1900
 
 
 
 
1901
 
 
 
 
 
 
 
1910
 
 
 
 
 
 
 
1915
 
 
 
 
 
 
 
1941
 
 
 
 
 
 
 
1966
 
 
 
 
 
2000
 
 
 
 
 
 
 
2001
 
 
 
 
 
 
 
2004
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
2010

タイトル編集

国内タイトル編集

国際タイトル編集

なし

過去の成績編集

年度 所属 順位 国王杯 欧州カップ戦
1972-73 プリメーラ 34 17 11 6 48 27 45 3位 ベスト16
1973-74 プリメーラ 34 13 6 13 34 38 34 9位 準々決勝敗退 UC 1回戦敗退
1974-75 プリメーラ 34 14 5 15 38 47 33 11位 ベスト32
1975-76 プリメーラ 34 18 4 12 45 40 40 4位 準々決勝敗退
1976-77 プリメーラ 34 14 8 12 61 59 36 6位 準決勝敗退 UC ベスト16
1977-78 プリメーラ 34 12 6 16 48 60 30 14位 4回戦敗退
1978-79 プリメーラ 34 15 5 14 37 46 35 8位 3回戦敗退
1979-80 プリメーラ 34 9 12 13 28 37 30 14位 4回戦敗退
1980-81 プリメーラ 34 14 6 14 37 42 34 10位 2回戦敗退
1981-82 プリメーラ 34 13 6 15 48 55 32 13位 3回戦敗退
1982-83 プリメーラ 34 13 6 15 45 47 32 9位 準々決勝敗退
1983-84 プリメーラ 34 10 13 11 42 44 33 10位 1回戦敗退
1984-85 プリメーラ 34 12 11 12 40 44 34 8位 4回戦敗退
1985-86 プリメーラ 34 11 9 14 43 40 31 11位 4回戦敗退
1986-87 プリメーラ 34 17 9 8 52 30 43 3位 2回戦敗退
1987-88 プリメーラ 38 11 11 16 44 55 33 15位 ベスト16 UC 準優勝
1988-89 プリメーラ 38 7 16 15 29 44 30 17位 ベスト16
1989-90 セグンダ 38 15 12 11 50 33 42 5位 1回戦敗退
1990-91 プリメーラ 38 12 10 16 39 47 34 16位 ベスト16
1991-92 プリメーラ 38 12 8 18 43 60 32 16位 5回戦敗退
1992-93 プリメーラ 38 9 11 18 40 56 29 18位 4回戦敗退
1993-94 セグンダ 38 20 12 6 59 25 52 1位 ベスト16
1994-95 プリメーラ 38 14 15 9 51 35 43 6位 3回戦敗退
1995-96 プリメーラ 42 20 14 8 63 36 74 4位 準決勝敗退
1996-97 プリメーラ 42 14 9 19 51 57 51 12位 準々決勝敗退 UC 2回戦敗退
1997-98 プリメーラ 38 12 17 9 53 44 31 10位 2回戦敗退
1998-99 プリメーラ 38 16 13 9 49 38 61 7位 準々決勝敗退
1999-00 プリメーラ 38 12 11 15 51 48 47 14位 優勝
2000-01 プリメーラ 38 14 8 16 46 44 50 9位 準々決勝敗退 UC 3回戦敗退
2001-02 プリメーラ 38 13 8 17 47 56 47 14位 ベスト64
2002-03 プリメーラ 38 10 13 15 48 54 43 17位 ベスト64
2003-04 プリメーラ 38 13 4 21 48 64 43 16位 ベスト32
2004-05 プリメーラ 38 17 10 11 54 46 61 5位 2回戦敗退
2005-06 プリメーラ 38 10 11 17 36 56 41 15位 優勝 UC 3回戦敗退
2006-07 プリメーラ 38 12 13 13 46 53 49 11位 ベスト32 UC 準優勝
2007-08 プリメーラ 38 13 9 16 43 53 48 12位 ベスト16
2008-09 プリメーラ 38 12 11 15 46 49 47 10位 準々決勝敗退
2009-10 プリメーラ 38 11 11 16 29 46 44 11位 ベスト32
2010-11 プリメーラ 38 15 4 19 46 55 49 8位 ベスト16
2011-12 プリメーラ 38 12 10 16 46 56 46 14位 準々決勝敗退
2012-13 プリメーラ 38 11 11 16 43 52 44 13位 ベスト32
2013-14 プリメーラ 38 11 9 18 41 51 42 13位 準々決勝敗退
2014-15 プリメーラ 38 13 10 15 47 51 49 10位 準決勝敗退
2015-16 プリメーラ 38 12 7 19 40 74 43 13位 ベスト16
2016-17 プリメーラ 38 15 11 12 49 50 56 8位 ベスト32
2017-18 プリメーラ 38 12 13 13 36 42 49 11位 準々決勝敗退
2018-19 プリメーラ 38 14 11 13 48 50 53 7位 準々決勝敗退
2019-20 プリメーラ 38 ベスト32 UEL ベスト32

欧州の成績編集

現所属メンバー編集

2020年2月8日現在
No. Pos. 選手名
1   GK アンドレス・プリエト
2   DF ピパ
3   DF アドリア・ペドロサ
4   MF ビクトル・サンチェス
5   DF ナウド
7   FW 武磊
8   MF アンデル・イトゥラスペ
9   FW ファクンド・フェレイラ
10   MF セルジ・ダルデル
11   FW ラウール・デ・トマス ( )
12   FW ジョナタン・カレリ ( )
13   GK ディエゴ・ロペス
14   MF オスカル・メレンド
15   MF ダビド・ロペス
No. Pos. 選手名
16   DF ハビ・ロペス (主将)
17   DF ディダク・ビラ
18   DF レアンドロ・カブレラ ( )
20   DF ベルナルド・エスピノサ ( )
21   MF マルク・ロカ
22   FW マティアス・バルガス
23   MF アドリアン・エンバルバ
24   DF フェルナンド・カレロ
25   GK オイエル・オラサバル
26   MF ポル・ロサーノ
31   FW ビクトル・カンプサーノ
34   DF ビクトル・ゴメス
--   DF セバスティアン・コルシア ( )

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍中の選手編集

in

No. Pos. 選手名
9   FW ファクンド・フェレイラ (SLベンフィカ)
12   FW ジョナタン・カレリ (デポルティーボ・マルドナド)
No. Pos. 選手名
20   DF ベルナルド・エスピノサ (ジローナFC)
--   DF セバスティアン・コルシア (セビージャFC)

out

No. Pos. 選手名
--   DF ジュイス・ロペス (CDテネリフェ)
--   MF アレックス・ロペス (CDルーゴ)
No. Pos. 選手名
--   FW ハビエル・プアド (レアル・サラゴサ)

歴代監督編集

歴代所属選手編集

GK編集

DF編集

MF編集

FW編集

参照編集

  1. ^ a b Espanyol Prepare To Bid Farewell To The Montjuic , Goal.com, 29 May 2009
  2. ^ a b c PERICOZ - RCD Espanyol Supporters Club

外部リンク編集