フスト・ビジャール

パラグアイのサッカー選手

フスト・ウィルマール・ビジャール・ビベロスJusto Wilmar Villar Viveros, 1977年6月30日 - )は、パラグアイニェーンブク県セリート出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

フスト・ビジャール
名前
本名 フスト・ウィルマール・ビジャール・ビベロス
Justo Wilmar Villar Viveros
ラテン文字 Justo VILLAR
基本情報
国籍 パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1977-06-30) 1977年6月30日(46歳)
出身地 セリートスペイン語版
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 パラグアイの旗 ソル・デ・アメリカスペイン語版 103 (0)
2001-2004 パラグアイの旗 リベルタ 109 (0)
2004-2008 アルゼンチンの旗 ニューウェルズ 135 (0)
2008-2011 スペインの旗 バリャドリード 44 (0)
2011-2013 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 18 (0)
2013 パラグアイの旗 ナシオナル 13 (0)
2013-2017 チリの旗 コロコロ 87 (0)
2017-2018 パラグアイの旗 ナシオナル 0 (0)
代表歴2
1997  パラグアイ U-20 5 (0)
2000  パラグアイ U-23 4 (0)
1999-2018 パラグアイの旗 パラグアイ 120 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2018年6月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

クラブ 編集

クルブ・ソル・デ・アメリカからデビューし、エベル・ウーゴ・アルメイダの指導を受けた。2001年にクルブ・リベルタに移籍し、2002年には24年ぶりのリーグ優勝を果たし、2003年にはリーグ連覇した。2004年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍し、2004アペルトゥーラでリーグ優勝し、アルゼンチンの報道陣から年間最優秀選手とみなされた。2004年にはパラグアイ最優秀選手にも選ばれた。

2008年夏、スペインレアル・バリャドリードに移籍した。シーズン序盤はセルヒオ・アセンホの控えだったが、12月7日のCAオサスナ戦でデビューし、3か月半の間レギュラーとして出場した。シーズン終盤は再びアセンホがレギュラーを務めた[1]。アセンホがアトレティコ・マドリードに移籍して迎えた2009-10シーズンはヘタフェCFから復帰したハコボ・サンスの控えとして開幕を迎えたが、7節までに16失点したハコボの代わりに8節からゴールを守った。しかし、2010年3月28日に行われたシェレスCD戦で退場処分を受け、その後はハコボにポジションを再び譲りチームも最終節のFCバルセロナ戦で大敗して2部に降格した。

2011年、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに移籍した。2013年、クルブ・ナシオナルに移籍した。

2017年7月19日、CSDコロコロからクルブ・ナシオナルに復帰することが発表された[2]

代表 編集

1997年にFIFA U-20ワールドカップに出場した。パラグアイ代表として2001年、2004年、2007年の3回のコパ・リベルタドーレス、2002年と2006年、2010年の3回のFIFAワールドカップに出場した。2006 FIFAワールドカップは正GKとして大会を迎えたが、初戦のイングランド戦で開始8分に負傷し、その後の試合に出場できなかった[3]2010 FIFAワールドカップ南米予選には18試合のうち17試合に出場した。本大会でも正GKとして出場し、ゲームキャプテンを務めた。初戦のイタリア戦では1失点を喫したものの、その後は安定した守備で無失点に抑え、チームの首位通過に貢献した。決勝トーナメント1回戦の日本戦でも安定した守備でPK戦の末、勝利し、準々決勝のスペイン戦ではシャビ・アロンソのPKを止めるなど存在感をアピールし、試合は敗北したもののパラグアイを初のベスト8に導いた。引退試合として招集された2018年6月12日の日本戦に先発出場し、前半12分に交代した[3]。この試合で代表を引退し、代表歴代2位となる通算120試合出場を記録した[3]

タイトル 編集

クラブ 編集

リベルタ
ニューウェルズ
コロコロ

個人 編集

  • パラグアイ最優秀選手賞 : 2004
  • コパ・アメリカゴールデングローブ賞(最優秀GK賞) : 2011

脚注 編集

  1. ^ zerozero.pt. “Justo Villar Época 2008/2009”. 2009年8月31日閲覧。
  2. ^ Justo Villar ficha por Nacional de Paraguay tras su polémica salida de Colo Colo”. Emol.com (2017年7月19日). 2017年10月7日閲覧。
  3. ^ a b c “パラグアイの40歳守護神、日本戦で代表引退。2010年W杯決勝Tでも対戦”. フットボールチャンネル. (2018年6月12日). https://www.footballchannel.jp/2018/06/12/post274075/ 2018年6月14日閲覧。 

外部リンク 編集