マニュエル・ヴァルス

マニュエル・カルロス・ヴァルス(フランス語:Manuel Carlos Valls1962年8月13日 - )は、フランスおよびスペインの政治家(出身地の言語であるカタルーニャ語ではマヌエル・バイス。姓の日本語表記は「バルス」も見られる[1])。フランソワ・オランド政権において内務大臣および首相を歴任した。

マニュエル・ヴァルス / マヌエル・バイス
Manuel Valls
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生年月日 (1962-08-13) 1962年8月13日(59歳)
出生地 スペインの旗 スペインカタルーニャ州バルセロナ
出身校 パリ第1大学トルビアック歴史学部
前職 広報アドバイザー
所属政党 社会党
配偶者 スサナ・ガリャルド・トーレデディア
子女 4人

内閣 第1次マニュエル・ヴァルス内閣
第2次マニュエル・ヴァルス内閣
在任期間 2014年3月31日 - 2016年12月6日
大統領 フランソワ・オランド

内閣 第1次ジャン=マルク・エロー内閣
第2次ジャン=マルク・エロー内閣
在任期間 2012年5月16日 - 2014年3月31日
大統領 フランソワ・オランド

選挙区 エソンヌ県第1選挙区
当選回数 4回
在任期間 2017年1月7日 - 現職

フランスの旗 フランス共和国
エヴリー・サントル・エソンヌ都市圏
共同体議長
在任期間 2008年4月7日 - 2012年7月9日
大統領 ニコラ・サルコジ
フランソワ・オランド

在任期間 2001年3月18日 - 2012年6月3日
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人物・来歴編集

1962年8月13日にカタルーニャ州バルセロナにて、カタルーニャスペイン人(民族カタルーニャ人)の画家であるシャヴィエ・ヴァルスとイタリア系スイス人の母との間に誕生し、20歳頃の1982年にフランス国籍を取得した。パリ第一大学(歴史学専攻)を卒業した。

1980年に政治活動を開始して、学生組合の活動に加わる。1983年から1986年までフランス国民議会議員の秘書になり、24歳のころにイル=ド=フランス地域圏議会議員に当選した。

1997年フランス議会総選挙で落選し、その後1997年から2002年まで首相であったリオネル・ジョスパンの広報アドバイザーを務めた。

2012年5月発足のジャン=マルク・エロー内閣内務大臣に就任した。2014年3月の統一地方選挙での社会党の大敗によるエローの首相辞任に伴い、フランソワ・オランド大統領より後任の首相に任命された。

2015年10月に初来日し、日本安倍晋三首相と会談した[2]

2016年12月6日、翌年のフランス大統領選挙に出馬するため、首相を辞任した。2017年1月22日に行われた社会党大統領候補予備選挙第1回投票で、ブノワ・アモン元国民教育相に次ぐ第2位となった。予備選挙第2回投票に進み、同年1月29日に行われた投票では200万票を集めたアモンに敗北した(アモン58.71パーセントに対してヴァルス41.29パーセント)[3]。後にエマニュエル・マクロン支持に回ったことで社会党からは非難を浴び、結局はマクロン勢力に入ることも無かった[4]

2018年9月25日の出馬表明の後、ヴァルスは翌2019年5月26日のバルセロナ市長選挙に立候補した[4]欧州連合加盟国の間では他国の国民であっても地方選挙への参加が認められており、ヴァルスはこの選挙での被選挙権を有する。

実際の選挙はまず市議会選挙が行われ、議会から議員の互選で市長を選出する形で行われたが、結果は現職市長のアダ・コラウの再選であった。議席を獲得したヴァルスは、カタルーニャ独立派市長の誕生を阻止するため、自陣営の一部と共に現職支持に回った[5]

政策編集

外交編集

カタルーニャ独立編集

脚注編集

外部リンク編集

公職
先代:
クリスチャン・オリヴィエ
エヴリー市長
2001年3月18日 - 2012年6月3日
次代:
フランシス・シュア
先代:
ジャン・アルツ
エヴリー・サントル・エソンヌ都市圏共同体議長
2008年4月7日 - 2012年7月9日
先代:
クロード・ゲアンフランス語版
内務・海外県・海外領土・地方自治体・移民大臣
  フランス内務大臣
第28代:2012年5月16日 - 2014年3月31日
次代:
ベルナール・カズヌーヴ
先代:
ジャン=マルク・エロー
  フランス首相
第21代:2014年3月31日 - 2016年12月6日
次代:
ベルナール・カズヌーヴ