ヨスラン・エレラ

キューバの野球選手 (1981-)
ヨスラン・ヘレーラから転送)

ヨスラン・エレラ・ベタンクールYoslan Herrera Betancourt1981年4月28日 - )は、キューバピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

ヨスラン・エレラ
Yoslan Herrera
2015年3月22日 西武ドームにて
基本情報
国籍ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国へ亡命)
出身地  キューバ
ピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ
生年月日 (1981-04-28) 1981年4月28日(43歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 MLB / 2008年7月12日
NPB / 2015年3月27日
最終出場 MLB / 2014年9月28日
NPB / 2015年9月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

編集

キューバ時代

編集

1981年4月27日キューバピナール・デル・リオで生まれた。

2005年6月13日亡命し、その後ドミニカ共和国で居住権を確立した[1]

プロ入りとマイナー時代とパイレーツ時代

編集

2006年12月18日ピッツバーグ・パイレーツとメジャー契約を結んだ。

2007年は開幕を、傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。この年は、25試合に先発登板し、6勝9敗、防御率4.69、70奪三振を記録した[2]。また、シーズン中に40人枠に登録された。

2008年は、メジャーのスプリングトレーニングでプレーした。しかし、開幕を前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、21試合に先発登板し、6勝9敗、防御率3.96、69奪三振を記録した[2]。6月27日に、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンズに昇格した。6月29日に、傘下AAに降格した。7月12日にメジャーに昇格し、同日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビューを果たした。7月24日のサンディエゴ・パドレス戦で、メジャー初勝利を記録した[3]。8月4日に、傘下AAに降格した。

2009年は開幕を、前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、23試合(15試合で先発)登板し、11勝1敗、防御率3.23、65奪三振を記録した[2]。その後、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンスズに昇格した。ここでは、4試合(2試合で先発)登板し、1勝1敗、防御率2.30、7奪三振を記録した[2]。11月に解雇された[4]

ツインズ傘下時代

編集

2010年3月2日ミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。開幕を傘下AAAのロチェスター・レッドウイングスで迎えた。ここでは、6試合に先発登板し、0勝3敗、防御率6.08、14奪三振を記録した[2]5月10日に本人の申し入れで退団した[5]

アメリカ・独立リーグ時代

編集

2013年は、アトランティックリーグランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ。この年は、59試合に登板し、2勝1敗11セーブ、防御率3.74、54奪三振を記録した[2]

エンゼルス時代

編集

2013年12月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。

2014年は、6年ぶりにメジャーで登板を果たした。この年は、メジャーでは、20試合に登板し、1勝1敗、防御率2.70、13奪三振を記録している。マイナーでは、傘下AAAのソルトレイク・ビーズで41試合に登板し、4勝4敗5セーブ、防御率2.52、47奪三振を記録している[2]

DeNA時代

編集
2015年

1月19日に、NPBの横浜DeNAベイスターズが、エレラと1年契約を結んだことを発表した[6]。推定年俸は3,000万円で、背番号は53[7]。登録名はエレラで、リリーフでの起用を想定した契約であった。

3月27日に、読売ジャイアンツとの一軍開幕戦(東京ドーム)8回裏に来日初登板。4月までの一軍公式戦では、12試合の登板で防御率が7.59にまで達していた。しかし、5月以降は主にセットアッパーとして成績が安定。公式戦全体では、52試合の登板で、5勝4敗ながら27ホールドポイント、奪三振率9.23という好成績を記録した。通算防御率は2.96で、27試合に登板したビジターゲームでは5.11であったのに対して、25試合に登板した本拠地・横浜スタジアムのホームゲームでは1.00にとどめていた。

夏場から右肩の後部に炎症が繰り返し生じたため、9月中旬から戦線を離脱[8]。そのままシーズンを終えたが、推定年俸5,000万円という条件で、後に1年契約を更新している[9]

2016年

前述した右肩の炎症が春季キャンプ中に再発したため、別メニューでの調整を強いられた[10]。4月にイースタン・リーグ公式戦2試合へ登板するなど、一時は右肩が回復しつつあったものの、その後で炎症が再々発。7月12日には、患部の治療を目的にアメリカへ帰国した[11]

なお、球団はシーズン中の5月15日に、自身と同姓のエリアン・エレラ内野手と契約。ファーストネームのエリアンをユニフォームやスコアボードの表示名に使うことを契約後に決めたため、自身はエレラという登録名の使用を続けていた。

チームは史上初めてクライマックスシリーズへ進出したものの、エレラは一軍への復帰を果たせないまま、レギュラーシーズンを終了。シリーズ終了後の10月17日には、選手契約を更新しないことが球団から発表された[12]

プレースタイル

編集

最速154km/h(日本での最速は153km/h)のストレートSFFツーシームカーブなどを投げる。[13]

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
2001-2002 PRI 6 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 90 17.1 29 1 8 0 2 8 1 -- 20 16 8.31 2.14
2002-2003 29 1 0 0 0 7 2 4 -- .778 346 80.1 92 2 23 2 4 50 6 -- 40 28 3.14 1.43
2003-2004 23 13 1 0 0 5 3 1 -- .625 396 94.0 96 7 27 2 2 49 2 -- 39 36 3.45 1.31
2008 PIT 5 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 100 18.1 35 1 12 0 1 10 1 0 20 20 9.82 2.56
2014 LAA 20 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 77 16.2 22 0 9 3 0 13 0 0 5 5 2.70 1.86
2015 DeNA 52 0 0 0 0 5 4 0 22 .556 211 51.2 44 2 15 2 2 53 0 4 17 17 2.96 1.14
CNS:3年 58 15 1 0 0 12 5 5 -- .706 832 191.2 217 10 58 4 8 107 9 -- 99 80 3.76 1.44
MLB:2年 25 5 0 0 0 2 2 0 1 .500 177 35.0 57 1 21 3 1 23 1 0 25 25 6.43 2.23
NPB:1年 52 0 0 0 0 5 4 0 22 .556 211 51.2 44 2 15 2 2 53 0 4 17 17 2.96 1.14
  • 2016年度シーズン終了時

記録

編集
MLB
NPB

背番号

編集
  • 64 (2008年)
  • 60 (2014年 - 同年途中)
  • 62 (2014年途中 - 同年終了)
  • 53 (2015年 - 2016年)

脚注

編集
  1. ^ Herrera's next journey daunting, too (2007年1月9日)
  2. ^ a b c d e f g Yoslán Herrera Cuban, Minor, Winter, Independent & Japanese Leagues Statistics & History | Baseball-Reference.com”. 2021年9月27日閲覧。
  3. ^ Jenifer Langosch With pressure on, Herrera delivers (2008年7月25日) 2015年1月19日閲覧
  4. ^ Pirates release Yoslan Herrera and others (2009年11月11日) 2015年1月10日閲覧
  5. ^ Wings add two pitchers from Double-A (2010年5月10日) 2014年1月10日閲覧
  6. ^ 2015年度選手契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年1月19日) 2015年5月17日閲覧
  7. ^ ヨスラン・エレラ選手 入団記者会見 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年2月7日) 2015年5月17日閲覧
  8. ^ DeNAエレラは登録抹消へ デイリースポーツ(2015年9月8日) 2016年10月17日閲覧
  9. ^ DeNA・エレラが残留 契約1年、年俸5000万円 サンケイスポーツ(2015年10月24日) 2016年10月17日閲覧
  10. ^ 【DeNA】右肩炎症のエレラ、順調に回復「おかげさまで」 スポーツ報知(2016年2月23日) 2016年10月17日閲覧
  11. ^ DeNA・エレラが帰国 右肩炎症の治療へ デイリースポーツ(2016年7月12日) 2016年10月17日閲覧
  12. ^ 2017年度 選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2016年10月17日). 2016年10月17日閲覧。
  13. ^ DeNAエレラ守護神候補に急浮上”. 日刊スポーツ (2015年2月17日). 2015年11月14日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集