セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル

セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルスペイン語: Serie Nacional de Béisbol, 英語: Cuban National Series)は、1962年からキューバで行われている野球リーグである。

セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル
競技野球
代表イヒニオ・ベレス
開始年1962年
参加チーム16
 キューバ
前回優勝レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス(2023)
公式サイトhttp://www.beisbolcubano.cu

キューバ革命で権力を握ったフィデル・カストロの命令によって1961年3月にプロリーグ「リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル」が廃止。その後に設立されたもので、1962年1月14日にエスタディオ・ラティーノアメリカーノで開幕戦が実施され、キューバ国内野球のシステムの一部を成している。

リーグは発足以来長年に渡りウィンターリーグとして運営されてきたが、2022年は1月に開幕して5月まで、2023年からは3月に開幕して7月までレギュラーシーズンが行われる日程に移行し、MLBNPBなどと同様にサマーリーグとして運営されることとなった。なお新たに冬季スケジュールを引き継いだ「キューバエリートリーグ英語版」が創設された。

概要 編集

リーグの構成 編集

リーグは各14州(地方行政区分)に1チームずつと、ハバナの1チーム、特別自治体である青年の島の1チーム(キューバの州・市についてはキューバ#地方行政区分を参照)の合計16チームで構成されている。2011-2012シーズンにバケーロス・デ・ラ・アバナが廃止される代わりにカサドレス・デ・アルテミサウラカネス・デ・マヤベケが新たに創設され、2012-2013シーズンにゲレーロス・デ・メトロポリタノスが廃止された。

各チームの選手はそれぞれの州・市の出身者が所属しており、ハバナでは大部分のトップレベルの選手は伝統的にリーグで最も強いチームであるレオネス・デ・インダストリアレスでプレーしている。他の強豪チームにはアビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオ及びナランハス・デ・ビジャ・クララがある。

日程 編集

2020-2021年シーズン(第60シリーズ)までは、12月から翌年4月までのスケジュールで組まれることが多かった。2022シーズン(第61シリーズ)からは、年明けの1月23日から5月11日までレギュラーシーズンが行われ、その後ポストシーズンが行われる[1]という、単一年度で完結するシーズンに変更となった。

また、2012-2013シーズンからは二地区分割形式ではなく、第一ラウンド(Clasificatoria)は全16チーム単一地区形式でシーズン45試合を行い、そのうちの成績上位8チームが第二ラウンドに進出して更に42試合を行って年間リーグチャンピオンを決している。オリンピックなどの国際試合の為に国内リーグを中断する事も珍しくない。2012-2013シーズンも第3回WBCに対応した日程を組み、オールスターゲーム後の2月3日から6週間の長期中断をしている。

選手 編集

キューバでは野球の才能を見込まれた者だけが入学できるスポーツ専門学校(6歳から23歳まで)があり、国を挙げて優秀な野球選手を育てる為のプログラムが組まれている。マニュエル・ファハルド国立体育大学が名門校であり、野球の学生代表の大半はここの生徒から選ばれる。野球選手は足の速さ・肩の強さ・パワーのうち複数が揃っているかの基準で選考される[2]。リーグ所属選手のほとんどがこのスポーツ専門学校を卒業している。 社会主義国である為、国内リーグはアマチュアであり、選手は全員国家公務員としてプレー自体への報酬ではなく各チームへの所属に対する給与という形で収入を得る(ステート・アマ)。設備は決して豊かとは言えないが、ハングリー精神を養いながら、国の代表として外国のチームと戦うための鍛練を積んでいる。

キューバは全国168の区に分かれており、各区ごとに労働者・学生・兵士からチームが編成され、リーグ戦を行っている。外国人選手はプレーを許可されていない。そのリーグ戦の優勝チームの選手を中心に他チームの優秀な選手を補強して州の代表チームが編成され、州代表チームの試合で活躍を認められた選手がファームに入り、更に一軍へ昇格していく。一軍の出場選手登録人数は野手15人・投手10人となっている。実力を認められれば、ストリートプレイヤーでもキューバ代表まで登り詰める事が出来るシステムになっている[3]

メディア 編集

cuban-playbeisbolcubanoが公式サイトである。試合結果はcubadebateZona de strikeなどでキューバ国民が活発に討論している。インターネットが高額であることと、キューバはスポーツ新聞が存在しないため、国営新聞であるグランマおよびJuventud RebeldeおよびTrabajadoresおよびjit.cuのスポーツ欄で一般の人は情報を手に入れることが多い。

その他特徴 編集

1976-1977シーズンから1998-1999シーズンまでは金属バットを使用していたが、オリンピックでの金属バット廃止に伴い、1999-2000シーズンから木製バットに変更した。また使用球を2011-2012シーズン途中に北京オリンピックでも使用されていたミズノ五輪球から低反発のミズノ統一球に変更した。

指名打者制度が採用されている[4]

キューバ国外への選手派遣 編集

1958年キューバ革命以降、国内のスポーツ選手は国外のプロスポーツチームと契約することが原則として禁止されていた(日本の社会人野球への選手派遣や、国内リーグ引退後に研修という名目でオマール・リナレスNPB中日ドラゴンズと、ペドロ・ラソリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルカンペチェ・パイレーツと契約した特例もある)。しかし、1991年ソ連崩壊で経済状態が悪化してからは、他国へ亡命をして、1961年から国交を断絶しているアメリカ合衆国メジャーリーグベースボール(MLB)に挑戦する選手が増えている。

2000年代後半に代表チームの国際大会での成績が低迷してからは国外プロリーグでのプレーを認める動きが始まり、2013年6月12日にミチェル・エンリケスリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルカンペチェ・パイレーツと期間限定で契約することが承認され、6月22日にはアルフレド・デスパイネが同じくパイレーツと期間限定で契約することが承認された。

2013年9月21日には、キューバの内閣に相当する閣僚評議会が、スポーツ選手の待遇や報酬などに関する対応を本格的に協議。スポーツ省によって「(国際大会での実績などから)優秀で国家への貢献度も高い」と認められたベテラン選手が国外でのプレーを希望した場合には、政府による管理の下で、外交上商取引を禁止していない国(日本メキシコなど)のプロスポーツチームに限って選手の保有権を持つ機関(キューバ野球連盟など)からのリース扱いでプロ契約を結ぶことを認めることが同月28日に正式に発表された[5][6][7]。なお、発表前にはスポーツ体育レクリエーション庁長官のフリオ・クリスチャン・ヒメネスが、日本の外務省を訪問[5]。その際に、キューバ国内のプロ野球選手の獲得を希望するNPBの球団に対して、外務省経由で獲得希望選手リストの提出を求めたとされる[8]。12月にはローランド・メリーニョディヴィジオン・アンセナート・テンプライアーズの監督に就任することが発表された。

2014年、前年に引き続きアルフレド・デスパイネがパイレーツと契約した他、3月26日にはノルベルト・ゴンサレスホアン・ペドロソイタリアンベースボールリーグネットゥーノ 2・ベースボールクラブと契約したのを皮切りに、ヨーロッパのプロ野球リーグとの契約が相次ぐ。4月19日にはNPBの読売ジャイアンツフレデリク・セペダと契約[9]。同時に、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルと友好関係を結んだことを発表した[10]5月13日には横浜DeNAベイスターズユリエスキ・グリエル[11]7月15日千葉ロッテマリーンズリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルから出場停止処分を受け帰国したデスパイネとの契約をそれぞれ発表した[12]などNPB球団との契約も相次いだ。7月24日にはユニエスキ・グリエルカナディアン・アメリカン・リーグケベック・キャピタルズと契約。こうして2014年に国外のプロ球団との契約が相次いだことから、2014-2015シーズンは開催時期を9月21日からに早め、国外プロリーグの開幕に近い時期にシーズンが終わる日程となった。

キューバ国籍の野球選手と国外のプロ球団による契約は、「選手の保有権を持つキューバ野球連盟が、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのオフシーズン(4月末 - 11月末)に限って選手を国外のチームに貸し出す」という関係を前提に置いている。そのため選手には、国外リーグのシーズン終了(契約期間の満了)後にセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルでシーズン終了までプレーを続けること[13]や、契約金や年俸から一定の割合に相当する金銭を「国内のスポーツ選手の育成に還元する」という名目でキューバスポーツ省やキューバ野球連盟などへ納付することを求めている[8][14]リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルやNPBの球団へ移籍した選手は、契約金の2割に相当する金額を納めているという[15][16]

移籍解禁以降国外リーグに所属した主な選手 編集

NPB
日本国内の独立リーグ
メキシカンリーグ(リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル)
  • ミチェル・エンリケス(カンペチェ・パイレーツ)
  • アルフレド・デスパイネ(カンペチェ・パイレーツ)
  • フレデリク・セペダ(ティフアナ・ブルズ)
  • ロエル・サントス(タバスコ・キャトルメン)
メキシコ・ウィンターリーグ(リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ)
  • ミチェル・エンリケス(カニェロス・デ・ロス・モチス)
  • ホアン・ペドロソ(カニェロス・デ・ロス・モチス)
コロンビア・ウィンターリーグ(リーガ・コロンビアーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル)
イタリアンベースボールリーグ
カナディアン・アメリカン・リーグ

チーム 編集

西地区 編集

チーム名 愛称 球場
カサドレス・デ・アルテミサ(Artemisa) 英:Hunters
西:Cazadores
グアナハイ エスタディオ・デ・グアナハイ
エレファンテス・デ・シエンフエーゴス(Cienfuegos) 英:Shrimpers
西:Elefantes
シエンフエーゴス エスタディオ・シンコ・デ・セプティエンブレ
レオネス・デ・インダストリアレス(Industriales) 英:Blue lions
西:Leones Azules
ハバナ エスタディオ・ラティーノアメリカーノ
トロンヘロス・デ・イスラ・デ・ラ・フベントゥ(Isla de la Juventud) 英:Grapefruit cutters
西:Toronjeros
ヌエバ・ヘローナ エスタディオ・クリストバル・ラブラ
ウラカネス・デ・マヤベケ(Mayabeque) 英:Hurricans
西:Huracanes
サン・ホセ・デ・ラス・ラハス エスタディオ・ネルソン・フェルナンデス
ベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオ(Pinar del Río) 英:Lowlands
西:Vegueros
ピナール・デル・リオ エスタディオ・カピタン・サン・ルイス
ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス(Sancti Spíritus) 英:Roosters
西:Gallos
サンクティ・スピリトゥス エスタディオ・ホセ・アントニオ・ウエルガ
ココドゥリロス・デ・マタンサス(Matanzas) 英:Crocodiles
西:Cocodrilos
マタンサス エスタディオ・ビクトリア・デ・ヒロン

東地区 編集

チーム名 愛称 球場
ガナデロス・デ・カマグエイ(Camagüey) 英:Ranchers
西:Ganaderos
カマグエイ エスタディオ・カンディド・ゴンザレス
ティグレス・デ・シエゴ・デ・アビラ(Ciego de Ávila) 英:Tigers
西:Tigres
シエゴ・デ・アビラ エスタディオ・ホセ・ラモン・セペロ
レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス(Las Tunas) 英:Lumberjacks
西:Leñadores
ビクトリア・デ・ラス・トゥーナス エスタディオ・フリオ・アントニオ・メージャ
ナランハス・デ・ビジャ・クララ(Villa Clara) 英:Oranges
西:Naranjas
サンタ・クララ エスタディオ・アウグスト・セサル・サンディーノ
アラサネス・デ・グランマ(Granma) 英:Horses
西:Alazanes
バヤモ エスタディオ・マルティレス・デ・バルバドス 
インディオス・デ・グアンタナモ(Guantánamo) 英:Indians
西:Indios
グアンタナモ エスタディオ・グエン・バン・トロイ 
サブエソス・デ・オルギン(Holguín) 英:Bloodhounds
西:Sabuesos
オルギン エスタディオ・カリスト・ガルシア・イニグェス
アビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba) 英:Wasps
西:Avispas
サンティアーゴ・デ・クーバ エスタディオ・ギジェルモン・モンカダ

年度別優勝チームと最優秀選手 編集

シリーズ 年度 優勝チーム 優勝チーム監督 最優秀選手
1 1962 オクシデンタレス マイク・ゲラー エルウィン・ワルターズ
2 1962-1963 インダストリアレス ラモン・カルネアド モデスト・ベルドゥーラ
3 1963-1964 インダストリアレス ラモン・カルネアド ペドロ・チャベス
4 1964-1965 インダストリアレス ラモン・カルネアド ウルバーノ・ゴンサレス
5 1965-1966 インダストリアレス ラモン・カルネアド リノ・ベタンコート
6 1966-1967 オリエンタレス ロベルト・レド ペドロ・チャベス
7 1967-1968 ラ・アバナ フアン・ゴメス エウロヒオ・オソリオ
8 1968-1969 アスカレロス セルビオ・ボルヘス ウィルフレド・サンチェス
9 1969-1970 エネケネロス ミゲル・ドミンゲス ウィルフレド・サンチェス
10 1970-1971 アスカレロス セルビオ・ボルヘス アントニオ・ヒメネス
11 1971-1972 アスカレロス ペドロ・デルガド アグスティン・マルケッティ
12 1972-1973 インダストリアレス ペドロ・チャベス アルマンド・カピノ
13 1973-1974 ラ・アバナ ホルヘ・トリゴウラ アントニオ・ムニョス
14 1974-1975 アグリクルトレス オルランド・レルー ウァルフリード・ルイス
15 1975-1976 ガナデロス カルロス・ゴメス オマール・カレーロ
16 1976-1977 シトリクルトレス フアン・ブレヒオ イシドロ・ペレス
17 1977-1978 ベゲーロス ホセ・ピネダ フェルナンド・サンチェス
18 1978-1979 サンクティ・スピリトゥス カンディド・アンドラーデ ウィルフレド・サンチェス
19 1979-1980 サンティアーゴ・デ・クーバ マヌエル・ミヤル ペドロ・ロドリゲス
20 1980-1981 ベゲーロス ホセ・ピネダ ロヘリオ・ガルシア
21 1981-1982 ベゲーロス ホルヘ・フエンテス フェルナンド・エルナンデス
22 1982-1983 ビジャ・クララ エドゥアルド・マルティン ラサロ・フンコ
23 1983-1984 シトリクルトレス トマス・ソト ルイス・カサノバ
24 1984-1985 ベゲーロス ホルヘ・フエンテス オマール・リナレス
25 1985-1986 インダストリアレス ペドロ・チャベス ラサロ・バルガス
26 1986-1987 ベゲーロス ホルヘ・フエンテス ハビエル・メンデス
27 1987-1988 ベゲーロス ホルヘ・フエンテス ペドロ・ロドリゲス
28 1988-1989 サンティアーゴ・デ・クーバ イヒニオ・ベレス オレステス・キンデラン
29 1989-1990 エネケネロス ヘラルド・フンコ オマール・リナレス
30 1990-1991 エネケネロス ヘラルド・フンコ ラサロ・マデラ
31 1991-1992 インダストリアレス ホルヘ・トリゴウラ ホルヘ・バルデス
32 1992-1993 ビジャ・クララ ペドロ・ホバ オマール・リナレス
33 1993-1994 ビジャ・クララ ペドロ・ホバ ルールデス・グリエル
34 1994-1995 ビジャ・クララ ペドロ・ホバ アマド・サモラ
35 1995-1996 インダストリアレス ペドロ・メディナ ホルヘ・フメロ
36 1996-1997 ピナール・デル・リオ ホルヘ・フエンテス ホセ・エストラーダ
37 1997-1998 ピナール・デル・リオ アルフォンソ・ウルキオラ オスカル・マチャド
38 1998-1999 サンティアーゴ・デ・クーバ イヒニオ・ベレス ミチェル・エンリケス
39 1999-2000 サンティアーゴ・デ・クーバ イヒニオ・ベレス ノルヘ・ベラ
40 2000-2001 サンティアーゴ・デ・クーバ イヒニオ・ベレス マエルス・ロドリゲス
41 2001-2002 オルギン エクトル・エルナンデス ミチェル・アブレイユ
42 2002-2003 インダストリアレス レイ・アングラーダ ハビエル・メンデス
43 2003-2004 インダストリアレス レイ・アングラーダ オスマニー・ウルティア
44 2004-2005 サンティアーゴ・デ・クーバ アントニオ・パチェコ ユリエスキ・グリエル
45 2005-2006 インダストリアレス レイ・アングラーダ ユリエスキ・グリエル
46 2006-2007 サンティアーゴ・デ・クーバ アントニオ・パチェコ オスマニー・ウルティア
47 2007-2008 サンティアーゴ・デ・クーバ アントニオ・パチェコ アレクセイ・ベル
48 2008-2009 ラ・アバナ エステバン・ロンビージョ アルフレド・デスパイネ
49 2009-2010 インダストリアレス ヘルマン・メサ アルフレド・デスパイネ
50 2010-2011 ピナール・デル・リオ アルフォンソ・ウルキオラ ホセ・アブレイユ
51 2011-2012 シエゴ・デ・アビラ ロジャル・マチャド アルフレド・デスパイネ
52 2012-2013 ビジャ・クララ ラモン・モレ フレディ・アルバレス
53 2013-2014 ピナール・デル・リオ アルフォンソ・ウルキオラ ヨスバニ・トーレス
54 2014-2015 シエゴ・デ・アビラ ロジャル・マチャド アルフレド・デスパイネ
55 2015-2016 シエゴ・デ・アビラ ロジャル・マチャド ホセ・アドリス・ガルシア
56 2016-2017 アラサネス・デ・グランマ カルロス・マルティ ラザロ・ブランコ
57 2017-2018 アラサネス・デ・グランマ カルロス・マルティ ラファエル・ビニャレス
58 2018-2019 レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス パブロ・シビル ホルヘ・アローマ
59 2019-2020 ココドゥリロス・デ・マタンサス アルマンド・フェラー・ルイス ヨルダニス・アラルコン
60 2020-2021 アラサネス・デ・グランマ カルロス・マルティ リスバン・コレア
61 2022 アラサネス・デ・グランマ カルロス・マルティ マルロン・ベガ・トラビエソ・ジュニア
62 2023 レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス アベイシ・パントーハ オスデイ・シルバ

主な亡命者 編集

シーズン記録 編集

項目 選手名 記録 達成年度
最多安打 ミチェル・エンリケス 152 1998-1999
最高打率(規定打席以上) オスマニー・ウルティア .469 2003-2004
最多本塁打 アルフレド・デスパイネ 36 2011-2012
最多打点 アレクセイ・ベル 111 2007-2008
最多得点 エンリケ・ディアス 100 2002-2003
最高長打率 ホセ・アブレイユ .986 2010-2011
最多四球 フアン・マンリケ 105 2002-2003
最高出塁率 ホセ・アブレイユ .597 2010-2011
最多盗塁 エンリケ・ディアス 55 1992-1992
最多投球回数 エミリオ・サルガド 230.1 1968-1969
最多勝利 ホセ・イバール 20 1997-1998
最優秀防御率(規定投球回以上) アイホスバニ・ガジェゴ 0.37 1971-1972
最多奪三振 マエルス・ロドリゲス 263 2000-2001
最多セーブ ドゥニエル・イバーラ 27 2010-2011
ダニー・アギレラ 2011-2012

脚注 編集

  1. ^ 61 Serie Nacional de Béisbol 2022”. Beisbol en Cuba. 2022年4月10日閲覧。
  2. ^ 鉄矢多美子. 熱球伝説―キューバリナレスを育てた野球王国. 岩波書店. p. 60-61 
  3. ^ 鉄矢多美子. 熱球伝説―キューバリナレスを育てた野球王国. 岩波書店. p. 44-46 
  4. ^ Welcome to Cuba” (英語). ESPN.com. 2013年4月15日閲覧。
  5. ^ a b 在キューバ日本国大使館 (2013年9月). “2013年9月 キューバ情勢”. 2014年6月4日閲覧。
  6. ^ キューバ選手 プロ解禁!大物が日本に来るかも”. スポーツニッポン (2013年9月29日). 2014年5月31日閲覧。
  7. ^ 亡命しなくていい キューバ移籍自由化”. 日刊スポーツ (2013年9月28日). 2013年9月28日閲覧。
  8. ^ a b 鉄矢多美子「緊急寄稿 球界キューバ革命の真相」(『週刊ベースボール2014年6月2日号pp.103 - 105)
  9. ^ 巨人、キューバ代表セペダ獲得へ WBCで計6発”. スポーツニッポン (2013年4月19日). 2013年4月19日閲覧。
  10. ^ キューバ選手の入団合意とキューバ野球連盟との友好協定締結について”. Yomiuri Giants Official Web Site (2013年4月19日). 2013年4月19日閲覧。
  11. ^ 選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2014年5月13日). 2014年5月13日閲覧。
  12. ^ アルフレド・デスパイネ・ロドリゲス選手の獲得について”. 千葉ロッテマリーンズ (2014年7月15日). 2014年7月15日閲覧。
  13. ^ 鷲田康 (2014年5月16日). “日本球界に乗り込むキューバの英雄。門戸開放の陰に「亡命」と「裏開催」。”. Number Web(文藝春秋. 2014年6月5日閲覧。
  14. ^ 「外貨」年俸20%はキューバに納付 子供たちの育成に還元”. スポーツニッポン (2014年6月3日). 2014年6月3日閲覧。
  15. ^ Alfredo Despaigne "unrivaled experience"
  16. ^ 日本球界に乗り込むキューバの英雄。門戸開放の陰に「亡命」と「裏開催」。

外部リンク 編集