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ワン・アフター・909」(One After 909)は、ビートルズの楽曲である。1970年に発売された12作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『レット・イット・ビー』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、ジョン・レノンによって書かれた楽曲[2]。1960年春までに書かれた楽曲で[3]、レノン=マッカートニーの初期の作品の1つとなっている。

ワン・アフター・909
ビートルズ楽曲
収録アルバムレット・イット・ビー
英語名One After 909
リリース1970年5月8日
録音
ジャンルルーツ・ロック[1]
時間2分52秒
レーベルアップル・レコード
作詞者レノン=マッカートニー
作曲者レノン=マッカートニー
プロデュースフィル・スペクター
レット・イット・ビー 収録曲
アイヴ・ガッタ・フィーリング
(B-1)
ワン・アフター・909
(B-2)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
(B-3)

1969年1月30日に行なわれたルーフトップ・コンサートで演奏された楽曲の1つで、アルバムおよび映画『レット・イット・ビー』には同ライブでの演奏が収録された。

背景 編集

本作についてレノンは、1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで「17歳くらいの頃に書いた曲。僕はニューキャッスル通りの9番地に住んでいて、10月9日に生まれ…。9という数字には縁があるんだ。6か3だったとしても、それは9の一部だ」と語っている[4]ポール・マッカートニーは、映画『レット・イット・ビー』の中で「僕らの最初の曲だよ。毎日学校から帰ると、僕らは座って曲を書いていた。『ラヴ・ミー・ドゥ』とか『トゥー・バッド・アバウト・ソローズ』とか100曲くらいね。荒削りだったからレコーディングはしなかったけど、いい曲ばかりさ。『ワン・アフター・909』もその一つだ。歌詞は好きじゃなかったけどね」と語っている[5]

1960年に「ワン・アフター・909」のホーム・レコーディング(未発表)が作成されており、マッカートニーは「ときどきテープ・レコーダーを借りることがあってね。小さな緑の目がついたグルンディッヒだった。それで、僕の家に集まって、ちょっとしたレコーディングにトライしていた」と振り返っている[6]。なお、1958年にクオリーメンが「ザットル・ビー・ザ・デイ」や「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」のレコーディングを行なった際に、本作も録音されたという説も存在するが、それを裏づける音源は発見されていない[6]

レノンはアップル・スタジオでのセッション時に、1963年末にローリング・ストーンズに本作を売り込んでいたことを明かしている[6][注釈 1]

レコーディング・リリース 編集

「ワン・アフター・909」は、1963年3月5日のセッションで「フロム・ミー・トゥ・ユー」や「サンキュー・ガール」とともにレコーディングされたが、仕上がりに不満を持ったことにより、この時点では没となった[7]。その後6年にわたって本作は棚上げされたままとなっていた。1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』には、1963年3月5日のセッションで録音したテイク3、4、5の一部とスタジオでの会話[6]を組み合わせた音源が収録された[8]

1969年1月28日にアップル・スタジオで行なわれたセッションで取り上げられ、同日のセッションでは4テイク録音された[9]。同月30日にアップル・コアの屋上で行なわれたルーフトップ・コンサートで演奏され[10]、アルバム『レット・イット・ビー』や同名の映画には同ライブでの演奏が収録され、2003年に発売された『レット・イット・ビー...ネイキッド』にもルーフトップ・コンサートでのライブ音源が収録された。2021年に発売された『レット・イット・ビー (スペシャル・エディション) 〈スーパー・デラックス〉』のディスク2にはテイク3が収録された[11]

なお、『レット・イット・ビー』の元となったアルバム『ゲット・バック』[注釈 2]には、オープニング・トラックとしてルーフトップ・コンサートでのライブ音源が収録されている。同作に収録されているアレンジは、『レット・イット・ビー』に収録されているテイクと同じであるが、冒頭にビリー・プレストンエレクトリックピアノの音が入っており、レノンとマッカートニーのボーカルが左右に分かれて聞こえるなどの違いがあるほか、曲の最後にレノンの「I'd like to say thank you on behalf of the group and ourselves, I hope we passed the audition.…(グループを代表し「ありがとう」を申し上げます、オーディションに通ると良いんですが)」という締めの言葉[注釈 3]が加えられている[12]

クレジット 編集

1963年3月5日のセッション[14]
1969年1月30日(ルーフトップ・コンサート[15]

カバー・バージョン 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 最終的にローリング・ストーンズは、バンドの2作目のシングルとして同じくレノン=マッカートニー作の「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を選んだ[6]
  2. ^ グリン・ジョンズがプロデュースを手がけたアルバムで、1969年5月と1970年1月の2度にわたって編集が行なわれたが、メンバーによって却下された。後にフィル・スペクターによるリプロデュースにより、オーケストラやコーラスなどが加えられ、曲を一部変更してまとめられたものが『レット・イット・ビー』として発売された[12]
  3. ^ 実際は、ルーフトップ・コンサートでレノンがコンサートのラスト・ナンバーである「ゲット・バック」の演奏後に発した一言[13]

出典 編集

  1. ^ High Fidelity. 38. ABC Leisure Magazines. (1988). p. 148. https://books.google.com/books?id=VLUJAQAAMAAJ 
  2. ^ Womack 2016, p. 374.
  3. ^ Lewisohn 2013, pp. 289, 586.
  4. ^ Sheff 2000, p. 204.
  5. ^ Miles 1997, p. 536.
  6. ^ a b c d e Let It Be 2021, p. 15.
  7. ^ Lewisohn 1988, p. 28.
  8. ^ Lewisohn 1995, pp. 20–21.
  9. ^ Davies 2016, p. 786.
  10. ^ Lewisohn, Mark (2000). The Complete Beatles Chronicle (paperback ed.). London: Hamlyn Books. ISBN 0-6006-0033-5 
  11. ^ ビートルズ『Let It Be』“Get Back - Apple Sessions”の聞きどころ”. uDiscover. ユニバーサルミュージック (2021年11月4日). 2021年11月28日閲覧。
  12. ^ a b ビートルズ“Get Back 1969 Glyn Johns Mix”と“Let It Be EP”の聞きどころ”. uDiscover. ユニバーサルミュージック (2021年11月19日). 2022年1月16日閲覧。
  13. ^ Everett 1999, p. 222.
  14. ^ MacDonald 2007, p. 496.
  15. ^ Lewisohn 1988, p. 169.
  16. ^ Erlewine, Stephen Thomas. “We'll Sing in the Sunshine - Helen Reddy | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Group. 2021年1月19日閲覧。
  17. ^ Top of the Pops - The Smithereens | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2021年1月19日閲覧。
  18. ^ Erlewine, Stephen Thomas. Come Together: America Salutes the Beatles - Various Artists | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2021年1月19日閲覧。

参考文献 編集

外部リンク 編集