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下浜駅

下浜(しもはま)は、秋田県秋田市西部地域にある地区(広域地名)。郵便番号下浜羽川010-1503、下浜長浜010-1502、下浜桂根010-1501、下浜名ケ沢010-1504、下浜八田010-1505、下浜楢田010-1506。人口は2,309人(2010年10月1日現在、住民基本台帳人口調査による[1])。

本項では、1954年10月1日に秋田市へ編入された旧由利郡下浜村についても併せて解説する。

地理編集

秋田市の西部に位置する。東を秋田市雄和、西を日本海、南を由利本荘市岩城、北を秋田市浜田に接しており、平成の大合併により秋田市が旧雄和町・旧河辺町を編入するまでは、秋田市の最南端であった地域である(現在の秋田市最南端は雄和萱ケ沢地区)。

日本海に面し、北西には男鹿市寒風山を見ることができる。天気の良い日は、南に鳥海山の姿も見える。一般に海沿いに面した地域ばかりがクローズアップされがちであるが、山間の八田地区や名ケ沢地区、雄物川に面する楢田地区も下浜地域に属している。山間の地域ではホタルの生息も確認されており、自然豊かな地域である。

現在の下浜地域は、国道沿いの羽川・長浜・桂根、山間の名ケ沢・八田・楢田の6地区で構成される。羽川・長浜・桂根・名ケ沢地区と八田・楢田地区は、羽川・名ケ沢地区から八田・楢田地区に通じる県道があるものの、国見山で地域同士が分断され、双方の地域を行き来する公共交通が存在しない。学区についても、前者が下浜学区、後者が豊岩学区であり、地区同士の結びつきは強くない。

地域全体で過疎化も進んでおり、秋田市に編入された1954年(昭和29年)には4,078人いた人口が、2009年(平成21年)6月には2,343人、2017年(平成29年)7月には2,094人にまで減少している。2006年(平成18年)には八田小学校が児童数の減少から豊岩小学校へ統合されたほか、下浜小学校の児童数も減少の一途を辿っており、昭和初期の多い頃には470人程度いた全校児童が、近年は100人を切るまでに減少している。

河川編集

海洋編集

歴史編集

しもはまむら
下浜村
廃止日 1954年10月1日
廃止理由 編入合併
南秋田郡太平村外旭川村飯島村下新城村上新城村
河辺郡浜田村豊岩村四ツ小屋村上北手村下北手村仁井田村
由利郡下浜村秋田市
現在の自治体 秋田市
廃止時点のデータ
  日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
由利郡
団体コード なし
面積 41km2.
総人口 4,850
(廃止時)
隣接自治体 河辺郡浜田村豊岩村川添村戸米川村
由利郡道川村
下浜村役場
所在地 秋田県由利郡下浜村羽川字羽立
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現在は秋田市に属している下浜であるが、かつては久保田藩(秋田藩)ではなく亀田藩領であった。下浜地域には当時、羽根川・長浜・桂根・名ケ沢・八田・楢田の6村が存在し、これに赤平・君ヶ野・内道川・道川・二古・勝手の6村(現在の由利本荘市岩城地域)を加えた12村が「下浜郷」と呼ばれていた。このことと由利郡上浜村(現在のにかほ市象潟町上浜)と照応することから、明治の大合併時に成立した新村が「下浜村」と命名された。

沿革編集

地名の変遷編集

地内で住居表示実施やその他に伴う町名・字名の変更は行われていない。

史跡編集

本敬寺編集

長浜地区にある本敬寺は、当初、秋田市勝平に創建されたが、1616年、現在地に移転創建された。越前戦国大名である朝倉義景の子孫で、本願寺蓮如と関わりのあった朝倉道景が開山の祖とされる。現在も、同寺の宝物殿には蓮如の宝物が納められている。

珠林寺編集

羽川地区にある珠林寺は、1395年に、道元禅師第八代目直応貴呈が創建したとされる。道元禅師第八代目直応貴呈は、松尾芭蕉が訪れたことで知られる、にかほ市象潟町象潟島の蚶満寺をはじめ、秋田県内で十一寺を開山しており、当寺はその一つ。由利十二頭の一人、羽川氏の菩薩寺と言われている。なお、同寺に属する堂宇として、金毘羅尊天が近隣にある。亀田領三十三観音霊場第二十七番札所。

羽川古館・新館編集

前述の羽川氏が居城したとされる城郭で、羽川地区に存在した。羽川氏は、新田義貞の血筋で、応永年間に当地に入部し、鮎川流域を支配したとされている。築城時期は不明であるが、当初、「羽川古館」(はねかわふるだて)が、菩薩寺である珠林寺に程近い、現在の秋田県道240号川添下浜停車場線近くに築城された。その後、戦国期になると、「羽川新館」(はねかわしんだて)が「羽川古館」南西側の丘陵に築城された(古館は、新館が築城された際に廃城したものと考えられている)。羽川新館はいわゆる平山城と呼ばれるタイプの城郭で、「韮山館」とも呼ばれた。「韮山館」と呼ばれるようになったのは、天正年間に城主だった羽川小太郎義稙が土塁にを植え、敵が滑りやすいようにしたためと言われている。1588年に、亀田地区に赤尾津城を築城した赤尾津氏の謀略によって落城、以後は赤尾津氏の属城になったとされている。現在、当時の建物は一切残っていないが、新館の跡地は公園として東屋等が整備され、往時を偲ぶことが出来る。なお、古館の跡地は、林となっている。

観光編集

下浜海水浴場[2]は全国的にも有名であり、出戸浜や釜谷浜と並んで、県下最大級の海水浴場である。また、交通の便が良いため、には、地元のみならず、他県からも海水浴客が押し寄せる。透明度は、全国でも上位である。

行政機関・学校編集

交通編集

当地域の西側に主要な交通(国道7号、JR羽越本線)が集中している。なお、八田地区や名ケ沢地区内を日本海東北自動車道が通っているが、インターチェンジ等は特に設置されていないため、乗り降りすることは出来ない。

鉄道編集

一般国道編集

主要地方道編集

  • 秋田県道65号寺内新屋雄和線

一般県道編集

  • 秋田県道240号川添下浜停車場線

バス編集

出身者編集

参考文献編集

「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市史編集委員会、秋田市、2004年

脚注編集

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  1. ^ 「秋田市史 第四巻」p.287。

外部リンク編集