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中城 けんたろう(なかじょう けんたろう、1938年4月12日 - )は、日本漫画家中城建雄のペンネーム。他にも中城健太郎中城健中城けん中城たておなどのペンネームを使用している。高知県高知市出身。

来歴・人物編集

1956年に中城たてお名義で『ロボット狂時代』(冒険王)で漫画家デビュー。タツノコプロ創成期に作画家として参加した事もある。1970年代は梶原一騎原作作品を多く手がけたが、中城は生前の梶原と最も深く交流し、梶原にひけを取らない巨漢で酒も強いということもあって、彼と対等に話ができた数少ない漫画家と言われている[1]。梶原に向かって『カラテ地獄変』の原作を「なんだい先週の原作は。空手バカ(一代)の焼き直しじゃないか。」と酷評し、「なんだとこの野郎。ぶっ叩いてやろうか。」と言う梶原に「おお、できるもんならやってもらおうじゃない。俺はつのだじろうじゃねえぞ。」[2]と言い放つなど、よく一緒に酒を飲み、喧嘩じみた議論をしたという。「週刊サンケイ」の編集者と梶原、中城の三人で飲んでいた時に何かで怒った梶原が編集者にヘッドロックを掛けた時、仲裁に入った中城が「オトシマエ」と称して、その夜から翌日の午後まで梶原と飲み歩き、最後は中城が酔い潰れて梶原に背負われて店を出たというエピソードも残っている。 1980年代中頃からは漫画家としては第一線を退き、天理教道友社の刊行物の劇画の書き下ろしや、天理教教団の発行する各機関誌への漫画の連載をする事が多くなった。1987年12月には、天理教森高分教会長に就任している。

作品リスト編集

師匠編集

アシスタント編集

高校卒業後上京し、弟子入り。しかし山田が自らのサイトで語る所によると、中城の教えは技術・作法ともにスパルタ式と言えるほど厳しく、何度も怒号がとんだという。ある時は中城の投げたコンパスが山田に刺さり、さすがに山田は脱走してこの先を考えた。しかしバツが悪そうに戻ってくると、中城は山田を暖かく迎え入れてくれた。

脚注編集

  1. ^ 夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎
  2. ^ いわゆる「つのだじろう詫び状事件」を想定した発言。梶原一騎#大山倍達と『空手バカ一代』及び空手バカ一代#作品の周辺も参照。
  3. ^ 1989年8号以前は第2・第4月曜日の月2回刊