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来歴・人物編集

福岡県八女市出身。福岡県立嘉穂高等学校校長(1955 - 1964年)を務めた伊藤朝生の子息。

1964年、福岡県立嘉穂高等学校(飯塚市)に入学し1学期まで在校後、福岡県立修猷館高等学校福岡市)へ転校[1][2]。1972年、東京大学法学部を卒業し警察庁入庁。同期に安藤隆春警察庁長官)、中村正則関東管区警察局長)など。

入庁後は、主に警備警察外事警察の分野を歩み、千葉県警警備部長、石川県警本部長、警視庁警備部長、千葉県警本部長、皇宮警察本部長、警察庁生活安全局長、警察大学校長などを歴任し、2006年1月19日から2007年8月6日まで警視総監を務めた。また1983年から4年間、外務省に出向し在香港総領事館領事を務めている。

警視総監退任後、日本道路交通情報センター理事長を務めた後、2008年5月、福田康夫内閣において内閣危機管理監に就任。

福田康夫内閣および麻生太郎内閣、さらには2009年の自由民主党から民主党への政権交代を経た後も鳩山由紀夫内閣菅直人内閣野田佳彦内閣の歴代5つの内閣において内閣危機管理監を務めた後、2011年12月、内閣危機管理監退任と同時に内閣官房参与に就任[3]。内閣官房参与として2011年から2012年の年末年始において引き続き北朝鮮情勢の対応にあたった後、2012年1月、内閣官房参与を退任[4]

略歴編集

主な活動編集

警視総監在任中編集

  • 在任中の交通事故死亡者数が戦後最少の263人であった。
  • 空き交番の解消を実現。

内閣危機管理監在任中編集

脚註編集

  1. ^ 東京修猷会 第514回二木会(2004年9月9日(木))
  2. ^ 東京修猷会 第531回二木会(2006年7月13日(木))
  3. ^ “危機管理監と情報官が交代 人事前倒しで北朝鮮対応強化”. 日本経済新聞. (2011年12月27日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS2702Y_X21C11A2PE8000 2011年12月27日閲覧。 
  4. ^ “伊藤・植松両参与が退任”. 日本経済新聞. (2012年1月10日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS1001P_Q2A110C1PE8000 2012年1月10日閲覧。 
  5. ^ ICUSメンバー紹介”. 東京大学生産技術研究所 都市基盤安全工学国際研究センター. 2015年1月19日閲覧。
  6. ^ 伊藤哲朗 顧問”. 西川シドリーオースティン法律事務所・外国法共同事業. 2015年1月19日閲覧。
先代:
野田健
内閣危機管理監
第12 - 16代: 2008年 - 2011年
次代:
米村敏朗