政権交代
概説編集
近代以降、民主主義制度が確立した先進国において、政権をもつ与党とそれをもたない野党の地位の交代をいう。かならずしも選挙による交代であることは問われず、政争によって選挙を経ずに議会内での多数派が変わった場合であっても政権交代の定義には合致する。
政権交代は二党制(二大政党制や複数政党制)ではしばしば行われる。議院内閣制をとる国家では通常、下院(イギリスの庶民院、日本の衆議院など)の多数党が入れ替わることで政権交代が起こる。大統領制をとる国家では大統領の出身政党が入れ替わることで政権交代が起こる。
現政権に対して政策運営の結果について厳しい批判があったり社会に閉塞感が付きまとっている場合は、行政経験や政権担当能力の有無に関わらず、政治的状況から政権交代の可能性が高そうな野党に対してマスコミや有権者の期待が高まる傾向がある。
アメリカ合衆国では政権交代をした際、100日間程度は、マスメディアは政権に対する批判論評を控える「蜜月期間」(ハネムーン期間)が存在するとされている。日本のマスメディアも、2009年(平成21年)の非自民党政権への政権交代において蜜月期間が設けて政権批判を控えたが[1][2]、2012年(平成24年)の政権交代で自民党政権(公明党との連立政権、自公連立政権)が再び誕生すると、蜜月期間は反故にされ、激しい政権批判が行われた。
権力の世襲が原則であった近代以前においては、非血縁者に対し、平和的に政権交代を行うことは例外であった。古代中国では武力で非血縁者から政権を奪うことを放伐、両者の合意によって政権を譲り受けることを禅譲と呼んだ。
世界各地の国家において、封建的政権移譲制度から権力者を国民による選挙で選ぶ制度を確立するまでには、しばしば、最高権力に逆らう形でクーデターでの政権交代が多く、クーデターには武力が伴うものは多かったために流血の歴史をみることも少なくなかった。
この節の加筆が望まれています。 |
各国の実例編集
日本編集
大日本帝国憲法下編集
日本国憲法下編集
1955年(昭和30年)から2009年(平成21年)までは、1993年(平成5年)から1994年(平成6年)の一時期を除き長期にわたって日本中央政界で自民党政権が続いていた間は、日本における「政権交代」という言葉は「非自民党政権樹立」という意味で使われることが多かった。
日本中央政界における政権交代は失政による内閣総辞職後の衆議院野党第一党党首への大命降下や衆議院多数派工作で成立したものがほとんどであった。
1946年(昭和21年)の日本自由党による第1次吉田内閣誕生や1947年(昭和22年)の日本社会党の片山内閣誕生のように、衆院選直後の衆議院第一党党首が首相に就任したケースではある。しかし、衆議院で単独過半数の議席を得ていたわけではなく、他政党との連立内閣による衆議院多数派工作によって過半数議席獲得をしたという側面もあったため、選挙において野党が民意で政権交代をした例とみなすことは難しかった。
1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で誕生した細川連立内閣は、自民党が過半数を割りながらも他政党と比較して衆議院第一党にあったにも関わらず、野党の衆議院多数派工作によって非自民の8党が結集して衆議院第五党党首の首相擁立という経緯があったため、野党が民意を得たことで政権交代をした例とみなすことは難しかった。
2009年(平成21年)の第45回衆院選では、民主旋風を受けた野党第一党・民主党が圧勝して初めて非自民を中心とする民主党政権(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・野田佳彦内閣)が誕生し、一時期の例外を除いて長期政権与党であった自民党はそれまで連立政権を組んでいた与党第二党・公明党とともに本格的に下野することになった。これが日本政治史で国政選挙で自民党以外の日本の政党が民意による衆議院議員総選挙を得て「政権交代」した初めての例となる[3]。2009年(平成21年)の新語・流行語大賞では「政権交代」が選ばれ、鳩山由紀夫内閣総理大臣が受賞した。
衆議院総選挙を経た政権交代編集
衆議院総選挙を経ない政権交代編集
- 1994年(平成 6年) - 羽田内閣(新生党・公明党・民社党・柿沢自由党・日本新党などの連立政権、新党さきがけ・新党みらい・社会民主連合は閣外協力)⇒村山内閣(自由民主党・日本社会党・新党さきがけの連立政権)
パラグアイ編集
パラグアイではコロラド党が1948年から支配していたが、2008年に政権交代が起きた。
ポーランド編集
ポーランドでは1989年に民主化されてからは選挙するごとに交代してきたが、2011年ポーランド議会選挙では政権が続投した。
台湾編集
台湾では、2000年中華民国総統選挙で、中国国民党から民主進歩党へ、2008年中華民国総統選挙では、民主進歩党から中国国民党へ、2016年中華民国総統選挙では、再び中国国民党から民主進歩党へ政権交代が起きた。
韓国編集
韓国では、1997年大韓民国大統領選挙で、中道左派の新政治国民会議の金大中が、中道右派のハンナラ党の候補に勝利した。2007年大韓民国大統領選挙では、ハンナラ党の李明博が、中道左派の大統合民主新党の候補に勝利した。
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目編集
脚注編集
- ^ “鳩山政権100日 決断できぬ首相、真価は”. 日本経済新聞. (2009年12月24日) 2009年12月27日閲覧。
- ^ 生島章弘 (2009年12月24日). “鳩山政権きょう100日”. 東京新聞p 2009年12月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 毎日新聞政治部『完全ドキュメント 民主党政権』毎日新聞社(原著2009年10月25日)、初版、p. 10。ISBN 9784620319605。2009年12月12日閲覧。